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トライアルズアンドエラーズ  作者: 中谷干
Vol.02 - 擬態
42/74

02-002 失踪

◇ ◇ ◇


「――はい、送り先はそれで。よろしくお願いします」


 職人との通話を終え、ケイイチはふぅ、と一息つく。


 ケイイチは基本的に人見知りだ。

 二度目とはいえ、親しいわけではない相手との会話で少なからず緊張していたところに、今回はナオが横で聞き耳を立てている状態での通話とあって、異様なプレッシャーと緊張感に前回の10倍くらい疲れた気がするが、何にしても――


「買えた……みたいです」


 目的の盆栽鉢は無事入手できたようだ。

 ケイイチ安堵し、へなっと脱力する。


「でかした」


 そんなケイイチの目の前でホクホク顔になっているナオを見て、ケイイチも少しくらいはやってやったぞ、という気持ちになる。

 しかし――前回もそうだったが――ナオに褒められるというのはどうも調子が狂う。

 できればキツめになじられたかったので、今回は失敗したかったまである。


 ちなみになんで購入OKだったのかは、横で聞いていたナオはもちろん、ケイイチ本人にもさっぱり分からない。


 そもそもケイイチは盆栽を全くやった事がないのだ。

 盆栽の知識も軽く聞きかじった程度しかないし、代理購入だということもきちんと伝えた上で職人とは話をしていた。

 なのに買えたということは、とりあえず盆栽への愛情とか情熱とかそういうものが求められているわけではなかったのだろうが――やっぱりあの職人さん、どこか変だ。


 だが、今はそんな事はもうどうでもいい。


 約束通りナオから渡されたハルミさんの動画――料理をしている様子――を受け取り、ケイイチはそれを全力で保存し、鑑賞し、堪能し、労働の喜びを全身全霊をもって噛みしめた。


◇ ◇ ◇


 そんな事をしていると、二人のARルームに、


「邪魔するぜ」


 そんな、低くよく通る渋い声が紛れ込んできた。


「お、兄ちゃんも一緒だったか。……ってか、なんだこの空気」


 声と共にふわりと現れたのは、煙草を咥えた初老の男。

 白髪交じりの短髪に、どこか人を食ったような老獪さを醸すその目。

 無精ヒゲが不潔に見えない、ダンディという言葉がよく似合うその男は、ギンジだった。


「あ、ギンさんお久しぶりです!」

「おう。兄ちゃん元気してたか?」

「この通りです!」


 腕をぶんぶんと振って元気アピールするケイイチに、ナオがぼそりと「頭は相変わらずの残念さ」などと言って水を差す。

 そんな二人を、孫でも見るような目で見ながら「変わらず仲よさそうで良かったぜ」と感慨深げに頷くギンジに、ナオはさぞや不服といわんばかりの表情で「心外」と返した。


 1月のあの事件の直後に何度か会ったきり、ケイイチはギンジとはニアミスが続いている。

 ギンジとこうして対面するのはおおよそ2ヶ月ぶりだ。


 思えばあの時――正月のあの日にこの人に誘われてなかったら、自分はこの場にはいなかったんだよな……とケイイチは少しばかり感傷に浸る。が――


「IDロストね」

「おう」

「はぇ?」


 そんなケイイチの感傷などお構いなしに、二人は即座に本題に突入していた。

 何の前振りもなく唐突に始まった本題に、何もわからないケイイチは頭の上に疑問符を浮かべる。


 ギンジは、ナオへの依頼の仕方をよく知っている。

 依頼に関わる資料はARコールする直前に文書としてまとめて送ってあり、ナオのほうはギンジからの着信と同時にその資料を確認し終えていた――というわけなのだが、そんな事情を知る由も無いケイイチは、ただひたすらにぽかーんと間抜け面を晒すしかできない。


 ナオはそんなケイイチの様子を察し、小さなため息を一つつくと、資料を投げて寄越した。


 ケイイチの目の前に、1枚のメモが強制表示される。

 AIによってケイイチが理解しやすいレベルに要約されたそのメモには「女の子がIDロストしたのでその調査依頼」とあり、その下に詳しい情報がまとめられていた。


「えっとIDロスト、というと……」

「失踪」

「……ですよね」


 黙って読んでさっさと理解しろ、という上司(ナオ)の無言の圧力に、ケイイチは慌てて資料に目を通す。


 失踪したのはケイイチたちと同じくらいの世代の女の子。学生で、情報開示民(オープン)

