ACT-29『今日はみんなでドライブです!』
エンジンスターターは、問題なく作動する。
静かな街の中に、唯一の音・エンジンの起動音が鳴り響く。
中に乗っている沙貴にはわからなかったが、その音は無音の世界では想像以上に響き渡り、マンションに居る卓也と澪をびっくりさせるほどだった。
「な、なんだぁ?!」
「え? 車の音?! なんで?」
「他にも誰かが居たのか?」
「え、あ、ちょ……た、卓也ぁ!!」
ベッドから飛び出した卓也は、リビングの窓を開いて外を確かめる。
コンビニのある方を見ると、明らかに車のライトと思われるものが、ゆっくり移動しているのが確認出来た。
「澪! 凄いぞ! 車が動いてる!!」
「ねぇ~~……ちょっとぉ……」
「誰だろう、ちょっと見てくる!」
「ちょ! ま、待ってよ卓也ぁ!!
――んもぉ! どうして毎回毎回、イイトコで邪魔が入るのよォ!!」
一糸纏わぬ姿で愛撫を受け、今にも想いが漏れ出しそうになる程追い詰められていた澪は、直径二十センチ程の「井」を頭上に浮かべ、枕にバスンバスンと八つ当たりし始めた。
■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■
ACT-29『今日はみんなでドライブです!』
卓也が駐車場に辿り着く頃、車はヘッドライトを点けたまま、向きを変えてゆっくりと戻って来た。
数メートル手前で停まった車からは、沙貴が降り立つ。
「沙貴! 君だったのか」
「ご主人様! も、もしかして、音で?」
「うん、てっきり別な誰かが来たのかなって」
「すみません、お邪魔になるかと思って、一人で探索をしていました」
「お邪魔? ――あっ」
「ご主人様、あの、澪は?」
「忘れてきちゃった……」
「……」
沙貴は、一旦車を駐車場に戻すと、キーを持って卓也に並んだ。
どうやら駐車場の車留めは機能していないらしく、停めるのも出すのも問題がないようだ。
車もざっと見た限りでは問題はなく、ガソリンも満タンに近い状態だ。
「それにしても、よくこんなに大きな車、探して来たもんだね!」
「ええ、それなんですが……」
そう言いながら、沙貴は支払機に書かれている落書きを、スマホのライトで照らして見せた。
「まさか、これが、あの?」
「ええ、そうです。
誰かが、以前に使っていた車のようですが」
「これ、あのコンビニにあったっていう落書きと同じ奴のなのかな」
「なんとなく字が似ていますから、恐らくは」
「えぇ……」
しゃがみこんで落書きをじっくり観察するが、位置や字の大きさから、明らかにここを訪れた者に対して、何者かが書いた伝言のようにしか思えない。
「やはりこの世界は、住人達が何かの理由で急にいなくなったんじゃないかな」
「そうだとしたら、コンビニの商品の入れ替えはいったい?」
「少なくとも、俺達三人以外に誰かがこの世界に居るってことは、確かなようだね」
「ですね」
いまいち納得が行かなそうな表情の沙貴と対照的に、卓也の表情は明るい。
卓也は、それならこの落書きの主を探して、可能なら合流してみないかと提案した。
「それは、相手によるかと」
「なんだ、妙に警戒してるんだな沙貴。
