表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

イエローデイズ

各章、メインが変わります。


彼=コントライエロー


イエローデイズ


----------------------------------------------------------------------------------


世の中不景気だとか言われて久しい。


このヒーロー業界にもその波は届いていて、ヒーロー協会に就職出来てもなかなかその先の配属が決まらず、一年以上研修生のまま過ごしている人間も珍しくない。そんな中、三ヶ月の研修を終えたばかりの新人だった彼に配属の辞令が出たのは、まさにラッキーだったとしか言いようがない。


彼は平均より高い身長で少々ヒョロリとした細身だが、手足が長いのでスタイルは悪くない。ただ筋肉が付きにくい体質なだけで、運動神経はかなり良い方だ。目元はぱっちりとして睫毛が長く眉毛も濃いめだ。学生の頃はキリン系イケメンと、褒められているのかよく分からない評価を貰っていた。


「俺は……」


彼は何やら口の中で一心不乱に呟いていた。傍目から見ると危ない人のようだが、幸い一人暮らしなので人目を気にする必要はない。


「よしっ!」


ひとしきり何かを呟き終えると、彼は手にしたスプーンを猛然と動かし始めた。彼が挑んでいるのは、一皿のカレーであった。

見た目はごく一般的な、具やルーの香りに取り立てて目立った特徴はない。彼はそのカレーを流し込むような勢いで食していたのだが、半分を過ぎた辺りで急速にスピードが落ちた。いつの間にかその額には大粒の汗と、心なしか目元にはうっすらと涙のようなものが浮かんでいる。それでも彼は、傍らの水や福神漬けなどで気を紛らわせつつ食べ進めようと努力しているようだったが、結局3分の1程残したところで完全に手が止まってしまった。


「…駄目だ」


 彼は絶望したようにスプーンを置くと、


「ああもう、全然効き目ないじゃねーかよっ!」


と、テーブルの隅に置いてあった一冊の本を投げ出した。乱暴に床に放られた本の表紙には「誰でも即出来る自己暗示」と書かれている。


「どうすりゃインド人になれるんだよ!」


彼は自棄気味に叫ぶと、ゴロリと床に転がった。ともすれば冗談とも取れるような内容だったが、それはまさしく彼の魂の叫びだった。



----------------------------------------------------------------------------------



「明日から一ヶ月間の実践研修になる。それが修了するまでにこのマニュアルを熟読するように」


そう言って教官は、辞書と見紛うばかりの分厚い冊子を三冊も手渡して来た。渡された彼は、そのうち一番薄そうな一冊をパラパラと捲って、細かい文字の羅列を確認するとうんざりした表情ですぐに閉じた。


「必要なことしか書かれてないからな」


彼の表情を読んだのか、教官はすかさず念を押して来た。仕方なく彼も「はい」と答えるしかなかった。


「イエロー、それとお前には特別指導要綱がある」

「…何ですか」


マニュアルをカバンに詰め込んで退席しかけた彼は、教官のニヤリとした笑みに不吉な予感を覚えつつ聞き返した。


「簡単なことだ。お前はこれから毎日毎食カレーを食うこと。以上だ」

「カレー?って毎日!?」

「当たり前だ。お前はイエローなんだからな。どのグループのイエローもみんな実践してる。お前だけ例外はない!」


教官は彼の返答を待たずに、励ましのように彼の肩を2、3度叩くと、ガハハと豪快な笑い声を響かせながら去って行った。取り残された彼は、呆然としながら、


「カレー…毎食って…」


と呟くのが精一杯だった。



----------------------------------------------------------------------------------



彼は夏から新設されるヒーローグループ「重奏戦隊カルテットソルジャー」のコントライエローに抜擢された。


他のメンバーはもう既に確定されていて、残るイエロー枠に幸運にも選ばれたのだった。特に色への拘りがなかったのが良かったのかもしれない、と己の運の良さに自画自賛していたが、ここに来て毎日カレーという思いもよらない条件が浮上して来たのだった。