 「情報開示民(オープン)」というのは、AIにプライバシー情報ダダ漏れの、要するにお金持ちではないごく普通の一般市民のことだ。

 失踪の状態になったのはおおよそ2週間ほど前。

 失踪の原因が確定できておらず、そのあたりを洗ってほしい、という事らしいのだが――


「質問あるか?」

「情報不足」

「だろうな」


 ギンジの問いに、ナオが不服げに言う。

 ギンジもそれは分かった上で話を持ってきているようだ。

 いつもの飄々とした笑顔で煙草をくゆらせている。


「ま、必要十分な情報あったら嬢ちゃんのところに話来ねぇしな」


 今の世の中、大抵の事件は警察の超AIがどうにかしてしまう。

 ナオのところに話が来た時点で、何かしらAIには解決できない厄介な部分のある事件であることは確定だ。


 ちなみに超AIに解決できない問題をナオに相談してどうにかなるのか? という話なのだが、AIにはAIで制約が色々とあるらしく、人間として電脳を動かせるナオだからこそ解ける問題というのもある——そうなのだが、ケイイチにはそのあたりの違いが未だによくわからない。


 ひとまず今回は、情報が足りず、猫の手――ナオの目線でのアイデアも借りたいという状況のようだ。

 言われてみれば確かに、レポートに書かれた情報がやたらと薄い気もする。


 にしても――


「失踪、ってありえるんですか……?」


 恥の多い生涯を現在進行形で送っているケイイチにとって、この世から消え去りたいと思う事などは日常茶飯事だ。失踪の方法なら過去に何度となく調べたことがある。


 しかし調べれば調べるほど、失踪というのは難しい。

 ケイイチが年始に試みたような、若者の自死であれば、それに関わる情報も成功例も少なからずあるのだが、失踪の場合はそれがほとんどない。

 あったとしても出所の怪しい、詐欺の匂いのする――実際にAIにチェックをお願いすると詐欺と判明する――情報ばかりだ。


 それもそのはず。

 普通の人々は皆、AI達が緻密に張り巡らせた監視網に常に見守られ、AIたちにありとあらゆる個人情報を開示して生きている。

 失踪とはつまり、その監視網の全てを振り切るということだ。

 どこにいるのか、何をしているのかを、AIを含め誰一人として把握できない状態になる。

 そんな事、普通に考えればあり得ない。


 だが、それでも世の中に絶対ということはないらしい。

 ギンジ曰く、「世界で年に何人かは失踪者出てるな」という話だし――


「IDの確実性下がった例、助手の可哀想な頭でも覚えてるよね?」

「えっと……はい」


 ケイイチもさすがにそれは覚えていた。

 3ヶ月前、自死し亡くなったはずのラクサ博士が復活し、再び目の前に現れた時のことだ。

 IDの確実性が下がっている、というようなことを、ギンジが口にしていた。


 当時は「確実性」という言葉の意味もよくわかっていなかったが、その後調べておおよその意味は理解した。


 「ID」というのは、その人が何者であるのかを証明し、認証する仕組みのことだ。


 その人が何者であるかを証明すること。

 それは、この高度AI世界における、最も重要な基盤の一つだ。

 お金、土地、建物、知財など様々な財産権にしても、様々な約束、契約にしても、全ては「その人が何者か」がきちんと証明できて初めて意味を持つ。

 容易く他人に成り代わったり、偽装したりできてしまったら、全ての基盤が揺らいでしまう。


 その証明の役割を、この世界では超高度なAI達が担っている。

 そして、それは主として、その人の、生まれた瞬間から現在に至る、連続した行動の履歴によって証明される。


 AIたちは、人々の生涯をずっと見守り続けている。

 どこで生まれたどの赤ん坊がどう成長し、今どこでどんな行動をしているのか、その履歴のすべてをAIたちは持っている。

 人が一瞬で別の人間に入れ替わる事などあり得ない以上、「赤ん坊からつながる一人の連続する人間である」という事は、人を区別する上では何より正確で確実な証明となる。


 それ以外にも、DNAや指紋、虹彩、血管、動作のクセ、ナノマシンで埋め込んだ生体ID、脳に刻まれた情報など、様々な生体情報もAIたちは抜かりなく保持し管理しており、先の出来事のように、人体を複製したなんていう極端な異常事態であっても、誰であるかは――確実さは多少落ちるにせよ――判定できる。


 そんなID判定の「確実性」がゼロになった状態――どこにいるのか、生きているのか死んでいるのかすら判定出来ない状態になること。それがIDロストだ。


 そんなこと、それこそ一度死んで別人として蘇るレベルの事をしない限り不可能に思えるのだけど――


「IDの確実性下がる行動、他にもある」


 ナオはそう言ってケイイチの視野にWebページを投げてきた。


「このページ詳しい。社会から爪弾きにされて消え去りたい時読むといい」


 今もわりとついていけてなくて消え去りたいんですが……などと思いつつ、ケイイチはページのさわりだけ読んでみた。

 と、そこには「プライベート持ちがプライベート空間に長く篭もった時」とか「体内のナノマシン・マイクロマシンを除去してマイクロマシン除去空間に長く留まる」とか、おおよそ普通の人間には実現不能そうな内容が並んでいた。


