ACT-112『ロイエが異世界料理を研究します!』
基本的に、ロイエはメイドとしての高度な技能を習得している。
無論、基本的な家事ならなんでも出来るのだが、その程度ならまだ一般人と大差ない。
そこから様々な応用を利かせ、主人が満足する生活環境を提供するのが、彼らに課せられた任務なのだ。
ロイエは全員例外なくそういった訓練も受けており、しかもそのグレードはトップレベル。
それは最上級のS級ロイエである澪も例外ではない。
そして今、その成果を試す機会が遂に巡って来たのだ。
よりにもよって、本来なら絶対に行くことなどない筈の、ファンタジーな異世界で。
「――というわけで、この町を散策して食材や調味料の事を調べて来たわ」
ドン、と音を立てテーブルの上に置かれる編みカゴ。
その中には、外見でも分かるくらいぎっしりと食材が詰め込まれている。
「け、け、結構重かったぁ!」
「テツ、ご苦労様」
「やっぱこういう時の力仕事は男だよねえ」
「そう言うならお前行けよぉ!」
「んん? 自分から買い物付き合うっていったの、テツの方じゃないか」
「ぐぎぎぎ」
「テツ君、本当にありがとう♪
おかげさまでとても助かったわ」
「い、いえいえ! 澪さんの為ならこんくらいど~ってこたぁないっすよハハハ!」
掌ぐるんぐるんのテツの態度に、ジャネットと卓也の冷たい視線が突き刺さる。
だが卓也は、こういう時てっきり自分が付き合わされると思っていたので、彼と一緒に買い物に行った澪の態度にいささか不自然さを覚えていた。
澪が購入して来たものは例の硬いパン、肉、野菜、エールと卓也が飲んだ酒。
そして塩や砂糖、この地域独特の製法で作られたという発酵系の調味料。
更に、いくつかのスパイスもあるようだ。
「そういえば、これって何のお肉なんですの?」
「見た感じ豚肉っぽくも見えるけど」
「見ただけでよくわかるな卓也」
「普通わからないか?
牛肉と鶏肉と豚肉くらいは」
卓也の質問に、テツとジャネットが顔を伏せて沈黙する。
間に割って入るように、澪が説明を始めた。
「このお肉はね、ボク達の世界ていうところのジビエ肉みたいなものよ。
聞いて来たんだけど、この周辺によく居る野生のワイルドブラックボアって動物の肉みたい」
「ワイルドブラックボア?」
「要するにイノシシね」
「この調味料は?」
いくつかの瓶に詰められた液体を指す卓也の質問に、澪は「よく聞いてくださいました」といった表情を浮かべた。
「これはね、ムッリというものと、ヴェルジュース、カメリーヌ、そしてムッリをペーストにしたものよ」
「ごめん、全然わかんない。説明求む」
「はいはい、え~とね――」
これらの調味料は、どうやら澪にとって大発見だったようで、得意げに語り出す。
ムッリは大麦を材料にした穀物発酵タイプのソースで、見た目も味も醤油に近い。
ヴェルジュースは未熟なぶどうを原料にしたフルーツ系の「酢」のようなもの。
カメリーヌは、ワインとスパイスを配合して発酵させてパンでとろみをつけたもの。
卓也が飲んだあの酒は、どうもこれが主材料になっているらしい。
そして最後のムッリペーストは……
「――えっ?! これ、味噌じゃね?」
「凄いでしょ?!
ボクも試食してびっくりしたの!
麦味噌みたいな味だから、これならお味噌汁なんかも作れそうよ」
「凄いですわね澪!
お醤油と味噌、お酢の代用品まであって、こちらのカメリーヌってウスターソースみたいなものですわね?
