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押しかけメイドが男の娘だった件  作者: 敷金
最終章 異世界「イスティーリア」編
109/119

ACT-107『新たな世界に跳んではみたものの?』

お待たせいたしました。

最終章、STARTです。


 遮光カーテンの隙間から漏れる光が、朝の訪れを伝える。

 昨夜の乱痴気騒ぎの残り香が僅かに残るリビングの真ん中で、卓也はむくりと起き上がった。


(えっと……なんだろう? すっごくグッスリ眠ったようなこのスッキリ感。

 成功したって証拠かな?)


 世界移動にしくじると激しい二日酔いに苛まれ、成功すると信じ難い程の爽快感を覚える。

 今回は、後者だ。


 足元に敷かれた布団に寝転がるテツと澪を起こさないように洗面所に向かおうとすると、中から何者かの鼻歌が聞こえて来た。

 そしてシャワーの水音も。


『ん~ふふ~ん~。背中~にぃ~まといつく~かげり~わぁ~』


(全然鼻歌じゃなかった)


 どうやら、先に起きたジャネットがシャワーを浴びているらしい。

 夕べ、浴室が狭すぎると散々文句をぶちまけていた事を思い出しほくそ笑むと、卓也はリビングに戻ることにした。


(さて、カーテンを……って、待てよ?)


 遮光カーテンに手を掛け、はたと止まる。

 

(異世界の光景を、一番最初にあいつらに見せてやるってのも一興だな)


 卓也はニヤリと微笑んだ。






挿絵(By みてみん)


  ■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■


            最終章

 

   

  ACT-107『新たな世界に跳んではみたものの?』




 


 夕べ飛行形態に変型したランクルに乗った四人は、さほど時間を掛けずに卓也のマンションへ到着した。

 周囲を徘徊していたゾンビの群れとも出会うことなく。


 鴻上哲弥こうがみてつや、通称「テツ」。

 ジャネット霧島きりしま


 新たな旅の同行者を加え、卓也のマンションは一気に賑やかになった。

 久々に戻った部屋は、まるで数年も空けていたような雰囲気だが、澪がスイッチを入れ電気が点いた途端、以前のような活気が戻ったような気がした。


 どういうわけかライフラインは再び利用可能となっており、そのおかげで夕べのうちに全員入浴を済ませることが出来た。

 それが澪の思念力によるものだという事は容易に想像出来たが、当の本人は何故かずっと元気がなく、そのせいかなんとなく追求するのが躊躇われた。


 夕べの乱痴気騒ぎの影響で、リビングはちょっと凄いことになっていた。

 途中から意識を失ったので顛末はわからなかったが、どうやらろくに片付ける余裕もなかったことが窺える。


(あ、あいつらもちゃっかり飲んだのかよ!)


 テーブルの上を見ると、自分と澪以外のグラスの底にもブランデーが少し残っている。

 呆れ顔で足元に横たわるテツを見下ろした瞬間、卓也は妙な違和感を覚えた。


(あれ? テツってこんな顔だったっけ?)


 心なしか、テツが夕べよりいくらか年を取ったように感じられる。

 以前は小生意気な高校生といった風情だったが、今ここに居るのはどう見ても二十歳を過ぎている“青年”といった感じだ。

 戸惑っていると、やがて浴室の方からもう一人の影がリビングに入り込んで来た。


「あら、起きてたんですの?」


「……!」


「嫌らしい目で見ないで欲しいですわね。

 だって着替えを忘れたんですもの、しょうがないでしょ!」


「お、おう……おはよう。

 ジャネット、でいいんだよね?」


「ん? 今更何を言ってるんですの?」


 目の前に立つのは、自分と同じくらいの身長で目を見張るくらい豊満な乳房をたった一枚のバスタオルで覆っただけの、刺激的な恰好の美女。

 それはどう見ても、二十代後半くらいの成人女性にしか見えない。

 夕べまでの、どこか幼い雰囲気が感じられたジャネットの姿ではなくなっている。


「あ! そうかそういうことか。

 あの世界を出たから、本来の姿に戻ったってことだな」


「ほ、本来の姿?」


 戸惑うジャネットに、卓也は前の世界での皆の姿を説明しようとした。

 が、


「は、ハクション!

 は、話は後でお願いしますわ」


「あっと、ごめん!

