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押しかけメイドが男の娘だった件  作者: 敷金
第六章 “学園”編
107/119

ACT-106『そして、次の世界へ』

第六章最終回となります。



「卓也……ボク、これからどうすればいいの……?」


 グラウンドで泣き崩れていた澪は、ゆっくり立ち上がると校舎に向かってトボトボと歩き出す。

 ふと見ると、校門の横に赤いランドクルーザーが停まっている。



『君と神代卓也には、この“学園”から即刻出て行って貰う』



 先程姿を現した学園長が言ったのは、これを指しての事だろう。

 心に強い衝撃を受けている澪にとって、彼の冷酷な言葉はどんな刃物よりも鋭く、そして痛かった。

 

(そうだ、卓也を……この世界から逃がさなくっちゃ。

 せめて、それだけでも……ボクの役目を果たさなきゃ)


 ランクルに向かって手を伸ばす。

 するとエンジンが勝手にかかり、ゆっくりとこちらに向かって走り出した。

 誰も乗っていない筈なのに。

 澪は、そのあまりに不自然極まりない様子を見て、泣き笑いし始めた。


「あはは……ホント、いったいなんでこうなっちゃうのよ?

 もう全然意味わかんない……沙貴ぃ……」


 そこまで呟いて、ハッとする。


(そうか、ボクは……本当は澪じゃないんだ。

 ただのバケモノなんだ。

 卓也との想い出も、沙貴の記憶も、本当はボク自身のものじゃない、本物の澪の記憶なんだ)


 今の彼は、澪がそのまま化け物と化した存在ではない。

 XENOという超進化生命体が澪の肉体を補食し、彼の身体と精神の情報をコピーして再現したものに過ぎない。

 未央もそうやってXENOに補食され、怪物と化したのだ。


 目の前に停車したランクルのドアを開けると、澪はゆっくりと運転席に座りステアリングを握り締めた。


(卓也、今何処に居るの?

 教えて……)


 その思いに反応するように、カーナビの画面が何かを表示し始めた。







  ■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■

 

     ACT-106『そして、次の世界へ』




 

 



 気が付くと、卓也は鉄の扉の前に居た。

 辺りは静まり返り、先程の騒動など嘘のようにしんみりしている。

 廊下の至る所を覆っていた壁はもう消えており、彼が先程までの騒動を知る由もない。


 まるで廃墟のように思える校舎を歩き、ひとまず体育館を目指そうとすると、どこからかドタバタと足音が響いて来た。


(え、嘘?! いきなりナイトメアかよ?!)


 慌ててどこかに隠れようとするが、もう間に合わない。

 階段を駆け下りて来た者達と鉢合わせになってしまった卓也は、思わず変な声を漏らした。


「はぇっ?! れ、麗亜?!」


「卓也さん! どうしてここに?!」

「ご無事だったんですね!」


 意外なところで遭遇した麗亜とアリスに、卓也は状況がわからず困惑する。

 だが、麗亜が抱きかかえているものを見て、瞬時に頭が切り替わる。


「あ! それ、もしかして」


「そう、お酒!」

「高級ブランデーです! 卓也さん、お酒が必要なんですよね?

 これをお持ちになってください」


「え、ちょ、なんで俺の事情知ってるの?」


「詳しい事は後だ、とりあえず体育館に!

 皆そこで避難――」


 麗亜がそこまで話した途端、どこからともなく


 ぎっちょん、ぎっちょん


 という、聞いたこともないような奇怪な音が響いて来た。


「な、なんだこの音?!」


「に、逃げましょう!」


「そうだな、どうせナイトメアだろうしな!」


 三人は頷くと、全力で体育館に向かって走り出す。

 背後で、何物かが天井を突き破って落下してきた。

 凄まじい轟音と、濛々と立ち込める埃に襲われつつも、三人は振り向かずに走る。


「な、何が出たんだよいったいぃ?!」


「振り返るな! とにかく走れ!」


「ひいい、お、お嬢様ぁ!!

