ACT-130『心離れ……』
「レン様! レン様!」
「大丈夫ですか、レン様?」
「おい、回復魔法はどうした?!」
「そ、それが!
何故か結界が復活してしまったので、もう使えません!」
「なんだってぇ……」
ここは、イセカス城内。
卓也に吹っ飛ばされたレンは、背面から壁に激突して落下し、完全に昏倒していた。
命に別状はないが、完全にノビていて白目を剥いている。
やがて当面起きそうにないと判断した四人の少女達は、顔を見合わせた。
「どうする? これ」
「どうすると言われましても……ここから運び出さなければ」
「いっそのこと、このままくたばってくれりゃ良いのにな」
「おいおいプナーナ、それは言い過ぎだ」
「そうですわ。レン様も、じきに慣れて私達を受け入れてくださるかもしれませんし」
「リラは優しいよね」
桃色のラインの入ったローブをまとった少女が呪文を詠唱すると、レンの身体がふわりと持ち上がる。
「一晩休ませて、回復を確認したら引き続き物見の塔を目指そう。
少なくとも、そこまでは彼の力も必要だ。
ローサ、明日また移動呪文をよろしく頼むよ」
「わかりました、ヘレシニーナ」
場を仕切り皆に指示する魔法騎士に、ローサと呼ばれた桃色ローブの魔道士は、はっきりと頷きを返した。
■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■
ACT-130『心離れ……』
「この世界のエルフって、とっくの昔に滅んでるって聞いたで?」
トレモロの衝撃的な一言に、卓也は思わず短い嗚咽を漏らした。
「は? え? ほ、滅んでる?!
どどど、どういうこと?」
「うちも、詳しくは知らんけどな。
なんかな、大昔に魔法でとんでもないやらかししよったんやて。
そのせいで、この世界が一度滅びかけたっていう話や」
「そ、それで?」
「それで、エルフはえらい叩かれたらしいやんか。
まあ、実際はその時の報復で滅ぼされたんとちゃうかな? って思とるんやけど」
「な、なんだって?!
そんなスケールのでかい話だったのか?!」
「せやで。
でもなあ、よく考えたら生き残りとかもそりゃおるやろし、完全に絶滅したとは言われへんよな」
「そ、そうだよなあ」
これまでの事を振り返ると、確かにユマは、自分達と一緒に人が居る街へ入ろうとはしなかった。
ジェムドラゴンの解体業者を集める際も、わざわざ別大陸まで飛んでいたようだ。
どうして自分達と行動を共にしないのかと疑問だったが、もしかしたら人前に出にくい事情があったのかもしれない。
それがトレモロの言う話に関連するのなら、確かに辻褄は合う気がする。
ふと会話が途切れ、先程までとはまた違った雰囲気が漂う。
お互いに次の言葉が繰り出せず、会話の間合いを計っていると、不意に強い眠気が襲って来た。
二人同時に、大きなあくびをする。
「なんや、あくびハモってもたな♪」
「はは、ホントだ」
「考えてみたら、今真夜中やんな。
しゃあない、おっちゃんの頼みやし、しばらくここにかくまったるわ」
「ありがとう、恩に着るよ」
「その代わり、アンタのそのケータイ? って奴、明日からちょっと借りるで。
それが条件や。
あ、後な!」
「え、うん」
「もしウチを襲ったら、そこらにある剣、一本残らず突き刺すさかい気ぃつけぇや!」
「ひぃ! し、しませんしません! 絶対にそんなことしません!」
卓也は、魔法部屋と鍛冶場の境にある小さな休憩室のような所を借り、そこで休むことになった。
トレモロには礼として、ジェムドラゴンの鱗を一枚渡しておく。
それでその晩はお開きとなり、彼女は一階へと上がって行った。
薄暗くなった地下室の中、簡素なソファーに身体を横たえると、一気に眠気が訪れる。
(なんだかんだ言って、トレモロって優しいじゃないか。
ふわぁ……それに、色々知ってそうだし、明日も話を……聞いて……)
いつしか深い眠りに誘われる。
不思議な事に、あれほど衝撃的だった澪との再会については、その晩は何も思い返すことはなかった。
