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押しかけメイドが男の娘だった件  作者: 敷金
第三章 誰も居ない世界編
34/118

ACT-34『温泉に浸かって皆でたるんたるんです』


 この期に及んで、卓也は一つの疑問にぶち当たっていた。

 所謂「女性のような容姿の男性の方々」は、銭湯や温泉、大浴場などに行く場合、どうしているのだろうかと。

 このご時世、突っ込んで考えると色々ややこしいことになってしまうが、疑問は疑問。

 特に、澪や沙貴のように、ごく一部を見なければ女性と区別がつかないレベルともなると、本当にどうしているのかわからない。

 恐らくそのまま入ったとしたら、他の男性客はギョッとすることだろう……という想像は働くが。


 何は、ともあれ。

 澪と沙貴の念願だった、温泉にこれから入浴することになった。

 男同士、三人揃って。


(でもこれ、構図的には、殆ど“女の子達と混浴状態”だよなあ。

 いいのかな~……まあ、他に誰も居ないからいいんだけど)


 着替えとタオルを備え付けの籠に入れながら、卓也は最後まで悩んでいた。







  ■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■


  ACT-34『温泉に浸かって皆でたるんたるんです』





「おおー、これはすごい!」


 先に大浴場に入った卓也は、その広さと豪華な造り、そして美麗さに目を奪われる。

 そこは、とてつもなく広いフロアに楕円形の巨大な浴槽が配置され、外向きの壁が一面ガラス張りとなっている。

 天井を支える楕円の柱が数箇所天井を支え、その一部は浴槽の中からも屹立しているようだ。

 窓側の反対側には、外周を囲むように個別の洗い場が並んでおり、それぞれを仕切る小さなパーティションが配されている。

 かなりの老舗ホテルだと聞いていたが、古臭さは微塵もなく、乳白色の壁や大理石調の床は清潔感に溢れ、雰囲気と居心地はかなり良さそうだ。

 

(これを、沙貴は一人で洗ったってのか……すげぇなあ、これはお礼を言わないと駄目だわ)


 どうやら、庭のようになっている露天スペースにも別な浴槽があるようで、更にはそこへの入り口付近にサウナも設置されているらしい。

 新しい湯も既に張られており、今にもざぶんと飛び込みたい心境に駆られる。


(いやいや、まずはきちんと身体を流してだな。それから――)


 カチャッ――カラカラカラ


 その時、入り口の方から扉の開く音と、会話が聞こえて来た。


「うわぁぉ! すごい! 大きい! 綺麗!

 これが温泉なのねぇ♪ 大迫力だわぁ!」


「ふふふ、そうよね。

 準備が結構大変だったのよ~」


「ありがとう沙貴!

 えへへ、これで澪も、ついに温泉デビューでーす!

 ぱんぱかぱーん☆」


「めちゃくちゃはしゃいでるわねえ、澪」


 遂に、二人が入って来た!

 卓也は、その声にびくっとしながらも、洗い場のパーティションの向こうからそっと覗き込んだ。



 そこには、長い髪をアップにまとめた絶世の美女……にしか見えない美少年が二人、楽しそうに会話しながらこちらに歩いて来ていた。

 長い脚、白い肌、部分的に女性的な膨らみを帯びた美麗なボディライン。

 胸も決して膨らんでおらず、まして股間には性器が露出しているというのに尚、彼らはそれでもスレンダー体型の女性にしか思えないのだ。

 S級ロイエとは、それほどのものなのだ。

 完璧な美しさで非のうちどころのない肢体に、卓也は思わず我を忘れて見入ってしまう。


「あ、卓也みーっけ!」


「まぁ、ご主人様。

 どうして、こんな端っこに?」


「え、あ、いや、まあその」


「ははーん、わかったぁ!

 ボク達と一緒だから照れてるのね?

 カワイイ♪」


「澪、ご主人様をからかってはいけませんよ。

 ――ご主人様、さぁ、お身体を洗って差し上げますわ」


「え、い、いや、じじじ自分で出来るから」


「そんな、ご遠慮なさらずに」


「そーそー! こういうのもロイエの腕の見せ所よ!

