ACT-115『勇者、遂に旅立つ?!』
冒険者ギルドに併設されている酒場。
これは町の自治体が運営しているもので、個人店の集合体である商店街の各店舗とは異なる存在だ。
冒険者ギルドは、この町の周辺を行き来する者だけでなく、他の町からやって来た冒険者達を向かえ入れる為のいわば歓迎施設でもある。
そのため、町毎に様々な趣向を凝らし、疲れた冒険者や旅人を癒す目的を有する。
しかしこのアングスのギルド酒場は、正直な話、あまり評判が良くなかった。
まずい料理、種類の少ない酒、その割に高い料金。
野菜が美味しいのは唯一の美点だが、それよりも客が求めるのは酒と肉だ。
選択肢がないから、やむなく利用されていただけに過ぎない。
そんな魅力に乏しいアングスのギルド酒場だったが……その晩だけは違った。
「はぁい♪ こちらエール四人前お待ちどうさまぁ☆」
「おおおおおお! 澪ちゃんカワイイ!」
「おほぉ♪ おおお、俺にウィンクしてくれたぞぉ!!」
「脚……メチャクチャ綺麗だな……ゴクリ」
「あのミニスカメイド服、たたた、たまんねぇ!」
「ししし、尻ぃ! チラ見せやべぇ!」
「ただエロいだけじゃなくて気品があるのもイイよあぁ♪」
臨時バイトで入ったウェイトレス兼調理指導・澪の評判は凄まじく、仕事を始めてものの一時間もしないうちに、酒場は過去にない程の大盛況に見舞われた。
そして、もう一つの華――
「こちら、本日から加わった新メニューですわ!
ボア肉の分厚い肉を、エールで煮込んだ料理ですの。
美味しくてほっぺたが落っこちても知りませんことよ♪」
「うおおおお! む、む、胸ぇ!」
「こ、零れそうだ! メイド服から零れ落ちそうだ!」
「や、柔らかいのは料理の方か、そ、それともオパイの方なのかぁ?!」
「は、は、は、挟まれてぇぇぇえ!!!」
「お、俺は踏みつけて欲しい!」
「オ~ホッホッホッホ! なんというセクハラの嵐!
でもいいですのよ、どうせたった二日間!
この私自慢の胸、せいぜいたぁっぷり拝んで行きなさぁい♪」
自慢のJカップ巨乳を惜しげもなく晒す、際どいブラウスをまとったロングスカート姿のジャネット。
こちらも澪とはまた違った需要があるようで、少々高飛車な態度と口調も、これはこれで受け入れられているようだ。
彼女達が運ぶ料理も、これまでとは比較にならない美味さに仕上がっているという事で、その噂は瞬く間にアングス内に広まって行く。
その結果、なんと冒険者ではない町の人々まで押しかけることになってしまった。
入口には席待ちの客が列をなし、その長さは中央広場を跨ぎ、なんとその先の商店街入口まで伸びている。
だがその一方で、そんな状況を良く思わない者達も居た。
「あれが勇者のやることか?!
どこぞの売春婦と大差ない、破廉恥な恰好で客を引きおって!」
「町の連中も大概ですが、このままではアングスの風紀を乱しかねませんな町長」
「いつまでも居座り続けおって……明日にでも即刻追い出せませんか?」
酒場の盛況ぶりに苦々しい視線を向ける数名の老人達は、囁くような声で会話をすると、呆れた溜息を吐いて踵を返そうとする。
だがその時、町の入口で誰かが揉めている声が聞こえて来た。
「なんだ、どうした?」
町の入口を警備している冒険者に声を掛けると、困り顔の男はランタンを動かして門の外を照らし出した。
「なんだか変なヤツが来ましてねぇ」
冒険者の男の陰から窺うと、門の外には、ボロボロの衣服をまとい全身薄汚れた浮浪者のような青年が居た。
長い木の枝を杖のように持ち、今にも倒れてしまいそうな弱々しい態度で、すがるようにこちらを見つめて来る。
「お、俺を……中に入れろ……
な、何か……く、食い物を」
「なんだ、物乞いか?」
吐き捨てるような冷たい言葉を投げかけ立ち去ろうとする町長に、冒険者の男が補足する。
「コイツ、自分が勇者だ、なんて言うんですよ」
「はぁ?」
「ほ、本当だ……俺こそが、女神アムージュ様に召喚された本物の勇者だ……」
今にも倒れてしまいそうな、死にかけのその青年に向かって、皆は疑惑の表情を向けた。
■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■
ACT-115『勇者、遂に旅立つ?!』
翌朝。
酒場でたっぷり飲んで帰って来た二人の男は、午後近くになるまでぐっすりと眠り込んでいた。
一方、女性陣 (約一名性別詐称)は、夕べの労働の疲労も何のその、朝から協力して旅立ちの準備を進めていた。
「ちょっと澪、あの男共に何もさせないで、なんで私達ばっかり朝から働かなきゃならないんですの?」
至極真っ当な文句を述べるジャネットをなだめながら、澪は額の汗を拭いつつ答える。
「あはは、だってボク、元々そういう事をするために生まれて来た存在だから」
「どういうことですの?」
「う~ん、色々複雑な事情があってね。
でも、ボクが一人でやるから、ジャネットも休んでいていいのよ?」
「何を言うんですの?
