君と僕
蒸し暑い夏休みの朝、耳をすませば蝉の声や子供が外で遊んでいる声が聞こえた。より一層夏を感じさせた時窓も開けていないこの部屋は、僕の額に雫が垂れた。あまりの限界さに窓を開け、空を見上げた。きれいな空は僕の心を綺麗にしてくれた。心地の良い風と共に僕はまた一眠りついた。
夏休みが明け学校に行った。相変わらず騒がしい教室は、また僕を苦しめた。前を見ても後ろを見ても顔を認識できなかった。夏休み前まではみんなの顔をいつも通り認識できて過ごしていた。いつからだろうか誰の顔を見ても顔としての認識ができなくなったのは。元々教室の隅っこにいるタイプだったから別に困難じゃなかった。ただ、教室により居ずらくなった僕はよく屋上へ逃げていた。
「はぁ、憂鬱だ。何をしていてもみんなの声しか認識できないし楽しくないや」
そんなことを言っているとドアの開く音が聞こえた。みんなの人気の一ノ瀬 桜先輩だった。なぜか顔を認識できたのだ。
「だめだよ!飛び降りちゃ」
「え?」
先輩は僕が屋上から飛び降りようとしている姿に見えたそうだ。急に僕の手を引っ張って、チャイムが鳴るまでこっ酷く叱られた。顔を認識できた喜びで叱られているのに全く頭に入ってこなかった。
「ねぇ聞いてる?私今怒ってるんだよ?」
「はい、聞いてます」
思わず嘘をついてしまった……
先輩には悪いと思いながらチャイムが鳴った瞬間逃げてしまった。
学校が終わり一目散に帰って部屋に篭るとまた気持ちのいい風が僕を包んだ。綺麗な夕焼けを見ながら風に揺れるカーテンがどこか涼しそうに見えた。
いつの間にか寝ていて飛び起きた時にはもう21時だった。僕は焦って学校の宿題を終わらせ、お風呂に入りご飯を食べた。そんな毎日を過ごしているとあっという間に朝が来る。
先輩が僕の教室に来た。大きな声で僕の名前を呼ぶとみんなが一斉に僕の方を見た。その視線が嫌でしょうがなかった。
「なんですか?もう大きな声で僕の名前を呼ぶのはやめてください」
「いやぁごめんごめん」
先輩は笑っていた。どこに笑う要素があるのかわからなかったが楽しそうなところを見ると許してしまった。一方的に先輩が話して僕はそれを聞くだけの日が毎日続いた。先輩は喜怒哀楽を繰り返しながら他愛のない話をしていた。
休みの日は、先輩がわざわざ家に来て僕の部屋にある漫画を読んだり一緒にゲームしたりと一日を過ごした。コンビニに行って家に帰った時リビングから笑い声が聞こえた。もしかして、と思い僕は急いで駆けつけると先輩とお母さんが楽しそうに学校の話をしていた。まさかと思い急いで先輩の手を取って部屋に逃げ込んだ。
「何か余計なこと言いました?」
「面白いお母さんだね意気投合しちゃったよ」
お母さんと何を話してたのか気になるが、何も聞かないようにした。
先輩はいつも18時に帰る。過ぎる時間は少ないと感じるようになった時電話が入った。お母さんの声が焦っていた。どうしたんだろうと思って急いで下を降りた。
「桜ちゃんが救急車に運ばれたって電話が!」
僕は急いで家を出る準備をして先輩の病院先に向かった。頭と腕そして骨折した足にギブスをはめられていた先輩を見て僕はなぜか安心したように力が抜けた。
「良かった。生きていて」
僕は静かにベッドの横にあった椅子に座り先輩の顔にそっと手を添えた。
(もし先輩が死んでいたら、僕はどうしただろうか)
そんなことを考えていると帰らなければいけない時間になったが僕は心配で帰れなかった。看護師さんにお願いして今日だけお願いしますと言うと渋々了承してくれた。いつの間にか眠りについた。
蝉の声と共に起きた時、先輩が笑顔で
「起きた?」と聞いてきた。
僕は飛び起きて、目を覚ましていた先輩を見て
自然と涙が溢れた。
いつも笑っている先輩だからこそ、焦っている顔を見ると不意に笑ってしまった。
不思議そうな顔でこちらを見るから僕は恥ずかしくなって隠してしまった。
指の隙間から先輩の顔が見えた時ニヤニヤしている顔を見て胸が騒いだ。
病室の窓が空いていたから、風が吹いた時風で髪がなびいてその隙間から見える先輩の顔が僕は好きだった。あまりにも綺麗で言葉が失った。
僕は一度家に帰った。お母さんが心配した顔で「桜ちゃんどうだった?大丈夫だった?お母さん心配で心配で」
お母さんも心配していたらしく、目の下にクマができていた。
「頭に包帯巻かれてて、足骨折してた」
そんな事を言うとお母さんは焦ってお見舞いの準備をしていた。何を持っていけば良いのかわからなかったみたいで、時間がかかっていた。
僕はまた一眠りついた。
お昼に目を覚ましたころお母さんが帰ってきていた。安心したような顔をして、お母さんも寝ていた。僕は最低限のものを持っていき、先輩のお見舞いに言った頃同じ学年の人や先輩の同級生の人に囲まれていて教室の隅っこにいる自分は到底そこに紛れ込むのは無理だった。帰ろうとすると来ていた人たちが「もう帰るね」と話していて僕はすぐさま隠れた。帰った後、僕は今来たような振る舞いで先輩の病室に入った。先輩はなぜか嬉しそうな顔をしていて僕はまた胸が騒いだような感覚だった。
先輩の頭の包帯はいつになっても取れなかった。僕はどうすれば先輩を喜ばせる事をできるんだろうと思っていたら看護師さんが来た。
「検査しますね」と言っていて僕は驚いた。
もう治っていると思っていたからこそ、検査という言葉を聞いて唾を飲み込んだ。
先輩は相変わらず笑顔だったが声が震えていた。
「じゃあ、僕は帰りますね」
「うん!またね」
そういうと先輩は倒れた。
看護師さんが先輩の名前を呼びナースコールを押した。すぐにお医者さんが来て、先輩を連れて行った。
あの時の僕はわからなかった。事故の時頭の打ちどころが悪く長くは持たないという事を。先輩自身をそれはわかっていた。そんな素振りを見せずにいつも笑顔だった先輩は、僕にとっては天使だった。その笑顔すら尊かった。
先輩が死んだ。倒れた後、お医者さんがいろんな事をしたが間に合わなかった。僕は、受け止め切らなかった。好きだという言葉は、脳に焼き付いた。
「どうして、死んでしまったんですか先輩。僕を置いていかないでください」
そんな事を言っていると看護師さんが僕の方へ来て一つの紙を渡してくれた。
「この紙、桜ちゃんが君に書いた手紙を私がもし危なくなったら渡してくださいって言ってたんだ」
僕は中を開くと一文が書かれていた。
震えた文字で書かれていた。
「好きです」
手紙が涙でたくさん濡れた。
言えなかったことに後悔した。僕は思った。
これから君のいない人生を生きるのは、僕に取っては振り出しに戻ったと同じ。だからこそ僕は君が生きれなかった分まで生きてみせる。そしてお墓参りにいこう。行ったら君は待っていてくれるかな?その度に君に好きだと伝えよう。
君に届くまで、僕は何度でも。