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トライアルズアンドエラーズ  作者: 中谷干
Vol.01 - 復活
37/74

01-037 始末

 ◇ ◇ ◇


 ケイイチは、それをただ見ているだけしかできなかった。

 目の前で起こっている事。

 二人が交わす会話の意味。

 何一つ、理解できなかった。

 理解できないまま、ただただ、見ているしかできなかった。

 ナオが構えた銃が、パァンという轟音とともに火を噴く瞬間。

 博士が仰向けに倒れ、博士の胸のあたりに赤いものが広がっていく光景。

 それをケイイチは、ただ、見ていた。


 ケイイチの視界の片隅では、なぜか急に復活したアシスタントAIが、救急救命ドローンを呼べない、ネットワーク接続エラーだ、どうにかしろとメッセージを五月蠅く点滅させている。

 ああ、こんなエラー、見るの初めてだな……と、ケイイチは全くどうでもいい事を考える。

 この世界で、ネットの繋がらない場所なんて、ほぼあり得ない。

 電波が遮断されていたとしても、マイクロマシン達が少しでもいれば、必ずネットも繋がる。

 それに――マイクロマシン達がいれば、人が撃たれるなんていう事は――起こらない。


 なのに――おかしい。

 何もかもがおかしい。

 本当におかしな事が起きている。

 だって――ケイイチは、止めたつもりだった。

 『博士は、狂ってない』

 そう訴えて、ナオが博士を撃つのを止めたつもりだった。

 実際、止まったし、これでナオと博士は和解して、きっと穏やかな結末を迎えるに違いない。

 そう思っていたし、それを実現できた事を、ちょっと誇らしく思っていた。

 思っていたのに――

 なぜか先輩は、改めて銃を構え直し、博士を撃った。


 まったくわけが分からない。

 これは、何だ?

 何なんだ?

 だが――

 眼前の二人のその表情が、目の前で起きたわけのわからない出来事の全てを肯定していた。

 ナオに撃たれるその瞬間も、床に倒れ天を見上げる今も、博士の表情は、不思議なほどに穏やかだった。

 そしてそんな博士を見つめるナオの顔にも、怒りや後悔、憐憫ではなく、感謝と情愛に満ちた、温かい色が浮かんでいる。

 なぜ、二人がそんな表情を浮かべていられるのか。

 ケイイチには全く分からない。


 ただ――一つだけは、分かった。

 ナオは、きっと博士の行動の全てを完全に理解した。

 そして、博士の研究は、きっと、完成した。

 目の前で起きたこれは、きっと博士の研究のその完成のために、必要な死で。

 研究の中身はまるで想像もつかないけれど、博士は確かに今、一人の研究者として、幸福な死を迎えているのだと。


 ナオとケイイチが見守る前で、横たわる博士の胸の動きは次第に弱く小さくなり、やがて――止まった。

 ナオは動かない。

 噛みしめるように、ただじっと博士を見ている。

 その顔は、涙でぐしゃぐしゃだ。

 しかしその涙に悲しみはない。後悔もない。

 その涙が表すのは、たくさんの感謝と敬意、そして少しばかりの惜別。

 しばし、博士を悼む、静謐な時間が流れる。


 だが、それは長くは続かなかった。

 目の前のこの少女の頭にあるのは、世界で一番早く動く脳だ。

 ケイイチにとって一瞬に感じる時間も、彼女にとっては時に永遠より長い。

 ナオは何かを確かめるように一つ小さく頷くと、拳銃をホルスターにしまった。

 そして袖で涙を拭い、おもむろにケイイチに近づくと、

「助手には面倒かけた」

 そう言いながら、手足に嵌められていた拘束具と、首に巻き付いたギロチン首輪を外した。


「どうして……」

 未だに眼前で起こった事を十分に理解できず、呆然としているケイイチは、かろうじて疑問を口にする。

 だが、ナオは何も答えず、ケイイチの首から外したギロチンを手に、そのまま部屋の片隅――銀色をした柱状の箱がずらりと立ち並ぶエリアに向かった。


「何を……」

 ケイイチの疑問をよそに、ナオはその中の一つの箱の前に立ち、箱の右端に並ぶボタンの一つをぐっと押し込んだ。

 ナオの操作に反応して、箱の一面が横にスライドする。と、箱の中から溢れ出した白い冷気がナオの肌を撫でた。

 そして、その箱の中には――

(……博士?)