 二人がかりで隅々まで綺麗にしてあげるからぁ♪」


「ままま、待て待て!

 お前ら、今、舌なめずりしただろ!

 どどど、どういうつもりだぁ?!」


「気のせいですよ、ご主人様♪」ジュルリ


「そうだよぉ、他意はないってぇ」グビリ


「喉鳴ったぁ! ジュルリってなんだぁ!」


 身体を隠しもせず大接近してくる沙貴と澪に、卓也は思い切り戸惑う。

 これまで何度も裸を見たなのに、こういった場で見るといつもと違う気がして、卓也は童貞丸出しの恥ずかし状態で二人のサキュバスに取り囲まれた。


「うふ♪ 卓也、なんだかんだ言って、勃ってるじゃん」


「まあ♪」


「まあ♪ じゃねぇ!」


「う~ん、卓也ったら可愛いすぎるぅ!

 もう、皮の裏側からお尻の穴の中まで、全部綺麗にしちゃうんだからぁ♪」


「我慢出来なくなったら、構いませんので、いつでもお出しになってくださいね♪」


「や、やっぱりそっち方面を狙ってるんじゃないかぁぁぁぁぁ!!」


「卓也?」


「な、なんだよ?」


「諦めよ、ね♪」


「おわあぁ~~!!」


 その後、挟まれるように二人のロイエに抱きつかれた卓也は、計二十本の巧みに蠢く指により洗浄され、もう洗うところなどないというくらいに徹底的に洗われた。

 そしてその間に一回、沙貴の胸に飛沫を飛ばしてしまった。




「ぬくいねぇ」


「ですねぇ」


「しわわせだねぇ~」


 どこかで、チャポーンという音が響く。

 色々あって、綺麗に身体を洗い終えた三人は、揃って浴槽に浸かっていた。

 全身を包み込むようなぬくもり、身体を伸ばせる開放感、そして言葉に言い表せないような高揚感と安心感。

 これが、温泉の大浴場に浸かる歓び……卓也は、十何年ぶりかでその感覚を味わっていた。


「これはぁ~、もう、このままここから出たくない~、みたいなぁ~」


 澪が、今まで見たこともないような呆けた表情を浮かべている。


「そうよねぇ……なんだか、身体中から疲れやストレスが染み出していくみたい~」


 同じく、今までこんな表情を見せた事がないといういうくらい、呆け切った沙貴が呟く。


「うう、ごめんな二人とも。

 世話になってばかりで……」


「あ、そんな! そういうつもりで申したわけでは……」


「まぁいいじゃない~、温泉なんだからさぁ~」


「いかん、澪はもう、会話が成立しなくなってる」


「でも、温泉って本当に良いものですねえ。

 私達ロイエは、温泉どころか旅行に連れて行って頂く機会すらまずないですから。

 ご主人様、私を所有してくださって、本当にありがとうございます」


「い、いやいやそんな、俺の方こそいつも世話になってばかりで」


「二人とも~、もういいじゃない~、そんなことぉ~。

 せっかくの温泉なんだからさぁ~、デレデレしようよぉ」


「デレデレって」


「ああ、こんなにたるんたるんになっちゃって。

 澪、ロイエともあろう者が、みっともないですよ。

 ……でも、温泉だからしょうがないわよねぇ~」


「うわっ、沙貴までたるんたるんに!」 


「温泉だからしょうがないよぉ~」


「そうかぁ、温泉だからしょうがないのかぁ~」


 その後、揃って骨の髄までたるんたるんになった三人は、のぼせる直前まで湯に浸かり続けた。


 三人揃って飲む湯上りのコーヒー牛乳は、この世のものとは思えないほどに美味だった。





 温泉地の時間は、早く進む。

 もう日付が変わろうとする頃、のぼせかけてぐったりした卓也は、自室のベッドに横になり、あのノートを読みふけっていた。


(これ、想像以上に緻密に書かれてるなあ。

 読み物としても充分面白いし、退屈しのぎには最適かもなあ)