あなたみたいなか弱くて華奢な娘が一人で頑張ってるのに、何もしないわけにはいかないですわ」
「ジャネットのそういう所、ボク大好き♪」
「な……ど、同性に言われても嬉しくもなんとも……」
「ボク、男だよ?」
「え、あ。
すぐ忘れてしまいますわね、あなたの性別」
そう言いながら、ジャネットは改めて澪の姿を見つめる。
携帯食料をまとめている作業の手を止め、彼は優しく微笑んだ。
「こんな人と女王コンテストで競っていたなんて、今じゃもう信じられないですわ」
「まぁまぁ。
それよりね、昨日お客の冒険者から聞いたんだけど。
まだまだ不足している道具があるみたいよ」
「ぐえ、まだ何かあるんですの?」
「うん、でもそっちは卓也とテツ君に頼みましょう」
聞くところによると、野宿用のテントや寝袋、ランタンや油、火口箱、調理用道具、方位磁石など旅の必需品がまだ必要になるのだという。
更に、一番肝心の地図も持っていない。
これだけでも相当な出費になりそうな物だが、
「じゃあ、私達があのバイトをしてなければ……」
「うん、全然準備不足のまま出かけることになってたわね」
「そこらのモンスターを倒してお金を稼げたりしないものかしら?」
「まさか、ゲームじゃあるまいし」
「それにしても、そんなに用意して私達これからどうすりゃいいのでしょう?」
「あ、それなんだけどね」
澪は、また冒険者から得た情報を伝える。
この国ウルブスの首都“イセカス”という城塞都市には王城があり、大きなミッションを与えられた冒険者はここで王に謁見し、場合によっては支援を申請出来る場合があるのだという。
もしかしたら、魔王に関する情報もここで手に入るかもしれないということだった。
「というわけだから、ここを出たらそのイセカスという都市を目指せばいいと思うのよね」
「なるほど、それは確かに!
でも待って、そのイセカスまでは、どのくらいの距離があるんですの?」
ジャネットの、至極当然な質問に、澪は何故かとても言いにくそうに反応する。
「……言っても怒らない?」
「え? なんで怒る必要があるんです?」
「えっとね、ちょっと言いにくいんだけど、百三十くらいだって」
「えっ?! ひゃ、百三十キロも離れてるんです!?
それは想像していたより遥かにヘビーですわ……本当に歩いていけるのでしょうか?」
青ざめるジャネットに、澪は更に恐縮しながら補足する。
「ううん、あのねジャネット。
キロ、じゃないのよ」
「え?」
「この数ね、キロじゃなくて……“マイル”なの」
「え、ちょ、確かマイルって」
「うん、約一.六キロ」
「ゲベッ?! じゃ、じゃあ百三十かける一.六ですの?!」
計算してみたら、その距離は結局二百十キロ程の距離に相当することがわかった。
青ざめていたジャネットの顔が、今度は紅潮し始める。
「な、なんでそんなにくっそ離れてるんですの?!
澪、移動手段はないんですの?! 電車とかバスとか!」
「この世界に、そんなのあるわけないじゃない!
ちょっと、落ち着いてよぉ」
「だったら! あなたのスタン〇能力であの、ホラ!
