01-022 怠惰
それから一週間ほどの時を経て。
ナオは相変わらず病室にいて――
見事にだらけきっていた。
「うへへ……いい枝振り」
ベッドに寝そべり、小さな鉢に植えられた小さな木をうっとりと眺める。
くねっとした幹に、針のような緑の葉。
えもいわれぬ渋みと風格を漂わせるそれは、クロマツの盆栽だった。
といってももちろん、病室にそんなものを持ち込んでいるわけではない。仮想現実で育てている盆栽だ。
「んー、ここはちょっと伸びすぎか」
ハサミを取り出して、葉を少しばかり剪定する――が、
「ああああっ!」
うっかり別の枝を切り落としてしまい、ナオは大声を上げた。
頭はすこぶる回るナオだが、その頭の回転は運動神経とはどうも相性が悪いらしく、ナオの体は全体的に不器用である。動作補助や補正のない場ではその不器用さがモロに出る。
「アンドゥアンドゥ、っと」
しかしやり直しが効くのが仮想環境のいいところだ。冷や汗をかきながら取り消しの操作をして、事なきを得る。
ナオはここ何年か、この盆栽を趣味の一つにしていた。
まるで幼女のような外見でいて、盆栽を眺めてニヤニヤするというのもなかなかに奇天烈な組み合わせだが、労働から解放されたこの世界において、盆栽は世界中で広く嗜まれる趣味の一つだ。盆栽を嗜む子供というのも少なからずいるし、ティーンエイジャーのクラブ活動としても一定の人気があったりする。ケイイチの出入りしているアンドロイドコミュニティなどよりもずっと巨大なグローバルコミュニティが存在するし、トップクラスの盆栽職人はプロアスリートや音楽家などと同レベルの有名人だ。
「さて気を取り直して……」
ナオはハサミを持ち直し、あらためて剪定を実行しようとした。
だが、さっきの失敗の影響か、手が微妙に震えてしまって狙いが定まらない。
「あーダメだ。ハルミさんお願い」
「んもう仕方ないですね」
ハルミはハサミを受け取ると、
「ここをこんな感じで大丈夫ですか?」
そう言って、盆栽の葉にARで切り落とすラインを描いた。
ナオが「ん」と返事をすると、ハルミはアンドロイドらしい正確さで、先程引いたガイド通りに葉先を落としてくれた。
「ありがと」
「どういたしまして」
ちなみにアンドゥをしたり、アンドロイドの手を借りて作業を行った場合、その作業ログが盆栽に残る。人の手のみ、アンドゥなしの一発勝負のみで育てられた盆栽が最も評価が高いのだが、ナオはそういう事はあまり気にしていない。どうせ自分にそんな緻密な作業はできない事はわかりきっているし、自分が「人」なのかどうかもいまいちよくわからないからだ。
「あ、ナランシャの新しい鉢出てるじゃん」
お気に入りブランドから新しい鉢が発売になっているのを見つけて、ナオはうきうきとその詳細3D写真を開いた。乳白色の丸みのある浅めの鉢。今剪定しているクロマツには合わないが、最近育て始めたカエデにマッチしそうだ。
「かわいいし買っちゃお」
「また無駄遣いばかりして」
「いーじゃん減るもんじゃなし」
「普通に減りますお金は」
そんなふうにナオは、ハルミに甘え甘えつつ全力で趣味に興じながら、ダラダラと病室で過ごしていた。
自宅に戻ってもいいのだが、やはり不調がひどい。何かあった時の設備や環境としては病院のほうがずっと優れているし、メンテナンスが済んだとはいえ、ハルミも本調子じゃない。自宅でハルミに全てを任せて過ごすのは――本人の妙なやる気はともかくとして――負担が少しばかり心配だった。
加えて、先の事件で思考回路にダメージを負った警察のアンドロイド達のメンテナンス依頼をギンジから受けており、その施術場所として、警察に近いこの病室は都合がいい。
顔馴染みの病院のお偉方やスタッフ達にも滞在を薦められた事もあり――ハルミは大変不服そうではあったが――素直に病院のケアに甘えさせてもらう事にしたのだ。
あれから、事件の続報は特に何もない。
新たなアンドロイドの破壊事件も起こる様子はない。
