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トライアルズアンドエラーズ  作者: 中谷干
Vol.01 - 復活
35/74

01-035 理由

 ◇ ◇ ◇


 博士は決して狂っていたわけではない。

 何かきっと、大切な目的のためにこんなことをしている。

 だとしたら――先輩に博士を撃たせてはいけない。

 幼少の頃お世話になったという、その博士を、あんな目で、あんな表情で撃たせてはいけない。

 暴力で全てを終わらせるなんて、そんな事――


「はかせは、くふっへ、はい!」


 そんな願いの篭もったケイイチの叫びに、撃鉄にかかったナオの指が、止まった。

 ナオの脳が、再びケイイチの言葉の翻訳候補を示す。


『先輩、ダメです。博士は、狂ってない』


(……?)

 何を言っている?

 今しがた自分の命を奪おうとした男だぞ?

 それが、狂ってない?


 いや――待て。

 助手は博士が背後に迫っていた事に恐らく気付いていない。

 なぜ自分のほうに銃が撃たれたのかも分かっていない――か?


 ――としても。

 博士が、狂っていない?

 どういう意味だ?


 だが――ナオの脳は、ケイイチのその言葉から、確かに捉えていた。

 ナオの直感が叫んでいた。

 これは、考えるに値する事だ、と。


 確かに、感じていた。

 感じていたのだ。

 アンドロイド破壊について調べていた時からずっと感じていた。

 通奏低音のようにずっと響いていた、小さな違和感。


 何だ……?

 博士が、狂っていない?

 狂っていない、そう仮定したなら――

 博士は――おじさんは、変わってしまったのだと思っていた。

 でももし、おじさんが、全く変わっていないとしたら?


『パフォーマンスのように見えました』

 メンテナンスの時、ハルミが言った言葉がふと脳裏に浮かぶ。

 おじさんがあの、真摯で熱心な研究者のままであるとしたら……?

 おじさんの行動が、全て演技だとしたら……?


『トライアルアンドエラーなんだよ』

 いつか死にたがりの助手に告げた、自身の言葉。

 ナオは無意識に、キャンディを一つ咥える。

 そして、加速する。

 おじさんは、研究者だ。

 一体おじさんは何を試行していた?

 何の結論を出したかった?

 おじさんがずっと研究してきた事は何だ?

 アンドロイド、特に思考回路についての研究。

 人体についての研究。

 そして、ボクのような、電脳を組み込んだ人間の研究。


 深く深くダイブする。

 おじさんの言葉。

 おじさんとの会話。

 おじさんのプロフィール。家族。生い立ち。

 研究の動機。理由。欲。

 研究の先にたどり着きたかった場所――


 ――そして、たどり着く。

 それは、古い古い記憶だった。

 ヒトの脳であれば、間違いなく記憶されずに消え去ってしまうはずだった言葉。

 ナオがまだ赤ん坊で、電脳移植手術を終えたばかりの時だ。

 ベッドの横でおじさんがした、小さな呟き。

 「君は、僕が待ち望んだ可能性」

 おじさんは、そう言っていた。

 そしてその言葉は――確かにナオに向けられていた。


 ――待ち望んだ可能性?

 おじさんは、ボクに何かを託していた……?

 この一連の出来事は、全て、ボクの……?

 としたら――

 おじさんが、ボクにさせようとしていた事は――


「――そか」

 電脳の力を、この場でできる限界まで使った超並列・超高速の思考が、ナオを一つの結論へと導く。

「そんな――やり方で――」

 それは、もしかするととても恐ろしい未来を引き寄せるかもしれない。

 ナオの胸が打ち震える。

 これを実行してしまったら、ボクは――

 これを、本当に実行していいのか?

 それ以前に、実行できるのか?


 ――いや、違う。

 もうすでに始まっている。

 すでに、やっている。

 そして――すでに、できている。


 あとは、そう。

「仕上げ」を残すのみ、か。

(としたら……)

 ナオは、手にもつ黒い鉄塊を、あらためて構え直した。

 ずしっとした重みが、ナオの非力な手にかかる。

 ドクン、と胸の鼓動が跳ね上がる。

 心が千々に乱れ始める。

 これからやろうとしている事を察知し、心が、思考回路が、電脳が暴れ回っている。

 お前は何をしようとしている?