 今まで飛び飛びでしか目を通していなかったが、改めて最初から読んでみると、その内容の細かさと情報密度に、改めて舌を巻く。

 これを書いた人物は、やはり自分と同じような境遇の人に向けて必要な情報をまとめようと考えていたようだ。

 この世界が無人であり、それでいてある瞬間に突然状況が更新される特徴を最初に述べ、その上で、各所の特徴や状態を詳しく調べ、行くべきところへのアドバイスなどを示している。

 また、自分の失敗談や成功例を綿密に挙げ、この場合どうすればいいのかを明確化し、更に、現実世界との相違点についてもしっかり触れている。

 かなり文才に長けた人物がまとめているようで、自分がこの世界に居なければ、まるで洗練されつくしたSF物語の設定資料集のようにすら思えてくる。

 

(本当にすごいなこれ。

 これだけまとめあげるのに、いったいどのくらいの時間を要したんだろう?)


 ノートの半分くらいまで読み進めた時点で、ノートの主は、少なくとも三年以上はこの世界で生活していることがわかった。

 この世界にもちゃんと季節の変化はあり、その為冬場は活動に非常に苦労した様子が書かれている。

 特に、移動先で暖房設備が予め動いていないということが想定以上に厳しかったらしく、如何に“自分以外の人が居ることがどれほど大事なのか”を思い知らされたようだ。


(そうだよなあ。

 寒いからって店の中に飛び込んだら、そこもまた寒いなんてちょっとゴメンこうむりたいもんな)


 書かれた内容にいちいち頷きながら、卓也は更に読み進めていく。

  

 すると、ある部分に気になる表記を発見した。


(あれ? これってまさか――)



 コンコン



 その時、不意にドアをノックする音が聞こえて来た。


「はーい、誰?」


『澪ー』


「なんだ、どうした?」


『ちょっと開けて。

 相談したいことがあるの』


「……」


 ノートが佳境に入っていたところだったので正直中断されたくなかったが、澪の声がいつもにも増して真剣な雰囲気だった為、卓也はひとまず中に入れることにした。

 ドアの向こうには、浴衣姿で髪を緩くまとめた澪の姿があった。

 その表情は、いつものような陽気な雰囲気ではなく、何故か少々怯えているようにも見える。


「相談って?」


「うん、中に入れて。

 窓の外を一緒に見て欲しいんだけど」


「ああ、わかった」


 中に入ると、澪はまっすぐに窓まで移動し、カーテンを開ける。


「ねえ、あの辺りなんだけど、明かりが見えない?」


 そう言いながら、澪は先程卓也が発見したあの明かりの方角を指差した。


「澪も見つけたのか」


「えっ、もしかしてもう気付いてた?」


「うん、実は」


「それってもしかして、“俺とっくに知ってたもんねー症候群”じゃなくて?」


「初めて聞く症候群だな、それは」


「ボクも今初めて言った!」


「お、おぅ」


 改めて見てみると、明らかに見間違いではない。

 確かに、あの方角で小さな明かりが灯っている。

 澪も感付いたという時点で、もはや疑いようはないだろう。


「ねえ卓也、もしかしてあそこに、誰か住んでたりするのかなあ?」


「ああ、実は今、ちょうどその辺りを読んでたんだけどね」


「その辺り? 読んでた?」


「ああ、それらしい記述を見つけたんだ」


 卓也は、ベッドの上に置いたままのノートを指差し、先ほどまで読んでいた辺りの話を始める。


 ノートの主は、とある事情で本拠地を点々としていたようだ。

 無人の世界なんだから、ずっと同じ所に住んでいても良いだろうと当初は思っていたようだが、食料品が不定期に新鮮なものに切り替わるのと同じように、建物もある日急に影響を受けてしまうことがあるのだという。