 ――あっ!!」


 もうすぐ体育館に通じる連絡通路にさしかかるというところで、突然、アリスが転んでしまう。

 

「アリス!」


「くっそ! なんてこったい!」


 アリスを救うため振り返った二人の目に飛び込んで来たのは――ピアノだ。

 先程の鵺に匹敵するか、或いはそれ以上の巨体を誇るグランドピアノから、蟹のような足が無数に生えている。

 しかもご丁寧に、色は茹で上がったように真っ赤だ。

 そんな得体の知れない物体が、鍵盤カバーをガチガチ言わせながらハサミを振るい、今にも襲い掛かろうとしている。


「うっわ、誰だよこんな変態デザイン考えた奴は!」


「聞いたことあります!

 学園七不思議の一つで、夜誰もいない音楽室からピアノの音がして、覗くとピアノからハサミが生えて――」


「聞いたことねぇよ、そんな七不思議!!」


 卓也は、咄嗟にポケットからPDを取り出し、展開する。

 モニタの表示を確かめると、狙いを定める。


「くっそ、こんにゃろ!!」


 銀色のビームが撃ち出され、カニピアノの足が一本切断される。

 ガコン! と派手な音を立てて姿勢を崩した隙に、麗亜がアリスを担ぎ上げる。


「すみません!」


「気にするな、さぁ行くぞ!」


「くっそ! コイツ、切断してもどんどん生えてきやがる!」


 卓也の言う通り、PDのビームでどんなに足を切断しても、カニピアノは瞬時に再生させてしまう。

 これでは、せいぜい一時的な足止めにしかならない。

 三人はまたも走り出すが――


 その時、強烈なライトの光と共に、真っ赤な物体が壁をぶち破って飛び込んで来た。

 それはカニピアノを弾き飛ばし、遥か彼方まで吹っ飛ばしてしまった。


 ――赤いランドクルーザー。


「澪か?! 今まで何処にいたんだよ?!」


 運転席から顔を覗かせる澪は、どこか虚ろな表情だ。

 しかし卓也と目を合わせた途端、懸命に声を振り絞り叫んだ。


「卓也、それにみんな、乗って!」


「お、おう!」

「はい!」

「うん!」


 三人が車に飛び込んだとほぼ同時に、カニピアノが再び迫って来る。

 後部座席に乗った卓也は、窓から上体を乗り出した。


「足が駄目なら――これでどうだぁ!!」


 再び、PDのビームが発射される。

 銀色の光線は一直線にカニピアノのボディに命中し、そのまま縦に斬り裂いていった。

 断面から無数のピアノ線のようなものを弾かせ、真っ赤なボディの憎いあんちくしょうはようやく沈黙した。

 断面部からぶくぶくと泡を吹き出し始める。


「やっつけた……のかな?」


「そうみたい。

 澪、これからどうする?」


「……」


「おい、澪?!」


「えっ?! あ、はい!」


「どうしたんだ澪? 顔色悪いぞ?」


「そうだ、あれから何があった?」


「あ、あはは……」


 卓也と麗亜の質問を愛想笑いではぐらかすと、澪はそのまま車を走らせた。

 疾走するランクルのライトが、薄暗い廊下を照らす。


「おいおいおい! こ、このまま行くのかぁ?!」


「その方が安全だもん!」


「そ、それはそうだが――って、ちょっと待った!

 澪、何処へ行こうとしてる?!」


「え?! マンションよ! 卓也のマンションに帰るの!」


「ちょ、ま、落ち着け澪!!」


 卓也の制止で急ブレーキをかける。

 全員が、反動で大きくのけぞった。


「いたた、鼻ぶつけた!」


「ご、ごめん卓也! 大丈夫? 鼻血出てない?」


「澪、済まないが一旦体育館に向かってくれ」


「た、体育館!? でも」


「大丈夫だ、今は体育館が総合避難所になっている」


「お願いします、澪さん!」


 アリスの懇願もあり、澪は黙って車を切り替えす。

 卓也は、何処かよそよそしい澪の態度に、煮え切らないものを感じたが、今はあえて何も言わないことにした。




 体育館に乗り込んで来た赤いランクルに、生徒達が悲鳴を上げて驚く。

 しかし、中から澪達が出て来たことで、混乱は意外に長引くことはなかった。


「澪さん! それに麗亜さん、アリスさん!