よくこんなに見つけて来たものですわ」
珍しく、ジャネットが上機嫌で褒める。
まんざらでもない感じで、澪はてへへと頭を掻いて照れた。
「どうやらこの国、発酵食品の技術が思った以上に発達しているらしいの。
あと、乾燥食品もね。
こういうのもあるのよ、なんだかわかる?」
そう言いながら澪が取り出したのは、楕円形の茶色い物体。
まるで大型のカレーパンの様で、表面は硬いが微妙な弾力を感じる。
「見た事ないですわね、何ですの? 食べ物?」
「かつお節みたいなもんかい? 削って使うとか」
「このまま丸かじりしたら歯がイキそうだなぁ」
三人の疑問に、澪はフフン♪ と鼻で笑うと、どこからともなく大きな中華包丁のようなものを持ち出した。
どうやらこれも調達してきたものらしい。
茶色い楕円形の物体を真ん中から真っ二つに切断すると、その断面からは美しく深いルビーのような色が覗いた。
それを薄切りにして一口サイズにカットすると、三人に手渡す。
「どうぞ、食べてみて」
「このまま?」
「面白そうですわね、頂いてみますわ。ハムッ」
「あんれ? 口に入れると意外に柔らか……って、あれぇ?!」
「おいしっ! えっなんだこれぇ?!」
「あら、意外に珍味ですのね!
生ハムみたいな感じですわ」
意外な美味しさに、三人は思わず顔をほころばせる。
スパイスのもたらず複雑な香りに包まれた、やや塩辛さのある、それでいてコクが深い味わい。
噛めば噛むほど味が湧いてくるそれは、干物のような特性を感じさせつつも、それとは違う個性がある。
この世界に来て初めて美味しいと思える食材に触れた三人に、澪は、胸を張りながら答える。
「それは、この地域独自の製法で作られた“パストゥルマ”ね」
「パストゥルマ?
何だそれ?」
「トルコの保存食よ。
牛肉を塩で揉んで水分を抜いて、それを香辛料をたっぷり混ぜ込んだペーストで包んで長期間乾燥させるの。
こちらではただの乾燥肉って言ってるけど、製法聞いたらパストゥルマそのままだったわ!」
「よ、よく知ってるなあ。
じゃあこれ、牛肉なんだ」
「それもブラックワイルドボアらしいわよ。
あとウサギや鶏を使うものもあるみたいね。
若干燻製もしているみたいだわ」
かなり丁寧に調査を行ったようで、澪は様々な情報を披露する。
だがその甲斐あって、どうやら思ったよりはまともな食事を楽しめそうな雰囲気になって来た。
そんな中、突然顔をしかめ出したジャネットが尋ねる。
「ねぇ澪?」
「はい?」
「お金、どうしたの?」
「え?」
「これだけ買い込んで来たなら相当お金使ったんじゃなくって?
私達、この世界のお金は全然持ってない筈なのに、どうやって購入したんですの?」
「あ、そういえばそうだ。
どうしたんだよ?」
ジャネットと卓也の視線を受け、澪は顔を強張らせる。
何か言い訳を考えているような仕草をしていると、横からテツがしゃしゃり出た。
「あ~、それなら大丈夫っす!
支度金使っただけだから!」
「「支度金?」」
「そうっす!
あの後商店街に行こうとしたら冒険者ギルドの姉ちゃんに呼び止められましてね。
勇者様ご一行には支度金が出るんだけど、さっきのどたばたで渡しそびれてたって」
「それって、いくらくらいなの?」
「え~と、なんて言ってましたっけ、澪さん?」
「ご、五十 GD……」
「今回使ったのは?」
「……十GD」
「残り四十GD? ですの?
それって私達の感覚だといくらくらい?」
返答に詰まる澪のジト目が、テツに突き刺さる。
後に分かったことだが、どうやら一 GDは卓也達の通貨基準だと五千円くらいに相当するようだ。
澪は、いきなり五万円も使ってしまったことになる。
確かにこの世界でも、それなりに美味しい物は食べられる。
しかし、それにはそれ相応の代価を支払う必要があるようだ。
彼らの金銭感覚よりも、遥かに高い額を……
■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■
ACT-112『ロイエが異世界料理を研究します!』
「あ~これ、アレだ。
ほら、ドラ〇エで最初に王様から貰うゴールド」
テーブルの上に置かれているのは、大きな麻袋。
その中には、少々汚れた金貨が入っている。
枚数は四十枚。
どことなく古びた雰囲気と時代を感じさせる浮彫の肖像が、如何にも宝物感を覚えさせる。
「それで初期装備を買って身支度整えて冒険に出るんですわよね?