最初の一週間は何とかなった。更に次の一週間は、和洋中の味付けや付け合わせに凝ってみた。しかしまたその次の週になると、ネタも根性も尽きてしまっていた。


「あー…もうインド人すげぇ」


万策尽きた彼は、ふと立ち寄った書店で見つけた先程の本を藁にも縋る思いで購入し、自らをインド人と思い込むように暗示をかけていたのだった。しかし結果は…


「やべっ、時間!」


ふと時計を見ると、出勤時間が迫って来ていた。彼は慌てて飛び起き、まだカレーの残っている皿を流しに運ぶ。そして一瞬、皿の上と生ゴミ入れに視線を走らせた。彼は僅かな間逡巡していたが、手早く皿にラップを被せると、そのまま冷蔵庫に突っ込んだ。冷蔵庫を開けると、カレーの入った大鍋が半分以上占拠しているのが嫌でも目に入るが、敢えてそこは見ないふりをした。



----------------------------------------------------------------------------------



「えーと…やっぱカレー…にはしたくねえよなあ」


昼休み、彼は社員食堂の食券券売機の前で自分のIDカードを挿したまま悩んでいた。彼は、あっという間に後ろに連なる購入待ちの列に急かされ、殆ど反射的にカレーのボタンを押してしまっていた。「あ…!」と一瞬慌てたが、心の半分は「これでいいんだ」という諦観もあり、たかが昼食の券一枚に複雑な気分だった。


食堂内はほぼ満席だったが、人の流れは早かった。ここの社員食堂の最大の特徴は、席を埋め尽くす利用者の半分近くがヒーロースーツに身を包んでいることだろう。各部隊の様々なデザインや色が入り乱れている様相は、まず他所では見られないだろう。


彼はカウンターで引き換えたカレーの乗ったトレイを抱えて、どこか空いている席を物色した。視界の端に別部隊のイエローが入って来たが、食べているのはやはりカレーであった。更にもう少し離れたところの別のイエローも同じようにカレーを食べているのを見て、彼は絶望的な気分になって溜息をついた。


「やっぱインド人だ、インド人」


来る直前に放り出した自己暗示の本を改めて読み返そうと決意を固めた時、


「何がインド人だって?」


と、背後から声をかけられた。振り返ると見知った顔、同じ「カルテットソルジャー」に配属が決定しているヴィオブルーとチェログリーンが立っていた。


「いや…こっちのことだから」

「ふうん。あ、そこ空いたぞ」


近くの席が空いたので、何となく3人固まって座った。彼は、ブルーの持つトレイに乗った大盛りの牛丼をみて、思わず唾を飲み込んだ。その視線に気付いたのか、ブルーが慌てて自分の方へ目一杯丼を寄せる。


「やらねーぞ」

「取らねーよ」


このブルーとグリーンは彼と殆ど年齢は変わらないが、学生時からアルバイトとしてヒーロー協会に籍を置き、既に一度他の部隊に配属されたことがある経験者だった。ブルーは2歳年上で兄貴肌で、大雑把な部分もあるが基本的に面倒見がいい。グリーンは控え目で口数も多くないが、その分気配りが上手くこまごまとしたフォローに回ることが多いタイプだった。

最初の出会いは、彼が入社式の帰りに強引に人数合わせの合コンに参加させられた時だった。あまり芳しくない結果に終わったその日の合コンだったが、この2人とは何となく気が合いそうだ、とアルコールが回った脳味噌が辛うじてそれを覚えていた。もっとも、結果的に覚えていたくない合コンだったので、他に覚えることもなかったのかもしれないが。