 そして、それが転居の要因になったようだ。


「うん、それで?」


「ああ、読み進めていくとな。

 ――このノートの主が最初に住んでいたアパートが、いきなり取り壊され始めたらしいんだ」


「えっ? 誰も居ない世界なのに?」


「そうみたいだな。

 なんでもすごいボロアパートだったらしいんだけど、自分がこっちの世界に移った後に現実世界で解体工事が始まっちゃったみたいでな。

 その影響を受けてか、ある朝突然、アパートの部屋の壁が半分なくなっていたんだと」


「何それめっちゃコワイ!」


「だよなあ……でも、そうか。

 だからこの人は、住処を変える必要があると判断したんだな」


 この世界は無人だが、一切変化が起こらないわけではない。

 ここは、別な世界をコピーしたようなもので、オリジナルの世界で変化が起これば、それはこちらにも反映されていくのだという。

 その為、オリジナルの世界のコンビニで商品の入れ替えが起これば、こちらの世界の同じコンビニでも商品が替わる。

 これと同じ理屈が、多方面にも適用されるのではないか、というのが、ノートの主の持論だった。


「この人、その後ももう一回、急な引越しをしているみたいだね。

 しかも二回目は、住んでたマンションが火事になったみたいで、焼け跡の中で目が覚めたらしいよ」


「ひえ! ちょ、大丈夫だったの?」


「まあ、大丈夫だったからこれが書けたわけでな」


「あ、そうか。

 でもそう考えると、誰もいない世界だからって、安心は出来ないんだね」


「そうだよなあ。

 んで、この人は色んなところを点々として、しかもその場所が後からでもわかるように、部屋の電気を点けっ放しで引っ越したりしていたんだって」


「え、じゃあまさか」


「ああ、俺もそうなんじゃないかなって」


 二人の視線は、再び窓に向く。

 

「俺達が乗って来た車も、元はこのノートの主が乗っていたものだからな。

 それが都内に乗り捨てられていたって事は、この人も都内を拠点にしていたんだろう」


 卓也がそう言うと、澪は頷きながら、彼の膝の上に乗る。


「そうか、ということは、ボク達と同じようにこの熱海に来ていても、おかしくはないのかな」


「うん、もしかしたら俺達と同じようなことを考えて、熱海まで来て拠点を作った名残かもしれないね」


「ふぅーん、なるほどねえ」


 澪は、そう呟きながら、卓也の首に両腕を回す。

 急に体を密着させて来た彼に驚きつつも、卓也は澪の腰に手を回した。


「なんだかボク、怖くなっちゃった。

 ねえ、今夜はここで寝ていい?」


「性的なことを一切しないならいいよ」


「ぶーぶー! ぶーぶー!」


「やる気満々やないか」


「ねえ、いいでしょ?

 ちゃんと準備はして来たから、ねえ」


「さっきもちょっとだけしたじゃないか」


「ただ抱き合っただけじゃない、あんなの。

 ねえ、今夜こそ、最後まで……しよ?」


「あんなに派手に出しといて、だけ、もへったくれもないもんだ」


「んもぉ、そういうのはいいからさぁ」


 我慢の限界なのか、澪は立ち上がると帯を解き、ゆっくりと浴衣を開いていく。

 その下には、何も着けていない。

 先程大浴場で見てドキッとした、澪の美しすぎるボディを間近に見て、卓也は思わず喉を鳴らす。

 それはもう、同性だからどうとか、そういった領域を越えた高度な魅了の世界。

 潤んだ目で見つめられ、卓也は、まるで射すくめられた蛙のような心境に陥った。


「ボク、身体中に、思いっ切りいっぱいキスして欲しいの……

 ずっと、夢見てたんだから」


「そ、そういうのが、好きなのか?」


「うん、あと、恥ずかしいことを命令されるのも、好き」


「そうか、じゃあ」


 そう言うと、卓也は澪の身体を抱き上げる。

 そのまま窓際にある椅子まで移動すると、窓の方を向くように腰掛ける。

 

「あっ、ヤ……っ」


「脚を開いて」


「そんな、恥ずかしいよ……」


「そういうのが好きなんだろ?」


「うう……」


 大好きなご主人様の命令には、抗えない。

 澪は、卓也の膝の上で、窓の方に向かって大きく脚を開いた。

 すると、卓也はその脚を手で抱え、閉じられなくした。


「あっ、ヤッ……やだ、全部見えちゃう……」


「いやらしい格好になったな、澪」


「た、卓也……急に、Sっぽくなってる」


「じっとしてろ。

 剥くぞ」


「あ――」


 卓也は澪の脚の下から手を伸ばすと、もう既に膨らみ切っている部分を、優しく摘んだ。





 その頃、沙貴はスーツ姿に着替え、また車中に居た。

 手早くエンジンをかけると、出来るだけ静かに駐車場を出て行く。

 向かう先は、高速道路の入り口。

 ハンドルの左横のナビが、黄色いラインで移動ルートを示す。


(澪、今頃ご主人様とうまくやってるかしら。

 はぁ……羨ましいなあ)