前の世界で出した空飛ぶ車出しなさいよぉ!!」
「無茶なこと言わないでってばあ!」
あんなに釘を刺されたのに、ジャネットはやはり怒ってしまった。
この大陸イスティーリアには、三つの国が存在する。
大陸自体そんなに大きいわけではないらしく、必然的に各国もそこまで国土も広くはないが、それでも徒歩移動となるとなかなかにハードな道のりとなる。
さすがに百三十マイルの間、補給地が全くないわけではないが、それでも彼らには過酷な旅になるだろう。
二人は改めて、この世界の不便さを理解した。
その後、起きて来た男連中二人に後を任せ、澪とジャネットは二日目の、そして最後のバイトに向かって行った。
そして明日は、いよいよこのアングスを旅立たなければならない。
夕べの酒がまだ残っている状態の二人は、すこしふらふらする頭を揺さぶりながら、澪から受けた説明通りに道具屋へ向かった。
料金は後払いという事でテントや野営用の道具を揃えた二人は、夕方頃にようやく自宅まで戻って来た。
「おいおい、俺達だけだとこんなに時間かかんのかよぉ、たかが買い物だけでぇ」
「この世界、俺達の居たとことは違ってまず交渉ありきだからなあ。
如何に澪の交渉が上手だったかわかるってもんだよ」
「愛嬌もあるしなあ、澪さん。
ホントに話し上手だったし」
「ただ金払ってそれで終わりって状況に戻りたい……」
「全くだぁ。
でもさ、あのおっさんの言った金額を半額まで落としたんだぜ、俺だってスゲーだろ!」
「ああ、テツは本当に頑張ってくれたよ」
後に、テツが値引き交渉した商品の適正価格は、値引かれた額の更に半分以下だと分かるのだが、それはまた別な話。
とにかく、これで明日鎧などの装備を受け取ったらすぐに旅立てる。
澪が準備を進めてくれているので、彼らがやることは最後の力仕事のみだ。
「なあ、鎧とかってどうやって受け取るんだ? 梱包されてくるのかな」
「まさか、その場で身に着けてそのまま移動じゃないか?」
「げ、じゃあお前、あの重苦しそうな鉄の鎧着たまま移動すんの? きつくねぇか?」
「な、なんかそう言われるとそんな気もして来た……」
そんな話をしながら荷物の確認をしていると、突然玄関のドアが激しくノックされた。
「あれ、誰だろ? 澪かな?」
「なんか違うっぽいぞ。ドアの向こうで何人か話してるのが聞こえる。
しかもおっさんだな」
早速テツの超感覚が炸裂する。
なんだかとてつもなく嫌な予感がするが、卓也は玄関に向かった。
ドアの向こうに立っていたのは、能面のように無表情な町長とその取り巻きっぽい連中数名だった。
「あ、こんちは。
どうされました?」
「勇者殿。
すまないが、今日の日暮れまでにはここを立ち退いて頂く」
「え、は?
だって、明日にならないと防具屋が――」
「そちらの都合はどうでもよろしい。
町内会の会議で決定したのです」
「ちょ、そんな!
バイt――今仕事に出ているのもいるのに」
「問答無用ですな!
これ以上居座ると言うのであれば、国の警備兵を呼んで強引にでも追い出しますぞ」
「ひい」
昨日と違い、絶対に拒否はさせないという確固たる意志を感じる。
どう返答しようかと迷っていると、背後からテツが鼻息を荒げて駆け寄って来た。
「オイ! てめぇら話が違うじゃねぇかよ!
勝手に話決めてんじゃねぇぞコラぁ!!」
「ちょ、テツ黙って」
「問答無用と言った筈ですぞ。
それにですな、今あなた方にはある疑いもかけられている」
「う、疑い?」
一瞬意味が判らなかったが、卓也の背中に冷たい何かが迸る。
「あなた方とは別に、自分が本当の勇者だと名乗り出た者がおりましてな」
「「!!」」
卓也とテツは、思わず顔を見合わせた。
同じ頃、ここは冒険者ギルド。
昨日の余波がまだ続いている酒場の列を掛け分けるように、何人かの屈強な男達に連れられてみすぼらしい姿の青年がやって来る。
「どけどけ!」
「道を開けろ!」
有無を言わさぬといった態度で酒場の並び列をどかせると、男達はまっすぐに受付に進んでいく。
その傍若無人な態度に、酒場に集まる人々は怪訝な表情を浮かべるが――
「ジャネット!」
呆然とその様子を眺めていたジャネットの肩を、澪が後ろからつついた。
「な、なんですの澪、あの連中は?」
(帰るよ! 急いで!!)