夢の中に入ると、そこはモノクロームに包まれた地下室。
まるで待ち構えていたように、鍛冶場の奥に漂うもやに向かって、卓也は声をかけた。
「ありがとう、ジェムドラゴン」
『なんだ、いきなり?』
「あんたには助けられたからな。感謝してる」
『うむ……もう良い』
何かを言うつもりで出て来たのだろうが、先手を打たれたせいか次の言葉が出て来ないようだ。
意外に可愛らしいところがあるんだな、と思っていると、ジェムドラゴンは何故かいちいち咳払いをしてから話し出した。
『お前の仲間達について、教えておいてやろう』
「え、ジャネット達に何かあったのか?」
『うむ、あの二人は今、ヴァレネドリンの町に避難している。
どうやら思う事があるようでな、あの町で一晩明かすつもりらしい』
「なんだよ、ハッキリしない言い方だな」
『それがな、奇妙なのだ』
「え、奇妙?」
『そうだ、ヴァレネドリンの遠視をしようとすると、何故かぼやけたイメージしか伝わってこない。
以前のような、鮮明なビジョンが余の頭に現れないのだ』
鱗なのに、頭って何処なんだよ……と、どうでもいい事を考える。
だが、どうやら何か奇妙な事態が起きているらしい事は伝わった。
『もしかしたら、お前達の合流は時間を要することになるやもしれぬ』
「ユマさんは? 魔法剣士のユマさんが居る筈だ。
あの人に頼めば――」
『そういえば、以前にもその名前を出しておったが。
お前が言う、そのユマという者は、なんだ?』
突然、ジェムドラゴンが妙な発言をする。
「へ? ど、どういう意味?」
『お前のいう、ユマと申す存在は余には認知出来ん』
「いやいや、あの町に着くまで俺達と一緒に行動していた人だよ。
エルフの女の人でさ」
『エルフだと?
もうこの世にエルフはおらぬ』
「その話は、トレモロからも聞いたよ。
でも、少しは生き残りとか居るんじゃないか?」
『それはありえん話だ。
エルフはあの時、一匹残らず存在を追われ、徹底的に根絶やしにされたのだからな』
「え――」
ジェムドラゴンは、淡々と語り出す。
昔、当時最大の勢力を持っていたエルフのみで構成された魔法国家“エルフィリア”は、それまでの膨大な魔法研究と経験に基づき、とある恐るべき実験を行おうとした。
結果的にその実験は失敗に終わったものの影響は凄まじく、この世界には大きな問題が発生した。
その粛清として、二度とこのような危険な魔法を用いないようにする為と、世界各地で大規模な“エルフ狩り”が行われた。
その結果エルフィリアは滅ぼされ、各地にちりぢりになったエルフも、幾重もの魔法調査で丹念に捜索されて、一人ずつ赤子に至るまで屠られたのだ。
この世界から、エルフという存在が完全に検知されなくなる日まで、粛清は続いた。
話を聞いた卓也は、思わず言葉を失った。
「な、なんでそこまで?!
いったい、エルフが何をしたんだ?!」
『異世界へのゲートを開き、そこから無尽蔵に魔力のエネルギーを抽出しようという目論みを行った。
だがその影響で、この世界は一度崩壊しかけた』
「崩壊て」
『より分かりやすく言うのなら“この世界を完全に消し去りかけた”のだ。
エルフという存在が人間のみならず他の亜人種にも危険視され、異種族間の長き交渉の結果、粛清対象とされたのだ』
「うげ……!」
じゃあそれを、お前は何もしないで見過ごしたのか?! と言いたかったが、今はそれを言う雰囲気じゃない気がする。
卓也は、再びジェムドラゴンの言葉に耳を傾けた。
『崩壊は、人間や他の亜人種達による対策が功を奏して、水際で抑えることが出来た。
だが、その際に世界が被った被害の爪痕は、大きく残ってしまってな』
「それって、今もあるの?」
『あるとも』
「え、な、何?」
『ここだ』
「は?」
『この大陸イスティーリアこそが、エルフの魔法実験の影響で地表に現れた“爪痕”なのだ』
あまりにスケールがでかすぎる話に、卓也の脳が理解を拒み始める。
「ち、ちょっと待ってくれ!