 ご無事だったんすね?! 良かったぁ!」


「お~いテツ、俺オレ、俺も~」


「あ、卓也チッス」


「おい!」


「で、アリス。

 お酒は見つかったの?」


「ええ、お嬢様。

 早速、卓也さんにお渡ししました」


「あ~らそう。

 じゃあ、神代卓也!」


 アリスの回答を聞いた途端、突然ジャネットが高圧的な口調で呼びかけて来た。


「え? な、なんだ?」


 パン! と派手な音を鳴らし、何処から取り出したのか扇を手の平に叩きつけると、ジャネットはまるで見下すような視線を向けて来た。


「聞くところによると、あなた。

 別の世界に移動する能力をお持ちのようね?」


「んな話、どっから聞いた?」


「ごめん」


 即座に、麗亜が挙手する。

 

「卓也さん、頼みがある。

 彼女を、一緒に連れて行ってくれないか?」


「「 ええっ?! 」」


 麗亜の申し出に、卓也と澪が声をハモらせて驚く。

 そして当の本人は「当然でしょ?」といわんがばかりの偉そうムーブだ。


「急にそんな事を言われても、なあ澪」


「う、うん……」


「なら! 提供したお酒は返して頂きますわ」


「ええっ?!

 それが条件なの?!」


「ホホホのホホ。

 当然ですわ、まさか無償で提供するとでもお思い?」


「いや、まあ、そりゃあそうだけどさあ」


 どうやら、卓也達が居ない間に一部の生徒達で話が勝手に進んでいたらしい。


「実は、みんなが居ない間に、学園長がやって来て……お二人を追放するって」


 テツが、ひそひそ話をするように伝える。

 卓也は、思い切り顔をしかめた。


「あんのディストピア大好き野郎がぁ! わざわざ皆に言う事ないだろうに!」


「マジなのか卓也?! お前、追い出されるの?」


「ああ本当だ。残念ながらな。

 テツ、短い間だったが色々ありがとうな」


「うお、マジで別れの挨拶なのかよ!」


「ちょっとそこ! 何男同士でコソコソ話してるんです?!

 この私達を連れて行くんですの? どうなんですの?!」


 痺れを切らしたのか、ジャネットが会話に割り込んで来る。

 だが澪も、慌てて話に口を挟んで来た。


「ちょ、私“達”って?!」


「当然、このアリスもですわ♪」


 あんた何言ってんの? とでも言いたげな態度で、脇に立つアリスを指差す。

 だがそんなジャネットの仕草に、彼女ははっきりと首を横に振った。


「いいえ、お嬢様。

 申し訳ありませんが、私は同行できません」


「は?」


 思わず硬直するジャネットに、アリスは続ける。


「お願いいたします、卓也さん、澪さん。

 お嬢様は、どうしても帰らなければならない事情がございます。

 このままこの世界に居てはならないお方なのです。

 お時間はかかるかもしれませんが、どうか、お嬢様を元の世界にお連れ戴けないでしょうか」


「そ、そんな事言われても――」

「やってはみるけど」


 澪の言葉を遮るように、卓也が呟く。

 

「え、卓也、どういうこと?」


「ああ、詳しいことは後で話すけど。

 実は、分かったんだ。

 俺の“世界跳躍能力ディメンショナル・リープネイション”の事が」


「めっちゃ長い名前だな。

 卓也、もっかい言ってみろよ」


「やだ」


「え、じゃあ、これでもう自由に移動が出来るようになったの?」


「そういうわけじゃないけど」


 驚く澪に首を振ると、卓也は更に続ける。


「わかった。

 何か特別な事情があるみたいだしね。

 お望み通りまっすぐに辿り着けるかはわからないけど、出来るだけ努力はしてみる」


「卓也……」


 卓也の正式な答えに、ジャネットは大きく頷く、

 しかし、アリスはどこか寂しそうだ。


「アリス、どうして一緒に行かないのです?

