02-029 キヤマダ
「ハルミさん、どうにかできる?」
「はーい」
ナオの指示で、ハルミはあっさりと目の前の厚い扉を開けてみせた。
普段の穏やかで麗しい姿からはまるで想像できないが、ハルミはナオによってカリカリにチューンされたアンドロイドだ。同型のアンドロイドよりもずっと強く、そして賢い。ぶ厚い扉を壊さずに開けるなど、朝飯前のタスクだ。
扉の向こうには地下へと続く階段があり、その先からキヤマダの動く物音が微かに聞こえる。
一同が階段を下りると、そこには着替え終えたのだろう。
パリッと整ったスーツ姿で少しばかり驚いた表情のキヤマダがいた。
「おや……扉を破るのは感心しませんが」
「破ってないから大丈夫」
言いながらナオはハルミと連携し、素早く室内の設備に目を走らせる。
室内は、実験室、といった趣だ。様々な機材とロボットが並んでいる。
恐らくは、リィミの電脳化の実験もここで行われたのだろう。
それに関係しそうな機材もいくつか見つかる。
「へぇ、面白そうな実験室」
「お嬢さんにもわかりますか」
ナオはお嬢さん、という言葉にピキピキとほんのり青筋を立てる。
だが、この男には子供だと誤解させておくのも悪くないだろう。
相手を油断させるのには、この外見は役に立つ。
ナオはぐっと堪え、好奇心でわくわくしている子供のような表情をあえて作った。
そして、あらためて室内を検分し――
ナオは違和感を感じた。
機材はたしかに、しっかりしたものが揃っている。
だが、その研究機材からは、何を研究しているのか、何に腐心しているのかがいまいち掴めない。
普通、研究室を訪ねれば、そこに並ぶ機材から、その研究室の主がどんな研究をし、どんな課題を抱えていて、何を目指しているのかが分かるものだ。
なのにこの実験室には、それがない。
ただただ最新鋭の機材があるだけ。
繰り返し使われた形跡もなく、中にはうっすらと埃の積もっているものすらある。
実用性のない、ファッション家具として置かれているだけの実験機器。
見せかけのハッタリ。
ナオの目には、この研究室が、そんなものに見えた。
「おじさんは、何のために電脳移植を?」
ナオは子供を装い、かわいげのある声でキヤマダに尋ねた。
――別に、出しゃばるつもりはなかった。
警察から依頼された仕事は、先程の会話でほぼ解決している。
だが、キヤマダの口から電脳移植という言葉が出た以上、黙ってもいられなくなった。
先の出来事で自身の電脳に起こった変化は、まだ誰にも言っていない。
はっきりと知っているのはこの世で助手だけのはず。
だが、恐らくは、バレている。
どこかにナオの変化についての情報がすでに漏れている。
ナオはそう考えていた。
ゆえに、電脳化の実験を行ったと言われれば、その実験の動機と情報の出所を把握しておく必要がある。それは、電脳という特別な脳を持つ人間の責務だ。
「それはもう、人の可能性を広げるためですよ」
「人が電脳になると、何がすごいの?」
「人よりもずっと早く、深く思考ができると伺ってます。三原則のような余計な制約もなく、自由にAIと同じ速度と深さで思考できる、と」
キヤマダの、どこか自分に酔うような口調。
なるほど、少なくともこの男は、人間に移植された電脳にも一定の制約がかかる事を知らない。
それが知れただけでもよしとするべきか――
「電脳移植のメソッドを確立させれば、私の名は世に広まるでしょうね」
陶酔したように続けるキヤマダ。
それがこの男の欲か、とナオは内心でげんなりする。
「でもおじさんの名前、論文とかで見た事ないけど?」
「おや、お嬢さんは小さいのにお詳しいのですね。確かに私に研究実績はありません。中途半端な実験成果など出すだけ無駄ですからね」
「そ」
「ですが、十分な知識と経験を持っている自負はありますよ」
「へぇ」
「それこそ、実際に電脳移植を成功させたラクサ・エイジ博士に並ぶほどのものをね」
「ふーん……?」
「博士は運がよかった。赤子の脳の移植をする機会なんて滅多にないですからね」
キヤマダのその言葉に、ナオの表情が、静かに怒気を孕む。
運がよかった?
その「運」を掴むために、一体どれほどのものをラクサ博士が積み上げてきたと思っている?
それに、手術の機会を得たからと言って、そこで誰でも成功できるわけではない。
チャンスを得たその時に、全ての準備ができている人間だけが成功するのだ。
果報は寝て待てというが、それはただ寝て待っていればいいということじゃない。
もうこれ以上やる事が無く、寝て待つしかないところまで準備をやり切れ、という事だ。
だというのに――
「あの場私がいたのなら、歴史には私の名が残っていたはずです」
この男のこの得体の知れない自信は、いったいどこから来るのだろう。
それとも、実は本当に膨大な知識と経験を積み上げているのか?