なんだか良くわからないけど、このイスティーリアって、エルフの魔法の影響で誕生したってこと?」
『誕生、とはまた少し違うのだが。
――まぁ良い、ここでそんな昔話をしても理解出来まい。
余が言いたいのは、そんな経緯で滅ぼされた筈のエルフの生き残りが、奴らにとって忌み地とも云えるこのイスティーリアに来るとは到底思えん、ということだ』
「じゃあ、ユマさんって誰なんだよ?
いったい何者なんだ?!」
戸惑う卓也に、ジェムドラゴンは酷く冷静な声で呟いた。
『何度も言う。
余には、そのような存在は最初から見えておらぬ』
「でもお前、自分が邪悪な竜だと言われた時、ユマさんについて何か言ってたじゃんか」
『違う。
あれは別の――いや』
珍しく、ジェムドラゴンが言い淀む。
その隙にもっと何か突っ込もうかと思ったが、なんだか彼の雰囲気がおかしい気がして抑える。
『神代卓也。
お前が言っているユマという存在について、余は何もわからないし教えてやることも出来ん。
だがもし、本当にそのような存在が付きまとっているのなら、くれぐれも注意を払うべきだ』
「ユマさんが、ヤバい相手だってことか?」
『いや、こちらではわからぬので断言は出来ぬ。
しかし、ただのエルフではない事は疑いようがない。
どうしても気になるなら、お前の方からあの二人への接触を図るが良かろう』
「そうしたいけど、移動魔法がないし――」
『世話が焼けるな。
そこは自分で何とかしろ』
「冷たいんだなぁ」
『それより、もう一つ伝えておかねばならぬ大事な話がある』
ジェムドラゴンは、口調を改めて話し出す。
なんだか再び場が引き締まったような気がして、卓也は襟を正す気分で耳を傾ける。
『王城内で、恐るべき事が起きつつある。
魔王に匹敵する――否、それを越えかねない勢いで魔力を増長させている存在だ。
しかも王は、その存在に完全に魅入られているようだ。
誰のことかは、もう分かっているな?』
その言葉に、卓也は思わず眉間に皺を寄せる。
あえて思い出さないようにしていた、あの渡り廊下の様子が思い浮かぶ。
『余がお前達の許に現れたのも、もとはと言えばその者が居た為。
城内に鬼火が出たのも、恐らく膨大な魔力に惹かれてのことであろう。
このままあの者を放置し続けたら、このイセカスは――』
「俺に――これ以上、どうしろって言うんだ?」
『卓也……?』
急に顔を伏せ、卓也は、絞り出すような声を上げる。
「澪は……俺を裏切った。
あいつの……王の所に行ってしまったんだ。
もう、俺にはどうする事も出来ない……」
突然、卓也の声が弱々しい呟きになる。
だがジェムドラゴンは、語勢を変えず続ける。
『無責任な事を。
お前が動かなければ、あの者の魔力は更に増大し――』
「それも澪が! 自分で選んだ結果だろうがっ!!」
バン! と何かを殴りつけるような激しい音が鳴り響き、モノクロの世界にヒビが入る。
空間に空いたひび割れ穴の向こうには、カラーで見える地下室の光景が覗く。
『余の生み出した空間に、ひび割れが……?』
「いいんだ! どうせ俺なんて!
いつもいつも、上手く行ってるように見えて! 最後は結局こうなるんだ!
それが俺の運命なんだよ! 大事なものを、他人に奪われてばかりの人生なんだ!!」
『ではお前は、もうあの者の許には行かないということか』
「ああそうだ!
俺はもう、澪には必要のない存在だからな!