 あなたが居なければ、私は――」


 戸惑うジャネ、ットに、アリスは表情をキッと引き締め、彼女の両肩をしっかり掴んだ。

 意外な反応に驚く彼女に、静かな口調でゆっくりと語り出す。


「お嬢様、私はこの世界から出ることが出来ません。

 ですので、ここでお別れになります」


「アリス?! あなた、いったい何を言い出すの?」


「私は――もう、死んでいるのです。

 あなたの本来居るべき世界では」


「え……?」


 アリスの言葉に、澪と卓也も息を呑む。

 そしてジャネットは――


「ほ、ホホホホ! な、何を馬鹿なことを!

 アリス、こんな時に冗談はお止めなさい。

 さぁ、参りますわy」


「お嬢様が九つの時です。

 乗っていた船が事故を起こし、私達は中に取り残されました」


「アリス……」


「私はお嬢様をお救いする為に、命賭けでした。

 なんとか救助隊が間に合い、私はお嬢様を引き渡しました。

 ですが――それが限界でした」


「い、いったい何の話をしているの?!

 アリス? あなたは今までずっと、私と一緒だったじゃない!」


 必死ですがるジャネットにハッキリと首を振ると、アリスはまるで子供に言い聞かせる様な口調で続ける。


「あの時、私は力尽きてしまいました。

 でも、代わりにお嬢様をお救いすることが出来たのです。

 だから――後悔はしておりません」


「あ、アリス……そんな……」


「この世界で、お嬢様にまたお会いする事が出来て、私は大変光栄でしたよ」


「あ、ああ……やだ、そんな……やだ、やだよぉ!

 アリス! アリスぅ!!」


 大粒の涙を流しながら、ジャネットがすがりつく。

 子供のように泣きじゃくる彼女を優しく抱き締めると、アリスはスッと顔を上げた。

 その頬には、一筋の涙が光っている。

 卓也と澪は、思わず顔を見合わせた。


「僕からも頼む。

 ジャネットを、どうか元の世界に返してやってくれないか」


「麗亜、あなたは」


「もう知っている筈だろう?

 僕もリントも……アリスと同じだ。

 この世界でしか生きられない」


「記憶……戻ってたんだ」


 澪の呟きに、無言で頷く。


「澪、そして卓也さん。

 二人に逢えて本当に良かった。

 それと、どうしてもこれだけは伝えなきゃならなかった」


「え?」


「僕達を埋葬してくれて、本当にありがとう」


「……どうして、それを?」


 彼らが知らない筈の話を振られ、戸惑う。

 だが卓也だけは、なんとなく理由が分かった気がした。


(そうか、彼らは……あの鉄の扉の向こうから来たんだったな)


「もし将来、沙貴にまた逢うことがあったら。

 彼にも伝えてくれ。礼を言ってたって」


「う、うん」


 麗亜が、澪を抱き締める。

 そこには、確かにぬくもりがあった。

 生きている者の持つ、ぬくもりが。


 澪の頬に、一筋の涙がこぼれた。





 大勢の生徒達が見守る中、卓也と澪は車に乗り込む。

 だがジャネットは、まだ泣きじゃくってアリスにしがみついていた。


「いやああああ! アリス、アリスぅ!!

 離れるのはいやあ! 大好きなの、アリスの事が大好きだからぁ!!

 わあぁぁぁああん!! やだよぉ!」


 なりふり構わず、まるで子供のように大声で泣きわめく。

 その姿に、卓也達をはじめ生徒達ももらい泣きし始める。


「ジャネットさん! アリスさんの気持ちを汲んでやりましょうよ!」


 今まで黙っていたテツが、ジャネットをアリスから引き剥がす。

 

「いやあ! 絶対いやぁ!! 離して、離してったらぁ!」


「お嬢様」


 アリスは、ジャネットの頬を両手で優しく包み込む。

 とても穏やかな表情で。


「あなたはもう、立派な大人です。

 いつまでも、子供のように甘えていてはいけませんよ。

 これからは私がいなくても、お一人で立派に……きっと、やっていけます。

 だから、もう――」


「アリス……」


 ジャネットを羽交い絞めにしているテツも、泣いている。

 頬を押さえる手に自身の手を重ねると、静かに目を閉じ、呟く。


「そうでした、わね。

 私は――霧島コンツェルンの次期総帥、ジャネット霧島ですわ」 


「お判りいただけましたか」


「アリス、今まで長い間、本当にありがとうございました。

 本日付けを以て、あなたの役職を解きます。

 私の……専属……メイ……ドの……」


「良く仰ってくださいました、お嬢様!

