02-028 正体
だが、そのナイフは何も傷つけはしなかった。
ハルミが、その手を掴んで止めていたからだ
ナオたち一同は、いつの間にか牢から抜け出ていた。
鉄格子などというものは、ハルミのようなアンドロイドにとっては無いに等しい。
それに、いくら私有地に侵入したとて、勝手に人の自由を奪うことは許されない。
元々、出たいと思えばすぐに出られる状況だった。それをナオがわざと止めていたのだ。
「そ、それは、何ですか?」
ユラトの手に光る刃を見つめ、キヤマダの表情が、驚きと恐怖に染まっていた。
どこか狡賢そうな男ではあるが、存外小心者なのかもしれない。
「お前が……リィミを……」
「リィミ? ああ……あの下品な女の事か」
「……っ!」
ユラトが激高し、言葉を失う。
「リィミを、実験台にしたのか?」
「あ……ああ、なるほど、お知り合いだったんですね」
キヤマダもようやく事態が飲み込めてきたようだ。
「ま、まぁまぁそんな怖い顔をなさらず」
キヤマダは立ち上がり、一つ咳払いをする。
「実験台、というのは少々言葉が悪いですね。きちんとリスクとリターンを説明して、合意をいただいた上ですよ?」
キヤマダはそう言って、ARで一枚のドキュメントを見せた。
可愛らしい文字で書かれたリィミのの署名、そしてAIによる意志を含めた契約の認証ログがしっかりと刻まれている。
「まったくとんだビジネスパートナーだ。今後の契約、考えないといけませんね」
書類を確認する一同をよそに、キヤマダはスーツの襟を整え、スラックスの埃を払う。
そして尻餅をついたときだろう。スラックスのお尻のあたりが破れていることに気付き、
「おや、服が破れてしまった。着替えて来ますので、少しお待ちいただけますか」
それだけ言うと、キヤマダ「あー怖い怖い」と言いながら、部屋の奥の扉の向こうに消えた。
「待て」
立ち去るキヤマダをユラトは追おうとするが、キヤマダが通り抜けた後に即座に閉められた、ぶ厚い扉に阻まれた。
◇ ◇ ◇
「あれは、何?」
キヤマダが去った扉に目線を向けながら、ナオがユラトに問う。
「あれが黒幕?」
「そう……なるのかな。……でも、僕も黒幕の一人なのかもしれない」
「そういうのいいから事実だけお願い」
ナオの言葉に、ユラト目を丸くする。
「そういう人なんですみません」
「助手ステイ」
「わん」
「よしよし」
「えっと……僕がコスプレキットの開発者、キヤマダさんが量産と販売とマーケ担当」
「なる」
「事の顛末はさっきの通り」
「キミの知らないところでリミリミがあの男と繋がって実験台にされた、と」
「そう……みたいだね」
ユラトは悔しそうに俯き、その手を小さく震わせている。
「何だよ……電脳移植の実験って」
「その実験のためにIDロストさせた、か」
ナオは少しばかり忌々しげに呟く。
AIたちは、リィミのような未成年者の命は、いつ如何なる場合も徹底的に守り抜く。
それゆえ電脳移植のような生命に危険が及ぶ手術は、どんな合意があろうができないはずだ。
それを覆すため、リィミのIDを失わせ、保護対象外の状態にする必要があった、ということなのだろう。
「まさかあの人がそんな事をする人だとは思ってなかったんだ。でも、リィミの最後の場所がここだったから、もしかして、って思って」
「だから乗り込んで悪ぶって話させた?」
「うん」
「それをやるために炎上の時に燃料追加したの?」
「いや……あの時はまだキヤマダさんがそんな事してるなんて思ってなかったから……。
少しでも情報が欲しかったんだ。炎上した時のみんなの調査能力って凄いからね」
「なる」
「ラトさん悪い人じゃなかったんですね……」
「悪い人間さ。リィミをこんな目に合わせて」
そう言うユラトの表情には、強い後悔の念が見て取れた。
「僕がキヤマダさんみたいな人と繋がってなければ、リィミもきっとこんな事にはならなかった」
そんなユラトに対して――
ナオはわざとらしくため息を一つした。
「くだらない」
吐き捨てるように、一言。
過ぎた事に仮定を持ち出して悔やむなんて、時間の無駄だ。
過去は、変えられない。
過去に遡行できるタイムマシンなど実現し得ない。AIによって進展した物理学がそう結論づけている。
変えられないものを悔やむ暇があるなら、未来を少しでも良くする事に使う。
それが、ナオのポリシーだ。
「ボクは確認しなきゃいけない事があるからあの男を詰めるけど、キミはどうする? ここでメソメソでもしてる?」
「……行くよ」
キヤマダの口から聞かなくてはいけない事がある。
ユラトは顔を上げた。