こんなに親切に教えてくれてるんだから、きっといい人に違いないよ」
「だと、いいのですが」
「まあとにかく、今夜は戻って寝よう。
んで、明日また考えようじゃないか」
「そうですね。
……で、澪は……」
「あっ」
その後、二人がマンションに戻ると、部屋のドアの前で涙目の澪が、真っ赤なオーラを背負いながら佇んでいた。
凄まじい、鬼のような形相で。
「おかえりなさい。楽しかった?」
「あ、いや、その」
「待ってたわよ、帰ってくるのを」
「わぁ……澪、そんな怖い顔しないで……」
もはや人間を辞めたとしか思えない程の、怒りと狂気に満ちた表情を浮かべる澪。
二人は、ガチで命の危機を感じた気がした。
「二人とも、何か、言い残すことは?」
「「 ごめんなさい! 」」
卓也と沙貴が、声をハモらせて謝る。
今はもう、そうするしかない状況に思えてならなかったのだ。
翌朝。
この世界に来てから、三日目。
やはり世界移動が起きるようなことはなく、三人は、冷蔵庫に保管しておいた食料で朝食を済ませた。
この日は、澪がパンと惣菜を使ってちょっとしたオープンサンドウィッチを作ってくれた。
「これは美味しいわね、さすがよ澪」
「ふふ、ありがとう! で、卓也はどう?」
「……お、おいしいれふ……」
「あらやだ、元気がないわね。
どうしたの? 寝不足?」
「澪……しらじらしいわよさすがに」
「そうかなー、でも、こうあるのも仕方がないことよね」
「……あうあうあう」
妙にツルツルテカテカして元気一杯の澪と反比例するように、げっそりして元気のげの字も感じられない卓也。
二人の対比に、沙貴は頭を抱えた。
「あの後、諦めて寝たんじゃないの?」
「ふふふ♪」
不適に微笑みながら、澪は軽く口を開き、何かを頬張るようなジェスチュアをしてみせる。
「いったい、何回したのよ?」
「も、もう出ません……ゆ、許してください……」
勝利の笑みを浮かべる澪が、何故かピースサインを向ける。
一方の卓也は、サンドウィッチを口に挟んだまま、テーブルにうなだれていた。
夕べの沙貴の提案通り、今日は車で遠征し、もっと広いエリアを探索してみることになった。
幸い、夕べ沙貴が発見したランドクルーザーはかなり室内が広く、座席が6つもある。
最後部の座席を畳めばかなり大きな積載空間が確保出来るため、何か物資を運搬する際にも役立つだろう。
また、いざとなれば車内で休憩を取ることも可能そうだ。
まさに、今回の目的に最適なビークルと云えるだろう。
三人は、早速準備をして、マンション入り口に寄せた車に荷物を積み込み、出かけることにした。
「ねえ、どこに座ればいい?」
「そうね、どこでもいいわよ。
あなたの気に入ったところにどうぞ」
「じゃあ、ボクは卓也と後ろに座るね!」
「うう、ごめんなさい、ごめんなさい、もう許して……」
「駄目よ、ご主人様、すっかり怯えてるじゃない。
助手席にご主人様、あなたは後部座席にしましょう」
「えー、そんなのやだ!
それじゃあんた達、前の席でイチャつき放題じゃないの。
そんなのずるいズルイー!」
「う、運転中に、そんな事出来るわけないじゃない」
「あ、一瞬声が震えたわね。
図星だったでしょ」
「ち、ち、違うわよ!