 着替え、たぶん澪が向こうに用意してくれてると思う」


「それは夕べのうちに頼んでおいたから知ってますわ。

 着替え、覗いたら絶対に許しませんわよ!」


「んなことしないって」


 ホントにぃ~? と言いたげな表情で、ジャネットは寝室に姿を消す。

 夕べ独り占めした、あの大きなベッドのある部屋に。

 二人の会話に目が覚めたのか、しばらくしてテツと澪も起き上がって来た。


「おはよう卓也。

 どう、体調は?」


「おあよ~卓也。

 いやあ、夕べは凄かったなあ」


「記憶にございません。

 タイチョウハバッチリデス」


「なんだよその棒読み」


「体調がOKなら、今回も成功したのね、世界移動」


 澪が笑顔で頷き、テツがキョトンとする。

 三人の目は、閉じられた遮光カーテンへと自然に向く。

 

「なあテツ、ジャネットが着替え終わったら、一緒にカーテン開けてみろよ」


「え、なんで?」


「本当に違う世界に来たのかどうか、その目で確かめてみろよってこと」


「おお、いいね♪

 じゃあそうさせてもらうぜ!」


「あ、じゃあ僕着替えたら部屋のお片付けするわね。

 ――って、あれ? 誰かお風呂場使ったの?」


 澪が敏感に反応し、浴室の方を向く。

 よくよく考えてみたら、思念力の強さで理不尽な事を無理矢理行える“学園”世界ではもうない筈なのに、まだライフラインが使えるということは――


 卓也は部屋の電気を点け、改めて確認すると、ニンマリと微笑んだ。


「やったぞ澪、今度の世界はちゃんと生活出来そうだ!」


「そうみたいね、何にしてもここでまた生活出来るなら嬉しいわ」


「へぇ、じゃあしばらくここで四人暮らしって事っすか澪さん?」


「そうなるかもしれないわね、テツ君」


「うへへ、澪さんと一つ屋根の下でご一緒出来るなんで最高っすよ♪」


「俺もジャネットもいるけどな」


「あ、卓也チッス」


「なんだよその無表情!」


 ナイトメアの脅威から完全に遠ざかったことを確信したのか、テツは笑顔を浮かべて安心し切っているようだ。

 だが、まだこの世界がどういう所なのかわかっていない以上、油断は出来ない。

 やがてリビングに戻って来たジャネットを迎え、四人はカーテンの前に立つ。


「ジャージなんて、こんなものしかなかったんですの?

 それにこれ、男物でしょう?」


「だって、ジャネットはボクより背が高いから、ボクの服貸してあげられないし。

 それに……」


 と、澪の目がジャネットの巨乳に向けられる。


「こんなにおっきいと、ねえ」


「ホホホ、大きさだけじゃなくて形と肌艶にもこだわった自慢のJカップですものね♪

 まあいいわ、しばらくはこれで我慢して差し上げますわ」


「お、おおおお……ジャネットさんも最高っす」


「もしかして、今ノーブr」


 卓也の頬に、ジャネットのビンタが飛ぶ。

 身体が数回クルクル回転した。


「いってぇ! なんだよその馬鹿力はぁ!!」


「レディに対して品性下劣な質問をするのが悪いんですわ!」


「そうよ卓也、それはいくらなんでもありえないわよ」


 まさかの澪までジャネット側につく。

 冷ややかなテツの視線を背中に感じつつ、卓也はコホンと咳払いして仕切り直しを図る。


「でも確かに、二人の新しい服は用意してやらないとね。

 さて、じゃあこの世界を拝見と行きますか」


 卓也の音頭に、四人の表情が引き締まる。

 代表してテツがカーテンを掴むと、一同の頷きを確認して一気に開け放つ。

 猛烈な太陽光が、室内に飛び込んで来た。






 時間は、夕べに遡る。


 マンションに帰り着いてから二時間程経ち、全員が入浴を済ませた後、いよいよ酒盛りが始まった。

 ジャネットが提供した高級ブランデーがテーブルの上にドンと置かれ、澪が用意したつまみがその周囲を彩る。


「それでは、早速行きましょう!

