01-034 研究
◇ ◇ ◇
遡ること数時間。
ケイイチは、べっこりと打ちひしがれていた。
まったく、情けない。
ナオに対してあんな大口を叩いておいて、飛び出したそのすぐ後にこんな――
病院を出てすぐ、ケイイチは一体のアンドロイドに呼び止められた。
自律車を使ったサービスのモニターになってほしいと言われ、あんな会話の直後だったにもかかわらず、ケイイチは二つ返事でOKした。
なぜって?
案内をしてくれたアンドロイドが、非常に珍しいレア機だったからだ。
案内された車内は何とも言えない良い香りが漂い、ケイイチは柔らかなベッドの上で美味しい飲み物にマッサージと様々なリラクゼーションのサービスを受けた。
しかもその全てを、案内してくれた激レアアンドロイドがやってくれるとなれば、これはもはや天国以外の何物でもない。ナオとの一件など瞬時に忘れ、ケイイチは極上の時間をたっぷり堪能した。
しかしそんな至上のサービスが、ケイイチのごとき一般人に何の代償もなく与えられるわけもなく――
天国の心地よさの中でケイイチは強烈な眠気に襲われ、あっという間に眠りに落ち、そして目覚めると、椅子の上で手足をがっちりと拘束され、身動きが取れない状態になっていた。
――えっと。
これって、どう考えても、あれだよな。
古いヒーローものの物語なんかで見た、拉致監禁とかっていう……。
薄暗い部屋の中でぽつんと一人椅子に縛り付けられ、ケイイチはため息混じりに独り言ちる。
思えばあの飲み物もサービスも、あの激レアアンドロイドも、ケイイチを誘い眠りに落とすための仕掛けだったんだろう。
……いやもうなんというか、ひどい。
いくらなんでもこれはひどい。
あんな大口叩いたすぐ後に、レア機に釣られて罠にかかって、あっさり拘束されて。
何がヒーローだよ。
なーにが「先輩を守れるようになってみせます」だ。
……
……
あああああ……!
何かもう色々恥ずかしい。
人として恥ずかしすぎる。
恥ずかしすぎて顔から出た火で致命的な火傷負って死にたい。
穴があったら入り込んでそのまま白骨化するまで忘れ去られたい。
ああああああああ!
……と、それはともかくとして、だ。
ここ、どこだろ。
ケイイチは周囲をぐるりと見回す。
わりと広い空間だ。明るく、清潔で、整然としている。
見た事のない機械がずらりと並んでいて、男の子心を刺激される空間ではあるが、とりあえず見覚えのない場所なのは間違いなさそうだ。
まあ、仮に見覚えのある場所だったとしても、何かができるわけでもない。
何せ手足はしっかりと拘束されていて、とても抜け出したりできる感じではないし、椅子も床に固定されていて、椅子ごと動いて移動、みたいな事もできそうにない。
アシスタントデバイスはなぜか機能停止していて、ネットワーク経由で助けを求めたりもできないし、こんな場合の対処法をAIに聞くこともできない。
口は塞がれてないので大声なら出せるが、出したところできっと意味はないのだろう。
それがなにがしかの効果を発揮するような場所なら、口もとっくに塞がれているはずだ。
……さて、どうしたものか。
ってどうしようもないか。
うん、どうしようもないよな。
だって僕、単なる凡人だし。
スーパーヒーローとかじゃない小市民だし。
小市民は小市民らしい事を考えよう。
たとえば、そうだな……えっと。
この状態で尿意など催したらどうしたらいい? とか。
このガッチガチに拘束された状態で、尿意が臨界に達したら……?
もしかしてこれ、人としての尊厳の危機?
17にして盛大にお漏らしするという、まず間違いなく笑い話にならない実績をアンロック間近?
いやいやまさか。
それはちょっと勘弁願いたいところなんですが――
――などと、ケイイチが脳内でわりとどうでもいい事を必死に考え続けていたのは。
正直、ぶっちゃけ、本音を言えば、滅茶苦茶怖かったからだ。
一瞬でも気を抜くと、足がガタガタ震えてしまいそうになる。
なぜ、自分はこんなところで拘束されている?
全くわけがわからない。
僕はどうなるんだ?
もしかして、このまま――
嫌な想像が脳裏をよぎり、ケイイチは別の何か楽しい事を考えようと必死になる。
そうだ。とりあえずハルミさんの麗しいお姿を想像するんだ。
ハルミさんのお茶を淹れる所作……
ハルミさんの台所に立つお姿……
ハルミさんの麗しい笑顔…………
ケイイチがそうやって必死に現実逃避に勤しんでいると、突然部屋の明かりが点き、
「巻き込んでしまってすまないね」
そんな言葉と共に、一人の男が現れた。
ケイイチはその姿と声に、我に返る。
現れたのは、黒ずくめの男。
浅黒い肌に、彫りの深い西洋的な顔立ち。グレーの瞳にたっぷりたくわえた髭。
それは間違いなく、現場で何度も見た、ラクサ博士その人で――
「え……?」
ケイイチは、思わず驚きの声を上げた。
といっても、現れたのが博士だったことに驚いたわけではない。
自身が拘束されている事を把握した瞬間に、もしかしたら……とは思っていた。
なにせ誘拐なんていう犯罪行為は、ケイイチがよく読むヒーロー物のような物語の中くらいにしかない。実際の世界でこんな事が実現でき、そしてケイイチに関係のありそうな事なんて、博士に関わる事くらいしか思い当たる節がなかった。
だから、ここに博士が現れた事には驚きはない。
驚いたのは、その博士の口調と態度だ。
博士の声が、口調が、態度が、数日前、現場で遭遇した時とまるで違う。
あの高圧的で、威圧的で、どこか自分に酔うようなテンションが、見る影もない。
「手足のそれは痛くないかい?」
「あ……はい」
口調は穏やかで、その表情には高慢さはどこにもない。
かつて様々な研究で名を馳せた、ケイイチのよく知る博士のイメージそのままの人物が目の前にいた。
この人は一体――
現場で遭遇したあの博士とは別人なのだろうか。
だが、身に纏う黒ずくめの服装は、間違いなくあのアンドロイドを破壊していた博士と同じだ。別の人物とはどうにも考えにくい。
多重人格、というやつなのだろうか。
それとも――何だ?
