01-032 叫声
そんなナオと博士の攻防を、ケイイチはただ見ている事しかできない。
まるで倍速視聴中の映像かなにかのように、忙しなく動き回る二人。
執拗に攻める博士、そしてそれをギリギリの動きで躱し続けるナオ。
人として異常としか言えない速度で展開される二人の立ち回りに、息つく暇も無く、正直何をやっているのかも細かいところまではよくわからない。
ケイイチが正しく把握できたのは、二人の会話だけだ。
どれだけ頭の回転が速くても、強化外骨格で肉体の動きを加速できるとしても、会話というものは加速できないらしい。
ものすごい速度の二人の攻防に通常速度の会話が乗るその様子は、まるでオーディオコメンタリーを聞きながらヒーローものVR作品の激しい戦闘シーンを見ているかのようで、どこか現実感がなかった。
激しい動きの中で二人が交わしていたのは、やはり「欠陥」のことだった。
先輩は、やはり博士が言う「欠陥」のことを気にしている。
重大な欠陥なんだとしたら、自分の命すら差し出してもいい、とまで言い切った。
それは、ケイイチが拉致される前の会話でも出てきた話だ。
ケイイチが必死に否定しようとしたが、できなかった話。
先輩のその判断は、きっと、「正しい」んだろう。
それは――わかる。
だって、それは恐ろしいことだ。
先輩は、自分の電脳がどれほど常人離れした特級にヤバいものなのかをよく知っている。
そして、そんなヤバいものを手にした者は、望む望まざるに関わらず、その運用に責任というものが生じる。
対抗する術のなかった時代の核兵器みたいなものだ。
そんなヤバいものに、欠陥があると言われて危機感を抱かないほうがおかしい。
欠陥の内容によっては――まるで黴の生えた古臭いSFだが――暴走した脳が世界を滅ぼす、みたいなシナリオだってあり得るのだ。
だから――先輩の判断は、恐怖は、わかる。
わかるけど――
――おかしい。
そんなのはおかしい。
自分の電脳に欠陥があります。
だから電脳を差し出します。どうぞ壊してください。
そんなのは――変だ。
あの玖珂ナオのやる事じゃない。
だいたい、欠陥の内容もよくわかってない。
それなのに、自分の頭を差し出すなんて。
そんな筋の通らない事があるか?
いや、差し出すのが僕みたいなどうしようもない愚鈍な凡人の頭だったらまだわかる。
欠陥しかない僕みたいなものの脳を差し出し、破壊してもらうんだったら、それはきっと世のため人のためになる。すばらしい。ぜひともしめやかに脳を破壊され死にたい。
けど、あの玖珂ナオの頭だぞ?
神とあがめ奉られる玖珂神のあの偉大な脳を破壊する?
冗談じゃない。
ふ ざ け る な。
許せない。
気に入らない。
もう理屈がどうとかじゃない。
単純に、玖珂ナオの脳が破壊するって事が許せない。
考えているうち、ケイイチの胸の内に、信仰を汚され激高する信者のような、よくわからない感情が高まってきた。
そもそも――おかしいのだ。
ナオとの会話の後、拉致監禁されてから今に至るまで、ずっと考えていた。
AIに課せられた原則をきちんと運用するとしたら、先輩の発言は、行動は、違う。
絶対に、違う。
だから――
ケイイチは気づけば、感情に任せて叫んでいた。
「ひほをひふつけへはいへはいんはっはは、へんぱいははふひぷんほはほはははいへはい!」
室内に、ケイイチの声が響く。
それはまったくサマにもならない間の抜けた声で、緊迫感漂う室内に、ただでさえ間の抜けた声が、まともに動かない口でへなへなな音素を大量に放つものだから、ナオは思わずずっこけそうになる。
だが、ケイイチの目は真剣そのものだ。
「場を和ませようとしてやりました」みたいな空気の読めない残念な子の行動ではない。
助手は何を――?
ナオの過剰にハイスペックな脳が、即座にケイイチの言葉を母音の流れから解析し、一つの候補を示す。
『人を傷つけてはいけないんだったら、先輩はまず自分を守らなきゃいけない』
こうか?
ああ――
――なるほど。
ナオは、心の内でにやりと笑う。
自身の頭にあるこの電脳のオーナーは、自分。
AIが優先して保護しなくてはいけないのは人間であり、その中でも特にオーナーが最優先だ。
そして、自分が人間であるとするなら、最優先で保護されるべきはオーナーである自分自身。
簡単で単純な三段論法だ。
なるほど、屁理屈。
だが――悪くない。
悪くない屁理屈だ。
ナオは思い出していた。
過去に、同じような屁理屈を使ってトラブルを乗り越えた事がある。
それを何故、今の今まで忘れてしまっていたのか。
相手が、ラクサ博士だったからか?