時折病室を訪れる警察のアンドロイド達にメンテナンスを施すのがナオの唯一の仕事で、それ以外は特にやることがない――というか、やろうとしてもできない状態だった。
事件のことを考えようにも、事件を軽く思い返しただけで不調になってしまう。
事件に関わりのない仕事や研究のほうも、時折起こるフラッシュバックのせいで、とても進める気になれない。
仕方なく、ナオは仕事も何もかもを投げ出し、人生の休暇だと割り切ってダラダラしていた。
趣味の盆栽をはじめ、コミックを大量に買い込んで読み漁ってみたり、VR観光してみたり、普段はやらないオンラインゲームをいくつか試しては、思考速度の違いでPvPものは全く楽しめない事を再確認したり、以前ケイイチに招待してもらったアンドロイドおたくコミュニティの情報を読み込んでみたり。おおよそ思いつく限りのインドアでできる暇つぶしの類をとっかえひっかえ楽しむだけの、全くだらけた日々。
前に似たような状態になった時は、もう少し必死になって調子を戻そうと悪あがきしたものだが、それは全くもって無駄だった。この状態になった以上、もうどうする事もできない。
普段から無駄に超高速で動く電脳のくせに、こういう時ばかりはのんびりと時間が解決してくれるのを待つしかないのだ。
ならばもう、覚悟を決めてダラダラするしかない。
っていうかむしろ楽しまなければ損まである。
何せこの病室、三食つきでゴロゴロし放題。ハルミや病院スタッフの甲斐甲斐しいお世話もついて、ベッドから少しも動かずに何もかもがこなせるのだ。何だったら――さすがに人として終了な気がするのでそこまではやらないが――ベッドの上から動かずに用を足す事すらできる。
これぞ人をダメにする空間の極み。ダラダラするのにはこれ以上の場はない。
ゆえに今日も今日とてハルミが淹れてくれたすこぶる美味しい緑茶と茶菓子を楽しみながら、盆栽の世話に興じていた。
――のだが。
キィキィ……
ガリガリガリ……
キィキィ……
病室の出入り口のほうから、何やら不気味な音が響いてくる。
金属がこすり合わされるような、不安と不快感を煽る音だ。
「え、何?」
ナオが視線を向けると、扉の小さな窓の向こうに、ぴょこんぴょこんと何か動くものの気配がある。
「……?」
「ちょっと見てきますね」
察したハルミが警戒モードで扉に近づき、えいやっと扉を開ける――と、そこには小さなアンドロイドが一体、何やら不安げな表情で立っていた。
「あれ、エッフィ?」
見覚えのある、小さく愛らしいフォルム。ナオのよく知る機体だった。
「どうしたの?」
ナオが訊ねると、そのアンドロイドは一瞬「えっ?」という顔をして、すぐに
「……そうですよね私の事なんてどうでもいいですよね……」
消え入りそうな小さな声で、ぶつぶつと呟き始めた。
「あ……メンテ今日だっけ」
ここ数日のだらけた暮らしですっかり時間感覚が壊れていたナオは、今日がギンジから依頼されていたメンテナンスの日だという事を、視界右隅の視界外に表示されていたアラートを見てようやく思い出した。
メンテナンスの予約時間は13時。そして現在時刻はおおよそ13時半――
「……時間もちゃんと守って来たのに……全然開けてもらえないし……」
つまり、この子は30分も扉の前で立ち尽くしてたのか……。
言われてみれば少し前から「すみません」とか「あのぅ」という微かな声が聞こえていたような……。
「……ああ、私はこの扉も開けてもらえない、要らない子なんだなって……」
「ごめん」
「……そうですよね私ごとき無能アンドロイドの事なんて……」
「エッフィごめんて」
ナオがエッフィと呼ぶ彼女は、警察の保有するアンドロイドの一体で、正式名称F11。
見ての通り妙に卑屈なところがあるが、現場においては細かいところによく気のつく、すこぶる優秀なアンドロイドだったりする。
「ハルミさんも教えてよ……」
「ごめんなさい、私も気づかなくて」
そう言うハルミの表情は、まったく悪びれる様子がない。
