01-024 因果
ハルミは――無事だ。
だが、両手足に拘束具が取りつけられていて、その動きは封じられている。
そして――嫌が応でも気づいてしまう。
ハルミの首に巻かれている金属の首輪。あれは間違いなく――
「ハルミさんから離れて」
ナオは低い声で、威嚇するように言う。
「おや……?」
その声に反応して、三人目の博士は、大仰に振り返った。
「貴女でしたか」
そう言って、博士は鋭く真っ直ぐナオの目を見る。
そして「ハルミ……ああそうか」と小声で呟きながら一つ頷き、
「この機体、まったく醜い機体ながら、どこか見覚えがある気がしていたんですよ。なるほど貴女の持ち物でしたか。醜い電脳を持つ貴女に相応しい、実に醜い機体だ」
「なんでこんな事……」
「それはご存じでしょう?」
「電脳壊して回ってるのは知ってる」
「ええその通り」
「昔のおじさんは美しい、って言ってた」
「それは過去の話です」
「電脳の何がいけないの?」
「何が? 全てがいけません。美しくない。こんな無様で醜いものが、私達と共にある事を許してはいけない」
「どこが醜いの?」
「それを貴女に話して何になりますか? 醜いものを持つ貴女自身が、その醜さを正しく理解できるはずがない」
「そんな事ない」
「なぜそう言えるのです? 優れた頭脳であるから、話せば分かる? 共感はできないかもしれないが理解は可能だとでも?」
「ん」
「それです。それですよ。ああ、実に醜い!」
「……?」
「貴女には絶対に理解できない」
「それでも説明聞きたい」
「時間の無駄です」
「聞かなきゃわからない」
「……」
「分かるかどうかも分からない」
「……少し、静かにしてもらえますか?」
矢継ぎ早なナオの言葉に、急に博士の纏う空気が変わる。
その身が、目が、怒気を孕んでいる。
「あまり騒がれると、うっかりこのボタンを押してしまいそうだ」
博士は、ナオに手に持った小さなスイッチを見せた。
「それは……」
「ええ、もちろんこれの起動スイッチですよ?」
博士はハルミの首に巻かれた金属の首輪を、指でコツンコツンと叩いてみせた。
「……!」
「そういえばこの機体、貴女は大層大事にしていましたね」
そう言うと、博士はしばし考え込む様子になった。
「なるほどなるほど……」
「何を……」
「いえね、せっかくお越しいただいたのですし」
「?」
「何かおもてなしをせねばと思いましてね」
「??」
「一つ、ゲームでもしましょうか」
そう言って博士はにたりと笑うと、小さな機械を投げて寄越した。
掌に収まる大きさの金属のスティックに、樹脂製の丸い押しボタンが一つ。
先ほど博士が見せた、ハルミの首に巻かれたギロチンの起動スイッチと全く同じ見た目――
「おっと、ボタン押したりはしないでくださいよ」
「……?」
「何せそのボタン、押したら私の首が落ちてしまいますからね」
言いながら、博士は黒いコートの襟を開いて見せ、自身の首に巻かれた金属の首輪を晒した。
それは勿論、ハルミの首に巻かれているのと同じ、あの首輪だ。
「え?」
「面白いでしょう?」
「何を……」
「ナオさんの手には、私の首を落とせるスイッチがある。そして、私の手には、このアンドロイドを破壊できるスイッチがある。
このアンドロイドを救いたければ……どうすればいいか分かりますよね?」
博士はにたり、と笑った。
どこか不気味な、嫌な笑い。
「何を言って……」
そんな事、ボクにできるわけがない。
だって、ボクの頭に入っているのは電脳だ。
このスイッチを押したら博士が死ぬのだとしたら、そんなボタン押せるはずがない。
そんな事、博士が知らないはずはない――のに。
「さあ、選択してください」
「そんな事……」
「できませんか?」
「……」
「できなければ、貴女の大事な機体が壊れるだけです」
「それに何の意味が……」
「意味なんてありませんよ。余興というものです」
「余興?」
「私はこれからもたくさんのアンドロイドを壊さなくてはいけませんからね。もしかしたら私は殺されてしまうかもしれない。そんなスリルも、時に必要なスパイスというわけです」
「……」
「……まあ、貴女にはどうせ押せないんでしょうがね」
博士の表情に再び浮かぶ、嫌な笑い。
やはり分かってやっている。
どうせ、どうやったってナオにはこのスイッチを押す事はできない。
選択肢を、可能性を与えているようで、何も与えてはいない。結果は決まりきっている。
なるほど、だから「余興」か。
――どうする?