(え? え? だ、だってまだ仕事t)
(今の、あの男よ!
ホラ、マンションに来たあの!)
「え?!」
(なんだかすっごくヤバそうな気配がするもん!
急いで帰らなきゃ!)
皆が受付の方に注目している間に、澪はジャネットを連れて酒場を抜け出した。
メイド服のまま広場を走り抜け、自宅の玄関に飛び込む。
そこには、中途半端な準備状態の荷物を目の前に、途方に暮れている卓也とテツが居た。
「あ、すげぇいいタイミングで帰って来た」
「澪、大変だ! さっき」
「わかってる! 卓也、今すぐここを出よう!」
「え? なんで?」
「さっき、冒険者ギルドにあの男が来たんですのよ!
マンションに押し入って来たあの男が!」
ジャネットの報告に、ようやく二人の頭の中で何かが繋がった。
「そうか、それでか!
くっそ、あいつ生きてやがったのか!!」
「それはやばいなあ。
もしあいつが本物の勇者だってバレたら、俺達は――」
「もう、鎧なんか待ってる場合じゃないわよ!
逃げましょう!」
「し、仕方ないか。
なんだかややこしい事になりそうな予感するもんなあ」
四人の意志は、あっさりとまとまる。
澪とジャネットは予め用意しておいた旅用の衣服に着替えることにした。
町長が言っていたのは、恐らく閉鎖区域内で卓也達を襲って来た転生勇者・レンのことだろう。
彼が、町の人々がいうところの勇者だと正式に認められたら、自分達は勇者を騙った偽者として断罪される可能性が高い。
もしそうなったら、どんな惨い目に遭わされるかわかったものではない。
何となくだが、四人ともそのような事を考えていた。
「おいおいおい! 逃げるったって、あんな大金払った鎧とか武器を捨てて行くってのかよ!」
「そんな事言ったって、あの武器屋までかなり離れてますわよ!
いちいち取りに行ってたら捕まってしまうかもしれませんわ!」
「とりあえず、ボクとジャネットは支給された装備があるからいいけど」
「四の五の言ってる場合じゃないな、とっとと出よう!」
「うええ、殆ど一文無しで旅に出るってか?!」
渋るテツを無理矢理引きずるように、四人は担げるだけの荷物を担いで玄関を飛び出す。
広場の前を横切り、町の門にもうすぐ辿り着くというところで、大勢の人達がこちらに向かって走って来る様子が見えた。
遠目にも、その様子がただならないものであることがわかる。
「な、なんかヤバイ!」
「走るぞ!!」
「ひいい、ま、待ってぇ!」
「ジャネット、手を!」
四人は全力疾走で町の門を飛び出す。
事態が呑み込めず戸惑う門番達は、その様子をぼんやり眺めているだけだ。
「こ、こんな荷物持って走るのなんか無理ですわ!
澪、魔法でなんとかならないのです?!」
「え、えっとぉ!」
「え、魔法使っちゃうのか?!」
「うん、やってみる!
とりあえず、追手が来なければいいよね!
じゃあ――」
走る足を止めて振り返ると、澪はどこから取り出したのか金色の棒状のアイテムを取り出し、それを前方に構える。
目を閉じ、何かをぶつぶつ唱え始めると、周囲の空気が少しずつざわつくような気配を覚えた。
「ひえっ?!
な、なんだこの感覚?!」
「魔法ですわ!
澪の魔力が集束しているんですのよ!」
「こ、これがガチな魔法なのか……?」
皆が見つめる前で、澪がいよいよ本格的な詠唱に入る。
“甘美なる恵の大地に眠る精霊達よ
古の彼方より去来せし 大自然の神々よ
我が意志の照らす光の泉へと フォルグの深淵の扉を開き
極黒のリークの閃光を引き揚げよ
ガス セア ノン ベス イーガ……”
澪の手に握られる棒の先端から、レーザー光線のように光の筋が迸る。
それが地面に触れた途端、猛烈な熱風が襲い掛かって来た。
三人が悲鳴を上げるより先に――
『炎熱!!』
澪の詠唱が終わると同時に、光の当たっていた場所から巨大な炎が噴き上がった。
それは高さ五メートル以上に及び、やがて二十メートル程の幅に拡がり始める。
まるで炎の壁のように変化した業火は、正に身を焦がすような豪熱を放ちながら辺りを焼き尽くしていく。
「お、おおお! すげぇ、これが魔法かぁ!
