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トライアルズアンドエラーズ  作者: 中谷干
Vol.01 - 復活
33/74

01-033 決意

 もう一人の博士の登場に、ナオはしかし、大きく驚きはしなかった。

 この展開は、予想していた。

 もっとたくさんの博士に出迎えられる可能性すら考えていたくらいだ。


 予想はしていたが――さすがは博士、というところか。

 この、本当に嫌なタイミングでの登場。そして――

 二人目の博士は、無言でケイイチの首に巻かれたギロチンに指を伸ばし、その起動スイッチを押そうとしている。

 それは、ナオにとって絶対に見過ごせない行動だ。

 人の命が掛かってしまっては、行動を起こすしかなくなる。

 そのことを、博士は当然知っている。知らないはずがない。


 これは――罠だ。

 ナオの脳が激しくアラートを発する。

 これは、罠。

 ボクに助手を助ける行動をさせて、隙を作るための罠だ。

 だが――だからといってこのまま状況を放置はできない。

 もしかしたら、博士はケイイチを殺す気などなく、あのスイッチを押したところで何も起こらないのかもしれない。

 でも、本当にケイイチの首が落ちる可能性も間違いなくある以上、ナオにそれを阻止する以外の選択肢はない。


 当のケイイチは、背後から自身の命の危機が迫っている事にまるで気づいていないようだ。危機感のない間の抜けた顔でこちらを見ている。

 そのあまりの間抜け面に、ナオはこのまま放置してやろうかなどと黒い事を一瞬考える。

 だが、当然の事ながら電脳はそんな事許してくれない。どうしようもない不快感が思考回路を走り抜け、思考が引き戻される。


 ――さあ、どうする?

 ナオは思考速度をさらに一段上げて考える。

 どうしたらいい?

 二人目の博士とナオとの間の距離は、8メートルほど。

 ナオが纏った強化外骨格をフルパワーで動かしても、ケイイチの背後にいる二人目の博士がスイッチを押しきるまでには間に合いそうにない。仮に間に合ったとしても、博士の行動を阻止できる保証はない。

 そしてこの空間には人命保護に熱心なマイクロマシン達も何もない以上、ケイイチの首が切られた後に助けるという事は絶対的に不可能だ。

 では、この状況で、あの男の行動を止める方法は?


 止める方法は――()()

 ナオの脳裏には、間違いなく止められる一つの方法が浮かんでいる。

 だが、それは、ナオには絶対に選べない選択肢だ。


 離れた相手を止めるには、ギンジに渡されたこれ――拳銃を使うしかない。

 ナオの不器用な体では、強化外骨格の力を借りたとて、ギンジやアンドロイド達のような超精密射撃は不可能。

 そして、ケイイチの背後にいる博士を狙うとなれば、狙える場所は、上半身だけ。

 その中で、確実にその行動を無力化できる方法があるとしたら――それは、あの男をヘッドショットで撃ち抜く事以外にない。


 それは、ナオにはできない事。絶対に選べない、選ぶ事が許されていない選択肢だ。

 他に――他に、可能性はないのか?

 あの、二人目の博士の命を奪うことなく、ケイイチを確実に救う方法は?

 だが、どれだけ周囲を観察し、解析し、分析し、計算しても、ナオの電脳はその答えを一つとして返してこない。

 つまり、他の可能性は――()()

 としたら――


 その時だった。

 ナオは自分の心に、不思議な予感めいたものが湧き上がっている事に気づいた。

 できる――気がする。

 人を助けるため。

 その大義名分があれば、この拳銃の引鉄を引ける。

 そんな、予感が――ある。

 本当に?

 ナオは自らの心に浮かんだその考えに、自ら疑問を抱き、戸惑い、打ち消そうとする。

 だが、その予感は、強く心に浮かび、消えようとしない。


 ナオがそうやって戸惑っている間にも、刻一刻と二人目の博士の手が、ケイイチの首のギロチンに伸びていた。

 加速しているとはいえ、フルブーストほどの速度で思考しているわけではない。

 ゆったりと考えていられるほどの時間まではない。

 ならば――ひとまず決断は後だ。

 とにかく準備だけでも――


 強化外骨格の力も借りて、ナオは構えていた拳銃を、ケイイチの方向に向けた。

 加速した世界で、遅すぎる自らの体の動きにイライラする。

 だが、それは考える時間が僅かでもあるという事の裏返し。

 ナオは必死に考える。

 考えながら、AR視野上に現れたガイドにそって、構える。

 心が、脳が、これから起こりうる事を予感して暴れ回る。


 そうだ。

 確かにこの行動は、人の命を奪う。電脳が最も望まない行動だ。

 だが、同時にこれは、電脳が何よりも望む、人の命を救うための行動でもある。

 ならば――やるべきだ。


 幾人も存在し、平気で人の命を奪わんとする博士の命。

 対して、腹が立つ程何も気付かずに呆けた顔面を晒している善良な市民、愚鈍で愚図だがごくごく稀に助けになるバカ助手の命。

 命は平等か?

 否。

 悪を為す人間の命は軽い。

 悪を為した人間は、人権を制限される。命を奪われる事だってある。

 では、悪とは何だ?

 善悪の判断をできるほどお前は偉いのか?