 遠巻きに様子を見ていたケイイチは、その光景に少なからず驚かされた。

 箱の中にいるのは、間違いなく博士だった。

 目の前の床に倒れている博士と瓜二つ。違うのは、全裸であることと、凍り付いている事――


「それって……」

「ん」

 ケイイチの声に、ナオが短く肯定を返す。

「その箱全部、ですか……?」

「そ」

 つまり――自身の体を複製して、冷凍保存していた、という事か。

 それが、博士が何度も目の前で亡くなり、そして復活できた理由。

 一人が死んだら次の体を解凍していけば、確かにずっと「復活」し、生き続ける事はできる。


 だが――

「そんな事……」

 できるのだろうか。

 人体を冷凍保存するほうは、コールドスリープの実例がいくらでもある。

 だが、人の体を完全に複製するなんていう話は、聞いた事がない。

 どうやったら実現できるのかも、ケイイチにはまるで想像がつかない。

 それに――これは多分、何かの法やルールに触れる気がする――のだけど、法に明るくないケイイチにはその辺はよくわからない。


「すごいよね」

 ナオが凍り付いた博士の顔を見ながら呟く。

「これ、少なくとも1度は自分の命を賭けないとできない」

「そう……なんですね」

「おじさんはすごい」

 そう言って博士を見つめるナオの目には、尊敬の念が見てとれた。

 方法も何も全く想像のつかないケイイチと違い、彼女は恐らく、この人体複製の方法を正確に理解している。

 命を賭けないとできない、というのもきっと本当なのだろう。

 としたら、自身の命を賭けてまでこんな事をして、博士は一体――


「なんのために……」

 博士がアンドロイド破壊の現場で何度となく言っていた事――アンドロイドを壊すため、というのが本当の狙いではなかった事は分かる。

 博士に拉致され、二人きりで話したあの短い対話で、ナオに関わる何かをしようとしていた事も知っている。

 でも、じゃあ、博士は何をしようとしたのか。

 ナオはなぜ、博士を撃ったのか。

 それ以前にナオはなぜ博士を()()()のか。

 ケイイチにはまるでわからない。


「おじさんは、ボクを人にしようとした」

「人……?」

「三原則は知ってるね?」

「はい」

「おじさんはボクのその制約を外した」

「え……」

「ボクにおじさんを()()()()ことで」

「……!」

 そう言われて、はじめてケイイチは気づいた。

 これまでの、ナオがいる現場での博士の行動が、全てアンドロイド達ではなく、ナオをターゲットに、ナオが博士を殺すように仕組まれていた事だ、と考えるなら――


「もちろん、全く制約がなくなったわけじゃない」

 言いながら、ナオは冷凍された博士の首に、博士が作ったギロチンを取りつけた。

「でも、できる」

 そして、そのギロチンを自らの手で起動し、首を落とした。

 刹那、ナオの顔に、苦悶のような、憐憫のような、複雑な表情が浮かぶ。

 だが、それだけだ。

 これまでに博士の死に直面した時のように、気絶したり、取り乱したりする事はない。


「それって……」

「うん、とんでもない事だね」

 言いながら隣の箱に移り、箱を開け、博士の首に機械を取りつけ、また一つ首を落とす。

ナオの脳は、心は、暴れ回っている。

 でも、それだけの事。

 それだけの事だ。


「……というかあの、先程から何を……?」

 ナオがあまりに淡々と、さも当然の事のように行うものだから、ツッコむタイミングを失してしまっていたが、凍結しているにせよ、人の首を落とすなんていう行為は――何をどう考えても鬼畜すぎる。

「おじさんはとっくに死んでる。だからきちんと死なせてあげたい」

 ナオは言いながら、また一つ箱を開け、博士の首に機械を取りつけ、首を落とした。

 小さな女の子――少なくとも見た目は――が、凍り付いた老紳士の首を淡々と切り落としていくその光景は、残虐を通り超してもはやシュールにすら見える。

「二度と復活できないようにする、って事ですか?」

「そ」


 博士はもう死んでいる。

 だから、もう復活できないようにする。

 なるほど、その必要はあるのかもしれない。

 でも――彼女がそれをする必要があるのだろうか。

 しかも、あんな苦しそうにしながら。


 ――いや、それ以前に、やっていい事なのだろうか。

 そこは、警察や警察の超AI達の管轄なのでは――?

 そんなケイイチの疑問が伝わったわけではないのだろうが、

「この事は、ギンさん達にも秘密」

 ナオはそう言った。

「え?」

「いい?」

「……?」

 こんな人殺しめいた事をしてるのを秘密にしておきたいのかな……とケイイチは一瞬考えかける。だが、ナオの言ってる「この事」が、博士によってナオに引き起こされた変化を含め、この研究所内で起こった全ての事を指すのを、少し遅れて理解した。