 さぁ卓也、ぐぐーっと!」


 テツが口火を切り、卓也のグラスにブランデーをそのまま注ぎ込む。

 濃い琥珀色の香り高い液体が一気に満たされるも、初めての酒に緊張が迸る。


「ねえ、そういえばさっき、卓也言ってたよね?」


「え、何?」


「“世界跳躍能力ディメンショナル・リープネイション”の事がわかったって」


「え? あ、ああ」


「卓也、もっかい言ってみて」


「澪に言ってくれよ」


 老人から聞いた、卓也の秘められた能力の使い方。

 だがそれは、そのまま彼らに伝える訳にはいかない気がした。


「いったいどうすりゃいいってんだよ卓也?」


「要は、追い詰められればいいんだって」


「追い詰められる?」


「そう、つまり――」


 死にかける、という単語を避け、卓也はとにかく身体的にピンチな状況に陥れば行けるらしいという、やや自己解釈も含めた説明を行う。

 それを聞いた澪が、大きく頷いて手をポンと叩いた。


「そっか! 酷く疲れて酔っぱらうのも、確かに追い詰められてるようなものだものね」


「そういうこと」


「でも、いったいどうやってそんな事を知ったの?

 誰かに教わったとか?」


 妙に勘の鋭い澪の言葉に、一瞬ギクリとする。

 だが澪は、老人とは逢っていない筈だ。

 

 なんとなく、あの閉鎖された校舎での話は今はしない方がいい気がした卓也は、あからさまに笑ゴマする。


「追い詰める……か。じゃあもう一気しかないな!」


「そうね、一気だわ!」


「へ?」


 突然、テツとジャネットが嬉しそうに声を上げる。


「卓也、酒あんま強そうじゃないかんな!

 だったら一気で自分を追い詰めればいーんじゃね?」


「そうですわね、このブランデーを、そのままぐいっと」


 あまりにも唐突に無謀な事をほざき出す外野に、卓也は思わず飛び上がりそうになる。


「ままま、待て! なんでそうなるんだ?!」

 

「そんな事したら、卓也死んじゃうでしょ!

 卓也ぁ、そんな飲み方したら絶対駄目だからね?」


 澪が、寄り添うように優しく囁き掛ける。

 心配そうに見つめる顔を眺めていると、テツが何とも表現し難い顔で背後に回り込んで来た。


「はいよっと」

「こらしょっと」


「んご?!」


 テツが卓也の顔を押さえつけ、ジャネットが酒瓶を持ち上げる。

 そして、彼の僅かに開いた口に、注ぎ口を突っ込む。


「んごおおおおおお?!?!」


「きゃあああああ! ちょ、ちょっとぉ! 止めなさいよぉ!

 何てことするのぉ?!」


「ほぉれ、一気、イッキ♪」


「ホホホのホ♪

 四の五の言わずに飲み干して、とっとと酔っぱらって世界移動しちゃいなさぁい☆」


「ゴボゴボゴボ」


「きゃああああ! た、卓也が、白目剥いてるぅ!!」


 一気に消えゆく、高級ブランデー。

 慣れない酒を無理矢理大量に喉に流し込まれ、卓也の意識はあっという間に混濁する。

 大きな河の向こうに広がる花畑で、父親が笑顔で手招きしている光景が見えた……気がした。


 せっかくのブランデーの味すらもよくわからぬまま、卓也はあっという間に

 

「た、卓也、卓也ぁ! しっかりしてぇ!!」


「良い子は絶対に真似した駄目ですわよ!」


「俺達との約束だぜぇ!」


 慌てて卓也を介抱する澪を背後に、二人は謎のカメラ目線を決めた。






(あ~、今、すっげぇ嫌なこと思い出しちまったなぁ……)



 遮光カーテンを開いた瞬間、卓也は心の中でそう呟いた。

 また、あの恐ろしい展開を即繰り返すことになるのかと。



「た、卓也ぁ、この世界っていったい……?」


「俺は知らない、何も知らない」


「おいこれ……人、住んでるのか?

 つうか、居るのか?」


「俺に聞かれてもわからない」


「ちょっと! どういう事なのよ卓也?!

 私の居た世界は、こんな大自然に溢れた世界じゃなくってよ?!」


「だからぁ~」


「もしかしてボク達、もっと面倒な世界に来ちゃったの?!」


 窓の外を見つめる四人は、全員その場で凍り付いた。

 それだけ、眼下に広がる景色は衝撃的だったのだ。


 

 無数のビルが立ち並ぶ、馴染みのある東京の景色。

 その多くが、緑に覆われている。


 背の高い樹木、異常な程太く長い蔓、生い茂る葉。

 そして、そんな物の隙間から覗く、明らかに崩壊寸前まで劣化した真っ白な壁。

 半壊した建物を自然に還さんとばかりに、無数の植物がコンクリートジャングルを本当のジャングルにしている途中のようですらある。


 どう贔屓目に見ても


(ああこれ、完全に東京滅んでますね)


