02-008 協力
◇ ◇ ◇
「す、すみません、時間かかってしまって……」
指定された時間の倍以上の時間をかけ、ようやくナオ邸に到着したケイイチは、ナオ邸の玄関を入るやいなや、ぐったりと床に突っ伏した。
慣れない姿勢と格好で動き回り、世紀末な二人に追い回された以外にも色々とあった上、ブラインドエリアのようなヤバい地域を抜けて来たことで、心身の疲労が積み重なりすぎた。
しばらくはこのまま動けそうにない。
「なんでそんなボロボロ?」
「……色々ありまして」
ぐったりとするケイイチに、ナオは呆れた目を向ける。
とりあえず、指令よりだいぶ長い時間かかってしまったことについては不問のようなので、ケイイチは内心ホッとする。
だが、無駄に意識と理想の高いケイイチとしては、せめて3時間くらいで到着したかった、と己の無能さを呪った。
もう何というか色々と踏んだり蹴ったりだ。
唯一の救いはハルミさんが汚いものを触るようにしながらもお世話をしてくれる事。
ああ……久々の生ハルミさんがいるここは天国かこのまま昇天したい。
「なるほど、助手の下手なアンドロイド偽装じゃ、IDロストする可能性はゼロだね」
ぐったりするケイイチを横目に見つつ、ナオは何やらAR作業をしつつそう言った。
言われてようやくケイイチは理解する。
何かのトレーニングとかプレイ的なものかと思ってM心をいたく刺激され、密やかに興奮していた部分もあったのだが、さすがに全く無意味な事を無駄にさせるほどナオも鬼畜ではなかったらしい。
「……その検証だったんですね」
「そ」
どうやら失踪した少女――リィミがアンドロイドなりきりコスプレイヤーだったと知って、コスプレが失踪に繋がるかどうかの検証のため、ケイイチをこき使ったという事だったようだ。
「僕がこれやった意味あります……?」
「やった意味あまり無かった事分かったという意味で大成功。ぶい」
「成功とは……」
真顔でVサインするナオの姿に、ケイイチはがっくりとうなだれる。
とはいえ間違いなく貴重な体験にはなったし、ドM的充足感もあり、何よりこの恰好なら、人助けができるという発見もあったので、ケイイチとしては十分な収穫があった。
まあ、人助けのほうは、あまり積極的にはやらないほうがよさそうだけど……。
「にしても、よくできてるね」
ナオはそんなケイイチをあっさり無視して、偽装キットをペタペタと触って検分した。
光学整形のお陰で、目に見えているボディラインと、ケイイチの実際のボディラインには微妙な差違がある。その違いは触ってみなければ分からないので、手で確認しているらしい。
性格その他色々とアレだが少なくとも見た目だけは美幼女ではあるナオが、近距離でそんな事をするものだから、童貞力の高いケイイチは無駄にドキドキしてしまった。
さらにハルミさんが距離を詰めてきた事を察知して、ああ、ナオの身の危険を察して近づいてきたんだな、と無駄に察してしまい、無駄に無駄死にしたさが高まった。
「……にしても、みんなコスプレだって気付かないものなんですね……」
「だろね」
たった数時間のコスプレ体験ではあったが、少なくともケイイチが接した中に、ケイイチがアンドロイド姿をした人間だと見抜いた人は一人もいなかった。
いや、気付いていた人はアンドロイドのコスプレなんていう頓狂な事をする変人にわざわざ近づいてきたりはしないだろうし、たまたま気付いてなかった人だけが近寄ってこれただけなのかもしれないが。
「いちいち相手がアンドロイドか確認する人そんないない」
「そういうものですか?」
ケイイチのようなアンドロイド狂いは、常にレア機がいないかと目を光らせているので、目の前にいるのが人なのかアンドロイドなのか確認するのは当然のことなのだが、一般の人はそうではないらしい。カルチャーショックだ。
「ボクもこれのお陰で何度も面倒な目あってる」
ナオはそう言って長い髪をかき上げ、首筋にある対になったコネクタをケイイチに見せた。
「……!」
「助手よ」
「……な、なんでしょう」
「可憐な女性のうなじを見て興奮する気持ちはわかるけど少しはセルフコントロールというのを覚えた方がいい」
「めっ、ですよ」