行く必要もない!」
『わかった。
それが、お前の答えなんだな』
「……」
『今夜は、ここまでにしよう』
そこで、ジェムドラゴンの声は止まる。
徐々にフェードアウトしていくひび割れたモノクロの世界は、次第に暗闇に溶け込んでいく。
そんな中で、卓也は尚も俯き続けていた。
やはり、何か様子がおかしい。
本当であれば、ユマが解体業者を呼び集め、ヴァレネドリンに連れて来て泊まり込みの解体作業をしてもらう段取りだった。
確かに、解体作業は途中までは想像していたよりも遥かに順調だったようで、実際その身体は殆どが骨と化している。
しかし、解体の際に飛び散った血や内臓の破片等は放置されたままで、そのため腐敗が始まり異臭を放ち始めている。
そして何より、頭部が見当たらない。
ユマは、ジェムドラゴンの身体の一部が町のどこかにあればそれが魔物避けになると言っていたが……
翌朝、二人は起きるとほぼ同時に、解体現場の調査を再開した。
「ジャネさん! こっち!」
テツが何かを見つけたようで、手招きをする。
そこはかつて、澪が一人で大掃除を行った倉庫だ。
大きな麻袋に入れられた無数の鱗、牙やツノの一部と思われる部位をまとめた木製のケース等が山のように積み重ねられている。
更に、別の棟では細かく切断された肉や内臓と思しきものをまとめた場所があり、そこもやはり異臭を放っていた。
「うっぷ! な、なんでこんなとこに?!
解体した肉、確か他の場所に運搬するって話だったのに?!」
「見た感じ、ある程度作業が進んだ時点でストップがかけられたみたいに見えますわね」
「ストップって、ユマさんが?」
「他にいないでしょう?」
「あ、そりゃそうか」
ジャネットは、とてつもなく嫌な予感がし始めた。
自分達が気付いていない、何か恐ろしいことが起きている。
根拠に乏しいが、そんな気がしてならないのだ。
「ユマさん、捜します?」
「そうですわね、町中を捜しましょう。
どっちみち、彼女がいないと速やかにイセカスには戻れないのだし」
「了解っす!」
ジャネットは、早速捜索の呪文を唱えてユマの居所を突き止めようとする。
だが、一切の反応がない。
「――どういうことですの?」
「魔法で引っ掛からないくらい離れたところにいるとか?」
「この呪文、イセカス辺りに居る人でも発見出来ますのよ?」
「ええ?! じゃあ、いったい何処に消えたんですかね?!」
その後、ジャネットは「浄化」の呪文を唱えて腐敗したジェムドラゴンの肉を洗浄して回る。
かろうじて異臭が収まったのは、もう昼に近い頃合いだ。
魔力を消費し切ったため、へとへとになりながら宿屋に戻る。
「これからどうします、ジャネさん?」
「少しだけ休んだら、もう一度イセカスに向かうしかないですわね」
「うげ?! あ、歩いてですかぁ?」
「そりゃあそうでしょう? だって馬車も何もないのだもの」
「ジャネさんの持ってる魔法には、移動できるものは」
「ないですわ」
テツの顔が、絶望の色に染まった。
その日の昼。
相変わらず地下室で惰眠を貪っていた卓也は、トレモロに起こされて食事を提供された。
「えっ?! たこ焼き?」
「せや。うちならたこ焼き器くらい作るのはお手の物や」
「うわぁすごい、これ、ホントに貰っていいの?」
「ええで、飢え死にさせる訳には行かんしな」
「ありがとう! 戴きます!」
「あ、一応先に言っとくけどな。
それ、形だけでタコ入ってないんや」
「あれぇ?」
「しゃあないねん。この世界、タコが流通してへんねん。
