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五
猫の死骸を抱えて歩いていたのを、誰かに見られていたのか、学校では「猫殺し」と呼ばれて、煙たがられるようになった。
せっかく、うまく目立たないようにやっていたと言うのに、人間関係とは面倒なことだ。
僕は小学校卒業前に、毎日の卒業式の練習や、これから環境の変わることでストレスの溜まっていた子供たちに、ちょっかいを出されはじめた。
はじめこそ、相手にしていなかったが、それが悪かったのか、だんだんエスカレートしていった。
ある日の放課後、体育館の倉庫に呼び出されて、それを無視して帰ろうとしたら、校門の裏でつかまった。
もちろん、八枯れも一緒にいたが、こいつはにやにやと、それを面白そうに眺めているだけだった。
校庭のすみに植わっている桜の木の上で、吞気にあくびをしていた。「なぜ、助けないんだ」と、叱る。八枯れは、僕にだけ聞こえる声で、「人間同士の厄介事は、専門外じゃ」と空とぼけた。
そのやりとりを見ていた一人が気味悪がって、僕のうしろ頭を殴った。少々痛くて、頭をなでながらムッとする。そのまま、体育倉庫に連れて行かれそうになって、ようやく「たまには人間の相手もしなくては駄目かな」と、考える。
その時だった。なまぬるい風が吹いた。
だんだん強くなってゆく。まだ四時過ぎだと言うのに、空も暗くなってきた。次第に砂埃で、視界は覆われていった。僕を罪人のようにとっつかまえていた連中は、パニックを起こして、逃げ回った。しかし、そんなことにも構わず、砂埃はどんどんひどくなっていった。僕は、はずみで背負っていたランドセルを土の上に転がしてしまった。
すると、地面からにゅっと生えた黒い影のような手が、僕の頭を殴った男子の足を、つかんで離さなかった。そいつは、徐々に校庭の土の中に、引きずり込まれていった。ざまあみろ、と思ったが、あとで騒ぎになっては困るので、助けてやることにした。
「おい、八枯れ」
木の上で丸まっていた八枯れを見上げ、騒がしい校庭を指さした。
「嫌だね」
八枯れは変わらず、寝むそうにあくびを一つするだけだった。しかし、やはりと言うか。僕の言葉には絶対服従のためか、ひげはひくひくと動いており、体はいまにも樹上から飛び降りたそうなのを、無理やり抑えているようだった。それをしばらく眺めているのも、なかなか面白いと思ったが、どうやら事は一刻を争うようだ。
「お前も馬鹿な奴だ。主人に逆らえば、どうなるかわかっているだろうに。無駄な抵抗はやめて、言うことを聞け。さもなくば」
僕はにやにやしながら、わざと続きを口にしなかった。八枯れは、恐る恐る顔を上げた。
「さもなくば、何じゃ?」
「さもなくば、今夜から先、お前にはクサヤばかり食わせてやる。学校も行かず、夜も寝ずに、お前の口の中に、つめこんでやるからな。息が止まろうと、体が腐ろうと、クサヤづけにしてやるから、覚悟しろ」
そう言うと、八枯れは面倒くさそうに起き上がった。にゃあお、と不細工な鳴き声を上げて、渦巻く砂埃を睨みつけた。
不思議なことに、八枯れがそうして、長いことじっと睨んでいるだけで、砂埃は次第、おさまってゆき、よどんでいた空の雲も晴れていった。大地からつきだしていた手の影は、それに驚き、子供の足を離して、まっすぐこちらに向かってきた。
八枯れはそれを、嬉々として迎える。どうせ、自分以外の妖怪を喰えるのが、うれしいだけだろう。樹上から飛び降りると、僕の前に立ちはだかり、毛を逆立ててうなった。しかし、僕は「いい機会だ」と、八枯れの前に歩み出た。近づいてくる黒い影を見つめ、叫んだ。
「いいんだな?そっちに行って」
黒い影だけではない、八枯れさえも、そのはっきりとした言葉に、しばらく動きを止めた。
腕の形をした影は一度、大地の上で迷うようにゆらめき、八枯れに向かって、何事かささやいていた。八枯れが、それに何か応えると、黒い影は逃げるようにして、土の中に引っ込んでしまった。
影の群れが消えると共に、雲間から陽光が射した。おだやかな青空が広がる。さきほどよりも、校庭の土を明るくし、まぶしく照らしてゆく。一部始終、奇怪な現象の数々に翻弄されていた男子らは、蜘蛛の子を散らしたように、学校の外へと逃げて行った。
僕は、転がしたままだった、自分のランドセルを拾って、八枯れの方を向いた。さきほど、影と何を話していたのか聞いた。八枯れは、ひげをひくつかせなから、僕の前を歩き、しゅっと曲った尻尾をゆらせた。
「貴様とわしの名を聞かれたから、答えただけじゃ」
「なぜだろうね?」
僕の前をとぼとぼ歩いていた八枯れは、大きなため息を吐き出した。
「これで、あちらの世界では貴様が何者か、知れただろう。わざわざ捨てた禍を、神隠しだろうがなんだろうが、連れて戻した日には、みなに殺されるだけじゃ。覚悟しておけよ。向こうで貴様の名を、知らぬ者はいなくなるぞ」
僕は腹を抱えて笑いだした。
「なあんだ、そんなことか。大丈夫だよ。そのうちお前より強い化け物だって、従えてやるさ」
八枯れは、黄色い目を細めて僕を睨むと、尻尾をふって、「馬鹿め、わしより強いものなど、いるはずない」と言い切った。鬼は見栄を張ったりしないから、おそらく本当のことなのだろう。僕は、「なんだ、もう強い奴はいないのか。つまらない」とつぶやいた。
「その代り、貴様にちょっかいを出す奴も減るだろう。わしの仕事も減って、丁度いいわ」
「そうなのか」
笑って見下ろすと、八枯れは、ふん、と首を回した。
「いいか、赤也。わしが貴様の言うことを聞くのは現世でだけじゃ。うっかり死んで、向こうに行ったら、覚えておけ。頭から、バリバリと喰ってやるからな」
「そうか、それはなによりだ。お前も覚悟しておきな。今度は死ぬ前に、お前の口に無理矢理、腕でも足でもつっこんで、また約束を交わしてやるからな」
「冗談じゃない」
八枯れは心底から嫌そうな顔をして、震えあがった。その丸まった姿を見て、本当にこの鬼が一番強いのか、疑わしいものだ、と眉をひそめた。