ACT-32『男の娘達と温泉旅行いってきます』
卓也達三人は、より遠方の地域の様子を窺う為と、本拠地を移す場合の試策として、そして久々ということから、熱海温泉へ向かうことに決めた。
東京からの移動距離がさほど離れておらず、何かあれば気軽に戻れる範囲であることや、海が近いので澪や沙貴が見に行きたいとねだったからという理由だ。
本来の目的は、素性の知れない“落書き犯人”の行動圏内から遠ざかることだが、話が進むうちに、三人の中ではそんなことはだんだんどうでも良くなり始めていた。
「こういう時、一応でもネットが観られるってのはいいなあ」
「そうよね、ホテルや旅館の写真も確認出来るし、設備もわかりやすいよね」
「問題は、そこの設備を自分達で動かさなきゃならないってことですけど。
――わ、ねえ見て澪、このお部屋素敵じゃない?」
「わぁ、ホント! いいなあ、ここ泊まりたい!
ねえねえ卓也ぁ、ここにしよ?」
「俺は、こっちも良いと思うんだけど、どうかな」
「ご主人様、さすがです。ここもいいセレクトですね」
「じゃあさ、いっそのこと、何日かかけて全部行っちゃおうよ」
「悪くないね」
「賛成!」
トントン拍子で話が進み、早速翌朝には出かけることになった。
■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■
ACT-32『男の娘達と温泉旅行いってきます』
翌朝、三人は荷物を車に積み込み始めた。
今回の移動は半分引越しも兼ねている。
その為、卓也の衣服や日用品を中心に可能な限りの小物を積み込む必要があった。
幸い、澪と沙貴の私物はまだ少ないので、不足物は途中で何とかして調達していく事にした。
「家電は、さすがにどうしようもないよなあ」
「無理にここを空っぽにする必要はないと思いますよ」
「そうだよ、必要に応じて、また取りに戻ればいいと思うよ」
「確かにそうだな。じゃあ今回は、一旦これで行こうか」
「はーい」
「ご主人様、申し訳ありませんが、途中で私達の必要品も……」
「ああ、うん。どっか寄って強奪して行こう」
「強奪って」
「途中、どこかのショッピングモールにでも入ってさ」
と言い掛けた途端、澪がピン! と猫耳を立てて反応する。
「トレーラーで入り口を封鎖してー」
「え?」
「建物の入り口も全部鍵閉めて、外から入れなくするんだよね」
「は? え?」
「ああ、そうね。
出入り口は屋上だけになるのね。
誰がヘリ坊や役をやるのかしら?」
「沙貴なら操縦出来そうじゃない?
ボクは、その間に最上階を改造して、リビングにしちゃうよ」
「え? え?」
「澪、ちゃんと廊下にパーティションを区切って、お坊さんが勝手に入って来ないようにするのよ?」
訳のわからない澪のネタ振りに、沙貴がニヤニヤしながら応える。
二人がガッシリ手を繋ぐ横で、ネタの意味がわからない卓也は、一人で困惑していた。
「卓也、トレーラーから降りる時、脚噛まれないでね」
「何の話だよ! 何に噛まれるんだよ!」
「クックックックッ♪」
「うふふ♪」
「?!」
困惑する卓也をよそに、澪と沙貴は、不適な笑みを浮かべていた。
車に乗り込み、前と同じように、後部座席に卓也が搭乗。
前の席は、運転手に沙貴、助手席に澪が座る。
「うわー、ナビもちゃんと使えるんだね」
「もうなんか、都合良く便利な部分だけ残してる世界って感じですね」
沙貴の感想に、二人は共に深く頷く。
さて移動経路に有料道路……所謂「高速道路」が含まれているが、残念ながらこの車には、リーダーこそあれETCカードは搭載されていないようだ。
「どうする?」
「どうせ他に車は走っていないんですし、下路を走って行きましょう」
「そうだよ、どうせ誰もいないんだし、高速道路も下路も変わらないでしょ」
「い、いいのかなあ……」
「まあそこは、無理のない運用で参りますので、ご安心ください。