他にも手に入りにくい材料が結構あるんやわ」
「ああ、そうなんだ」
そんな中で、澪はあんなに色々な料理を提供してくれていたんだ……と一瞬考え、頭を振る。
具無しのたこ焼きで、青のりも鰹節もなかったが、それでもソースのようなものはしっかりかかっており、熱々トロトロの食感はそのまんまだ。
卓也は、昔大阪に旅行に行った時の事を思い出しながら、一つひとつ噛みしめるように味わった。
ふと、その時の同行者の顔が脳裏に浮かび、頭を振る。
「うちはこれから、夕べ言った武器の開発をするんや。
すまんけど、必要になったらあのケータイって奴貸してな」
「いいよ。
ところで、今日は外はどんな感じ?」
「ああ、今日はええ天気や。
でも、さっき王城の兵士が来てな、アンタの事色々探ろうとしとったわ。
ま、適当に誤魔化しといたけどな!」
「ありがとう、何から何まで恩に着るよ」
「ええねん。
ただなぁ、今日は街がえらい大騒ぎやで」
「大騒ぎ? またモンスターが出たとか?」
「ちゃう、なんかな、王様が結婚するんやて。
それでお妃様のお披露目をするとかで賑わっとるんやわ」
「お妃……? まさか、なあ」
「なんて?」
「あ、いや別に何も」
俺には関係ない。
そう心の中で呟くと、再びたこ焼きを食べ始める。
しばらく後、トレモロは部屋にこもり作業に入る。
卓也は邪魔しないように休憩室にこもるが、何もすることがなく退屈でしょうがない。
無性に外に出たいという衝動に駆られるも、
「あかんて! 兵士にバレたらうちやおっちゃんまで巻き添えやがな!
ええか、かくまう以上は絶っっ対に! ここに引きこもってもらうで」
「じゃあせめて、ゲーム機でも」
「ゲーム&ウオッチか、アレ何処しまったか判らんくなったんや」
「いつの時代の大阪出身やねん……」
卓也の疑問に、トレモロはニヤリと不敵な微笑みを返した。
同じ頃、ここはイセカス王城。
第二城塞へと続く大通りは、北側・西側・東側全てにおいて大勢の人々が集まり、混雑していた。
ジャガーノートに破壊されて一部通行止めとなっているエリアも、それ以外の路は同じように大混雑し、周辺の食べ物屋は朝から大忙しの様子だ。
人々は酒の入ったジョッキを持ち、翳し、楽し気におしゃべりを楽しんでいる。
そしてそんな彼らを監視する立場の兵士達も、今日はどこかだらけたような、くつろいでいるような雰囲気だ。
――王城にて、カバルス王による重大な、そして幸福な発表がある。
その知らせを受けた民衆達は、朝から街に出てその発表を今か今かと待ちわびていた。
具体的な内容は聞かされていないが、数十年前、カバルス11世が生誕した時にもこのような街を挙げてのお祭り騒ぎになった事を覚えている人々は、当時を知らない人々にも話を伝え、盛り上げようとしていた。
「王様、何の発表をするんだろう?」
「いよいよ、結婚かな?」
「それはめでたい話だ! いったいどんな素敵なお妃様を娶ったんだろう?」
「なんでもな、見たら一発で誰でも惚れてしまうくらいの絶世の美女らしいぜ!」
「そりゃあ期待が高まるねぇ~! 王様、なかなか結婚相手見つからなかったし、上手く行って欲しいもんだねぇ」
誰かが伝えるまでもなく、既に話題は妃の披露に固定されてしまっている。
王城に最も近い最終城壁の手前までみっちりと集結した民衆達の様子を見下ろし、カバルスはにやりと微笑んだ。
「見たまえ澪。
私達の結婚を、こんなに大勢の民が祝ってくれておるぞ」
「は、はい……」
「どうした、喜ばぬのか?
お前はもうじき、この国を手に入れるのだぞ?