アンドロイドの聴覚やセンサであれば、扉の外にエッフィが来ている事くらいは把握できていたはずだし、それ以前にナオの今日の予定はしっかり把握しているはずだ。気づかなかった、なんていう事があるはずはないのだが――
ハルミは時々こういう事をする。
独占欲、なんていうものがAIにあるのかどうかは知らないが、どうもハルミはナオが自分以外をメンテする事を快く思っていない節があり、メンテナンスの依頼を取り次がずに勝手に断ったり、予定をわざと間違って伝えたり、そんな事を過去に何度かやらかしている。
たまにならそんなハルミの行動も可愛く思えるのだが、それをよりにもよってエッフィの時にやってくれるとは……。
ナオは頭を抱える。
エッフィは、警察のアンドロイドの中でも特に繊細で、扱いの難しい子だ。
こんな事をしてしまったら……
「……そ、そうですよね私のメンテナンスなんて面倒ですし……」
案の定、頭を抱えるナオの様子を変に受け止めてこんな事を言い出すし――
「……私ごときのメンテナンスなんてそんな事でナオさんの大切なお時間をいただくなんてそんな事できませんしやっぱり帰ります……」
踵を返して出て行こうとするし。
「エッフィ待ってごめんて。時間を忘れてたボクが悪いんだ」
「……いえいえそんな私が悪いんです時間を忘れてるナオさんの事を予測できなかった私が……」
「んな無茶苦茶な」
「……悪いのは私ですいつだって……」
「いいから座って」
やむなく命令口調でエッフィを椅子に座らせる。
「……ほ、本当にやってくださるんですか?」
おずおずと訊ねるエッフィに、「やるやる超やる嫌だと言ってもやる」と返事をしながら、後ろ手で慌ててエネルギー供給用のケーブルを探す。
「……お願い……します」
エッフィが半信半疑、といった様子で頭を下げたところで無事ケーブルが見つかったので、慌てて自身の首筋に接続すると、間髪を入れずに「じゃあ始めるよ」とエッフィに接続した。
しかしその直後、伝わってきたエッフィの思考イメージを感じた瞬間、ナオは「あ、ごめん」という声とともに接続を止めた。
「……?」
急な中断で、エッフィのその不安げな表情がさらに不安そうな様子になる。
「ごめんごめん、ちょっと準備不足だった。エッフィのせいじゃないからね」
「……準備のできてないところに押しかけてしまった私のせいですねすみません……」
「いやボクのせいだから」
ナオはエッフィを宥めつつ「……そか、エッフィはあれが要るんだった」と独り言ちた。
このエッフィというアンドロイドは、思考回路がすこぶる繊細にできている。
ナオがやりとりをしようとすると、緊張なのか萎縮なのか、思考が乱れてしまって何も探れなくなる事が多発するのだ。
ただ、不思議な事に、ナオの所有するオオアリクイのぬいぐるみを胸に抱かせると思考回路が落ち着いて、スムーズにやりとりができるようになる。
いつもならメンテ前にそのぬいぐるみを必ず用意しておくのだが、ここは自宅ではないし予定もすっかり忘れていたしで準備できていなかった。
「ちょっと待ってね……」
ナオは慌てて自宅のハウスキーピング用小型ロボットに接続し、件のぬいぐるみをドローンで送るように依頼をかけた。
だが、ロボットからはNGの返答。
どうやらあのぬいぐるみ、少し前に部屋を片付けた時に、家の小型ロボットでは手が出せない場所にしまい込んでしまっていたようだ。家の近くにすぐに借りられそうなアンドロイドや作業ボットはいないみたいだし――
「どうしよ……」
「取りに行ってきましょうか?」
自分で取りに行こうかと考えていたナオに、様子を察したハルミがお使いを買って出てくれた。
「そだね、お願い」
「じゃ、行ってきますね」
「いてら」
いそいそと病室を出て行くハルミを見送り、
「ごめんね、ちょっと待ってて」
「……はいすみません私なんかのために……」
恐縮するエッフィの頭をポンポンと撫でながら、しばらくはエッフィと雑談でもしようかな、とのんびり考えていたナオだったが――
その何気ない行動を、ナオはすぐに後悔する事となった。