「ホントに好きなんだ、カレー」

「そう見えるかなァ?ホントに?」


かなりうんざりした気分でカレーを口に運んでいたのだが、そんなことをグリーンに言われて彼は思わず眉根を寄せた。


「うん、だってスーツじゃないのにカレー選んでんじゃん」

「は?」


グリーンの言っている意味が分からず、彼は首を傾げる。グリーンはグリーンで彼のリアクションを理解してないのか、少々不思議そうな表情で同じように首を傾げている。


「ああ、分かった!アレだよ、アレ。マニュアル!」


お互いどう返していいのか分からず、彼とグリーンが何度目かの小首を傾げた時、それまで一心不乱に大盛りの牛丼をかっ込んでいたブルーが不意に声を上げた。


「マニュアル?」


ますます持って訳の分からない彼に、ブルーはちょっと得意気な顔をしてから再び牛丼をかっ込む作業に集中した。


「ああ、そっか。そういや初配属なんだよな」


その少ないキーワードから察するところがあったのか、グリーンも納得したような声を上げた。


「お前さ、マニュアル読んでねえだろ?」


器用にもかっ込む手を止めないままブルーが口を挟む。


「…確かに。でもパラパラくらいは…」


実際3ページで止めたのだが、彼は何となく見栄を張ってこう言った。その様子を見て、ブルーとグリーンは顔を見合わせてしたり顔で笑った。


「騙されたんだよ、お前。ん、いや、騙された、っつうか、試された?みたいな」


丼の縁に付いていた最後の米粒までペロリと平らげると、ブルーはコップの水を一気に飲み干して続ける。


「あの教官はいっつも同じこと言うんだよな。『毎回毎食好物を食え』ーってな。でもマニュアルには全然そんなこと書かれてねえんだよ。ええと確か…」

「オフィシャルな場面、またはスーツ着用時に限り、各色設定された好物を食すること。但し体調体質等も考慮し、強制とはされない」


ブルーがわずかに言い淀んだところに、背後から割って入って来た声があった。振り返ると、カルテットソルジャーのリーダー、マエストロレッドが立っていた。しかも何故かヒーロースーツ着用で。このチームは夏からの始動の為全員研修生扱いで、ヒーロースーツの着用の必要はまだない筈だった。


「どうしたの?それ」

「さっきサンプルが到着したって聞いたから、試着して来たんだぜ〜」

「いや、それ試着しっぱなしだから」


得意満面なレッドに、反射的に彼がツッコミを入れる。しかしそんな彼の言葉は、スーツ着用にテンションが上がっているレッドには届いてないようだった。


「だから今日のオレはミートソース〜」


レッドは半分歌うようにミートソースの乗ったトレイを捧げ持つと、食堂の片隅に設けられた「リーダー席」と呼ばれる場所へと去って行った。その背中は、いつにも増して誇らしげに見えた。


「汚すなよー、汚したら怒られるぞー」


心配そうにグリーンが声をかけたが、おそらく聞いていないだろう。


「ま、そんなに目立たねえだろ」

「いや、結構油だから目立つ……っていうかさ、さっきのどゆこと?」

「さっき?」

「マニュアルの!」


ブルーとグリーンの説明を総合すると、教官はきちんとマニュアルを読んでいるかどうかを試す為に、初配属が決定した新人には必ずその嘘をつくと言うことだった。生真面目な性格の者はその日のうちに気付くし、最長の者は気付くまでに三年掛かった、という伝説もあった。


「ああ、ちくしょー!騙されたー!」


ひとえにきちんと言われた通りにマニュアルを読まなかった自分のミスなのは分かっていたが、彼は約三週間に渡るカレー三昧な日々を思い出し、そう叫ばずにはいられなかったのだった。


「じゃ、俺たちは恩人ってことで、明日の昼飯はお前のおごりな」

「お、いいねー」

「ちょ…!勝手に何で決めてんの」

「じゃ、何か?俺たちに教えてもらわないまま、明日も明後日もカレーカレーカレー、で良かったのか?」

「それは…」


ブルーに畳み掛けられるようにこう言われると、彼としても返す言葉がなかった。その様子を見て、ブルーは勝ったと言わんばかりの満面の笑みを彼に向けると、


「明日は俺、ステーキ定食にすっから」


とブルーは勝手に宣言して、空の丼の乗ったトレイを持って立ち上がった。


「俺もそうしよっかな。ごちそーさん」


続けてグリーンも立ち上がる。


「ちょっと!一番高いメニューじゃないの、それー!」


そんな彼の叫びも一笑に伏して、洗い場のカウンターに食器を置いて二人はさっさと立ち去ってしまった。残された彼は、まだ皿に半分はあるカレーを取り敢えず片付けようとスプーンを手にした。本当はあまり食べたくはなかったが、だからといって残すのは忍びない。それにもう毎食食べなくていいのだと思うと、多少気が楽になっていた。

食事を再開しようとした瞬間、肩の辺りを突つかれる感触がした。振り返ると、もう食べ終わったのかレッドがニコニコしながら立っていた。やたら血色がよく見えるのは、唇にミートソースがついているせいだろう。そして彼の予想通り、レッドの胸元には点々と色の濃くなった油のシミが飛び散っていた。


「オレもステーキな〜」

「お前もかー!」


彼は思わず、まるでどこかの文学作品の名言を吐かずにはいられなかったのだった。



----------------------------------------------------------------------------------



しかし、カレー三昧から解放されてたと思った彼は、自宅の冷蔵庫の中の大鍋カレーの存在をすっかり失念していた。そしてその大鍋のお陰で、解放されたにもかかわらずそれから三日間はカレーに縛られ続けるのだが、少なくとも今の彼には知る由もなかったのだった…。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