新たな王家の一員として迎えられ、一生を贅沢三昧に過ごせるのだ。
どうだ、素晴らしいことではないか?」
とても誇らしげに、両手を拡げて語るカバルスに、澪は、今にも泣き出しそうな程悲壮な表情を向ける。
「カバルス様。
ボクは……ボクは、そのような贅沢な生活を望みません」
「何だと?」
突然の告白に目を剥くカバルスに、澪は囁くような声で尚も告げる。
「ボクは、たとえどのような立場になっても、あなたの物にはなりません。
神代卓也の、ご主人様の所有物なのです。
そしてそれは、未来永劫、どのようなことが起ころうとも変わることはありません」
「何を言う。
お前を前にして助けようともせず、みっともなく逃げ出したような男に、いつまで執着を」
心無いその言葉に、澪は顔を上げ睨みつける。
「あの人は! 過去に、とても辛い想いをされているのです!
ボクはそれを御慰めする為に、あの人に仕えました!
なのに今、ボクは、あの人を裏切った人と同じことをしてしまった……あの人が、ボクから遠ざかるのは、当然のことなのです」
「ならば、益々どうでもいいではないか。
そのような男の事など、忘れるのだ」
「いいえ、忘れません。
たとえ王様のご命令であろうとも、ボクは神代卓也の所有物であり、永遠の奴隷なのです。
ボクはあの人を傷つけてしまった。
その償いは、たとえどんな事になろうとも、必ず行ってみせます」
「ぬぅ……お前にとって、あの男はそこまで……」
悔しそうに呻くカバルスに向かって、澪は、涙を流しながらハッキリと言い放つ。
「はい、そうです!
あの人以上の存在は、ボクにとってありえませんから!」
二人の居る展望室が、黒みがかったピンク色のオーラで満たされていく。
それは傍から見たらとてもおどろおどろしい光景に思えただろう。
しかし、カバルスはもう、それを認知出来なくなっている。
以前なら、自分に対しこれ程まではっきりと拒絶的な態度を示した者は、問答無用で牢獄に送り込むか、或いは処刑していた。
だが、澪に完全に魅了されている彼には、そこまで行うことは出来ない。
ここまで言われても尚、カバルスは澪が愛おしくてたまらなかった。
睨みつける彼を、そっと抱き締める。
「何とでも言うがいい。
だが私は、決してお前を諦めん。
いつの日か必ず、身も心も全て私に靡かせて見せよう」
「……」
澪の手が、カバルスの背に重ねられる。
その穏やかで優しさを感じるぬくもりに、既に正気の色を失ったカバルスの目が笑う。
そして澪の瞳は、再び金色に輝き始めた。
「なに? 披露式を中止しろだと?!」
カバルスお付きの大臣が、素っ頓狂な声を上げる。
彼の前には、三名程の大きな魔術師帽を被った壮年の男達が佇んでいる。
彼らは大臣に頭を下げようともせず、ただ冷淡な眼差しを向けるだけだ。
「その通りにございます。
お気付きになられませぬか? 今、展望塔の控室からは常識ではありえない程の膨大な魔力が溢れています」
「これはもう、一個人が持ち得る領域を遥かに越えた魔力です。
このまま膨張が続けば、やがてイセカスを、いやさ国を、大陸をも呑み込むかもしれません」
「カバルス公が妃に選ばれた男。
あの者は、我らが魔道士ギルドでも注視していた危険人物にございます。
このまま放置していたら、あの魔力に引き寄せられ、イセカスには今まで以上の危険な魔物が襲来するでございましょう」
三人の魔道士達は、まるで打ち合わせていたかのように、順番に被ることなく説明を行う。
大臣は、額に汗を掻きながらも彼らの話に聴き入った。
「うぬ……た、確かに、魔法の素人であるこの私ですら感じる程、あの男からは異様なオーラが染み出している。
だ、だが……うぬらも知っておるだろう?