私はね、あなたとご主人様の安全を考慮して――」
「だったら、澪が助手席に座ればいいだけじゃない?」
「「 あ 」」
席の配置議論は、卓也の一言であっさりと解決してしまった。
勿論、二人は物凄く不満そうだったが。
卓也のマンションの所在地は、東京都新宿区四ツ谷。
新宿御苑に割と近い場所にある、新宿通りからやや奥まった住宅街の外れだ。
新宿や四谷といっても、この周辺は元々静かなところで、元々治安も悪くないところだった。
ここから新宿通りに出て西方面に移動し、まずはJR新宿駅周辺を見てみることにした。
新宿は、澪もかつて一度行ったことがあるので、あの街の活気は良く知っている。
食料と水分を積み込む、その他緊急用の衣服や救急箱、毛布など一通りのものを積み込むと、昼前に出発した。
「なんか、皆でドライブってワクワクするよね!」
「そうねえ、私達ロイエって、ドライブなんて殆どする機会ないし」
「ああそうか、君らは配属先に行ったら、基本的に家から出ないんだっけ?」
卓也の質問に、沙貴が反応する。
「私が知る限りでは、この澪のように、自由に生活することが許されていたロイエは殆ど居ませんね」
「そ、そうなの? じゃあボクは、すごいレアケースなの?」
澪の言葉に、沙貴が静かに頷く。
「そうよ。
私はもう一人、ご主人様に寵愛されて結ばれたロイエを知っているけど、その子も含めてあなたはかなりのレアケースね」
「そ、そうなんだ……卓也、ありがとう!」
「いえいえ、そんなそんな」
「よく考えたら、そのレアケースの中に、私も含まれることになるのね。
ご主人様、改めてありがとうございます」
「な、なんか照れるな……うへ」
「でも、そのもう一人っていうのが気になるわね。
どんな事があったの?」
「それは別の話を読んでもらtt……コホン。
まあいいじゃない、それは。
それより、街の様子をよく窺って。
何か変化があったり、人を見つけたら教えてね」
「りょーかい!」
「アラホラサッサ」
やがて車は新宿通りに出るが、当然ながら、そこにも人は誰一人いない。
道路の脇に停められた車やバスはいくつもあり、最初は人がいるのでは? とも思ったが、それはなかった。
信号も点灯しておらず、窓を開けても自分達の車の音以外、一切何も聞こえてこない。
ビルも店も車も、いずれも朽ち果てているわけではなく、つい先ほどまで普通に稼動していたようにしか見えないのだが、まるで不自然に「人間」という記号だけが削除された印象だ。
「そういえば、昔観た古い映画で、こんな雰囲気のがあったな。
細菌兵器がばら撒かれてしまって、人だけが死んで世界中ゴーストタウンになっちゃうっての。
それを思い出すよ」
「でもあの映画って、確かにゴーストタウンでしたが、街中死体だらけだったじゃないですか」
「そうそう、みんな白骨化しててね。
あの様子が凄くリアルで、本当にこうなっちゃった街がどこかにあるんじゃないかって思っちゃったわよ」
「いや待って、どうしてスムーズに話が繋がるの?!」
「ロイエですから」
「ロイエだもんね!」
「あの映画、ロイエの必須科目か何かだったのかよ……」
車の中では話が弾み、それなりに楽しい雰囲気ではあるが、車外はそうではない。
車は新宿御苑のトンネルを通り抜け、JR新宿駅の南口付近に出る。
トンネルの中は、何故かライトが点いていて走り易かったが、まるで心霊スポットになった閉鎖トンネルの中を走り抜けるような不気味な雰囲気があった。
新宿駅の周りに至っても、やはり人は全くいない。
駅は普通に開けられており、今にも大勢の客が中から出て来そうな雰囲気だ。
その違和感は想像を絶するもので、三人は思わず南口の前で車を停め、道路を渡って駅の中に入ってみた。
「やっぱり、誰もいないね」
「電気は消えてるし、さすがに奥の方は日中でも暗いか」
「まさか新宿駅のこんな光景を見られるなんて、思いもしませんでしたよ」
「だよなあ……おや?」
話に講じながら周辺を見回していた卓也は、何気なく見た切符売り場に、何かを見止めた。
「卓也、どうしたの?」
「何かありましたか?」
切符の自動販売機の前で、やや屈んで何かを見ている卓也に、澪と沙貴が心配そうに声をかける。
「ああ、ちょっとコレ、見てくれよ」
「何? 落し物でもあったの?」
「それに近いものかもしれないけど」
「……えっ?!」
横から覗き込んだ沙貴が、思わず奇声を上げる。
慌てて反対側から顔を突っ込んだ澪も、「それ」を見て息を呑む。
“さすがの新宿駅も ここでは無人駅なんだな”
自販機の横の壁部分に、黒いマジックのようなもので、それは書かれていた。
字体には、見覚えがある。
それは間違いなく、あのコンビニと駐車場で見かけた、何者かによる落書きだ。
「こんなところにも、書き込んでいるのか」
「うわぁ……」
「なんだか私、怖くなって来ました」
「あ、待って!