それをいきなり五分の一も使っちゃったんですの?!」
「ご、ごめんなさぁ~い!」
「澪さん美人だから、次から次へと店の人が出て来て色んなの勧めて来てねぇ」
「あ、それで断り切れなかったんだ……」
「だ、だってぇ! まだこの世界の金銭感覚わかってなかったんだもん!」
「絶対にボラれたなこれ」
「ボラれたんでしょうねえ」
溜息をつくテツとジャネットに、卓也がフォローに入る。
「まあまあ、しょうがないよ。
むしろ何の役にも立たないものを買わされなかっただけましだと思う」
「あ~ん、卓也ぁ!」
いつものように卓也に抱き着きそうになるが、咄嗟に思い留まる。
てっきり胸に飛び込んで来るだろうと待ち構えていた卓也は、そのまま硬直するしかなかった。
とりあえず食料問題は解決しそうな気配だが、その後どうなるのかは全く予想がつかない。
ゲームのように、この町から出発するまでに装備を整えるのであれば、それがこの四十GDという額で収まるのか見当もつかない。
というより、どういうものを購入するべきか、それすらも分からないのだ。
今回の買い物がどういう影響を及ぼすか全く予測がつかないが、卓也は
「もうこうなったら、支度金は最初から四十GDしかなかったと考えた方が健全ですわね」
「それか、ここで何か金稼いで元金を増やすか、だな」
「あ、そうだ! すっかり忘れてた!
冒険者ギルドから伝言があったんだ!」
突然、テツが大きな声を上げる。
先程支度金を受け取った際に託ったことがあったらしい。
「あのですね、ジャネットさんは後で冒険者ギルドに行って、聖印とかいう奴を受け取って寺院に向かって欲しいそうです」
「寺院? お寺ですの?
なんでそんなところに?」
「ああ、それなんだけど――」
そこから先は澪が説明を行う。
僧侶の特性を見出されたジャネットは、聖ランファース寺院という所で洗礼を受け、まずは本当の僧侶となる必要がある。
そこで様々な技能を教わり、その後に正式な資格が与えられるのだという。
「ぐぐぐ、具体的にはどんな事をするんですの?」
「そこまでは聞いてないけど、やっぱり魔法とか習うんじゃないの?」
「まるでファンタジー世界みたいな話になって来た!」
「ファンタジー世界なんだっつうの、ここは」
どうやらジャネットだけではなく、テツも同じように研修を受ける必要があるらしい。
ただし彼の場合、行先は“盗賊ギルド”だが。
「そうなると、俺達も早く職業をはっきりさせないと駄目なんだろうね」
「卓也と澪さんは、明日の朝に冒険者ギルドに来るように、だそうっす」
「どうやら数日間はここに滞在することになりそうね」
澪はそう呟くと、テーブルから立ち上がりキッチンの方に向かおうとする。
「卓也ぁ、手を貸してくれない?
