02-025 背景
◇ ◇ ◇
「悪趣味」
縦に幾筋も引かれた鉄の棒を目の前に、ナオが不快げに小さく吐き捨てる。
あまり人の事を悪く言うのは気が引けるケイイチですら、今回ばかりはナオの言葉に同意せざるを得ない。
警備ロボットに捕まった二人と一機は、鉄格子の中にいた。
いまどき、鉄格子の牢屋というのもなかなかに前時代的だ。
さすがにこんなもの、元からこの家にあった設備だったとは思いたくないが、急ごしらえの3Dプリントだとしてもそれを作るという発想自体がなかなかに趣味が悪い。
見回せば室内も、いかにもお金をかけました、という調度品が並び、無駄に眩しい。
そんな品のない空間の中で、ナオは分かりやすく不機嫌そうだ。
「どちら様で?」
そんな一同に、声をかける男が一人。
どこかねちっこいが、ギリギリ不快感はない。そんな喋り方だ。
質の良さそうなパリッとしたスーツの下には、引き締まった肉体。健康的なツヤツヤとした浅黒い肌。
そんなヘルシーな見た目にもかかわらず、どこか得体の知れなさが漂うのは、その細いキツネ目のせいだろうか。
悪い人間ではなさそうなのだが、なぜだかどこか胡散臭い。
そんな男だった。
そして、その隣に――
「ケー君……?」
ユラトの驚いた表情があった。
先程の強制通話の時とは違う、こちらもきちんとしたスーツ姿だ。
「おや、雨谷さんのお知り合いで?」
「ええ、まあ……。でも、どうしてここに……?」
「えっと……あの……その……」
「怪しいユラユラを追跡」
口ごもるケイイチの代わりに、ナオがあっさりはっきり言う。
単刀直入。いつだってそれがナオのスタイルだ。
「……なるほど」
「ユラユラはここで何してるの?」
「別に怪しい事じゃないよ」
ユラトはそんなナオに動じる様子もなく、さらりと返す。
「この人にコスプレ衣装の製造販売をお願いしていてね。その報告会、みたいなもの」
「キヤマダと申します」
キヤマダと名乗った男は、丁寧に頭を下げた。
「して、こちらの方々は?」
「ああ……ええと、こちらの彼は趣味つながりの友達でして。キットの監修なんかにも協力してもらった事が」
「なるほど、例のコミュニティ方面のお知り合いの方ですか」
「ええ。で、彼女は彼のつながりで、ええと、警察方面にも顔の利く子でして」
「ほう……?」
警察、の一言に、キヤマダの表情に小さく警戒の色が灯った。
「で、僕が今日色々あったでしょう? 心配されたみたいで」
「ああ、なるほど」
かばってくれた……のだろうか。
それとも本当にそう思っているのか。
何れにしても、キヤマダは、ユラトのその説明で納得はしたらしい。
その表情から、分かりやすく警戒の色が抜けた。
「とはいえ敷地に勝手に入るのは感心しませんね……」
「そこは僕が心配かけてしまったせいな部分もあるんで……勘弁してあげてください」
「雨谷さんがそうおっしゃるならまあいいでしょう」
「お騒がせしてしまってすみません」
「いえいえ。……で、どうします?」
余計な邪魔が入りましたが、話は続けますか? と目で問うキヤマダに、
「聞かれて困る話でもないですよね?」
「まあ……そうですね。お知り合いということであれば」
「じゃ、とりあえずこのまま進めましょう。ケー君たちもちょっと待っててね」
ユラトはそう答え、ケイイチ達に向けて申し訳なさげに小さく手を合わせた。
ナオが不機嫌そうに、ケイイチは申し訳なさげに頷くのを確認し、ユラトはあらためてキヤマダと向き合う。
「さて、データはお渡しした通りですが」
「はい」
「雨谷さんのお陰もあってすばらしい売上です」
「そうですか」
「こちらが今後の予測です。今回の一件で、かなりの売上が見込めそうですよ」
「それはよかった。製造のほうは?」
「滞りなく」
「さすがですね」
「いえいえ」
キヤマダがどこか悪い笑みを口元に浮かべる。
ユラトの表情はケイイチの立ち位置からはっきりとは見えないが、なんとなく同じような顔をしている気がした。
「しかし……雨谷さんがああいう形で乗ってくるとは思いませんでしたよ」
「あれに乗らなきゃ配信者の名が廃りますよ」
「さすが、名のある配信者はこういう機会を逃しませんか」
「いえいえ僕なんてまだまだで……」
そんな「大人」な会話をする二人に、ケイイチはただただショックを受けた。
「じゃあ……」
これは、つまり――
思わずケイイチの口から漏れた声に反応し、ユラトがケイイチの方に顔を向ける。