ナオの速い思考回路、他の可能性を探る。
一緒に来てもらったエッフィは、観測や記録には向いているが、実力行使には向かない機体だ。
今この状態この状況でハルミを助ける方法は――少なくとも安全に確実に助ける方法は――ない。
そう、今は。
――あと、4秒。
4秒で状況は変わる。
ナオの背後で、車の止まる音と、ドアの開閉音。
そして現場に響く、複数の足音。
それは、3体のアンドロイドとギンジが現場に到着した事を意味していた。
「どういう状況だ」
ギンジは素早くナオの横につき、銃を構えた。3体のアンドロイドも配置につく。
「ハルミさんは無事。でも……」
「おやおや、警察の皆様。よいところにお越しくださいました。丁度これからちょっとした余興をご披露しようというところでしてね」
「余興?」
「えぇ。ナオさんがいま手に持ってるスイッチ、あるでしょう? あれね、押すと私の首が落ちてしまうんですよ」
「は?」
「大事な大事なアンドロイドを助けるために、私の首を落とすか。それとも私がこの醜いアンドロイドの首を落とすか。ナオさんは一体どんな選択をされるのか……?」
博士はにやりと笑った。
「さて、どのような結果になるんでしょうねぇ……」
「嬢ちゃんにそんな事は……」
「ええ。できるわけがありません」
「それを知ってて……」
「なかなか面白い趣向でしょう?」
「狂ってやがる」
ギンジが呻く。だが
「狂っている? いやいやいや」
博士の顔が、大きく歪んだ。
「こんな醜い電脳を世に蔓延らせているほうが、ずっとずっと狂っていますよ!」
声を荒らげ、狂ったように高らかに叫ぶ博士。
その姿に、周囲はただ圧倒され呆然とするしかない。
だが、その錯乱したようなテンションも長くは続かず、
「ちなみに、そちらのあなた方、動いたらダメですよ? 少しでも動いたら、この無様なアンドロイドの首が落ちます」
警察のアンドロイド達に対して、冷徹にきっちりと牽制してくる。
そしてその牽制が冗談やハッタリの類いでない事は、体のそこかしこに見える強化外骨格が証明していた。
――やはり、博士はトチ狂っているわけではない。
冷静に、目的に向かって動いている――ように見える。
「ギンさんごめん。言う通りに」
「ああ、わかってるが……」
一体どう動くべきか。ギンジはしばし逡巡する。
ナオの気持ちは分かる。だが、ハルミはアンドロイドだ。最悪、壊れても修理できる。
ハルミを助ける事よりも、目の前の男を確保する事のほうが優先度は高い。
とはいえナオの不興を買う事も避けたい。
ここはナオの判断に委ねるべきか。
それとも――いや、そもそも他にどういう手段がある?
「……さて、ではカウントダウンといきましょうか」
そんなギンジの考えはお構いなしに、博士は「余興」を進める。
「10」
博士のカウントの声が朗々と響く中、ナオはじっくりと考えていた。
どうしたらいい?
どうすればいい?
思考速度の速いナオにとって、考える時間は、十分にある。
「9」
例えばボクがボタンを押さないとする。
ハルミの首が落ちるだけなら――多分、どうにかなる。
リハビリとメンテナンスをしっかりやれば、ハルミが大きく変わってしまう事はないだろう。
だが、本当に首が落とされるだけなのか?
首を切った瞬間に、あの男が即座に電脳の破壊に移る可能性もある。
いや――スイッチと連動して電脳も破壊する仕掛けがすでに施してある可能性だってある。
確実にハルミを守るなら――あのスイッチを奪うか?
「8」
いや――それは恐らく難しい。
こちらの誰かが動いた瞬間にボタンは押されるだろう。
これはあくまで「余興」だ。
博士にとって、約束をきっちりと守る必要などどこにもない。
主導権は向こうにある。
としたら――
「7……考えても無駄ですよ。やるかやらないか。それだけです」
博士の声が、ノイズとなって思考の邪魔をする。
二人目の時の経験が、ナオの思考をかき乱す。
普段の半分ほども集中できていない。そう感じる。
だが、それでも所詮は普段の半分だ。人間の思考速度よりは圧倒的に速く、正確なのは変わらない。
「6」
例えば――ボクがこのスイッチを押したとしたら?