いや――この研究室で、それはない。
おそらくは、お山の大将。井の中の蛙。
愚かであるからこそ、己の身の程を知らず、自信を持っていられるのだろう。
ナオの心の中で、何かがプツンと切れた。
ポケットからキャンディを取り出し、咥える。
こんな男の事で加速するのは本当に癪だ。
助手ごときのために己の命を危険に晒したあの時よりもっとずっとずっと腹立たしい。
とはいえナオだって研究の徒だ。何の証拠もなくあれこれと断定するわけにはいかない。
ナオは思考速度を上げ、目の前のキヤマダという男について、情報を集め、分析を開始した。
――が。
ナオが思考速度を上げた途端に、ナオは考える意味を無くしてしまった。
――あまりに、浅い。
ナオが知りたかった答えは、公開されたSNSに全て書いてあった。
電脳化の実験についても、何者かの入れ知恵という事ではなさそうだ。
すごい実験として歴史に残るものなので、それをやってみたい。それだけが動機の、単なるワナビーの憧れ。
そう、SNSに書いてある。隠れた動機も信念も何もなさそうだ。
電脳化実験の研究実績も、そもそも研究をしている痕跡すら何も無い。
唯一気になる事があるとすれば、妙に適切な実験機材がこの部屋に揃えられている事くらいか。
電脳移植周辺に詳しい人間と繋がりはあるのかもしれない。
その辺りだけはしっかりと調べてみたほうがいいだろう。
いずれにせよ、この男は――恐らく何もトライしていない。
実験して、検証して、失敗して、条件を変えてまた実験して。
そんな、学者を名乗る者なら誰もが当たり前にやっている果てしないサイクルを、この男はまったく通り抜けていない。
分かりやすい安易な方法と、安易な結果に飛びつき、批判の目に、検証の場に出てくる事もない。
戦う価値すらない。
二流以下。三流と呼ぶのすらおこがましいかもしれない。
研究者としては三流以下。研究者と呼ぶ事すら憚られる。
そんな男が、貴重な命を一つ使って、貴重な実験を行い、無駄に失敗した。
そんなの、もはや悪夢でしかない。
せめて、もう少しだけ、まともな研究者の元で実験が行われていれば――
そうすれば、結果は同じだったとしても、せめてもっとまともな実験成果が残っただろう。
リィミの次に誰かが電脳化を望んだ時、それを叶えるヒントになったかもしれない。
そう考えると――怒りしか沸かない。
この男をこのまま放置していいのか?
また、同じような事が起きるのではないか?
それに――厄介だ。
科学者として、研究者としては、二流以下。
そのくせ、才がある。
マーケティング的な感性が、ずば抜けている。
SNSで繋がる人間も多く、何かの情報を広めたり、扇動する事に関しては、恐ろしい才能を感じる。
だから、厄介だ。
こういう男が、世の中をややこしくする。
中途半端な知識と経験を元に、疑似科学的な情報で世間を惑わせ、巧みな情報操作で扇動する。
もちろん、そんなもの、いくらでもAIたちがファクトチェックをして弾いてくれる時代ではある。
だが、不注意な人間はそんな簡単なチェックすらしない。目に飛び込んできた情報をそのまま信じて騒ぐ。
そして、それで不利益を被るのはいつだって、真摯な研究者や、真面目に生きている人々だ。
そんな場面を、いち研究者として、たくさん見てきた。
なぜ、そこで発揮できる才覚が、研究に活かせないのか。
いや、それが才覚――無自覚の才能であるからこそ、別の分野で再現したり応用したりできないのか。
とにかく――この男は、放置できない。
「おじさん、お金稼ぐの上手そうだし、そんなに研究の成功が欲しいなら、優秀な研究者にお金でも渡せばいいんじゃない? 資金を求めてる研究者さんはたくさんいるよ」
「それじゃ私の成果にならないじゃないですか」
「……そ」
さもつまらなそうに言うキヤマダのその返答に、無邪気を装うナオの纏う空気が、一気に冷えた。
「じゃ、もう研究は諦めたほうがいいよ」
そう言うとナオは、ARで何かを操作する素振りを見せた。
しばしの間をおいて――みるみるうちにキヤマダの顔色が変わっていく。
キヤマダは慌てた様子でAR操作を繰り返し、「まさか……そんな……」と繰り返し呟いている。
「何かしたんですか?」
ケイイチが小声で尋ねると、
「ちょっとした嫌がらせ」
ナオはそう言って、いつもの悪戯めいた笑みをその表情に浮かべた。
ナオがやったことはシンプルだ。
自身が書いた論文など、公開している研究資料にアクセスできないよう、キヤマダをブラックリストに入れた、それだけだ。
この時代、著作権のような権利関係は、AIたちの力を借りてかなり厳密に管理運用されている。
見せたくない相手には、自分の著作物を、電子・物理問わず、完全に閲覧できなくする事も容易い。
ナオがブラックリストに入れたことで、キヤマダはこれ以降、ナオの研究資料に一切アクセスできなくなる。
加えて、ナオの学術界での影響力はかなり大きい。
ナオの論文を引用する論文はすぐさまキヤマダをブラックリストに入れるだろう。
SNSなどを通じてナオと繋がりのある研究者達も、多くが同じようにキヤマダをブラックリストに入れ、自身の論文へのアクセスを禁止するだろう。
研究に関わる機器を販売する企業なども、信頼できない相手としてキヤマダへの販売を停止する可能性もある。
つまりこの瞬間、キヤマダは最先端の研究に関する人や情報・技術へのアクセスを、かなりの部分失ったのだ。
「な、なぜそんな事がお前にできる? まさか玖珂ナオの関係者なのか?」
何が起こっているのかを理解したキヤマダは、わかりやすく取り乱していた。
「お、教えろ玖珂ナオの正体」
この期に及んで目の前にいるのが本人である、という可能性には思い至らないらしい。
まあ、この場、この状況でこの少女が玖珂ナオ本人だと思えるほうがおかしいのかもしれない。
助手という立場で関わるケイイチですら、未だにどこか信じ切れていないのだ。
正体を知った後のケイイチのような気持ち悪さで迫るキヤマダに、ナオは些かげんなりしつつも、しかし目的は充分に果たした。
あとはユラトに任せる、とばかりにナオは一歩引いた。