 と言うしかない状況だ。



「と、とりあえずみんな、朝ごはんにしない?」


 無理矢理な方向転換だったが、澪の提案に三人は無言で頷いた。




 不思議なことに、こんな状況にも関わらずマンションの電気やガス、水道は普通に使えるようだ。

 四人は、安易に部屋から出ない事を決め、今後どうするべきかを相談する流れとなった。

 ちなみに朝食は、テツが前の世界から持ち込んだパンと牛乳、砂糖とバター、卵を使ったフレンチトーストだ。


 しかし、四人も居ると食料はせいぜい今日の昼くらいまでしか持ちそうにない。

 どのみち、このマンションを出て食料調達を行わなくてはならなくなる。


「卓也、ネットの方はどうだったの?」


「全然繋がんなかった」モグモグ


「ネットって何だよ卓也?」モグモグ


「あらヤンキーはインターネットの事も知らないんですの?」モグモグ


「いんたーねっとぉ? なんだそれ、聞いたこともねえ。

 あと、昨日からヤンキーヤンキーって。俺アメリカ人じゃねぇっすよ」モグモグ


「ヤンキーはヤンキーですわ。

 って、それよりこのフレンチトースト、美味しいですわね」モグモグ


「うふ、ありがとう♪」


「澪の料理はプロ級だかんな。

 でも……さて、これからどうするべきか」


 いつものパターンなら、この後マンションを出て周辺の様子を確認しながら物資調達を行うのがセオリーだが、先程見た光景から判断するに、この下は半分森のような状況になっている。

 となると、迂闊な装備では侵入することすら危険である可能性が高い。

 しかし、だからといって手をこまねいている時間もない。


 散々悩んだ結果、とりあえず四人のうち二人だけが外に出て見ることになった。

 人選は、言うまでもなく――


「えぇ、俺ェ?!」


「まあ、ここはしょうがないんじゃない? 男だし」


「ちょっとぉ、それならボクも男なんだから卓也と一緒に行くわ」


「あなたは女性枠でいいのよ澪!」


「そうっすそうっす! 澪さんとジャネさんはここでゆっくりしててください♪

 ――しゃあねえ、じゃあ行こうぜ卓也ぁ」


「ジャネさん?!」


「めっちゃやる気ねぇって顔やめい」


 特に言い争いになることもなく、まずは卓也とテツが外に出ることになった。

 二人は“誰もいない世界”で調達した迷彩服とトレッキングブーツ、ザックを装着すると、深呼吸して部屋を出た。


「服のサイズがちょっと合わない。あと靴も」


「俺用の予備だからなあ。悪いけど我慢してくれ」


「しゃあねぇな、でもなんでこんなの持ってるんだよ卓也?」


「うん、前に居た世界で色々あって――って、そういやそこでも植物に酷い目に遭わされたんだったなあ」


「波乱万丈な経験してんなぁ、お前らって」


 雑談に華を咲かせながら、卓也とテツはマンションの通路を進んでいく。

 幸い、マンションの中に植物が入り込み路を塞いでいるということはないようだ。

 しかし建物自体は既に崩壊を始めているようで、エレベーターはドアが開け放たれ大きな縦穴となっており、ゴンドラも確認出来ないほど劣化が進んでいる。

 それどころか階段も所々朽ちて欠けており、卓也はうっかり足を滑らせてしまいそうになった。


 他の部屋もドアが開かれたままになっていたり、或いは丸ごとなくなっていたりして、いくつかは中の様子を窺うことが出来た。

 だがいずれも相当昔に廃墟になった様子で、生活感など残っていよう筈もない。


「おい、卓也これって」


「うん、この様子だと、俺達の部屋だけが不自然に生きてるって感じだな」 


「それも、もしかして澪さんの力なのかな?」


「いやでも、もう“学園”の世界じゃないんだし」


 老人“パイニアヴィア”の話を素直に受け止めると、思念力の大小が現実に作用するのは前の世界の中でだけのようだ。

 ということは、異世界であるここではもう通用しない筈である。

 卓也は適当な部屋に入って水道の蛇口を動かしてみるが、水が出る以前にコックが砕けてしまった。


「やっぱ、俺の部屋だけ特別みたいだ」


「ってなるとよぉ、下手にあの部屋から出ない方がいいってことにならねーか?」


「同感。

 じゃああの部屋を拠点にして、出来るだけ早く別な世界に移動した方がいいな」


「この世界にあるのかなあ、酒なんて」


「わからん……」


 卓也は「仮に見つかっても、もうあんな飲ませ方するなよ!」と心の中で念じながら先に進む。

 ようやくマンションの外に出ると、そこにはまたしても予想を覆す光景が広がっていた。


「うわ……おいおい、これど~すんだよ?!」


「まいったな、これは」


 マンションの出口を出て数メートル。

 そこには、相当な深さの崖があった。

 いや、崖というよりは、マンション周辺の地盤が隆起しているようにも見える。

 卓也は、先程見下ろした外の景色が、いつもより妙に高い位置からのものだった気がしたのを思い返した。

 