――どこか、諦めてしまっていた。
博士に壊されるなら、それでもいいと思っていた。
生きる事に少しばかり疲れていたし、壊されたいと本気で思っていた。
それは、確かに嘘ではない。
嘘ではないが、本音じゃなかった。
本音であるはずがない。
だって、それは行為を他人の手に委ねているというだけで、実質的には自殺だ。
自殺なんて――あの時あのバカ助手に、はっきりと言った事だ。
十分に生きてもいない、生ききったと思えていない奴が自ら死を選ぶこと。
それはバグだ。バグを直せないバカのやる事だ。愚行だ。愚の骨頂だ。
人のため、人の願いを叶える事を優先して、自分が死んでどうする。
君のためなら死ねる? アホか。死ぬな。生きろ。
トロッコがどこをどう走ろうが、線路の上でどんな奴が何人死にそうになっていようが、そこから誰一人として死なない選択肢を意地でも見つける。それがボクの脳だ。
そして、その「誰一人として死なない」の中には、ボク自身だって当然含まれる。含まれなくては意味がない。
自己犠牲なんて考えは鼻で笑って蹴り飛ばす。
それがボクだ。ボクという「人間」だ。
よし――あのバカ助手の言葉が切っ掛けっていうのは本っ当に気に入らないけど――決めた。
わからない事はわかってから考える。
覆水は盆には返らないかもしれないが、だいたいその後どうにかリカバーできる。
ボクやアンドロイド達の脳に何か重大な欠陥があるというのなら、ボクがどうにかしてやる。どうにかしてみせる。
だから――
「こんなわけの分からない事で壊されてたまるか!」
ナオは、吠えた。
「少なくともちゃんと納得のいく説明をしろ!」
ナオの心の中で、密かに蓄積されていた苛立ちが、怒りが、不安が、爆発した。
その苛立ちをぶつけるように、ナオの脳は猛烈に回転し、一つの決断を下す。
――あれをやる。
博士を多少傷つける事になるかもしれないが、仕方ない。
博士が死にさえしなければいい。
ナオはラムネをいくつか口に放り込むと、思考の並列度を一段階上げた。
観察する。
計測する。
計算する。
室内の設備。什器。空間配置。博士の行動パターン。
全てを把握し、未来を組み立てていく。
「予測」なんてする必要はない。
最も正しく未来を予測する方法、それは未来を自らの手で創ることだ。
幸い、博士はナオを積極的に攻撃し続けてくれている。
博士の位置や行動を誘導するのは容易い。
ナオは博士の攻撃を躱しながら、少しずつ博士を望む未来の形へと誘導していく。
そして――
「人間の脳ごときがボクに勝てると思うなよ」
ナオは小声で呟いて、ギンジから預かった銃をホルスターから取り出すと、強化外骨格の力を借りて素早く正確に構え、一発ぶっ放した。
室内に響き渡るパァンという発砲音。
突然の事に驚き、動きが止まった博士のその頭上をかすめ、銃弾は博士の背後の棚のガラスを割った。
大きな音を立てて粉々に割れたガラスが博士に降り注ぐ。
咄嗟に防御姿勢をとる博士のその隙を狙って、ナオは博士の死角から二体の作業ロボットをけしかけた。
左右から伸びた2本のロボットアームが、博士の体を捕らえ、博士の自由を奪う。
「……!」
己の身に起きた事を把握し、博士は逃れようと試みる。
が、いかに強化外骨格の力があれど、作業ロボットのアームの力には敵わない。
「いつの間に……」
「ここに入った時から準備はしてた」
博士の驚きの声に、ナオが短く答える。
室内に何体か作業用ロボットがいる事は、部屋に入った時に把握していた。
マイクロマシン濃度が薄いこの室内では、ロボット達に接続するのは難しかったが、ナオは密かに自らマイクロマシンを捲き、目には見えない有線接続で彼らの掌握を済ませていた。
「相変わらず手癖が悪いですね」
諦めた様子で悪態をつく博士に、ナオは「ま、ボクだからね」と悪びれず応じる。
そういえば小さい頃、よくここで勝手にロボットを動かしては博士を困らせていたっけ。
ナオは口元に小さな笑みを浮かべる。
だが、警戒は緩めない。
抜いた銃を博士に向けて構えたまま、博士を真っ直ぐ見つめ、強い調子で言う。
「欠陥について教えて」
だが、博士は何も答えない。
「答える気はないということ?」
「ええ」
「そ。じゃあしばらくそうしてて」
ナオはそう言って、向けた銃はそのままに、少しずつケイイチのほうへと歩を進め始めた。
まずは助手の解放が先だ。少なくともあのギロチン首輪は早く外しておきたい。
助手さえ解放できれば、用意したプランで博士を完全に無力化することもやりやすくなる。それがうまくいかなくても、ここを離脱して外にいるギンさん達に任せるという手が取れる。
だが――気づいた。
銃口の先で、博士の表情が、不敵な笑みを浮かべている。
「何?」
「いいんですか?」
博士が、視線をナオの背後に向ける。
360度の視野で、その視線の先、ケイイチの捕らわれている椅子周辺の様子を確認し――ナオは硬直した。
「……!」
ケイイチの後ろ、薄暗闇からもう一人の博士が現れ、ケイイチの首に手を伸ばそうとしていた。