火を点けるのどうやったらいいかわからないの」
「ん? ああ、わかった」
澪と共に食材を持ち、キッチンの方に向かう。
その最中、卓也はあることに気付いた。
「あ、そういえばさ」
「うん、何?」
「肉、こんなにあるけど、冷蔵庫ってあったっけ?」
「――ああっ!!」
澪は、思わず手に持っている肉の塊を落としそうになった。
その日の夕食は、買って来た肉と野菜を使った煮込み料理となった。
肉を少々大振りにカットし、家に備え付けられていた鍋で炒め、表面の色が変わったところでエールをたっぷりと注ぐ。
そこに生姜とネギを加えてじっくり一時間ほど煮込み、後からムッリとスパイス酒を足しつつ味を調整する。
二時間も経とうという頃には、ワイルドブラックボアの肉は持ち上げるとぷるぷる震えるくらいに柔らかくなっていた。
「凄いなこれ! あの硬い肉がこんなに?!」
「そうよ、あとこっちも」
澪はバットの中の羊乳に浸した黒パンを指差す。
乳には砂糖と卵が加えられており、見ただけでそこそこ柔らかくなっている感がある。
「これを、お肉の脂で焼いてみるわ」
「さすがは澪、旨そうなもんが出来て来たなあ」
「これも卓也が付きっきりで火の管理をしてくれたおかげよ」
「そう言ってくれると、なんか嬉しくなるね」
額に滲む汗を拭いながら、卓也は笑顔を向ける。
現代世界と異なり、この世界のキッチンは所謂「かまど」を使わなければならない。
幸い、家の中には沢山の薪と火打石が用意されていたので火を炊くことは問題なかったが、予想以上の煙と熱に責め立てられ、最初の一時間はかなり厳しい状況だった。
だが「弱火」調理なら一度に沢山の薪は要らないこと、そして何より火の傍で調理を行う澪の方が負担が大きいことを考え、卓也はひたすら我慢することにした。
その甲斐あって、徐々に慣れて来た感も出て来た。
この世界では、食器洗い用の洗剤などは存在しない。
その為、薪を燃やした後の灰を細かくしたものや塩を汚れ落としに用いる。
それは澪が買い物の最中に町の人から聞いた知識のようで、手桶に貯めた水を使って丁寧にこすり落として行くしかない。
「卓也ぁ、このお肉の脂、落としづらいよぉ!」
「ここに来て思い知る表面活性剤の威力」
「泡も立たないから、本当に汚れが落ちてるのか不安になっちゃうわね」
「仕方ないさ、それでもやるしかないんだし」
二人がかりで調理と洗い物を進めて行く。
慣れない環境での作業なので大変ではあるが、卓也は澪との共同作業がなんとなく楽しく思えて来た。
「なあ澪」
「うん?」
「ここに来てから……じゃないな、ここに来る前から元気ないけど、何かあったの?」
いきなりの質問に、澪の手が止まる。
「なんか俺のことを避けてるみたいだし。
もしかして俺、君に何か悪いことでもs」
「全然、そんな事ない! 卓也は全く関係ないから!」
思わず口走った言葉の気になる部分を、卓也は聞き逃さない。
「じゃあ、俺が関係してないところで、何かあったんだな」
「うっ」
「良かったら話してくれよ。
俺達家族だろ?
君が元気ないと、俺も心配だしさ」
「……」
ことこと煮込まれている鍋を見つめながら、澪が押し黙る。
その横顔はどことなく寂しそうで、何となくこれ以上声をかけづらい。
卓也は、こういう雰囲気の時にずけずけと話しかけまくるのは良くないことだと、過去の経験から悟っていた。
「あのね、卓也」
しばらくの沈黙の後、澪が不意に呟く。
「どうした?」
「もしね、もしボクが」
「ああ」
「――ごめん、やっぱりなんでもない」
「なんだそりゃ」
「さぁ、そろそろ出来上がりでいいかも。
あの二人、まだ帰って来ないかな?」
「どうだろ、もうそろそろ夕飯の時間だけどなあ」
無理矢理会話を断ち切るように、澪は夕飯の準備を始める。
食器棚には数多くの食器が揃えられており、どうやら盛り付けには苦労はしなさそうだ。
いずれも少々年季の入った陶器製のものや木製のボウルが中心で、ほんの少数だけガラスの器もある。
コップは木製だが、底の方に黒ずんだ染みのようなものが見られたので、二人は使うのを躊躇った。
二人が帰って来たらパンとメインディッシュを盛りつけようという話になったところで、卓也は背後から澪を抱き締めた。
「あ……」
「なあ澪、今夜は――」
「だ、駄目!」
そう叫び、卓也の腕から逃げ出そうとする。
一瞬戸惑ったが、そんな彼をもう一度強く抱き、肩を優しく掴む。
「ボクは……ボクは……もしかしたら本当に……
だから……」
「何があった?」
「……」
「今わかることだけでいい。
後で、俺に教えてくれないか?」
「でも、それは……」
「前の世界のことなら、アレは半分夢うつつみたいなもんだろ?
