076 嫌いな先輩と
キス待ちな女子中学生とぜんぜんまったくキスなんかしてないけど、なんとなく意識してしまってつらい。
ごまかすようにめいっぱい遊んでいるとあっという間にお昼時になっていた。
そろそろ先輩が来るんじゃないかなとふと思ったとき、背後に気配を感じて振り向くともういた。
「やあ」
「んにっ……び、びっくりしましたよ先輩」
「それはそうさ。驚かせようとしたんだから」
にこにこと笑う先輩がキスをくれる。
それから少し離れて顎に手を当てた先輩は、前をひもで結んだ大人っぽいバンドゥビキニを着ている。
見とれる私の身体をゆるやかになぞった目がわずかに開いて私をみつめる。
「似合っているね、ユミカ」
「ぁ……はい。……キサラ先輩も、とっても魅力的です」
先輩に呼び捨てにされただけで鼓動する心がくやしいけど、うれしい。
そっと伸びた手が、先輩からのアプローチに応えた私をほめるように頬に触れた。
「ふふ。せっかく解放的な場所だからね」
すり、と引き寄せられて胸に収まる私を抱きしめてくれる。
見上げると、先輩はどことなく薄ら寒い笑みを浮かべてどこかに視線を向けていた。
どこかにというか、方向的に明らかに姉さんだ……。
「お久しぶりですね、お義姉さん。頻繁にユミカからお話は聞いていましたから、あまりそういう気もしませんが」
「あらあら。うふふ。ずいぶんとご無沙汰だったけれど、お元気そうでなによりだわ」
ばっちばちに火花を散らすふたり。
気が付けば私を優しく包んでいた腕は、優しさそのままに頑強な拘束へと変わっている。
視線だけで助けを求めてみるけど、みんなは見ないふりをしてプールサイドでおしゃべりしていた。
嘘だろと思ってショックを受けていると、たまきだけがためいきを吐きつつ振り向いてくれた。
やっぱり持つべきものはたまきだ。
さすがたまき。
そう思っていたら、彼女は口パクで。
『ガンバッテ』
そう言ったきりまたおしゃべりに戻る。
……わーいとっても励みになったぞぉ。
「あの、えっと。わ、私おなかすいちゃったなー」
「ああそうだね。もうこんな時間だったよ。ユミカと会いたくてたまらなかったから、あまり時間を意識していなかった」
「うふふ。たくさん遊んだから私もおなかがすいたわ。お昼にしましょうか」
するりとすり抜けるように先輩から奪い取られて、ぎゅっと抱きしめられる。
唖然とする先輩というまったくレアな姿を見れてちょっぴりうれしい……じゃなくて。
けっこういろいろと好き勝手を許して甘やかしてくれる姉さんなのに、なんでこう、先輩との相性はこんなに悪いのか。これはこれで姉さんの感情が伝わってくるからそれもまたうれしい……でもなくて。
な、仲良くしてほしいなぁ。
主に私が渦中にあるわけだし。
無理かな……。
さてそんな不穏なふたりだったけど、どちらも大人ということなのかプールから上がるといたって普通に見えた。ふたりでさりげなく私の腕をとったり引き寄せたり抱きしめたりしてくるけど平和だ。ふつうにみんなともお話してるし。
そしてフードコートにやってきた。
適当に腰を落ち着けて、肌をふやけさす心地よい疲労をゆるやかに自然乾燥させる。
「んー、なに食べよっかなぁ」
「見てあれ見てあれ。ヤムチャだってー」
「ほんとだ。プールで飲茶ってなんか、なんだろ。意味わかんないね。でもおいしそう」
「みうはカレーッスかねー」
「あー。いい。それいい」
「ハンバーガーはいいの?こういう時しか食べないからって、昔はいつもそうだったわよね」
「あー。最近食べてないなぁ。買い食いしてる余裕もないし……え。待って、全部食べたい」
まさかこんなところでも欲張りが発動してしまうとは。
あれこれと目移りする私の頭を姉さんがやさしくなでる。
「どうせならみんなで分け合いましょうか。みんな好きなものを選んでいいのよ」
「わーい!」
「おねぇさん太っ腹ッスー!」
「自分の分くらいは出せますよ?」
「そうだよ。あ、メイちゃんとみうちゃんは私出すし」
「うふふ。いいのよ。こういうときくらいお姉さんをさせてちょうだい?」
そうやって笑顔を向けられてしまうと、たまきも私も意固地になんてなれない。
いつもいつも甘えっぱなしだって分かっていても、こんな風に甘やかすのが楽しいんだって言われると甘えたくなってしまうものだ。
そういうことなら好き放題に楽しむことにしようとお店に繰り出そうとすると、先輩が私の手を取った。
振り向くと先輩は笑顔を浮かべていたけど、なにかどこかいらだったように目元がこわばっている。
「遅れてきた分、少しだけユミカを独り占めさせてもらおうかな」
そう言って強引に引っ張られて、足早な先輩に連れ去られる。