 真っ暗な高速道路を東に向かって走ること約一時間。

 真夜中の二時近く、また厚木ICに舞い戻った沙貴は、マクドナルドで一杯の熱いコーヒーをチャージすると、意を決して進路をウニクロへ向けた。


(ご主人様は黙ってたけど、明らかに、ウニクロで何かあったんだわ。

 それを、確かめなきゃ)


 主人への忠誠心と、彼の気分を害した何かへの義憤の気持ちが入り混じり、沙貴は、どうしても“何があったのか”を突き止めたかった。

 きっと、自分達に話したら問題が起きると、気遣ってくれたのだろうが、それが益々彼の探究心を突き動かしていた。


 懐中電灯を照らしながら、真っ暗な店内に侵入すると、沙貴はまず店内の照明を全て点けた。

 

「さて、じゃあまず何処から調べ――えっ?」


 照明が点灯してから、ものの十数秒も経たないうちに、沙貴は店内の異変に即座に気が付いた。



          “だいたいなんで”




      “寒いからここに来たのに 温かくなれるものがないじゃないか”




       “どうしていつも 俺ばっかりこう”




      “許せない許せない許せない許せない”




 “あいつにだまされた あいつさえいなきゃ こんなことにならなかったのに”




         “帰りたいよ 初美”




          “もう何度目だ”



             “死”



「な、何よこれ……!」


 それは、落書きだった。

 そう、以前にも何度か見かけた、あの黒マジックで書かれているあれが、ウニクロ店内の白いレジブースや壁のいたるところに、数え切れない程無数に点在している。

 それはもう、明らかに正気ではない者による“狂行”。

 店内が暗かった時は全然気付けなかったが、一日や二日で、しかもまともな精神状態で書けるようには思えない程のおびただしさだ。


「いったい、ここで誰が、何を――」


 卓也はこれを見て気分を害したのだろうか?

 いや、そうではない。

 沙貴は、特に根拠もなく、そう思えてならなかった。


(もう少し、店内を調べてみよう)


 卓也が取った影響なのか、店内の各所で、衣料品が無造作に散らばっている。

 なんとなくそれを元に戻しながら、沙貴はどんどん奥の方へと進んでいく。

 やがて試着室に辿り着くが、その奇妙な様子と、五番目の部屋の異変には、即座に気がついた。


 閉じられたドアの前、並べられたボロボロの革靴と、下の隙間から広がる黒いシミを見止め、沙貴は、ここだと確信を抱く。


「……」


 中から鍵がかけられている事を確認すると、沙貴は他の試着室のドアの構造を確かめた。

 五番目のドアの前に立つと、沙貴は徐に靴を脱ぎ、ノブ付近に向けて――


 ドンッ! ドンッ!!


 右脚で、何度も蹴りを入れた。

 そこまで頑丈そうではないかんぬきの鍵なので、さほど耐久性は高くないだろう。

 そう考えた沙貴の予想は的中し、三度目のキックで大きく隙間が開き、四度目でドアが完全に開かれた。


「――!!」


 沙貴の表情が、一際険しくなる。

 案の定、そこには、一人の男性が居た。


 だが彼は、とうの昔に朽ち果てており、ミイラ化していた。


 その服装と身体の大きさから、成人男性である事は予想がつく。

 そして彼の手元には、キャップの外れた太い黒マジックが転がっている。



 そしてその試着室の内側の壁には、色がわからないくらいにびっしりと、落書きが施されていた。


「何か……ただ事ではない何かが、ここでは起きているのかも――」


 悲鳴を上げることもなく、沙貴は、冷ややかな目で男の骸を見下ろした。

 


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