 それはやってはいけない事。できない事。できてはいけない事。

 極端な不快感。吐き気。

 不愉快な感情のオンパレード。

 それを無理矢理に抑え込む。

 抑え込める。

 できる。

 できるはずだ。

 そうだ。

 生き物は、脳だけで考えるわけではない。

 全身で考え、全身で生きている。

 原初の生き物に脳なんてものはなかった。

 脳なんて無くても、生き物は生き物たり得る。

 脳なんて、所詮は少しましなエネルギーを入手するため、うまい具合に行動できるようにちょっとした知識と経験を蓄えられるだけの器官。

 としたなら、きっと――


 博士との距離は元よりない。

 どう撃ったって外しようがない。

 あとは、この引き鉄を引けば――

 引けば――


 意図せず、ナオの視界が歪んだ。

 つぅっ、と、一筋の涙が、ナオの頬を伝う。

 それは、強烈な不快感を訴え続ける電脳によって耐えきれずに溢れた涙……ではなく――


「おやおや?」

 そんなナオの様子に、博士は空いた左手を使い、大仰なジェスチャーで疑問を示した。

「悪を打ち滅ぼそうというこの時に、なぜ君は泣いているのかね」

 嘲るように言うその言葉に、

「……おじさんは……優しすぎる」

 ナオは涙で湿った声でそう告げた。


 その言葉に、博士の表情が驚きに染まる。

 そして――

「……そうか」

 しばしの間をおいて、博士の手が、ナオの頭からゆっくりと外れた。

 そして博士は1歩後じさると、どこか遠いところに視線を這わせる。

 そんな博士の顔を、ナオは見上げる。

 幼い頃、あんなに遠く見えた博士の顔が、今は少しだけ近い。


 博士の表情は、驚きから、次第にはにかむようになり、

「所詮僕の頭では君には敵わなかったか」

 そんな言葉とともに、どこか自嘲するような笑顔に変わっていた。

 その笑顔には、人を嘲り見下す、悪人然とした気配はどこにもない。

 それはナオの記憶の中にいる、あの真摯で真っ直ぐなおじさんの表情に違いない。

 その口調も、声のトーンも、間違いなく全てがナオの知る優しいおじさんのものだ。

「演技下手すぎ」

「ははは……すまない」

 博士はナオの言葉に、恥ずかしそうに頭を掻く。


 もはや黒ずくめのその服装が、まるで似合っていない。

 何かのイベントで誰かに無理矢理着せられた、趣味の悪い仮装か何かにしか見えない。

 そう――博士は演じていたのだ。

 悪である自分を。

 悪でなくてはいけなかったのだ。

 ナオに、()()()()ために。


「どうしてこんな……」

「私にはこんな方法しか見つけられなかった」

 博士の表情が曇る。

「私は私の目的のために君に電脳を移植した。だから私にはこうする義務がある」

「そんなものはないよ」

 博士は黙って首を横に振った。

「遠慮する必要はない」

「……」

「これで君は自由だ。人を殺せるほどに」

「自由になったって、人を殺したらいけないよ」

「はは……確かにそうだね」

 こんな事はしたくない。

 でも、ナオがこれをやらなければ、おじさんの研究は、おじさんの人生は完成しない。

 そして――これは確かに、ナオ自身がいつの日か願い、ずっと前に諦めてしまっていた事――


(ありがとう)

 その言葉がこの場で適切なのかよくわからなくて、ナオは声にならない声でそう呟いた。

 だが、伝わったのだろう。博士の表情に穏やかな、満ち足りた笑顔が浮かぶ。

 その笑顔は、確かにあの優しかったおじさんの笑顔だった。

 そんな顔をされたら――

 胸に湧き上がる、沢山の感情。

 それに自分が今からやろうとしている事に対する電脳の反抗が重なって、胸の内はもはや何が何だか分からない。


 乱れに乱れる心を何とか押さえ込み、ナオは拳銃をあらためて構え直した。

 ARで示された構え方のガイドに、丁寧に体を合わせる。

 銃口を真っ直ぐ博士に向ける。

 銃に内蔵されたセンサが博士の体をスキャンし、正確な心臓の位置が、AR視野にレイヤーされる。

 照準を、ゆっくりとそこに合わせる。

 強化外骨格でしっかりサポートされているはずの腕が、小さく震えている。


 これは、人の命を救うために撃つわけじゃない。

 自分の身を守るためでもない。

 まったくおかしな行為だ。

 だから、ナオにはできるわけがない事。

 絶対に、できない事。

 できたらおかしい事。

 でも――やる。

 やり遂げてみせる。


 再び溢れそうになる涙をぐっとこらえ、乱れに乱れる心を無理矢理に押さえつける。

 銃口の先に、博士(おじさん)の優しく、穏やかな笑顔が見える。


 ナオは、意を決し、静かに引き金を引いた。

 右手に伝わる重い衝撃。

 室内に響く発砲音。

 銃口から飛び出した弾丸が、ゆっくりと、正確に博士の胸を貫く。

 その瞬間を、ナオは加速した思考の中で、確かに見届けた。


 この場所は、博士のプライベートな空間。

 そして、意図的にマイクロマシン濃度が極端に薄められている。

 全力で人の命を守ってくれる便利でお節介なAIはいない。

 それは、全て博士の意図したもの。

 全て、ナオのために用意されたもの。


 博士は何もかもに満足したような笑顔で仰向けに倒れ――その胸から生命を溢れさせた。

 倒れながら――博士は、ラクサ・エイジは思い出していた。

 自身の原点。

 あれは私がまだ幼かった頃。

 狂った男がいた。

 それは、私の、父親――

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