思い込みが強ければ現実になるなんて、ありえないことが起きてたんだし」
卓也の脳裏に、学園長の姿が浮かび上がる。
そう、あの“学園”自体がいわば彼の妄想の産物なのだ。
そんな世界で見聞きした情報が、何処まで正しいのか分かったものではない。
「だから、前の世界で起きたことをもし引きずってるなら、忘れろよ。
――つうか、俺が忘れさせてやる」
「……た、卓也ぁ……」
肩を震わせ、澪は泣き始めた。
卓也の腕に、ぽとぽとと涙の雫が滴り落ちる。
澪を振り返らせると、改めて抱き締める。
それ以上、会話は続かない。
澪は、胸の中で、ひたすら泣いた。
テツとジャネットが帰宅したのは、それから一時間ほど経ってからだった。
へとへとになって戻って来た二人に、澪と卓也は待ってましたとばかりに料理を振舞う。
飛びつくように料理を頬張った途端、二人は感激の声を上げた。
「うまっ! 肉、信じられないくらい柔らかっ!!」
「すご……これ、正に豚の角煮そのものじゃないですの?!
パンもしっとり柔らかくなってるし、ほんのり甘味も利いて素晴らしいですわ!」
「はい、こちら玉ねぎとにんじんとキャベツのスープね。
味付けは塩コショウだけだけど、お肉のゆで汁をだしに使ってるわ」
「ホントだ。
ワイルドブラックボアって奴の肉、想像以上に良いだしが取れるんだな」
「これもうまぁい!
澪さん、これヤバいっすよ! 今まで食べた料理の中でもダントツで美味いっす!」
「そうね……口惜しいけど、アリスでもここまでの料理を作れたかは疑問ですわ」
「ありがとう、二人とも♪
卓也も頑張って協力してくれたのよ!」
「ああ、でも結構苦労した~」
椅子にもたれかかるようにぐったりしていた卓也も、身体を起こしてスープを一口すする。
口内に拡がる旨味の渦に、思わず目を剥く。
「良かったわ、みんなのお口に合って。
卓也、ねえ美味しい?」
「ああ、本当に美味しいよ。
これ、あのギルドに居た連中にも食べさせてやりたいくらいだよ」
その呟きに、ジャネットが突然ネコ耳を立てて反応する。
「それ! それですわ!」
「え?」
「ほら、日中に言ってたお金稼ぎ!
澪、あなたのその調理方法を酒場に売り込むんですのよ」
「あ、そうか!
さすがジャネさん!」
「え? え? ど、どゆこと?」
急な提案に戸惑う澪だったが、卓也もすぐに意図を理解した。
硬い肉を苦労して食っていた冒険者達に、こんな美味い料理を出したら売上倍増は間違いないだろう。
酒場に限らず、何処に持ち込んでも絶対に受ける筈だ。
「いいねそれ!
じゃあ明日の朝ギルドに行ったら、話を持ちかけてみようか」
「う、旨くいくかしら?」
「行く行く! 絶対行きますわ!