 どうか、どうかご無事で、お戻りになられてください」


 二人は、しっかりと手を握り合う。

 それを眺めながら、麗亜も卓也と澪の手を取った。


「君達も、どうかこの先、無事で」


「ああ、ありがとう」


「麗亜……ありがとう」


「澪ちゃん、おじちゃん、バイバイ♪」


 リントが、初めて見せる明るい笑顔で見送ってくれる。

 目に一杯の涙を溜めて。


「ああ、ありがとうリント。

 君に逢えて本当に良かった……」


 卓也は、リントの両手をしっかりと握り、笑顔を返した。





「さあ、行きましょう」


 車に乗り込み、窓から顔を覗かせると、麗亜とリント、アリス、そして生徒達が並んで見送ってくれている。


 いよいよ、出発の時だ。


「みんな、シートベルトは大丈夫?」


「ええ、良くってよ」


「俺もおっけっす」


「よぉし、四人全員OK……って、テツぅ?!」


 振り返ると、一番後ろの席にちゃっかり乗り込んでいるテツの姿があった。


「よっす! なあなあ卓也ぁ、俺もついでに連れてってよぉ!」


「ま、マジかコイツ」


「ど、どうする? 卓也」


「もう、今更追い出すわけにもいかないしなあ」


「まあ! 図々しいったらありゃしない!

 ちょっと二人とも、いいんですの?

 こんなフケツでオツム軽そうなヤンキーを同乗させて?」


「あーっ! ジャネットさんそりゃあないっすよ!

 つか、さっきまで泣きべそ掻いてたのに、もう通常モードっすかぁ?」


「おおお、おだまらっしゃい!

 ちょっと澪! ぐずぐずしないでとっとと発車なさい!」


「ぐえ、いきなり呼び捨てアンド命令口調?!」


「ま、まあでも、行こうか。

 これ以上残っても、後ろ髪引かれるだけだしね」


 体育館の入口から、先程破壊した壁の穴に向けてランドクルーザーが走り出す。


「さよぉならぁ~!」

「ありがとう~!」


 窓から手を振るジャネットとテツの姿を見て、卓也はなんだか切ない気持ちになる。

 運転席では、真剣な表情の澪がまっすぐ前を見つめている。


 でこぼこした廊下とグラウンドの段差を乗り越えると、ランドクルーザーは一気に校門目指して加速し始めた。




「行っちゃったね」


 ランクルが走り去った後、麗亜がふと呟く。

 と同時に、何か重苦しく感じられた空気がフッと軽くなっていくような感覚を覚える。

 今まで夜の様に暗くなっていた外も、徐々に明るくなっていく。


「夜明け?

 いえ、そんな筈は」


「彼らが居なくなった途端に、これか。

 学園長が言うように、本当に澪達が……?」



 麗亜はリントを抱き締めながら、既に車の影も見えなくなった校門の方を見つめた。




「行きおったぞ」


「あいつらが居なくなった途端“学園”を取り巻く空気が一変したな」


「そうじゃな、本人に悪気はなかったのじゃろうが、結果的にこれでここの平和も戻るじゃろう」


 暗闇の図書室、ぼんやりと照らすランタンの光の中、学園長と老人は顔を見合わせていた。


「あの男に授けた本は、いったいなんだ?」


 しばらくの沈黙の後、不意に学園長が尋ねる。


「ああアレか?