こっちにも、何か書いてある!」
少し離れた所で、澪が二人を呼ぶ。
改札口前にある、白い円柱型の柱を指差している。
ゴクリと唾を呑み込むと、卓也は澪の指し示すものを眺めた。
“ようこそ 誰も居ない世界へ!
って よく考えたら ここから出てくる人なんか居ないんだよな
何やってんだ俺”
落書きは、改札口側から見ればすぐにわかるよう、これまでに比べてかなり大きめな字で書かれている。
しかし、途中で無意味さに気付いたのか、二行目以降は小さな文字に戻っている。
なんとなく、後から書き足したようにすら思える。
「ご主人様、この落書き、どう思いますか?」
「う、う~ん……なんだろう。
俺達より先にここに来た誰かが、退屈しのぎに行く先々で落書きしまくっていたのかな?」
「なんだか、ボク達の行く先に先回りして落書きしているみたいに思えるね」
「同感です。
正直なところ、かなり気味悪いです」
「何かの手がかりになるといいんだけど。
でもとりあえず、この世界が本当に無人の世界ぽいってのはわかったな」
「……」
その後、南口周辺を十数分ほど探索したが、それ以上落書きは見つからなかった。
そろそろお腹が空いてきた、という澪の言葉で、三人は車に戻って昼食を摂ることにした。
今回は携帯食の代表格・おにぎりがメインだ。
ツナマヨおにぎりとパック牛乳を受け取ると、卓也は嬉しそうに包みを破く。
「ねえ卓也、これ、どうやって食べるの?」
「ああそれは、ここをこうやって――」
「わぁ、ありがとう! やっぱり卓也は優しくて好きっ♪」
「ご主人様ぁ、私も、おにぎりの開け方がわかりませんの」
「はいはい、これは――」
「沙貴、超わざとらしい」
色々話しながら、今は食事を楽しむ。
三人はそれぞれ二~三個のおにぎりをたいらげ、水分補給をすると、次に何処へ行こうかと相談を始めた。
だが――
「ん? これ、何だろう?」
「どうしたの、澪?」
「うん、なんかダッシュボードに入ってる」
「どれどれ……って、ノート?」
澪がダッシュボードから取り出したのは、一冊のノートだった。
A5サイズの小さめのものだが、随分使い込んだものらしく、各ページがたわんで膨らみ、厚みが増している。
呆然とそれを手に持つ澪から、卓也はノートを受け取った。
「うわ、これは」
「ご主人様、何が書かれているのですか?」
「教えて教えて! この車の前の持ち主?」
「いや、これは……ええと」
しばらくノートを読み進めた後、卓也は、フゥと息を吐き、前席の二人の顔を見つめた。
「ざっくり説明すると、自分の素性と、この世界の概要が書き込まれてる。
しかも、かなり緻密に」
「この世界の、概要?」
「このノートの主によると、やっぱりこの世界は、無人の世界っぽいな。
かなり色々調べて回って、資料を残してくれているみたいだ」
そう言いながら、卓也はノートを開き、ざっとページをめくってみせる。
各ページには、丁寧な字で、一部手書きの図までつけて事細かに様々な情報が書き込まれている。
どうやら、主と同様にこの世界に紛れ込んでしまった人に向けての、手引き書のつもりのようだ。
「これは、すごい重要な手がかりになるんじゃない? ねえ沙貴」
「え、ええ、そうね。
でも、これだけの情報を書き込むなんて、この人、どのくらい長くこの世界にいるのでしょう?」
「さぁなあ。
でも、手がかりを見つければ、このノートの持ち主に会えるかもしれないな!」
「だね! だとしたら、その人も助けてあげたいもんね」
ノートを閉じながら卓也が少し嬉しそうに話し、澪が同調する。
しかし、沙貴だけはいまだ浮かない顔だ。
「このノートの主が、あの落書きの犯人なんでしょうか」
「犯人て」