 否。

 だが、少なくとも、善良な市民の命を奪おうとする人間が善とされた事はない。

 前例が、歴史が証明している。


 拳銃を正しく構え終わる頃、ナオは肚を決めていた。

 やる。

 本当にできるのであれば、やる。

 ナオの行動を予感して、暴れ回る心と、どうしようもなく湧き上がる不快感。

 一瞬でも気を抜けば気絶しそうなほどに暴れ回る感情を無理矢理抑え込み――

 ナオは、引鉄を引いた。

 引くことが、できた。


 手に伝わる衝撃。

 パァンという音とともに、銃口から銃弾が飛び出し、二人目の博士の眉間に吸い込まれていく。

 その瞬間を、ナオはスローモーションの世界で見た。

 博士は赤い命をその身から溢れさせながら、後ろに倒れ――即死。


 心が暴れ回る。

 全身が震えている。

 人を助けるためだとはいえ、人を――殺した。

 それは、ナオには絶対にできないはずのこと。

 いや、ナオでなくたって、この世界に生きる全ての人間が、できないはずの事だ。

 それを、やった。

 この世界で、それを一番できないはずの人間が。


 心が、電脳が暴れ回っている。

 世界が、ぐるぐると回る。

 猛烈な不快感と吐き気に、立っているのがやっとだ。

 そんな状態のナオには、当然――

 すぐ背後に近づく()()()()博士の気配は、捕らえられなかった。


「……っ!」

 突然視界を覆い尽くす、黒。

 そして、がしっと頭を掴まれる感触。

(……やられた)

 朦朧とする意識の中で、ナオは己の失策を悔いた。


 二人目の博士を撃ち抜くのはいい。

 だが、人を撃てば、当然その後にはどうしようもない不快感に襲われる。

 そこを突かれてしまえば、ナオに抵抗する術はない。

 こめかみに博士の指の圧を感じながら、ナオは静かに覚悟を決める。


 博士に頭を掴まれた以上――これで、終わりか。

 長くはない人生だったが、電脳のお陰で、主観時間ではそれなりに長い時間を生きられた。

 思い残す事も悔いも無いと言えば嘘になるが、少なくとも最後までしっかり抗った。きちんと生き抜いた。

 だから、これが最後である事は――受け入れよう。

 強いて言うなら、最後くらいはこんな不快な気持ちじゃなく――


 と、そこまで考えて、ナオは気づいた。

 人を撃った事で、どうしようもなく気持ち悪い。

 不快で、不快で、どうしようもない。

 だが、その不快感に心の全てを支配される事もなければ、気を失う事もなく立っている。

(どういう、事……?)

「ほう……?」

 博士も気づいたのだろう。

 目を細め、ナオに起きている事を面白がるように笑みを浮かべる。


「ですが、もう終わりです」

 頭をがっちりと掴む博士の手を、引き剥がす事ができない。

 掴まれた手から、電気だろうか、ピリッとした刺激がナオの神経を揺さぶる。


 これが、本格的に発動したなら、ナオの電脳は破壊され、ナオの意識は失われるのだろう。

 その事を認識した途端、

(嫌だ……!)

 ナオの心が、叫んだ。

 ケイイチが叫んだあの言葉の影響もあったのかもしれない。

 ナオの心が、電脳の破壊を、死を、全力で拒絶していた。


 死にたくない。

 壊されるのは嫌だ。

 死ぬのは嫌だ。

 ボクが死ぬのも、ボク以外のアンドロイド達が壊されるのも嫌だ。

 ハルミさんが壊されるのは嫌だ。

 エッフィ達が壊されるのも嫌だ。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 それは、ナオ自身でさえ戸惑うほどの強烈な拒絶だった。

 頭では綺麗事並べてたけど――

 受け入れたつもりになっていたけど――

 嫌だ。

 嫌だ!


 それは、まったく無様で、情けなく、格好悪い拒絶。

 でも――これこそが命だ。

 無様で、ダサくて、かっこ悪く、這いつくばってでも生きようとする。

 それこそが、命というもの。


 ナオは、感情にまかせて、苦し紛れにゼロ距離で博士に銃口をつきつけた。

 視界は博士の手によって覆われているが、この距離なら外しようがない。

「ほう……?」

 その行動に、博士の空気が変わる。

「いいんですよ、それで私を撃っても」

「そんな……事……っ!」

 できるはずがない――が、

(できるかもしれない)

 あの、二人目の博士を撃ち抜くことができた。

 その事実が、再びナオに予感させる。


 ケイイチを助けるために、博士を撃つ事ができたのなら、つまり。

「ケイイチを助けるため」と「自分を守るため」。

 それは、同じ事――なのか?

 もしかして――できる……のか?

 ナオは、手で覆われた視界の中で、きっと博士を睨みつける。


「ほう?」

 博士の表情に、驚きと――どこか歓喜のようなものが混じる。

「素晴らしい」

 それは、命のやり取りを楽しむ、狂人の目だった。

 素晴らしい余興だと、この男の心は歓喜に震えているのだろうか。

「撃ちなさい。撃たなければ……」

 ピリッとした電流の気配が、再び博士の手から生まれる。

 ナオはその刺激に呼応するように、引鉄に指をかける。

 そして、人差し指に力を込め――


 その時だった。

「へんはい!」

 ケイイチが、そんな二人に向けて、叫んでいた。

「はめへふ!」

 先輩が、博士を撃ち抜く?

 それは、ダメだ。

 ダメなんだ。

 それで終わってはいけない。

 いけない気がする。

 だって――


「はかへは」

 ほんの僅かだが、口が動くようになっている。

 なら、伝わるだろうか。

 伝わってほしい。

「はかせは、くふっへ、はい!」

 ケイイチは出せる限りの声で叫びながら、ナオが来る直前、博士と交わした会話を思い出していた。

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