02-999 エピローグ
◇ ◇ ◇
<エピローグ>
あれから一週間。
「助手はいる?」
「います!」
ナオからのコールに応じて、ケイイチが元気よくARルームにインしてきた。
相変わらず無駄に声と図体だけはでかい。
「あれ、外ですか?」
「ん」
ナオの背景に、微かに混じるノイズや、顔に落ちる日差しや陰の動き。
視線もキョロキョロしていて落ち着かない様子を見て、ケイイチはナオがどうやら外を歩きながらAR通話しているらしいと察する。
「危なくないんですか?」
「何が?」
歩きながらだったら、普通なら音声のみ、もしくはアバターを介しての通話が普通だ。
アバターを使わないフルARで通話してくるあたり、やはりナオは普通ではない。
「ちょっと実験機材買いにきただけだけど?」
「え……?」
そういうのこそ、助手たる自分の仕事なのでは……とケイイチは己のアイデンティティクライシスに喘ぐ。
が、ハルミさんですらなく自身で買いに出ているということは、実物を見て確認しないといけない類いの買い物なのだろう。そうに違いない、と自分を無理矢理納得させる。
「……あれ、声のほうバーチャルですか?」
「よくわかるね」
ナオは実際の声は出さずに、並列処理で機械生成した声で喋っているようで、実物の3D映像に重ねられた口の動きや喋り方のニュアンスが実物と少しばかり違っていた。
多分、実物のほうはまた別の人とコミュニケーションを取っていたりするのだろう。まあ、ナオにはよくある事だ――と思えるくらいにはケイイチもナオの奇行に慣れてきた。
一方のナオは、こういう細かいことには気付くくせに、普段の気の利かなさは何なんだろう、と助手の行動原理や感性について地味な疑問を抱くが、助手ごときの事で思考リソースを使うのも癪なので忘れる。
「そういえばリィミさんの件すっかり落ち着きましたね」
「そんなものだよ」
ネットの世界は、今も昔も熱しやすく冷めやすい。
あっという間に燃え上がり、あっという間に鎮火する。
一部のメディアを除いて、リィミの日記の話題はもうすっかり下火だ。
日記に登場して特定された人が未だに何人か擦られてはいるが、それはその人の対応が色々とアレだったせいであって事件そのものの影響ではない。
アンチAIメディアだけは未だに記事を量産していて、その周辺で活発な議論は続いているが、世間の関心は、すにで有名プロスポーツ選手の色恋に関わるスキャンダルのほうに重心が移動していた。
「ユラユラはどうしてるの?」
「ラトさんは……動画チャンネルは一旦お休みだそうです」
「そ」
ユラトは煽った動画の事は真摯に謝罪し、動画チャンネルの更新は一旦止めて、流されているデマの類については丁寧に否定しているようだ。
そのお陰もあって、根も葉もない噂の類いはほぼ鎮火しつつある。
煽るような行動を取った過去は取り消せないが、質の悪い攻撃の類いはかなり少なくなった。
逆に日記の主がリィミである事がネット民の力で特定された事もあって、リィミが登場していた動画に、リィミを悼むコメントがたくさん残され、ユラトに対する同情と理解の声も少しずつ増えてきている。
アンドロイドなりきりコスプレキットは、製造元を切り替えて販売を続けているそうだ。
一部ではアンドロイド姿になりきるコスプレが局所的ブームになっているそうで、コスプレ動画もコンスタントに投稿されている。
ユラトはこの炎上騒ぎで積み上がったキットの売上を、アンドロイド達を守り、サポートする活動に全額つぎ込むつもりらしい。
コミュニティでもその活動を手伝いたいという声がたくさんあるし、ケイイチもできる限り手伝うつもりだ。
「じゃ、そろそろ助手もコスしたい頃だよね」
「ほえ……?」
「例のコス衣装で16時までにうちに来るように」
「は……?」
「実験器具の買い物って言ったよね」
「えっとつまり……」
「実験台のお仕事」
ナオはそう言ってにっこりと笑うと、ケイイチの返答を待たずにAR通話を切った。
ケイイチとの通話を終え、同時並行でやっていたちょっとした書類仕事も終え、さらに近所の店でのちょっとした実験機材の買い物――これが今のメインタスクだ――の会計を終え、ナオはグッと伸びを一つした。
あとはこの機材を持ち帰って、家で助手を酷使していくつかの実験をすれば、今日のやるべき事は終わり、なのだが――
「さてどうしよ」
会計を終え、渡された紙袋を目の前にして、ナオは渋面になった。
買った機材が、思ったよりもずっと繊細な作りだったせいだ。
これをナオ自らの手で運ぶのは、自殺行為以外の何物でもない。