自損事故は避けたいですから」
「そうだね、よろしく頼むよ沙貴」
「あっ、ご主人様のキスをいただけたら、私きっと頑張れると思います!」
「にゃあ! じゃあボクも、ナビ頑張るからチュ~!」
「ったく、お前らは……」
仕方なく、卓也は二人のほっぺに軽くキスをした。
「それでは、発進いたします。
シートベルトは大丈夫ですね?」
「はーい」
「うーっす」
「では!」
マンション入り口前に停めたランドクルーザーが、ゆっくりと走り出す。
本日は快晴で、外の気温も丁度いい。
ある意味、非常に旅行日和なのだが、やっぱり誰も居ない路を走ると、不思議な気持ちになってくる。
「澪、私たぶん、癖でウィンカーつけちゃうと思うけど、突っ込まないでね」
「うんうん、大丈夫、わかってる」
「ん? 何の話?」
「いえ、こちらのことです」
後部座席に置いたバッグから水のペットボトルを取り出し、前座席の二人に手渡すと、卓也はまた例のノートを開く。
「それよりさ、高速道路のことで面白い書き込みがあるよ」
「なんですか?」
「どうやら、高速道路は問題なく使えるみたいだね」
「えっ、ETCシステムが生きてるんですか?」
「いや、ゲートをそのまま突っ切ればの話」
「あ、なるほど……」
この車を以前に運転していた事があると思われる“ノートの主”によると、高速道路のETCゲートは元々強行突破が可能な構造になっているそうで、降りていてもそのまま突っ切れるらしい。
ただし、バーが接触するので車に傷がつく可能性があることや、場所によってバーの長差が違うので、通過時には充分な注意が必要だと書かれていた。
「なるほど、側面に僅かに擦ったような後があったのは、その為でしたか」
「よく見てるなあ」
「長距離運転をしますから、出来る限りのチェックは済ませております。
途中スタンドに寄ったら、コイルやタイヤの空気圧もチェックいたします」
「た、頼りになるなあ」
「さすがのボクも、そっち方面の知識はないよ」
「これは、私が仕事と趣味で得た知識と経験によりますから」
「うん、沙貴が一緒に居てくれて本当に良かったよ!」
「あ、ありがとうございます、ご主人様♪」
顔を赤らめ、恥ずかしそうに囁く沙貴が、妙に可愛らしく思える。
車は更に西へ進み、初台方面から山手通りを経由し、首都高速に入る。
ノートの主の言う通り、三人の乗る車は、豪快にゲートを通り抜けた。
「うわぉ、本当に突破しちゃったぁ!」
「これは、結構スリルを感じますね!」
「ホントだ、全然大したことなかったなぁ」
車はその後若干南下し、大橋ICから東名高速方面へ路線を変更。
三軒茶屋方面を経て多摩川を乗り越え、神奈川県川崎市に入る。
厚木に入った辺りで一旦高速を降り、ゆっくり下路を走りながら手頃そうな店を探し、そこで昼食休憩を挟む事にした。
幸い、マクドナルドがあったので、そこに駐車する。
その間、やはりというか、全く他の車や人と出会うことはなかった。
「無人のマックかあ。なんか緊張するなぁ」
「あれ? ここも開いてるみたいだよ」
「24時間営業の店は、基本的にいつ行っても開いてるみたいですね。
コンビニもそうでしたし」
「そっかあ。さて、入ったのはいいけど、俺達が自分で食べ物用意しなきゃならないんだよな?」
「そうだけど、そこはボク達に任せてよ!」
「そうです、こういう時のロイエなんですから」
「ええ、なんか悪いよ」
恐縮する卓也を席に着かせると、澪と沙貴は、顔を見合わせて軽く頷いた。
「どうやら、ここは稼働中の状態で時間が止まってるみたいね」
「だったら、好都合だよね~」
「ねえ澪、せっかくだからさ……」
「……いいかも!」
ヒソヒソ話を持ちかける沙貴に耳を貸すと、澪はニタリと怪しい笑みを浮かべる。
それから、約三十分。
(随分遅いけど、大丈夫かな……見に行ってみるか?)