初めて見た!」
「ととと、特撮?! CG?! みたいですわ!」
「ふええ、こりゃあ凄い」
想像を越える迫力に、三人はそれぞれの感想を呟く。
だが、心なしか炎が大きすぎるような気もする。
追手を退けられれば充分な筈なのに、澪の唱えた炎の魔法は、更にどんどん大きさを増していく。
しばらくすると、炎の壁の向こうから誰かの叫び声が聞こえ始めた。
「お、おい! 澪、もういい! 魔法止めて!」
「え、あ、いやあの」
「どうしたんですの?! もう充分ですのよ?!」
「そ、それが! ま、魔法を消せなくって!」
「「「 えええ――っ!? 」」」
「どどどどど、どうしよぉ~!!」
澪の魔法はどんどん勢いを増していき、遂には町まで届きそうなくらい膨れ上がって来た。
町の方からも、人々の悲鳴が聞こえて来る。
しかし、澪が焦れば焦る程、炎の勢いは激しさを増していく。
「おおおいいいい!! 澪さん、もうマジヤバイって!
町まで焼いちまうぜこのままじゃあ!」
「そ、そんな事言ったってぇ!」
「うわあああ! 逃げるに逃げられないぞこれぇ!!」
「チッ!」
慌てふためく男共をよそに、ジャネットが覚悟を決めて前に出る。
両手を炎の壁に向けると、目を閉じて何かを念じ始めた。
「――消魔!!」
詠唱と同時に、彼女の周囲から沸き上がった虹色のオーラのようなものが、炎に向かって流れて行く。
すると、徐々に炎の勢いが弱まり出し、高さが低くなってきた。
「えっ何したのジャネット?!」
「僧侶魔法ですわ!
――にしても、澪の魔力がデカ過ぎて、弱めるのが精一杯ですわぁ!!」
「ジャネさん、すげぇ!」
「そうか、ジャネットも魔法が使えるんだっけ!」
ジャネットは必死の形相で炎の勢いを止めようとしている。
後に、彼女が今使っている魔法は魔力を消去してその効果を打ち消す力があると分かるが、魔力そのものに差があると効果が期待出来なくなるという欠点もあることが分かる。
なので、ジャネットが澪の魔法の力を弱められただけでも、かなり凄いことなのだ。
だが――
「む、無理ぃ……これ以上は無理ですわ……くはっ」
ありったけの魔力を費やしたにも関わらず、澪の魔法の暴走は一時的に効果を弱めることしか出来なかった。
ジャネットが跪き倒れたと同時に、火勢が戻り始める。
「きゃあ、ジャネット、大丈夫?!」
「ちょ、炎がこっちに迫ってるぞ!」
「ジャネさん! 澪さん! 逃げてくれぇ!!」
再び火勢を取り戻した炎は、徐々に卓也達にも迫り始める。
しかし、魔力を使い果たしたジャネットは気絶しており、ピクリとも動かない。
じりじりと皮膚の表面が焼けていくような感覚を覚え、頭の中に「死」の文字が浮かぶ。
「テツ、ジャネットを連れて早く逃げろ!」
「え?! な、何言って」
「いいから行けぇ――!!」
テツの背中を思い切り叩くと、卓也はもう目の前まで迫っている炎を絶望の眼差しで見つめた。
それしか、もう出来ることはなかった。
(うわぁ、俺達、無一文になった上にこんなところで焼かれちまうんだ。
あ~、やっぱ異世界転移でファンタジーの世界に行くなんて、ろくでもないんだなぁ……ん?)
