02-001 日常
◇ ◇ ◇
「これ買うのお願い」
「はい……?」
朝。
ナオからの緊急のARコールに叩き起こされ、慌ててARルームに入ったケイイチは。
やたらキラキラした目で、明らかに仕事とは関係なさそうな、個人的な買い物の代行を命じてくる上司を眼前にして――その表情を少しばかりひきつらせた。
「何か?」
「い、いや別に何も!」
瞬時に不機嫌になったナオの様子を察し、社畜は慌てて取り繕う。
――が。
――いや、うん。
いいんだ。別に。助手だし。
多少の無茶振りは大いに結構。
ガシガシ無茶振りされたいまである。
でも、ですよ。
昨晩はコミュニティでアンドロイド談義が盛り上がり、寝付いたのは日が出てからだったわけでして。
そんな中、朝早くから上司の緊急招集で叩き起こされて、ですね。
どんな大変な出来事かと眠い目をこすりながら急いでARルームに入ってみれば。
単にナオが個人的に買いたいものがあって、それを急ぎ注文してほしい、というのは。
これはさすがに――
……いや、分かります。分かりますよ?
寝不足なのはこちらの都合であって上司のせいじゃないし。
それに、いちオタクとして、わかります。
買いたいものが早い者勝ちの一点物となれば、緊急アラートの一つも飛ばしたくなる、それは、わかる。
本当に、よくわかる。
でも、さすがに2時間も寝てないところでそれは、パワハラ――
……ん?
……いや、待て。
待て待て。
待て待て待て待て。
違う。
違うな。
睡眠不足だとこういう事があるからいけない。
危うく間違うところだった。
これ、ご褒美じゃん。
うん。これは紛れもないご褒美。
うへへ……
ストレスを快楽に変換する無敵の報酬回路が無事起動完了した真性ドMは、多幸感とともにナオの指令を早速叶えんと全身全霊をもって稼働を開始した。
「……えっと、こないだの職人さんですよね?」
「そ」
ナオからの依頼は、盆栽の鉢をナオの代わりに買ってほしい、ということだった。
数日前にあった盆栽フェスとやらで見て一目惚れしたらしい。
バーチャル盆栽用のバーチャル鉢で、一点物。販売開始は今日この後すぐで、早い者勝ち。
そんな買い物くらい、ナオ自身でやればいい話なのだが、そうもいかない理由がある。
鉢を作っている職人がなかなかに気難しい変わり者で、購入者本人と直接話し、気に入った相手にしか売ってくれないのだ。
電脳の制約のため、人の言う事に従ってしまいがちなナオには、職人との対話というハードルを乗り越えての買い物はなかなかに難しい。ゆえに助手のケイイチにお願い、というわけだ。
ちなみに1ヶ月ほど前、同じ職人からの鉢の購入をケイイチが代行した事があり、その時は職人と何かが通じあったようで、無事売ってもらうことができた。
ケイイチがナオに褒められ感謝されたのは、後にも先にもその時だけであり、これはナオからお褒めの言葉をいただいて助手としての面目躍如の大チャンス、ではあるのだが――
「拒否とかできるようになったんですし、自分で……」
「無理」
今日に限っては眠気もあって、前回ほどうまく話せる自信もない。
先の出来事で、ナオだって「拒否」をできるようになったのだし、自分でやってみてはどうか。
ケイイチの恐る恐るの提案を、しかしナオは喰い気味に却下した。
実のところ――何となくイラッとするのでケイイチには伝えていないのだが――ナオも幾度となくその職人との交渉にはトライしていた。
だが、どうにも職人の気難しさをうまく解きほぐせず、玉砕を繰り返している。
一体ケイイチがなぜあの謎の多い職人をああもあっさりと切り崩せているのか。
何かしらのオタク気質的なものが通じ合ってる事だけはわかるのだが、それ以上の事は、ナオの超絶ハイスペックな頭脳をもってしても全く理解が及ばない。
全くもって認めたくはない事だが、現状はナオがやるより、バカ助手に丸投げしたほうが買える可能性が高い。それだけは認めざるを得ない。
だからこうして頭を下げているというのに。
今日に限ってバカ助手はあれこれつっかかってくるし。
っていうかもう販売開始まで時間ないし。
――仕方ない。最後の手段。
「もし無事買えたらハルミさんの動画あげる」
「……!?」
ナオとて短い付き合いながら、助手の動かし方はよく知っている。
というか、ここまで分かりやすく扱いやすい人間もなかなかいない。
ナオが餌を目の前にぶら下げると、瞬時にケイイチの目の色が変わった。
「やりますやらせてください!!!」
己が欲望にはどこまでも素直な助手に、少しばかり呆れ顔になるナオ。
とはいえ実績のある助手に任せられるとなれば心強い。
よしよし、とナオはほくそ笑む。
「……にしても、最近こんな事ばっかしてません?」
即座に職人さんに購入申し込みのコンタクト申請を入れながら、ケイイチはぼやいた。
「不服?」
「いやいやそんな事は」
慌ててかぶりを振るケイイチ。
どちらかというとこのところオンラインでのやりとりが多く、ナオ邸に訪問する機会がないため、ハルミさん成分を摂取できていない事が不満といえば不満なのだが、これはこれで会えない時間が想いを強くする(主にケイイチが一方的に)感じで悪くない。
とはいえ――
ナオの助手として動くようになってはや3ヶ月ほど。
やっていることは単なる雑用ばかり。
何となく急に呼び出され、雑用を押しつけられたり、暇つぶしに付き合わされたり、あとはナオの研究に関わるちょっとした実験台にさせられるのが、今のところのケイイチの助手としての仕事だ。
唯一、警察のアンドロイド達のメンテナンスだけは、ナオ周辺で起こる警察がらみの定期イベントとしてあり、ケイイチも何度かその場に参加させてもらえた事は嬉しすぎる収穫だったが、それ以外は事件もなく、淡々と平和な日々が流れている。
警察の仕事を学ぶという当初の目的からはほど遠い毎日だ。
だが、それも仕方のないこと。
見た目は子供・頭脳は大人なナオとて、毎日物騒な事件に出くわすわけではない。
大抵の事件は警察の超AIが何とかしてしまうし、それ以前にそもそも事件などというものが起こらないように緻密に構築されているのがこの超高度AI社会だ。
ナオの元に警察からの依頼が来るのなんて基本的にレアイベントだし、3ヶ月前に起こったような、あんなとんでもない事件は、生涯に一度あるかないかという話だ。
そんなとんでもない事件に初手から巻き込まれたケイイチは、果たして運がいいのか悪いのか――
いずれにしても助手になってからここまでの3ヶ月、ケイイチは雑用係以上の事は特にしていない。
ナオとの関係も特に変わりなく、コミュニケーションのクセみたいなものが少しずつ掴めてきて、多少話しやすくはなった気はするな、くらいだろうか。
さて、自分はこのまま助手という立場で関わっていていいものか――
そんな事をぼんやり考えつつ、相変わらず少しばかり読みづらい上司の表情を横目に見つつ、ケイイチはちょうど繋がった、盆栽鉢職人との通話を開始した。