澪、自信持って行きなさい!」
「う、うん、そうだね。
わかった」
話はまとまった。
その後、四人は夕飯をたっぷり摂って満腹すると、順番に風呂を使い就寝することになった。
風呂は、意外にも卓也達の世界と同じようなシステムで、お湯こそ薪で沸かさなければならないものの、タンク式のシャワーもあり、配管も設置されていて排水もばっちりのようだ。
後に判明するのだが、こういった生活圏の水回り設備は“水道局”が担っており、そのおかげで上下水道まで完備されているという。
各家々にも水道が引かれており、その為よくある“井戸から水を汲んで”という作業は必要ない。
これは皆にとってとてもありがたい話だった。
そしてこの世界には「石鹸」もある。
風呂に入り身体を洗おうとしていたジャネットは、備え付けられていた石鹸の表面を見て小首を傾げる。
そこには、浮彫にされた何かのマークと文字のようなものが刻まれていたのだが、
「……ん? 花玉? の筈ないですわよね……」
彼女には、それが自分達の世界でもよくある石鹸メーカーのロゴによく似ているように思えた。
翌日。
目を真っ赤にしたテツとジャネットが、あくびをしながら一階に降りて来る。
既に早起きしていた澪が、茹で野菜と卵焼き、夕べの肉を焼いてベーコン風にしたものと、大麦をミルクで茹でて調味料を加えたものを用意している。
野菜には、ヴェルジュースをベースにした酸味のある爽やかなソースがかけられている。
「あら、おはよう♪
どうしたの二人とも、目にクマが出来てるわよ?」
周囲が燦々と照らされているように感じられるくらい、今日の彼はいつもと違う雰囲気だ。
昨日までの、どこか暗く沈んでいるような気配は微塵もない。
だが二人は、その理由がよぉぉおく分かっていた。
「あんたら……なんでそんなに元気なのよ?」
「つか、澪さん……ホントにアイツの、卓也のオンナだったんすね……」
「ん? なんのこと?」
ペカリン☆ と効果音付きの笑顔で顔を向ける。
太陽のように眩しい澪の顔を、テツは直視出来ない。
「あの、澪……こういうの、とても不躾なのは重々承知ですけど」
「うん、何?」
「声、大きすぎですわ」
「え、あ」
口を空けたまま、澪の顔が硬直する。
「一晩中叫びまくられたら、誰だってこうなりますわ」
「うん、澪さんの喘ぎ声でこっちも悶々させられて」
元気いっぱいの笑顔が、今度は真っ赤に染まった。
「おはよ~。
ん? みんな顔突き合わせてどうしたん?」
もう一方の諸悪の根源は、朝からシャワーを浴びてさっぱり♪ といった風情で皆の前に現れた。
朝食と身支度を済ませた四人は、それぞれの行先に分かれて出かけて行く。
卓也と澪は、手を繋いで冒険者ギルドへと向かって行く。
道中、多くの人々が二人の仲睦まじい様子を目で追っている。
「んふふ♪ ね~卓也ぁ☆」
卓也の腕に両腕を絡ませ、頬ずりでもするかのようにべったりとくっつく。
そんな、昨日までとは全然違う澪の態度に、いささか困惑する。
「おいおい、同伴出勤じゃないんだから」
「同伴出勤てなぁに?」
「ホステスの……いやどうでもいいわ。
それより! 昨日から態度変わり過ぎだって!」
「だぁってぇ♪ 卓也に朝まで隅々まで愛されたんだもん♪
今ボク、とぉっても幸せなのよぉ~ん☆」
自分が直接関わった相手の惚気を、第三者目線で眺めることが出来ると、卓也はこの時初めて知った。
ふと周囲を見ると、街行く人々がこちらを見て何やらヒソヒソと話している。
バカップルよ……
バカップルだわ……
ヒソヒソ……
卓也は澪の腰を引っ掴むと、逃げるようにその場を立ち去った。
冒険者ギルドに到着すると、まるで待ち構えていたかのように、数名の受付嬢が入口に駆け寄って来た。
「ああ、澪様! 卓也様!
