02-023 疑義
◇ ◇ ◇
目の前からユラトが消えた直後、視聴覚が再び謎のノイズに包まれ、ケイイチの視界は見慣れた元のARルームに戻った。
「さっきのって一体……」
ナオが首筋のケーブルを外し、後片付けらしき事を一通り終えるのを待った後、ケイイチが訊くと、ナオは答えの代わりにイタズラめいた笑みを浮かべただけだった。
ナオがこういう顔をする時は、だいたいはケイイチには理解の及ばない謎技術を使う時だ。もはや何も分からない事を納得するしかない。
「へぇ、早速動いたね」
「え……何がですか?」
「ユラユラ」
「……?」
「ユラユラが動いた」
「動いた、とは……?」
「多分、ボクがさっき伝えた住所のほうに動き出した」
「え……? っていうか、なんでそんな事が……?」
ケイイチの問いに、再びナオは無言で笑みを浮かべた。
先程の強制AR通話といい、謎技術が多すぎる。
助手としての立場も何もあったもんじゃない。
にしても、こうしてラトさんに謎技術まで使ってコンタクトを取るということは――
「もしかして……ラトさん疑ってますか?」
「当然」
「そう、なんですね……」
「近しい人間が一番怪しいのは常識」
言いながら、ナオは一つの折れ線グラフを目の前に表示させた。
長らく地を這っていたグラフが、最後の一点だけ急にぐんと跳ね上がっている、そんなグラフだった。
「これ、ユラユラのコスプレキットの売上」
「……?」
よく見れば、横軸は日付であり、最後のグンと跳ね上がったのが今日の日付になっている。
つまり、リィミの日記が公開された今日、売上がとんでもなく膨れ上がっている、という事か。
「たしかにキット買ってコスプレしてみた、みたいな動画も山のように見ます……けど?」
リィミの日記にに影響を受けた人、検証する人、動画のネタとして、など理由は様々だが、
キットを買って試す動画や静止画が今、山のように投稿されている。
さぞや売上は増していることだろう――が。
「例えばこれが全てユラユラが仕掛けた炎上マーケだったとしてもボクは驚かない」
「……!」
ナオの一言に、ケイイチの顔が驚きに染まる。
ああ、やっぱりこの助手はそれくらいの事も想像できてなかったか、とナオは少しばかり呆れ顔になった。
「じゃ、リィミさんの失踪の件もラトさんが犯人って事ですか?」
「それは分からない」
「で、ですよね?」
「でも関係してる可能性高い」
「そうじゃないと信じたいですけど……」
「信じる、なんて意味ない」
「……」
「人は疑うことで安全を作ってきたし、信頼は疑い抜いた先にしかあり得ない」
「そうかもしれないですけど!」
ケイイチのような愚か者は、何の根拠も証拠もなく不安がったりする。
希望や願いで目を曇らせたりする。
だが、正しいことなんてどうせ一つしかないのだ。
きちんと証拠を揃えて、正しい論理で考えさえすれば、必ず答えは出る。
もちろん、情報が簡単に隠蔽され、忘れ去られていく世界ならそうもいかないかもしれない。
だが、AI達が正確な情報を刻み残し続けるのが今のこの世界だ。
そんな世界で、信じるだの願うだの、ふわっとした事を考える意味などない。
「何が本当か、行けば分かる」
ARの向こうで、ナオはいつもの白衣を羽織り、外出の準備を始めた。
「本当が知りたいなら来な」
ケイイチに時間と場所を示す。
行動しなければ分からない。
どれだけ想像を膨らませたところで意味はないのだ。
博士との一件だって、ナオが動かなければあの結末にたどり着けなかった。
どんな優れた脳を持っていたとしても、前提を間違えたら必ず間違った答えが出る。
行動力の権化、とケイイチが評したナオは、その実ただただ実直に、正確な情報を集めようとしているだけだ。
本当に正しい情報は、動かなければ、自分の場所や視点を変えなければ見えない事がある。
ナオは念のためギンジに状況と情報をシェアし、ハルミと一緒に、ユラトの向かったその先に向かった。
ナオの出て行ったARルームでケイイチは一人しばし考え込み――少しの間をおいて、外出用のアウターに袖を通した。