「これ、下まで七、八メートルくらいあるんじゃねぇか?」


「どこかに、安全に降りられる場所はないかな?」


「回ってみるか? でも、このうっとうしい植物が邪魔で危ねぇぞ!

 落ちんなよ卓也!」


「ご心配ありがとう」


 二人はやむなく、周辺を回ってみることにした。

 しかし十数分程歩いたものの、都合よく緩やかな坂になっているようなところはなく、下に降りるには道具が必要になりそうだ。

 卓也はザックの中からロープを取り出すと、それを何処か丈夫なところに結び付けられないか探り始めた。


「おい、ちょっと待てよ」


 不意に、背後からテツが呼び止める。


「ん、どした?」


「誰かの……話し声が聞こえるぜ」


「え?!」


 言われて耳を澄ますが、テツの言うような話し声は聞こえてこない。

 しかしテツにははっきり聞こえているようで、掌を両耳に当てて目を閉じている。


「四人……かな?

 男と、女が居る……こっちの方に近付いてるみてぇだ」


「全然聞こえないぞ? 幻聴じゃないのか?」


「んなわけねぇよ。

 さすがに何話してんのかはわかんねーけど」


「ど、どうする?!」


 テツに尋ねつつも、卓也は内心言いようのない不安感に苛まれていた。

 明らかに自分達が居た世界とは異なる環境、人の声がしたからといって、それが本当に人なのかもわからないし、まして友好的な存在かも判断出来ない。

 どうやらテツも同じような考えらしく、初めて見る様な真剣な表情を浮かべて熟考している。


「どのみち、ここから降りられない以上、確かめようもねぇな」


「だな。

 何処の何ともわからない連中に、迂闊に助けを求めるってのも変な話だし」


「しっかし、どんな奴らなのか確かめたいって気持ちもあるなあ」


「悩ましいとこだな」


 結局二人は「今回は気付かなかったことにしよう」と決断することにして、もう少し周辺を調べたら部屋に戻ることにした。





 一方、部屋の中では澪が部屋の掃除を始めていた。

 窓を開け、掃除機を使って念入りに部屋の隅々を清掃している。

 リビングの椅子に座りながら、退屈そうにその様子を窺っていたジャネットは、ふとあるものを目に止めた。


「ねぇ、澪?」


「なに?」


「これ、何ですの?」


「ん?」


 ジャネットが手に取って見せたのは、一冊の本だった。

 重厚なブラウンの皮で装丁されている分厚い古本で、しかしてその割には妙に軽そうに思える。

 赤い麻紐のようなもので巻かれている為、そのままでは開く事が出来ない。

 澪は小首を傾げながら、その本を受け取ろうとした。

 しかし、


「きゃっ!」


 指先が触れた瞬間、電流のような衝撃は迸り、本を取り落としてしまう。


「だ、大丈夫ですの?」


「え、ええ、ごめんなさい。

 おかしいな、静電気か何か?」


「なんだか気味悪いですわね。

 呪いの本だったりして?」


「あはは、まさか!

 でも、卓也がどこからか持ち込んだのかもしれないし、帰って来たら聞いてみましょう」


「それにしても、古めかしいというか汚いというか、相当な年代物って感じですわね。

 この雰囲気、もしかして魔法の本かもしれないですわよ?」


「あはは、そんなまさか♪」


 愛想笑いを浮かべながらも、澪は何となくその発言に信ぴょう性を感じていた。

 目を凝らしてみると、何か赤紫色のオーラのようなものが、中のページから染み出しているように思えるのだ。

 しかし、ジャネットにはそれが見えていないらしい。


(これ、ボクだけしか気付いてないのかな……なんだか、とんでもない力のようなものを感じる)