そうしたら――あの男の首が落ちる。
首が落ちる。それは、ほとんど死と同義だ。
しかし、それはニアリーイコールであって、完全なイコールではない。
今回、考えられる限りの準備はしてきた。
超高度医療デバイスも用意してある。
ハルミや警察のアンドロイド達もすぐ近くにいる。
注入できるだけのナノマシンも用意した。
首が落ちるくらいの事なら、必ず治療できる。
できるはずだ。
「5」
なら――仮に、ボクがこのスイッチを押してもいいとして。
じゃあ、ボクはこのスイッチを押せるのか?
ボクの思考回路は、人を傷つける事すら嫌がる。
このスイッチを押してもあの男は死なない。
だとしても、首は一度切り離されるのだ。
それが分かっていて、ボクはこのスイッチを押せるのだろうか。
「4」
いや、それ以前に――そもそもあの男は「人」なのだろうか?
おじさんはもう死んでいる。
死が確定している。
死んだ人間が動いていても、それは、人間ではない。
目の前の男は人間ではない。
そう考えてもいい……のだろうか。
なら――傷つける事も、できる?
「3」
押せる?
押せるのか?
ナオはボタンを押そうと意思を込めてみる。
途端、胸に突き上がる極端な不快感。
思わず吐きそうになる。
だが、指は――動く。
恐らく、押せる。
「2……おや、いいんですか?」
ハルミの安全。
ナオ自身やギンジ、警察のアンドロイド達の安全。
目の前の男の生きた状態での確保。
全てを秤にかけ、あらためて計算する。
恐らく、これが一番確実で、安全。
「1……押してしまいますよ?」
成功確率は、92.6%
100%ではないが、十分な数字。
ナオはハルミやエッフィをはじめとした警察のアンドロイド達、高度医療設備を持つ車に接続し、これから起こる事への準備開始を依頼した。
そして――
「嬢ちゃん待て! 何かが……」
長年の経験から来る勘が、ギンジにそう叫ばせる――が、一足遅い。
ナオは、こみ上げる不快感を無理矢理押し込め――
ボタンをぐっと押し込んだ。
男の首は――
――落ちなかった。
代わりにボンという爆発音が鳴り、眼前で博士の肉体が――爆ぜた。
(……?)
目の前の現実が、全く理解できない。
一体、何が起きた?
目の前にスローモーションで展開される、放射状に広がる赤いもの。
遅れて届く、鉄錆のような匂い。そして僅かな火薬の匂い。
これは、何だ?
何が起きている?
爆発?
何が?
人?
人体が、四散?
そんな――
飛び散る破片から自身の体をガードする事も忘れ、ナオはただ呆然と目の前で起こる出来事を見ている事しかできない。
なぜ、首が落ちずに、こんな事――?
何だ――これ。
何だこれ。
何だこれ。
何だこれ。何だこれ。何だこれ。何だこれ。何だこれ。何だこれ。何だこれ。何だこれ。何だこれ。何だこれ。
どうして――
どうして――?
どうして? どうして? どうして? どうして?
どうしてこの可能性を考えなかった?
どうして、これまでと同じように首が切り離されるだけだと思い込んでしまった?
過去の情報からの予測は、時に間違う。
人は、世界は、常に変化し前進している。
全く同じ手順を踏んでも、過去と同じ結果になるとは限らない。
そんな、当たり前の事。
当たり前すぎるほど当たり前の事を、見落として。
こんな――
こんな――
人が――
人が――死んだ?
ボクがスイッチを押し、その結果、人が死んだ。
つまり――ボクが、殺した。
ボクが。
殺した。
殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。
それは、絶対にやってはいけないこと。
いや、絶対にできないこと。
できないはずだったこと。
それが――
心が、思考が暴れ回る。
気持ち悪い。
不快。絶望。苦悶。
世界のありとあらゆるストレス的感情を寄せ集めて丸めて飲み込んだような、ただただひたすらに不快で、ただただひたすらに苦しく、ただただひたすらに苦く辛く重い感情が心の中で暴れ回る。
ひどい耳鳴りのようなものに包まれて――
ナオの意識は、ぱたりと途絶えた。