「いやあの」
すぐ横にいたハルミさんに両手を押さえ込まれ、ケイイチは身動きを封じられた。
確かにちょっとドキッとはしたが、どちらかというとアンドロイドおたく的な意味での興奮なので誠に心外なのだが、それを言うとそれはそれでヤバい奴に思われそうだし、健全にエロい青少年として理解されているほうがいいのだろうか。まったく人生というやつは本当に難しい。
……っていうか、未だにこの部屋ではケイイチ狼藉監視システムは稼働してるのか……とケイイチは切なさを噛みしめた。
……それにしても。
久々に触れるハルミさんハンドは相変わらず艶やかで美しい。
あれだけのしんどい思いをしてここまで来た甲斐があったというもの。
ケイイチが見るからに気持ち悪い表情を浮かべた――のを、あっさりと無視して、
「ユラユラは今話せる?」
「大丈夫だよ~」
ナオはあらためてユラトを呼び出していた。
「衣装、どうだった?」
「散々でした……」
「ああ……まあ、そういう事もあるよね」
ぐったりしたケイイチの様子から事を察したのだろう。
ユラトの表情がわかりやすく「ご愁傷様」と言っている。
「ラトさんも酷い目にあったことあるんですか?」
「ぼくはほら、この愛されフェイスだしね」
「それはマスクするからわからないんじゃ……」
「あとはまあ、コスプレは悪そうな人の少ないエリアでやるようにしてたからね」
「そういう危険があるのは知ってたんですね……」
「伝えるタイミングなかったからね」
悪びれる様子もなく軽やかにそう言い放つユラトに、ケイイチは何も言い返せなくなった。
「っていうか先輩わざとひどいエリア経路に選んでません?」
恨みがましい視線を向けるケイイチに、ナオは明後日の方向を向いて口笛を吹いた。
「何度かネットも切れてすごい大変だったんですからね……」
「ああ、なるほどね」
ユラトは何かを察した様子でふんふんと頷いている。
実はそういう危ないエリアでないと検証できない事――AIの監視の目が及びにくいブラインドエリアを経由した場合のIDの検証――があったためにケイイチに向かわせていたのだが、気付かぬは被験者本人だけである。
「ところで助手、それ気に入ったの?」
「いや……?」
「帰りの着替え持ってないよね」
「あ……」
「そか、気に入ったか」
ナオはとてもいい笑顔でうんうんと頷くと、
「じゃ、それ助手にあげるからこれからもたまに着てくること」
「えぇぇ……っていうか帰りどうしよ……」
帰り道――は自律車使うとして、またこの姿で家に入って、妹はともかく両親と出くわしたりしたら……などと考えて、ケイイチは頭を抱えた。
「というわけでこの偽装キットが失踪の原因の可能性はない」
「そう、なんだね」
「だからユラユラのせいとかそういう事はない」
「……僕ってそんなにわかりやすい?」
「助手ほどじゃないけどね」
コスプレが失踪の原因になっていたとしたら、ユラトがその責任の一端を負う事になる。
そんな単純な事にも思い至らなかったケイイチは、己の思慮の足りなさに死にたくなった。
「ケー君も体張った検証ありがとうね」
「あ……はい……」
「でも、僕のせいじゃないとしても」
ユラトは何かを決心したように、ナオを見た。
「リィミの捜査って、僕もケー君みたいに何か手伝うことできるのかな?」
おそらく、ナオからの連絡を待つ間に考えていたのだろう。
ユラトのその双眸に、強い意志のようなものが見える。
「危険」
「それは承知の上」
ユラトの顔には譲らない、という意思が表れていた。
「条件ある」
「何?」
「ボクについて詮索しないこと」
少しばかり予想外の条件が出てきたため、ユラトは戸惑いを見せた。
「どうして?」
「それが守れないなら無理」
「……わかった」
「あと、警察が面倒だからこの書類に承認お願い」
「OK」
ナオがユラトに一枚の書類を送りつける。
ユラトはすぐに承認の処理をしてナオに返した。
「じゃ、伝えられる事は伝える。何か手を借りたい事あったらお願い」
「わかった。僕も何か思い出したり、気付く事があったら伝えるよ」
そうしてユラトとのARコールは終わり――
翌日、ユラトは音信不通になった。