頭の中で最後の言葉を呟くつもりだったが、突然、頭上に電球が現れてパリンと割れた。
咄嗟に立ち上がると、立ち尽くす澪の身体を掴み、反対の腕でジャネットを抱えようとするテツを捕まえる。
「んな?! た、卓也?!」
「おおい! 逃げろって言ったのになんだよ?!」
「思い出した! 転移! 転移のチャンス来た!!」
「転移て――ああっ!!」
澪はすぐに気が付いたようだが、テツはいまいち分かってないらしい。
“死にかける”――卓也の異世界転移の発動条件は、今正に整わんとしていた。
火の手は、すぐそこまで来ている。
もう、迷っている場合ではない。
卓也は、二人の身体を捕まえたままその場に留まる事にした。
「うわあああああ! や、焼け死ぬぅ! アチイイイイイ!!!」
「きゃああ! た、卓也ぁ! 本当に大丈夫なのぉ?!」
「な、なんだか自信なくなってきたぁ!!」
「「 なんだそりゃあ!! 」」
その叫びの直後、突如爆発的に燃え上がった炎の渦に、四人は完全に呑み込まれてしまった。
――かと思われたが。
「――はえ?」
「あ、あれ?」
「火……火が……あるぇ?」
「う、う~ん……ど、どうなったんですの?」
炎に包まれた筈の四人は、無傷でその場に座り込んでいた。
焼け焦げた草木の匂いが漂っている。
遥か彼方には、どうやらまだ無事そうな町の様子が窺える。
世界移動は、出来ていない。
しかし、何とか窮地は脱することが出来たらしい。
炎の魔法は、まるで嘘だったように消失してしまった。
「どうなったんだ、これ?」
「澪の魔法が、消えたようですわね」
「え、え? ぼ、ボクの魔法、消せたの?!」
ジャネットのいう通り、確かに魔法の効果が突然消えたと表現した方がぴったりな状況だった。
「い、いやでも! 俺達間違いなく火に包まれたんだぜ?!」
「あ、も、もしかして?!」
澪が、口に手を当てながら卓也を見る。
「これ、卓也が火を消したんじゃない?」
「え、俺が? なんで?!」
「だってホラ! 卓也には魔法が効かないから」
「あ、そうか……って、ええっ?!」
「ちょ! あれほどの巨大な火を卓也が一人で全部消したんですの?!」
「いや、ちょ、待って!
俺に魔法が効かないのは聞いてたけど、それってこんなえぐいレベルの話なの?!」
卓也の特性“反魔導体質”。
魔法が全く効かないという特性は、もしかしたら既に発動した魔法すら無効化出来てしまうのかもしれない。
いくらなんでも無茶苦茶な話だが、これはもうそう判断せざるを得ないようだ。
皆半信半疑だったが、とりあえず本来の目的を遂行するしかない。
「そうだ、逃げるとこだったんだ! 行こう!」
「そうね、行かなきゃ!」
幸い、炎の魔法の影響で町人達が更に追っかけて来る様子は今のところない。
四人はこれ幸いと、大急ぎで町から距離を置くことにした。
「――というわけだ。
もしお前が本物の勇者だというのなら、その証拠を示すが良い」
ここは、魔道士ギルド。
ボロボロの衣服をまとった青年・レンに対し、大きなフードで顔を隠した魔道士達が厳格な声でそう告げる。
苦々しい表情で見上げると、レンは渋々その申し出に頷きを返した。
「んで、具体的にどうしろって言うんだよ?」
食ってかかろうとするが、魔道士を護るように前に立ちはだかる男達の迫力に圧される。
「本日先程、お前の申告を信じた者共が後を追おうとしたが、奴らは炎の魔法を唱え町の人間を殺そうとした。
事実、十名ほど犠牲者も出ている」
「……」
「あの者達が、短時間で強力な力を身に着けたことは疑いようがない。
であれば、あの者達に並ぶ力の持ち主に託すのが当然となる」
「それで俺にそのお鉢が回って来たということかよ」
吐き捨てるような口調で尋ねる。
魔道士の合図で数名の男達が、何かを奥から運んで来た。
それは表面が虹色に輝いている、如何にも頑丈そうな鎧と盾、兜、小手、脛当などの防具一式。
更に、鞘に収められた大振りの剣だ。
レンの目が、ギラリと輝く。
「本来であれば、これはあの勇者達に授けられる予定であった。
しかし、あの男がこれを身に着ける事が叶わないとわかった都合、お前に貸し与えてやろう」
「けっ……そういうことかよ、嬉しくねえな」
「これを携え、お前はあの者達を追え。
そしてその行動を我々に報告するのだ。
――さもなくば、勇者を騙る不届き者として、お前を厳重に処罰する」
「わかったよ、やるよ、やりゃあいいんだろ!
だが、俺はアイツらに借りがあるんだ!
あいつらに逢ったら、俺はぶっ殺すかもしれねぇ!
それでもいいなら受けてやるぜ!」
「一向に構わぬ。
その時は、お前が勇者として本来の役目を果たせば良いだけの話である」
魔道士は、もうそれ以上何も言わなかった。