カバルス王の機嫌を損ねる事は、絶対にしてはならぬこと。
まして式の直前になってそれを取り止めるなど、提言すれば確実に断罪されてしまう……」
身震いしながら言い訳を紡ぐ大臣。
そして、その様子を窺い小さく頷く側近達。
だが魔道士達は、一切引く気配を見せなかった。
「今放出されている魔力は、魔王にも匹敵する……否、それをも越えかねない領域にございますぞ」
「な、なんだって?!」
「それを聞いても尚、大臣殿は躊躇なされますか?」
「こうしている間にも、危険なレベルで魔力が増幅されておりまする。
一刻も早く式を止め、あの男を厳重に隔離するか、或いは――」
「即座に命を絶たなければ、大変な事態になりまするぞ!」
大臣の目が大きく見開かれ、ゴクリと喉が鳴った。
一時間後、王城の二階のバルコニーに、急遽設けられた豪華な祭壇に、カバルス王は姿を現した。
そして、その後を付き従うように現れる、純白のドレスをまとい、白いヴェールを被った女性のような姿。
カバルスは白いドレスの肩を抱き寄せると、もう一方の腕を高く掲げて大きな声で叫んだ。
『イセカスの民衆よ! そしてウルブスの全国民よ!
余の為に集まってくれて心より感謝する!
余は本日この場にて、ここにいる者との婚姻を宣言する!
我が妃の名は“澪”!
この国に新たな希望をもたらす、奇跡の存在である!』
カバルスの宣言と共に、彼の手でヴェールがめくられる。
その下から現れた姿を見た途端、民衆達の声が、一瞬止まった。
「な、何と美しい!」
「素敵……この世のものとは思えない美しさだわ……」
「に、人間……なのか?! あの方は、天使ではないのか?」
「いや、そんなものじゃない……女神だ、女神様が降臨なされたのだ!!」
次々に漏れる、民衆の溜息と賛美の呟き。
だがその時、異変は発生した。
バルコニーから溢れ出す、膨大な量の“桃色のオーラ”。
それはまるで重たいガスのように流れ出し、周囲を包み込んでいく。
王城の兵士も、騎士も、民衆も、王城近辺に立ち並ぶ施設や貴族達の住宅、各ギルドの本部まで。
あらゆるものが、信じられない速さで覆われてしまった。
オーラはすぐに消え失せたものの、濃厚な花の香りを思わせる“何か”が、周囲の者達の鼻孔に残り続ける。
気が付いた時には、民衆も兵士達も、その場に居た者全てが、澪に“魅了”されてしまっていた。
一瞬の間を置き、突如爆発的に盛り上がり出す民衆。
もはや何も聞こえなくなる程大きな声援を受け、カバルスは満足そうな笑みを浮かべて手を振り続ける。
そして澪は、少しだけ掲げた手を僅かに振り、作り笑いで目下の人々を見つめていた。
今にも、泣き出しそうな表情で。
だが、誰も気付いてはいない。
この時、イセカス全体を、まるで蝙蝠の羽根を思わせる巨大な影が覆い尽くしていたことを。
『卓也……助けて……』
一筋の涙を零しながら、澪は、心の中でそう祈った。
「おい早くしろ! 王が戻る前に!」
「は、はい!」
ここは城内。
何人もの兵士達が、展望塔の控え室から何かを運び出している。
それは――
「いくら王の命令だからって、こんな……」
「大臣は、あの人なりに王家の事を真剣に憂いておられたのに……」
「何も言うな。俺達はただ、与えられた命令を黙ってこなすだけだ」
「……」
複数の死体を運び出し、大きな黒い布袋に収めて行く。
血の海に染まった控え室を一瞥すると、兵士達はもうそれ以上は何も言わず、速やかに塔を退出していった。
その頃、ここはウルブス国境付近。
遥か彼方に見える、少し高い丘から飛び出した棒のようなシルエット。
それを見止めると、レンは顔をしかめた。
「おいエレシニーナ。
あれが物見の塔か?」
「私の名前は“ヘ”レシニーナ、だ。
いい加減覚えてくれ、レン」
「黙れ。
勇者の俺に名前を呼んでもらえるだけ、ありがたいと思え。
それより、質問に答えろ」
「……ああ、うん。
私も初めて訪れるが、恐らくそうだろう」
ダークリベンジャーは、カバルスに呼び戻される前に居た地点まで移動魔法で戻り、更なる先を目指して進んでいた。
この物見の塔――王城の管理下にありながら、魔物によって乗っ取られてしまったという屈辱的な歴史を持つ建造物。
その魔物を撃退し、解放することが国境の条件。
だがそれは、卓也達“はしまき”よりも早く果たさねばならないのだ。
「よし、一気に攻めるぞ!」
「待ってください、レン様!」
「そうです、まずは塔の様子を窺ってから――」
勇む彼を引き留めようと、女僧侶と魔道士が呼びかける。
だがそんな彼女達を、レンは凄まじい眼力で睨みつけた。
「うるせぇ! そんな暇はねぇんだ!」
「ひぃっ!」
「きゃっ?!」
「お前らは、ただ俺の言う事に従ってりゃいいんだ!