普段のマクドナルドの利用者感覚が抜けない為か、時間がかかりすぎていると感じた卓也は、心配になり席を立とうとする。
だが、それとほぼ同時に、パタパタと足音が聞こえて来た。
「お待たせしましたー☆」
「一番のお客様、こちらになりまーす!」
「どへっ?!」
そこにやって来たのは、マクドナルドの店員だった。
髪をアップにして、あの馴染みのある帽子を被り、半袖シャツとややタイトな黒のスカート。
見事な着こなしぶりに、卓也は、それが澪と沙貴だと一瞬気付かず、普通にいる店員だと錯覚してしまった。
「わざわざその格好!」
「えへへ、似合う?」
「やっぱりこう、雰囲気というのが大事かなと思いまして」
「懲り過ぎだよ! でも、ありがとう!
随分沢山持ってきてくれたみたいで」
「うん、一応出来そうなものは持って来たんだけどね。
なかなか難しくて」
「そうなんです、手探りで色々やるハメになりまして……お待たせして申し訳ありません」
すまなそうに頭を下げる二人だが、卓也はそんな事は気にしない。
むしろ、一生懸命準備してくれた気持ちが嬉しかった。
「そんなことないって! ありがとうな、二人とも。
さぁ、一緒に食べようよ」
「はーい♪ 実はボク、マックも初めてでーす」
「ああそうか! そうだよな。
沙貴もなの?」
「私は、一時期ハマってたので♪」
「そうか、外回りやってたんだもんな」
「丁度良い感じの休憩所ってイメージですね~」
改めて席に着いた三人は、頂きますをした後、それぞれ適当に分け合って食べ始めた。
大量のフライドポテトに各種ドリンクをはじめ、外装と中身が合っていない謎のハンバーガー類。
パティとチーズ、レタスがおかしな順番だったり、フィレオフィッシュのフライがパティと重なって入ってたり。
普段なら絶対にお目にかかれないような、奇異な組み合わせに、三人は爆笑しながら舌鼓を打った。
食後、皆はしばらくゆっくり休むことにして、沙貴は仮眠を摂ることにした。
澪は律儀に後片付けを始めている。
一時間後に合流という約束で解散した後、卓也は、特に何もすることがないので、外を散歩してみることにした。
誰もいない大きな道路をゆっくりと歩き、周囲を見渡す。
この辺りは、あまり背の高い建物はなく、開けた郊外といった印象がある。
「へえ、○亀製麺があるんだ!
お、あそこのラーメン屋も美味そうだなぁ。
……でも、調理はあの子達任せになっちゃうしなあ」
卓也は、なんだかんだで二人のお世話になってばかりだなと自身を省み、たまには自分からも何かしてやらないとな、と思い始めていた。
それは以前からずっと抱いていた気持ちだったが、この世界に来てからというもの、その思いは更に強まっている。
このままでいいのか、という葛藤に苛まれながらここまで来た卓也は、改めて周囲を見回し、何か有用な設備がないかを調べた。
(お、よく見たら、あんなところにウニクロがある!)
何か役に立つことは、と考えていた卓也は、衣料販売店のウニクロへ向かう。
運良く入り口が開いていたら、あの二人用に何か役に立つものを、と考えた。
小走りで駐車場を駆け抜け、入り口に向かうと、自動ドアの前に立つ。
だがさすがに、ガラスドアは展開してくれない。
「やっぱ、そうだよなあ。
――あれ?」
よく見ると、ガラスのドアは数センチの隙間を空けた状態になっている。
試しにそこへ手を差し込んでみると、なんとか開け閉めは可能そうだった。
「おお、これはいいや!
