02-009 日記
◇ ◇ ◇
「先輩!」
翌日、ナオはやたらと慌てたケイイチからのARコールに叩き起こされた。
基本的にナオはあまり眠る必要はないのだが、昨日はケイイチの助力でゲットした鉢のおかげで盆栽いじりが面白くなってしまい、遅くまであれこれやっていて体力を使いすぎた。
体力の回復にはやはり眠るのが早い。
「……んー」
電脳とて、起きてすぐに絶好調になるわけではない。
ナオは半身を起こして脳と体が完全に覚醒するのを待ち、二三度頭を振ると、ボサボサの頭を雑に整え、ARルームにインする。
――と、すぐに、
「に、日記が公開されてラトさんが炎上してまして」
「なんて?」
慌てた様子で勢いよく喋るケイイチの、しかしその言ってる意味が全く分からない。
「リィミさんのっぽくて、日記が」
「おちつけ」
「す、すみません」
「深呼吸」
「すぅー、はぁー」
「で、何?」
「えっと、日記が、公開されてまして。話題になってて。ネットで」
「日記?」
「その日記が、リィミさんのっぽくて」
「?」
要領を得ないケイイチの説明から何とか筋を捕まえ、ナオはネットで話題になってるニュースを漁り、関係しそうな記事を探し当てた。
「これ?」
ナオは『【悲報】コスプレイヤーさん、アンドロイドになりきって酷い目に遭う』と題されたネット掲示板のまとめページを見つけ、そこから辿って話題になっているという日記を掘り当てた。
「それです!」
「これ……なるほど」
すぐに目を通し、ケイイチの言わんとした事を理解したらしい。
ナオは目を閉じて数秒の間黙り込んだ。脳内で持っている情報と照合させたらしい。
「日付と行動ほぼ一致」
「ということは……」
「100%じゃないけど、リミリミの可能性かなり高い」
「ですよね。コミュのみんなももしかして、って」
「で、炎上って?」
「その日記の影響でラトさんの動画チャンネルが炎上してるみたいです……」
「なる」
◇
発端は、昨晩公開された、一人の少女の日記だった。
コスプレイヤーと思しき少女が、アンドロイド姿にコスプレして、アンドロイドになりきって過ごす一週間を記した日記だ。
軽い口調で書かれてはいるが、その内容はまったく軽くない。
アンドロイドになりきる事で体験することとなった、お世辞にもあまり幸せではなさそうな日々が記録されている。
匿名で公開された日記ではあったが、アンドロイドのなりきりコスプレをやる少女なんて、そうそう滅多にいるものではない。
さらにところどころにユラトらしき名もあり、他のコミュニティメンバーらしき人間も登場するしで、コミュニティでも最近音信不通になっているRIMさんの日記なのでは、という話になっていた。
そして何より、日記のラストが――
これはもしかして――と、慌ててナオに連絡した、というわけだ。
「でも、口調というか色々イメージと違うからみんな戸惑ってる感じで……」
「ああ」
コミュニティでのリィミの言動や行動は、一通りナオの頭に入っている。
コミュ内でのリィミは、とても礼儀正しく、真面目な女の子、といった印象だった。
公開された日記のほうは、いわゆるギャル的なノリであり、そのイメージとはかなり遠い。
「動画のリミリミの雰囲気からしてこっちが素かもね」
「ああ……」
ユラトと一緒に映った映像で見たリィミの姿――印象的な赤メッシュと少し濃いめの化粧、全体的に肌の露出の多めの服装は、言われてみれば確かにギャル的なファッションにルーツがありそうではあった。
「ギャル、礼儀にはうるさいって話ある」
「そうなんですか?」
「だからコミュでは礼儀正しくしてたのかも」
陰の者であるケイイチには、リアルで陽の者たるギャル的な子達との繋がりなどあるはずがない。
オタクに優しいギャルなどというものは、この世のどこかには実存するのかもしれないが、接点がなければそれは存在しないに等しい。
ゆえにギャルの世界が意外に上下関係に厳しいとかそんな事、ケイイチが知るよしもない。
それで言うならナオのほうこそ若者文化とは遠いところで生きているのだが、学校に通っていた頃のクラスメイトや、仕事で関わった中にはそういったカルチャーに近い人間もいたため、付き合い上の必要から、知識としては一通り頭に入っていた。
「ユラユラのほうは……なるほどね」
すぐさまアシスタントAIに情報を集めさせたらしい。
ナオは数秒AR空間に視線を走らせた後「ふーん」と息を漏らした。
炎上の概要は把握したようだ。
リィミが書いたと思しきその日記は――解釈は様々なれど――ショッキングな形で終わる。
そのショックが、多くの人の心に様々なネガティブな感情を巻き起こしていた。
その結末へと導いたのは、リィミがアンドロイドのコスプレを行った事。
そして、そのコスプレ衣装は、ユラトが作ったもの。
その事実が、人々のやり場のない気持ちの矛先を、ユラトに向けさせていた。
曰く、
「コスプレ衣装がなければこの子はこんな危険な目に遭わずに済んだ」
「こんな危険な衣装を販売した責任を取れ」
「こんな危険な衣装で金儲けは許せない」
そんな声が方々から上がり、議論が沸騰している。
動画チャンネルで公開していた動画の一部が恣意的に切り取られ、等比級数的に拡散されていく。
「ひどいね」
「……はい」
ほとんど、言いがかりだ。
だが、そんな事を言いたくなる気持ちも、分からないでもなかった。
それほどまでに、リィミの日記の内容が、重たかったからだ。
ケイイチはあらためて日記を読み直し、リィミの行く末を案じた。