 電脳、つまり、世の中のAIたちと同じアーキテクチャで作られた脳を持つナオが、博士を殺した。

 そして、今も淡々と命を奪うのに近い行動を行っている。行えてしまっている。

 その事実が持つ重大な意味は――

「助手の可哀想な脳味噌でも理由は分かるよね」

「……はい」


「これが今回の事件で助手が見たこと」

 ナオはそう言って、びっしりと文字の書き込まれた1枚のレポートをAR視野に投げて寄越した。

「え……」

 今、博士の首を落としながら書いたのだろう。さすがの常人離れしたマルチタスクっぷりだ。

 ざっと斜め読むと、そこには博士やナオの行動、ケイイチの発言などが時系列に沿って書き込まれている。

 ただしそれは、ここで実際に起きた事とはまるで違う内容だった。

 ケイイチを助けるため、博士とナオは戦闘状態になり、その戦闘の中でナオは博士を説得。

 凍結された博士の複製体を博士自身の手で破棄させ、博士を捕縛する事に成功したかと思ったところで、一瞬の隙を突かれて、ナオの拳銃を使い博士は自死。

 そんな筋書きが書かれている。

 ――つまり、この通りに口裏を合わせろ、という事か。


「いい?」

 ケイイチはぶんぶんと首を縦に振る。

「今すぐ覚えて」

「今ですか!?」

「証拠残したくない。あと3分で消す」

「えぇ……」

 涙目になるケイイチ。

 だが、僅かに口元がだらしなくほころんでおり、

「先輩と僕だけの秘密……うへへ」

 そんな事を小声で言っている――事についてはひとまず気にせずにおこう。


 気味の悪い笑顔を浮かべてレポートの中身を必死に覚えんとするケイイチを横目に見ながら、ナオは残りの複製体の破壊を続けた。

 時間の止まった博士の肉体。

 これを一つでも残しておけば、おじさんはまた復活できるのだろう。

 復活したおじさんに「あなたの企みは成功した」と告げて、共に生きていく事だってできる――のかもしれない。


 でも――ラクサ・エイジは死んだ。

 社会的にも、法的にも、もう何日も前に死んでいる。

 それに――

 おじさんは願いを叶えるために、少しだけ悪を為した。

 アンドロイドを壊すという事。

 人体の複製。

 自身の目的のために、ボクの頭に電脳を埋め込んだこと。

 それは、些細な悪事だ。ほとんど誰の迷惑にもならない。

 ボクを始めとした、たくさんの人の命を救ってすらいる。


 でも――悪事だ。

 ならばきちんと裁いてあげなくちゃいけない。

 それが多分――おじさんの願い。

 そして、人の願いを叶えるのが、ボクの脳だ。

 だから、この体は壊す。

 二度と復活させるわけにはいかない。

 8体目の博士の首を落とすため、スイッチを押し込む。


 ――と、不意にナオの視界が涙で歪んだ。

 おじさんには、小さな頃から本当に色々とお世話になった。

 電脳を組み込んで、生かしてくれたこと。

 厄介なボクを諦めずに面倒見てくれたこと。

 普通の人と違う事、電脳を持つ事を疎ましく思う度に、おじさんはいつだって「それは素晴らしい事だ」と信じさせてくれた。


 電脳を持つ事で、これまでボクは確かにたくさんの苦労をした。

 でもそれはきっと、ボクの脳が電脳じゃなくったって起こり得た事だ。

 今、このボクの人生があるのは、やはりどうしたっておじさんのお陰だし、この人生を生きる事ができている、それだけできっと十分に尊い。


 だというのにおじさんは――命がけでボクに自由を与えてくれた。

 命がけでボクを「人」にしてくれた。

 そんな事、一言もお願いした事はないのに。

 ――全く、余計なお世話だよ、ほんとに――

 ナオは歪む視界の中で、居並ぶ博士の最後の首を落とすスイッチを押し込んだ。


 ちょうどそのタイミングで、部屋の奥から炎が吹き出すのが見えた。

「さすがおじさん、最後まで仕事が丁寧」

 きっと、最初から仕込んでいたのだろう。

 ナオの手で自身が正しく殺されたなら、この屋敷に火を放つ。

 自らの研究の痕跡や、自らの死体を全て消し去り、悪者としてこの世から消える。

 ナオの手によって人質は無事救出され、ラクサ・エイジという悪は滅びましたとさ。めでたしめでたし。

 そんなシナリオだろうか。


 ――だったら、わざわざこんな事、しなくてもよかったのかな。

 助手に渡したシナリオ、少し書き換えたほうがいいだろうか。

 今まさに切り落とされようとする博士の顔を見つめ、ナオはそんな事を考える。

 でも、ここで首を落とすことをしなければ、確認ができなかった。

 本当に、自分にそれが()()()ようになったのか。

 自身に起きている変化が本物なのか。

 もしかしたら、おじさんはそこまで見越して自分の体を複数残していた――と考えるのは、さすがにちょっと深読みしすぎだろうか。


 ナオの視界の中で、最後の博士の頭が落ちていく。

 それを見届け、心を埋め尽くす強い不快感に耐える。

 これで、終わり。

 終わりだ。

 いや――始まり、なのかもしれない。

 ナオは、スローモーションで落ちる博士の首を記憶回路にしっかりと刻みつけながら、そんな事を考えていた。


 が――

 ナオの視界が、急に明滅し始めた。


 ――ああ。

 今日はさすがに。

 何度も何度も加速して。

 暴れ回る電脳を無理矢理押さえつけてこんな事を繰り返したら、そりゃ――


 ナオは慌ててポケットからキャンディを出して咥えようとする。

 だがそれは、口に運ぶ前に、手からポロリと落ちた。

 急激に視野が狭くなっていく。

 体に力が入らない。


 ああ、ほんと。

 ここしばらく、こんな事ばかりだ。


 ここまでやってボクも死んでしまったとしたら、ちょっと笑えない――が、まあ図体だけはでかいのが近くにいるし、何とかなる――かな。ちょっと不安だ。


 ケイイチが「先輩!」という慌てた声とともに駆け寄ってくる気配を感じながら――ナオの意識はそこでぱたりと途絶えた。

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