よしよし、と」
卓也は早速自分の体が入れるくらいに隙間を開くと、身体をねじ込み、店内に侵入する。
店内の照明は点けられていないので、さすがに暗い……かと思いきや、不思議なことに、奥の方がぼんやりと明るくなっている。
(あれ……だ、誰かいる?)
どうやら、光が漏れているのは、奥の方に設置されている試着室の辺りのようだ。
スマホのライトを点灯させると、卓也は単身、そちらへ足を向ける。
静かな店内に、靴音がやたら大きく響き渡った。
「すみませ~ん、誰か、いますかぁ~?」
妙な不安に駆られ、声を出してみる。
随分と小さな声ではあったが、誰もいないこの場所では、それなりに響く筈だ。
しかし、奥からは何の反応もない。
(やっぱり、誰かがいるわけじゃないんだな。
じゃあ、あの明かりはなんだろう?)
試着室が並ぶエリアに踏み込んだ瞬間、卓也は、強烈な違和感に襲われる。
(な、なんだ、こりゃ?!)
試着室手前の廊下には、何着もの衣服が、乱雑に投げ捨てられていた。
一着や二着ではない。
何十人分とも思える程の量で、男物・女物、春物夏物、冬物問わず、一部山を作るように重なっているほどだ。
明らかに、何者かの手が加えられた状態だと、卓也は即察知した。
(居る! ここ、絶対誰かが居る!)
ゴクリ、と唾を飲み込んだ卓也は、試着室のドアを開けてみる事にした。
この店の試着室は、入り口がカーテンではなく、木製のドアによって仕切られている。
着替え中に勝手に開けられないようにする為か、内側から鍵がかかるようになっている。
卓也は、手前のドアから順番に開けて中を確認する。
一番目、二番目、三番、四番……ここまでは、異常はない。
だが、五番目のドアノブに手をかけた瞬間。
卓也の体内で、何かがドクン! と鼓動した。
ここは、開けてはならない!
何の根拠もなかったが、身体が、全身の神経が、そう警告してくる。
(な、なんだ……この感覚?
だ、誰か居るんだよな? でも……)
ガチャ、ガチャガチャ……
「ん?」
五番目のドアには、何故か鍵が掛けられていた。
外から鍵を開け閉め出来る構造ではなく、中から錠を差してドアを止めるタイプになっている筈だ。
にも関わらず、ここはしっかり閉じられていた。
「な、なんだ……ここ、何があるんだ?」
卓也は、恐る恐るドアをノックしてみた。
だが、当然ながら、返事はない。
放り出された無数の衣服は、このドアの前で一番多く重なっており、床が見えない程だ。
(ま、まあ、開かないってなら、仕方ないか)
もう一度ノックをして無反応なのを確認すると、卓也はこれ以上の探索を諦め、店内に戻る事にした。
「それにしても、誰だよこんなに服散らかしたのは~」
少し心に余裕が出たのか、卓也は、床に落ちている衣服を物色し、使えそうなものがないかをざっと調べてみる事にした。
だが、
(おかしいな。
これ、新品じゃないぞ?
なんか、明らかに着古したものが混じってるし、汚れが付着してるのもある。
誰かが、ここで着替えて古い服を捨ててったのかな?)
であれば、この店に、かつて自分達と同じような誰かが迷い込んだのかもしれない。
足で散らばった服を軽く払った瞬間、何か硬い物がぶつかった感触を覚えた。
「え? なんだこれ?
――えっ」
それは、靴だった。
男物の革靴で、しかも相当穿き古されており、つま先の辺りがばっくり割れている。
その靴が、二つきっちりと揃えられ、踵を更衣室に向けて並べられていた。
そして、卓也は更に気がついた。
ドアの向こうから靴の置かれた所にかけて、何か得体の知れないドス黒い染みのようなものが広がっていることに。
「――――!!」
その意味を即座に理解した卓也は、慌ててその場から飛び出していった。