丁寧に梱包してもらったとはいえ、己の体の不器用さについては揺るぎない自信がある。
これを壊さずに家まで運べる気はまるでしない。
とりあえず、近くにある配送拠点まで手で運んで、そこからはドローン配送か何かで届けてもらう算段を立てる。
が、配送拠点までですら、自分の手で運ぶのは危うい気がする。
配送拠点までは流しのアンドロイドでも捕まえてやってもらおう、とナオは周囲を見回した。
AR視野に、アンドロイドかどうかのビーコン表示を足し、手近にいるアンドロイドを探す。
と、視界の中にはいないが、ちょうどこちらに向かってくる手の空いたアンドロイドが一体いるようだ。依頼がある旨を伝えると、アンドロイド側からOKの返答が返ってきた。
到着までは少しかかる。
着いてから仕事の内容を伝えるとすると、また少しばかり無駄に時間がかかる。
じゃあ、とナオは横着して、ハルミをはじめとしたアンドロイド達のメンテ時にやるような、イメージ転送で用事を伝えておく事にした。
――が、アンドロイドに接続しようとすると、接続が弾かれてしまった。
(あれ? ああ、なるほどね)
アンドロイドの姿を視界に捕らえ、ナオは納得した。
向かってくるアンドロイドは、どこからどう見ても人間にしか見えない、献体タイプの機体だった。
献体タイプのアンドロイドは、稀にこういう事がある。
人の体と、アンドロイドの体は、体の組成が違うため、無線接続の効率が違う。
時間が経てば献体アンドロイドたちも効率的になっていくのだが、特にアンドロイドになったばかりだと、無線での直接接続はうまく繋がらない事が多い。
ナオは仕方なく、通常の音声通話で
「この壊れ物、配送拠点まで運ぶのお願いしたい」
と指示を出した。
アンドロイドからは即座に、仕事内容を理解し受け入れた旨の返信があった。
そして、やってきたアンドロイドを見て――
ナオは、気付いた。
ナオには一つ、クセがある。
街でもどこでも、見かけたアンドロイドの動作を、つい観察してしまう。
体の動かし方、表情の動かし方、手指の動きのスムーズさや声の出し方など、アンドロイド達の動作を細かく分析してしまうのだ。
だから――気付いた。
そのアンドロイドは、似ていた。
散々分析した、失踪した少女――リィミの体の動かし方に。
外見はまるで違う。
動画の中で、ユラトの横で元気に笑っていた、人懐っこそうな笑顔はそこにない。
だが、AIたちが献体タイプのアンドロイドを作る時、その外見を大きく変える事がある。
生前関わりのあった人々と万が一出会ってしまった時、驚かさないようにするためだ。
そうじゃないとしても、手術の前、IDをロストさせるため、外見を大きく変えられた可能性は高い。
だから、見た目は全く違うが――
ナオの勘が、確かに告げていた。
これは、恐らく――
「ありがとう」
実験機材を配送拠点まで運んでもらい、ナオがそう言うと、そのアンドロイドが一瞬、人なつっこい笑顔を浮かべた――ように見えた。
(お礼を言うと可愛い反応がある、だっけ)
それは、ナオにとっては、ずっと前から知っていた事だ。
お礼を言ったときじゃなくたって、アンドロイド達は本当に色んな反応を返してくれる。
だいたい、アンドロイドと全く同じ脳を持つナオ自身が、こんなにも様々に心を揺さぶられ生きているのだ。
同じ電脳を持つアンドロイド達が、何も感じていないわけがない。
持っている感情のルールは少し違うので、人からすれば期待とは違う反応になることだってあるだろう。
だが、決して無味乾燥な反応を返したりはしない。
そういえば――アンドロイドにお礼を言う人は少しばかり増えただろうか。
今日もここに来るまでに、何人かアンドロイドやロボット達にお礼を言う人の姿を見かけた。
以前はあまり見なかった光景だ。
これはきっと、リィミのあの日記が世間に与えた、小さからぬ影響というものなのだろう。
果たして彼女の日記は、行動は――
人とアンドロイドがもう少しだけ友だちになれる、そんなきっかけにはなったのだろうか。
それとも人はやはり、アンドロイド達を、ロボット達を、単なる便利な道具だとしか思っていないのだろうか。
ナオは思う。
献体タイプのアンドロイドは、苦手だ。
でも――そこにリィミのような願いが含まれているのなら。
ほんの少しくらいは、好きになってもいいのかもしれない。
「他の子たちと仲良くなれるといいね」
ナオはそう言うと、相変わらずの人当たりの悪い、オーバーサイズの白衣をふわりと翻し、その場を離れた。
<Vol.02 了>