 本当ならそのまま窓の外に捨てたい気分だが、ひとまずは我慢して卓也達の帰りを待つことにする。


 その後十分もしないうちに、二人は無事に帰還した。




 周辺状況の様子を聞いて、澪とジャネットは冷や汗を浮かべてゴクリと唾を呑み込んだ。


「そ、それじゃあ私達は、ここに隔離されているような状況っていう事ですの?!」


「どうしよう、それじゃ食料も生活用品も、お酒も足りなくなっちゃうよ!」


「酒に関しては、どこかの誰かさん約二名があんな無茶しなきゃ充分足りたと思うけどね」


「「 しぃましぇん…… 」」


 妙に素直にショボンとなったテツとジャネットを見つめると、澪は先程見つけた本の話を卓也に振ってみた。


「ああこれか! これは……そうそう、次の世界に行ったら開けって言われてたんだ」


「言われた? 誰に?」


「ああ、実は“学園”の中にな――」


 さすがにもうこれ以上隠す必要もないかと思い、卓也は閉鎖されていた“封印校舎”の話と、そこに住み着く老人の話をした。

 色々なことを何でも知っていること、何か特別なことをすれば悦ぶという奇妙な癖があること、そして旅立つ前に色々教わったこと。

 一部の情報は隠しつつ、卓也はそんな不思議な人物が居たことを伝え、その者から託されたのだと話した。


「へえ、じゃあ本当に魔法の本かもしれねーってことか?」


「んなわきゃあないだろ。

 じゃあ、とりあえず開いてみようかな」


「早く早く、ドキドキしますわ」


「うう、なんか不安だわ」


 皆が見守る中、卓也はそっと分厚い表紙をめくりページを開く。

 左綴じの本、四隅が茶色に変色した厚手の紙を更にめくると、三ページ目にとんでもないものが出て来た。


 それは、ページ一杯に描かれた精巧な「目」だった。


「わっ?! な、なんだこれ?!」


「ヒッ!」


「ひえっ?!」


「きゃあっ!!」


 片目だけ、まるで生きているようなリアルな描写による絵。

 瞳孔やまつ毛、網膜まで丁寧にしっかりと描かれたそれは、まるで本物の目を二次元に閉じ込めたようにさえ思える。


 予想もしなかったものが出て来た驚きで硬直する皆の前で、その「目」が、一瞬ギョロリと動いた。


「え?! う、動い――」


 次の瞬間、本は目も眩むような激しい閃光を発した。


「うわあっ?!」

「ぎゃあ!?」

「いやあっ!!」

「きゃあっ!!」


 どのくらい続いただろうか。

 咄嗟に庇った腕や閉じた瞼すら貫通する鋭い光が納まった頃、恐る恐る目を開いてみると……


「あ、あれ?」


「本が……えっ、何処?」


「消えた?」


「下には落ちてないわよ?!」


 分厚い本は、忽然とその姿を消していた。


 その後、部屋中を探しても本は見つからず、代わりに卓也のエロコスDVDコレクションが暴かれるだけに終わってしまった。

 勿論、それは同じ階に住んでいる…筈の、例の地味OLのものだが。


「こういうのが好きなんですのねえ……ホント、男って」


「俺の居た世界にこんなんなかったぞ?

 なんだ、中身ただの丸い板? こんなんどーせっつうんだよ?」

 

「DVD知らないのテツ君?」


「DVD? なんすかそれ?」


「ああ……止めて、公開処刑止めて……」


 何故か尋問会の様相を呈していたその時、




 ピンポーン




 突然、チャイムが鳴った。


「え?!」


「な、なんだぁ?!」


「誰か来た?!」


「え、こ、この世界で? 人が?!」



 ピンポーン



 空耳ではない。

 全員聞こえているし、二回目もしっかり鳴った。

 卓也は、思わずテツと顔を見合わせる。


「ど、どうする?」


「い、一応見に行くしか……」


 予想だにしなかった状況に戸惑いながらも、家主である卓也が玄関に近付こうとする。

 だが、あと少しというところで、更に予想外の事態が発生した。


 ボン! という大きな破裂音が鳴り響き、なんとドアが破壊されたのだ。

 まるでドミノのように、手前に倒れる歪んだドア。

 濛々と立ち込める焼け焦げた臭い。

 そして、外から吹き込んで来る妙に新鮮な空気。


 何が起きたのかわからず、尻もちをついたまま玄関の向こうを見つめていると――




「へぇ! 本当に人間がいるとはなぁ!!

 こいつぁ驚いたぜ!!」




 聞き覚えのない、妙にガラの悪そうな男の声が聞こえて来る。


 外から差し込む陽光に浮かび上がるシルエットは四つ……

 


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