「そういうの積み重ねればIDロストも不可能じゃない」

「不可能ではないのかもですけど……できますかこれ? しかも情報開示民(オープン)の人が」

「IDロストなんて不便になるだけで意味ないけど、やりたがる助手みたいな物好きが稀によくいてね」

「やりませんて」

「それを支援するプライベート持ち、っていうのがいたりする」

「へ……?」

「個人じゃなくて組織が多い。宗教方面とか」

「ああ……」


 ケイイチも噂程度には聞いた事があった。

 AIの支配から逃れる、とか、自然と一体になるとか何とかで、体内のナノマシンを除去してAIの保護のない世界に行く事を標榜する団体がいくつかある。

 見るからに胡散臭い団体ばかりだし、怪しい活動の様子がネット上などで定期的に話題になったりもしていて、基本的にはアンタッチャブルな団体だ。

 一方でAIによる思考の支援や保護がない若者は、そういった団体の格好の勧誘対象であり、実際に勧誘されたとか入れられかけた、みたいな話も学校で何度か耳にした。


「じゃあ、今回のもそれですか?」

「その周辺はAIたちもよく見てる。それがらみで自分からIDロストした人は捜査不要」

「そうなんですね……」

「いくら消え去りたいくらい恥ずかしい人生を歩んでるからって、そういうのに入るのは他の人にも迷惑かかるからとどまりなね」

「なんで諭されてるんですかね……」


 妙に憐憫と憂いを含んだ優しい声でナオにそんな事を言われ、ケイイチはむしろその扱いにそこはかとなく死にたくなったが、それはそれとして――


「ちなみにIDロストってどうなるんですか?」

「AIの保護と認証なくなる。たとえば働かないと生きていけなくなって、でも身元証明できないからどこでも働けない」

「鬼ハードモードですね……」

「ま、正気の人間がやる事じゃない。だから助手はきっとその道に進んでしまう。ボクは悲しい」

「あの、一応正気なつもりなんですが……」

「正気じゃない子は皆そう言う」

「んな酔っ払いみたいな……」


 言いながらケイイチは、たまにうちに遊びに来ては大酒を飲み、あからさまに酔ってるのに酔ってないと主張するちょっとめんどくさい叔母の事を思い出していた。

 ……あれ? ってことはつまり、本人は正気なつもりでも、正気を失っている事があるって事か?

 ケイイチは自身が本当に正気であるかどうか自信を少しばかり失い、なんとなくゆるふわっとIDロストしたくなった。うん、ほんとに正気じゃないかもしれない。


「何にしても方法はあるってこと」

「……なるほど。……でも、そんな状態って事は、もう亡くなってるって可能性は……」

「高い」

「……ですか」


 横でギンジも頷いている。警察もその方向で考えている、という事なのだろう。


「仮に生きてたとしても、外見変わってるだろうし、見つけようがない」

「なるほど……」

「だから依頼も、見つける事よりはどうして、どうやってそうなったか」

「じゃあ、とりあえずその失踪前の行動とか調べる感じですか?」

「それは済んだ」

「へ?」


 ケイイチと話しながら、失踪した少女の行動履歴を洗っていたらしい。

 ケイイチの質問に珍しくあれこれ丁寧に答えてくれたのも、どうせまた「調べながら暇だったので」くらいのことなのだろう。


 この見た目の幼さと、どこか舌が不器用な喋りでついつい忘れそうになるが、目の前にいるのは人知を超えたとんでもない頭脳を持つ異才だ。


 世のアンドロイドたちと同じ電脳を持つ彼女には、普通の人間にはできない事ができる。

 膨大な資料を恐ろしく短い時間で読みこなすのは当然、複数のタスクを同時並列かつ高速でこなしてみたり、複数の人と全く違う会話を同時並行にこなす、聖徳太子もびっくりな事を平然とやってのけたりもする。


 ギンジは「そのうち慣れる」と言っていたが、3ヶ月経った今も慣れないし、今後も慣れられる気はまるでしない。


 思わず言葉を失うケイイチに、ナオは少しばかり呆れた目線を向ける。

 が、こんな反応も慣れたものなのだろう。

 ナオはケイイチを責めるでもなく、さして気にする様子もなくスルーすると、見るからにやる気なさそうにぐでーっとなり、「気乗りしない」とボヤいた。


「だろうな」


 ギンジはそんなナオの反応も想定内だったようだ。

 驚いた風もなく、いつもの人懐っこい笑みを浮かべながら、煙草をふかしている。


 興味がなければ動かない。それがナオという生き物だ。

 アンドロイドや電脳、AIに関わる話でもなく、ただ単に女の子が一人いなくなっただけの話だ。ナオにとって面白い案件ではない。

 面白い案件じゃない以上、ナオが動くわけがない。

 そんな事は百も承知で、ナオのほんのちょっとした気まぐれに期待してみる。

 それがナオとのちょうどいい付き合い方ってもんだ、とギンジの目が言っている。


「ま、頼んだ」

「ん」

「何か聞きたい事とかあるか?」

「ない」

「じゃ、一旦後は任せる」

「ん」

「すまねぇが珍しく仕事が立て込んでてな……また何か分かったら共有するが、何かあったら呼んでくれ」

「ん」

「兄ちゃんもまたな」

「はい!」


 ギンジはそう言ってふわりとルームから消えた。

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