冒険者ギルドで燻ってたお前達を拾ってやった、この俺のな!
いいか、一気に塔に飛び込んで全力で畳みかける!
歯向かってくる奴は、一匹残らず根絶やしにしろ!」
――そんなことが、本当に出来るとでも思っているのか?
突然、ダークリベンジャー全員の頭の中に、何者かの声が響いて来た。
と同時に、突然周囲が闇に包まれ始める。
燦々と照りつける太陽も、透き通るような青空も、一瞬で消え失せる。
おどろおどろしい気配が一瞬で周囲を支配し、身震いする程の寒さが訪れる。
「な……何だ?!」
「そんな! さっきまで暑いくらいだったのに?!」
「れ、レン様! あ、アレを!!」
「?!」
女僧侶が、血相を変えて指差す。
良く見ると、その方向に、青白いぼんやりとした光をまとった魔道士風の影が佇んでいた。
体格から見て、背の高い男のようだ。
しかし、分厚いローブと大きなフードで全身が覆われ、大まかなシルエットしか窺えない。
そして不思議なことに、先日王城で見かけた鬼火が、彼の周りを無数に飛び交っていた。
「だ、誰だ?! てめぇ!!」
――私か? そうだな。
――お前の“先輩”とでも、言っておこうか
「せ、先輩だと?!」
――喜べ。先輩自ら、貴様を地獄へ送ってやる
男はそう言い放つと、大仰な仕草で両手を大きく掲げた。
ローブの袖がめくれ、まるで枯れ木のような細い腕が覗く。
その瞬間、女魔道士の顔色が変わった。
「そ、そんな?! まさか?!」
「なんだ、どうしたんだローサ?!」
ヘレシニーナの呼びかけに、ローサは身体を震わせながらぼそぼそと呟いた。
「だ、駄目です……今すぐ、今すぐ逃げないと……」
「なんだって?」
「無理です、あの者には……勝てません、絶対に……!」
完全に怯えた目で、戦意を喪失する。
ヘレシニーナがもう一度男を見たその瞬間、まるで突風が吹き付けたような圧力を食らい、五人は派手に転倒する。
そして次の瞬間、例えようもない程の“恐怖心”が心を支配した。
「う、うわあぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!」
「ひ、ひいいいいいいいいい!」
「た、助けてくれええええ! し、死にたくなぁいぃ!!」
「ぎゃあああああ!!」
何人かは気絶し、泡を吹いて倒れる。
かろうじて意識を保てている者も、その場に立ち尽くすのが精一杯で、脚はおろか全身がぶるぶると震える。
真っ向から、ありえない程強力な“恐慌攻撃”を食らい、ダークリベンジャーは、一瞬にして無力化されてしまった。
――勇者パーティ? 十年早いわ
「て、てめぇ……が、と、塔の……魔物……?」
ありったけの気力を振り絞り、レンはようやく言葉を吐き出す。
そんな、今にも掠れて消え入りそうな声に対し、男の影は、目を真っ赤に輝かせながらこう答えた。
――通りすがりの闇導士だ、覚えておけ。
そう言うと、男は何かを払い落とすように、両手を軽く叩いた。
骨がぶつかるような、耳障りな軽い音が鳴り響く。