 なぁに、大したものじゃない。

 あえて云うなら――監視役じゃな」


「監視役?」


「そうじゃ。

 なんせこれからは世界が違うでの。

 あやつらの痴態を楽しむには、それなりの効果が期待出来るブースターが必要じゃ」


「……そうか」


 興味なさげに相槌を打つと、そこで会話を打ち切る。

 

「さて、と。

 ワシもそろそろ奥に戻るとするわいな。

 次にお前に逢うのは何時になることじゃろうなあ?」


「知らんな」


「ホッホッホッホッ……」


 ランタンを持ち上げ、椅子から立ち上がる。

 そんな老人に声もかけず、学園長はただ無言で闇の中に溶け込んでいく後ろ姿を眺めていた。





『お前の力はな、“ディメンショナル・リープネイション”という』


『でぃめ……りーぷ……なんだって?』


『ディメンショナル・リープネイション。

 要は次元超越のことじゃ。

 今まではさほど遠くない並行世界を飛んでいたが、今ではもうかなりパワーアップしとるでな。

 もっと遠い、今まで行けなかったような世界にも行けることじゃろう』


『パワーアップって、俺が?

 俺、特に何もしてないけど?』


『お前は“因果”という言葉を知っておるか?』


『因果? 因果応報とかそういうの?』


『この場合の“因果”とは、自分が居るべき世界との縁みたいなものじゃな。

 普通の人間は、自分が生まれ育った世界と一番深い“因果”で繋がっておる』


『まあ、そうだろうなぁ』


『ところが、お前はそうじゃない』


『え、どゆこと?』


『並行世界を移動するとな、一見今までの世界と同じように思えても、数え切れない要素に差異が生じる。

 その最大の要素が“因果”でな。

 例えば、お前が大好きな菓子があっても、並行世界ではそれが口に合わなかったリな』


『ああ、そういうことはありそう』


『じゃが、世界を越えた者には“補正”がかかる』


『補正? なんだそれ?』


『その世界に合わせて、身体がフォーマットされるようなもんじゃ。

 今の例じゃと、お前の口に合わない筈の菓子が、普通通り美味しく食べられるようになったりする』


『だったら良い事じゃん』


『――本当にそうかの?

 本来、お前が食えなかった筈のものが食えるようになるため、お前の中の何かが勝手に書き換えられているんじゃぞ。

 それが“補正”じゃな』


『えっと、つまり自分では気付かないうちに、自分の身体が変質しちゃってるってことか?』


『実際はそんなに単純じゃないが、そんな理解で構わん。

 そして卓也よ、お前とあの小僧は、これまで越えて来た世界の数だけ“補正”が加えられておるのじゃ』


『げげっ?!

 じゃあ俺、もう元の神代卓也ではなくなってるの?』


『そうじゃ。

 そして今のお前は“補正”の影響で、耐久力やら持久力、そして何より次元超越能力が肥大化しとるようじゃ』


『うげげ、そうなんか。

 ――あれ、持久力?

 それってもしかして、疲れにくくなっているとか?』


『ようやく気付いたようじゃの、肝心な部分に』


『ちょっと待てぇ! じゃあ俺、酒があっても世界移動できねぇじゃん!

 限界まで疲労しなければ飛べないのにい!』


『安心せぇ、だから教えてやるというんじゃ。

 お前の能力の、本当の使い方をな。

 旨くやれば、酒も使う必要がなくなるかもしれんぞ?』


『え、そうなの?!

 お、教えてくれよ、どうすりゃいいの?』



『――死にかけるんじゃよ』



『……へ?』


『体力を限界まで減らすのも、アルコールを過剰摂取するのも、全ては己れの身体を死に近付けていたんじゃ。

 それがトリガーになって、お前は異世界への扉を開き続けた』


『お、おいおいおい! ちょっと待ってくれよ!