横でつまらなそうにしているナオの様子もちらりと確認し、ユラトは言った。
「ナオちゃんはわかってたみたいだね。ケー君も気付いたかな?」
「……」
「炎上マーケティング、っていう使い古された手法さ」
「そう……なんですね」
「うん」
できればユラトの口から聞きたくはなかったその言葉。
当たってほしくなかったナオの予想が、どうやら的中したらしい。
ナオにすでにその可能性があることを聞かされていたとはいえ、やはりユラトの口からはっきりとそれを聞かされると、ショックが大きい。
「僕だって別に慈善事業でやってるわけじゃない」
何も言えなくなってしまったケイイチの前で、ユラトはさも当然、とでも言わんばかりの様子でそう言った。
「数字を追いかけないなら、動画配信なんてやらないしね」
炎上マーケティング。
高度に情報化された社会では、関心がお金に変換できる。
それは、必ずしも好感や好意じゃなくていい。
反感でも何でも、関心さえ集めれば、それは広告として使える。
ユラトが下手を売って炎上し、攻撃的なものであってもたくさんの耳目を集めれば、当然あの日記に関心が向く。
日記に関心が集まれば、少なからぬ人間が、アンドロイド姿になりきるというその特殊なコスプレに興味を持つ。
実際、コスプレキットを買ってみたとか、コスプレキットを試してみた、みたいな人は今、SNSに溢れており、それが売上という形になって、この二人の元に大量に転がり込んできているのだ。
「どれだけ良い物を作ったって、知られなければ届かないからね」
つまり、ユラトが炎上に対して、あんなあからさまな悪手を打ったのは、コスプレキットを売るため。
炎上にわざと油を注ぎ大火を起こせば、そこからさらにたくさんの耳目を集める事ができる。
それは、ユラトの商売にとって、見ようによってはまたとない貴重な機会だ。
言いたい事は、わかる。
ユラトがやっているのは、商売だ。遊びじゃない。
ケイイチは商売なんてやったことはないが、商品を知ってもらう事の重要さや、そこに心血を注ぎこむその努力は理解できる。
けど、だとしても、こんなやり方は――
だって――
きっかけになったのは、あの日記なのだ。
全く知らない相手の日記じゃない。
ユラト自身が仲良くしていた相手。
しかも失踪状態にあり、生死も不明の相手。
そんな旧知の友人の日記を、いい機会だと金儲けに利用するだなんて、そんな――
ケイイチの胸の内に、戸惑いと、よくわからない怒りのような感情が湧き起こる。
それと同時に、とてもとても嫌な想像が、脳裏をふとよぎった。
まさか――
まさか、リィミさんの失踪そのものに、この目の前の好青年が関わっていたとしたら――?
そんなこと――
ケイイチは脳裏に浮かんだそれをどうしても信じたくなくて、ぶんぶんと首を左右に振った。
でも――その想像を止める事ができない。
こんな出来事を炎上マーケティングに利用するような人間が、果たしてそんな正しい倫理観を持っているだろうか?
これまで接してきた様々なヒーロー物語で、一番悪い奴はどんな姿をしていた?
悪辣な人間であればあるほど、普段は分厚い善人の仮面を被っている。
そんな物語をたくさん見てきた。
じゃあ……?
だが、やはり、信じられない。信じたくない。
ユラトとは、コミュニティでそれなりに長い時間付き合ってきた相手だ。
たくさんのコミュニケーションを重ねてきたし、色々助けてもらった事もある。
ユラトはいつでもニコニコと明るく、コミュニティ内でもムードメイカーであり、気のいいお兄さんとして、コミュニティ内での信頼も篤い。
そんなユラトの言動が、行動が、全部上っ面の仮面だったなんて、とても信じられない。
じゃあ、一体……?
ケイイチは、助けを求めるようにナオを見る。
ナオは無言で、ユラトをじっと見ている。
その目は、表情はただただ冷静だ。
その横顔を見て、思い出す。
ここに来る前、この小さな先輩は何と言った?
『信じる、なんて意味ない』
そうだ。
嫌な想像をしてもいい。疑ってもいい。いくらでも疑えばいい。
でも、信じてはいけない。
正しいことは、疑い抜いた先にしかない。
疑いながら、ちゃんとした事実を集めて、疑いを晴らしていけば、事実が残る。
――だから、今は。
自分の悪い考えも信じない。
証拠も何もない今は――ただ、祈るしかないのだろう。
ケイイチはユラトを見つめた。
その口が、リィミの失踪に関与したと言い出さない事をただ祈りながら。