お待ちしておりました!!」
昨日対応してくれた受付嬢が、皆を代表するように前に出る。
「昨日は大変申し訳ありませんでした。
皆様に多大なご迷惑をおかけしてしまいまして」
澪は、深々と頭を下げて昨日のトラブルについて詫びる。
しかし、受付嬢達はそれが凄く意外だったようで、皆で顔を見合わせている。
「いえいえ! とんでもございません。
実は、澪様には改めてお願いがございまして」
「はい、なんでしょう?」
「スキルチェックなのですが、魔道士ギルドにある昇進試験用の大水晶を用いての測定をお願いしたくてですね」
受付嬢の話によると、恐らく昨日の水晶玉破裂は、澪の持つ魔力が膨大過ぎてキャパシティを越えてしまったことが原因ではないかという。
魔法使用者のスキルチェックにおいて、上級職のハイランクまで測定可能な筈の水晶玉が破裂したとなると、それはもう国内でも有数の最高位職業の、更にハイランクに位置する性能を持っている可能性が高い。
その為、そういったごく限られた実力者専用の測定機器を用いなければ、澪のステイタスは判断が出来ないだろうという。
「ぼ、ボクってそんなに凄い能力を持ってるのですか?!」
思わず卓也を見つめるが、もう説明が常軌を逸しており、どうリアクションを取っていいのかわからない。
とりあえず、このままここでぼうっとしていても埒が空かないので、澪は素直に申し出に従い、魔道士ギルドに向かうことにした。
残るは卓也だが――
「予備の“ヴァリックの水晶”です。
どうぞ、こちらにお手を載せてください」
「わかりました」
「卓也、頑張ってね!」
何をどう頑張れというのか疑問ではあったが、卓也は受付嬢の案内に従い、台座に載せられた水晶球にそっと手を載せる。
昨日見た限りだと、水晶の中に光が発生し、その強さで能力の大小が測れるようだった。
果たして、卓也の能力は――
「あれ?」
水晶球が、全く反応しない。
中に光が発生するどころか、ウンともスンとも云わない。
横から見つめている受付嬢達も、澪も、何が起きたのか状況が把握出来ない様子だ。
「申し訳ありません、ちょっと失礼します」
受付嬢が卓也に変わって自身の手を置くと、昨日のようにすぐに光が灯って板が浮かび上がる。
しかし、再度卓也が手を載せても、何も起こらない。
そんな事を数回繰り返したが、卓也が触れた時だけ、水晶球は全く作動しない事が確定した。
「どうなってんだ? なんで俺だけ?」
「卓也、これはきっと何かの間違いだわ」
「うん、そうだといいけど……なんだか嫌な予感がするなあ」
しばらくすると、受付嬢の統括リーダーらしき男性が奥から姿を現し、卓也の前にやって来た。
心なしか、その表情は何かに酷く驚いているように見える。
「あの、卓也様ですね?
この度はどうも」
「え、あ、はい」
「この水晶球がですね、卓也様の接触で全く反応しないとなると……原因は一つだけ考えられます。
もっとも、それは本来ありえないことなのですが」
何かとても言いづらそうな態度で、男性が口ごもる。
その様子にとても不安げな表情を浮かべる澪を見て、卓也は思い切って言ってみた。
「どういう状況なんでしょうか?
この際なんで、ハッキリ仰ってください」
「あ、はい……これは、あくまで可能性の話に過ぎないのですが。
恐らく卓也様は、非常に稀有な“反魔導体質”なのではないかと」
聞き覚えが全くない単語が飛び出し、卓也は思わず首を傾げる。
だが他の受付嬢達は、まるでありえないものでも見たような視線を、こちらに投げかけて来た。
中には、軽い悲鳴を上げる者までいる。
「えっと、その、反ナンチャラってのは、いったい何ですか?」
卓也の素朴な質問に、男性は戸惑いを隠せないといった表情で、まるで独り言でも呟くように告げる。
「数百年に一人、生まれるかどうかという大変珍しい特性でして……
てっとり早く申し上げますと」
「は、はい」
喉をごくりと鳴らし、卓也は次の言葉を待つ。
「卓也様には、その……すべての魔法が一切効かないようなのです」