 じゃあ俺、下手したら死ぬかもしれないような事を、何度も繰り返してたのか?!』


『そういうことじゃな♪

 だが安心せぇ、お前は次の世界移動でまたパワーアップする。

 そうすれば、運が良ければ今までより安全な手段で移動が出来るようになるかもわからんぞ?』


『うう、不安だなあ……』


『あとは、あの澪という小僧じゃ』


『え、澪がどうしたの?』


『お前の世界移動には、あの小僧の協力が必要じゃ。

 何故なら、あの小僧の能力は――』




「――卓也、卓也ったら!」


 後ろから両肩をガシガシ揺すられ、微睡から覚める。


「んあ?! じ、じいさん?」


「誰がじいさんだよ! 寝ぼけてんのか?」


「あ、ああごめん。

 ちょっとじいさんと話してたことを思い返してた」


「おじいさんって、誰のことですの?」


「え、あ、いや」



 ランドクルーザーは既に住宅街を抜け、山道に突入していた。

 もうしばらく走り続ければ、またあの廃墟のような街に辿り着く筈だ。

 しかし空はもう真っ暗闇で、車のライトが照らし出す範囲しか物が判別できない。


 長い間ずっと無言で運転している澪に、卓也はそっと話しかけた。


「澪、大丈夫か?

 運転代わろうか」


「卓也……ううん、いいの。大丈夫よ」


「そうか? だいぶ疲れてるように見えるんだが」


「心配してくれてありがとう。

 それより、何も物資を持たないで来ちゃったから、この後大変よ?

 皆もお腹空くでしょうし」


「物資って、コレのことっすか澪さん?」


 と突然、テツがどこからともなく大量の総菜パンや菓子パン、ドリンクや駄菓子を持ち出して来た。


「い、いつの間にそんなものを?!」


「いやこれ、前にコンビニ行った時のがそのまま残ってるだけっす」


「あの兵隊に襲われた時か? 食えるの? 大丈夫?」


「大丈夫っす。この世界、賞味期限とか消費期限とかガン無視効くから」


「す、すっげぇ適当な世界……」


「そうですわ、こんなデタラメでいいかげんな世界、もううんざりですわ。

 もんぎゅもんぎゅ」


「うわジャネットさん、素早い!」


「澪、呼び捨てで良くってよ」


「え、そうなの?

 じゃあ――ジャネット?」


「上出来ですわ!

 ほら、あなたも食べなさい! うぐいすパンよ」


 そう言いながら、ジャネットが袋からパンを取り出して押し付ける。

 苦笑いしながら、卓也はそれを受け取ると、少し千切って澪の口に含ませた。


「……甘い♪」


「やっと笑った」


「え?」


「元気出たかなって」


「卓也……」


「なぁなぁ澪さん、提案があるんすけどぉ!」


 いい雰囲気をぶち壊し、テツが大声で怒鳴るように吠える。


「な、なんだよ!いきなり」


「この世界なら、澪さんの思い通りになるんでしょ?

 さっき学園長がそう言ってたし」


「う、うん、なんかそういうことになってるみたいで」


「だったら、この車を空飛べるようにして、一気に飛び越えちまいましょうや!!」


「なんつうデタラメなことを言うのです? このヤンキー」


 あまりにも無茶苦茶な提案だったが、意外にも澪は


「そうね、せっかくだからやってみましょう!」


「おいおい、マジか?」


「こんな事出来るの、どうせこの世界にいるうちだけでしょ?

 だったややったもの勝ちでしょ。

 いくわよ!」


「あ~、やっと元気が出て来たわね。

 これもうぐいすパンの効用ですわ」


「すごいなうぐいすパン」


「行っけぇ! システムチェ~ンジ!」


 少し間の抜けた声で叫びながら、澪が適当に右横のボタンを押す。

 すると、車が突然振動し始めた。


「な、なんだ?」


「ひえっ?! ま、まさか本当に?」


「あははは♪ もうなんでもありね、この世界!

 もう二度と来たくない!」


「うわ、マジで変型始まってるっす!」

 


 四人を載せたランドクルーザーはタイヤを内部に収納し、横から大きなウィングを生やすと、後部から炎を噴き出して夜空に浮かび上がった。


「このままマンションまで飛んでいくわよぉ!」


「あ~はい、お任せします」



 空飛ぶランクルは、廃墟の街に向かって一直線に飛翔していった。









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