そのあまりの豹変ぶりに混乱するケイイチをよそに、博士は無言で淡々と何かの作業を進めていた。
無骨なカメラでケイイチの写真を数枚撮り、近くにあったスタイラス型の入力デバイスで何かを書くような仕草をし、それが終わると、博士はいそいそと部屋を出て行く。
それからしばらく、博士は幾度となく部屋を出入りしながら、熱心に何かの作業をしていた。
その真剣な横顔は、行動は、態度は。
全てケイイチの知る博士のイメージとぴったりと一致している。
数日前に見た、高圧的な博士。
あれは何かの悪い夢だったんじゃないか。そんな気さえしてくる。
またしばらくして、作業が一段落したのか、博士はケイイチの近くの椅子に腰を下ろすと、どこかほっとしたように息を吐いた。
そしてAR視野に表示されている何かを確認しているのか、中空を見つめながら、小さく頷くことを繰り返している。
何となくこのタイミングしかない気がして、ケイイチは思い切って博士に声をかけた。
「あの……博士は……」
おずおずと言うケイイチに、
「博士、というのはやめてもらえないかな。私はもう学究の徒ではない」
博士はそう言って、どこか自嘲するような小さな笑みを浮かべた。
ケイイチに目線を向けたその目も、表情も、やはり穏やかで、数日前の高圧的な博士の気配はどこにもない。
「研究、辞められたんですか?」
「辞めたんではなく、終えたんだよ。今は最後の仕上げ、というところかな」
「……?」
「研究っていうのはね、二種類ある。どうしようもなく知りたくてやる場合と、どうしようもなく叶えたい事があってやる場合だ」
そう言うと、博士はどこか遠い目をした。
「私はずっと叶えたい事があって研究を続けてきた」
「それは先輩――えっと、ナオさんと何か関係あるんですか?」
「そうだね」
詳しく語る気はない。その目が、表情が言外に告げていた。
「先輩にまた何か危ない事をするんですか?」
「だとしたら、どうする?」
「……止めたいです……けど……」
勿論、止めたい。
でも――こうも簡単に拐かされ拘束されている程度の人間に、一体何ができるというのか。
自分があまりにも情けなくて、悔しくて、ケイイチは数時間前と同じように、ぎゅっと拳を握りしめた。
「君はいい子だね」
博士の目が、すっと細まり、柔らかい笑顔になる。
――そう。この顔だ。
この穏やかで、真摯で、真剣な。
芯の一本通った、強い、笑顔。
それこそケイイチがずっと見て、憧れ、尊敬してきた博士の姿。
ケイイチは、その瞬間、その博士の表情を見て――理解した、気がした。
――ああ、そうか。
博士は、多分。
狂っていたんじゃなくて。
これまでの不可思議な行動も、態度も、全てが。
何か大事な目的を達成するための手段だった――のか?
狂気と熱意はいつだって紙一重のところにある。
狂人に見えるほどの、熱意と覚悟。
研究者というのは――そういうものなのだろうか。
「これから何が起こるかは、私にも予測できない」
博士はどこか遠い目をしながら、独り言のようにそう続ける。
「私の研究は完了しているが、成功するかはわからない」
それは、その言葉は、期待と諦めと、願いと不安と、色々な感情が篭もったものに聞こえた。
ナオに教えてもらった、「試行」という単語がふと頭をよぎる。
この人は、何を「試行」しようとしているのだろう。
「もし成功したなら……そうだね、世の中が大きく変わるかもしれないし、全く何も起こらないかもしれない」
「何も起こらない……?」
「それでいいんだよ。私にできる事は種まきまで。どう芽が出てどう育つかは、あの子次第」
「……」
「私が言えた義理じゃないが……ナオ君の事をよろしく頼む」
そう言う博士の瞳は。
何か重大な覚悟を決めたような、強い光を宿していた。
ああ、きっと――
何かがこれから始まって、とても大きな何かが終わる。
ケイイチは、そんな予感に震えた。
「来たようだね」
博士はそう言って立ち上がると、いくつかの機械を手に、ケイイチに近づいた。
その一つが目に入った瞬間、ケイイチの心臓は跳ね、体は硬直した。
見間違いようがなかった。
博士が手に持っていたのは、アンドロイドの首を落とすのに使われていた例の首輪だった。
ガタガタと震え出すケイイチの首に、博士はしっかりとそれを取りつける。そして、
「すまないね。君には少し黙っていてもらう必要がある」
博士が別の小さな機械をケイイチの口元にあてがうと、ピリッとした刺激の後、ケイイチは口を動かせなくなっていた。