みんなの視線が人ごみに阻まれて、ふたりきりになってなおその足が歩を緩めることはない。
私がするっと腕をひねって抜き出すと、先輩は勢いよく振り向いて肩をつかんだ。
そのとたん瞳を動揺させた彼女は私を開放すると、ふらつくように後ずさって額を抑えた。
「……ごめん」
か細い声で言った先輩が踵を返そうとするのを止めて、むりやり指を絡める。
「せっかくだから色々見て回りましょうよ」
今度は私が先輩を無理やり引っ張っていく。
今の先輩は、この前路地裏で泣いていた時のように、放っておけない。もちろん先輩は先輩だから前みたいにすぐに乗り越えてしまうのだろうけど、だからって安心して手を放すような人間ではいたくなかった。
―――それからしばらく、ふたりで歩き回った。
私から話しかけると先輩はいつもみたいに答えてくれて、だけど言葉が途切れると、やっぱりまだ、どこか暗い。
やがて、本物のドネルケバブを遠目に鑑賞しているときに、先輩のほうから口を開いてくれる。
「ガキみたいだろう。ボクは」
「先輩がガキなら私なんて新生児ですよ」
わりと本気で答えたつもりなのに、先輩は柔らかく微笑むだけ。
それは私が新生児並みに欲望に忠実だと納得しているのか、それとも気遣いと解釈してくれているのか……。
深くは考えず、先輩の言葉を待つ。
「正直に言うと、ボクは、ずっとキミのお姉さんが嫌いでね」
「嫌い、ですか」
苦手、とかではなくそこまで積極的に負の感情を抱いていることが、少し意外だった。
先輩は確かに、どちらかというと激情家だけど。
……なんとなく、飲み込みにくいものが肺にたまった。
「だってそうだろう。キミが生まれた瞬間からキミを知っていて、キミがまだおむつをしていたときや、ミルクを飲んでいたときからお世話をできたんだ。もしかしたらキミに哺乳瓶でミルクをあげていたかもしれない。それならきっと排気の手伝いだってしただろう。溢乳だって受け止めたに違いない。キミのオムツの替え方を親より知っているに違いない。夜泣きでキミに起こされただろう。キミの泣き声で気持ちを知ることだってできるはずだ。どんな原始反射の思い出もあるに決まっている。喃語の中に自分の名前があったような気がして何度もせがんだりして。もしかしたら初めての言葉は『あみ』だったかもしれない。キミの生えかけの乳歯に触れただろう。指をおしゃぶりされたり、おもちゃで叩かれたりだってありえる。それに―――」
「あの、その調子でいくと先輩に会うまで8年くらいかかります」
語るにつれて見開かれ、反面光を失っていく瞳が私を見る。
動きが妙に無機質で悲鳴を上げそうだったけど何とかこらえると、瞬き一つでかろうじて現世に戻ってきた先輩は苦笑する。
「ともかく、そんな風にキミと歩んできたあの人が、ボクは嫌いなんだ。誰よりも早くキミの心を受け取って、そして未だに……きっと未来永劫、キミにとって揺るぎない特別であり続けるあの人が」
そんなことはない、と。
言ってあげられたとしても、意味はなかっただろう。
それがよく分かるからこそ沈黙するしかなくて、先輩はそれを、残酷なまでに優しいと笑う。
ああ。
なんだろうなぁ。
なんだか、気に入らない。
「あの人と比べれば、ボクなんてただのガキだ。大人ぶっているけれど嫉妬しいで、キミがどんなふうにしても受け入れて先輩でいると約束したって、結局守れないでいる。キミを性にだらしなく堕落させて他の人に愛想をつかれるまで我慢しようと思っても、どうしたって我慢できない」
さらっととんでもないことを言われた気がしたけど、今更といえば今更なので気にしない。
というか、そういう意図であんな写真とか撮ったのか……。
先輩の独占欲が熱烈すぎて、うっかり頬がほてってしまう。
だけど先輩の続く言葉に、体が冷える。
「そんな自分がどうしようもなくみじめに思えてしまうんだ。あの人と向き合っていると。他のだれがキミを見捨てたって、あの人だけはきっとキミのそばにいる。……キミも、あの人のそばにいる」
きっと、という言葉は、それこそきっと、本心じゃない。
先輩の言葉は確信に満ちている。
先輩の気持ちは、例えば嫉妬だし、劣等感だったり、またはあこがれだったりするのだろうか。
その独白を受け止めた私の返答は、たぶんいくつかあった。
慰める、否定する、はたまた肯定する……。
でも真っ先に口から飛び出した言葉は、そんなものじゃなかった。
「で?」
自分でも、ひどくイラついているのが分かる。
のんきに回ってんじゃねえよと、ケバブに八つ当たりしたくなるくらい腹が立っている。
リルカをむりやりみぞおちにたたきつけて、噛みつくように顔を寄せた。
「なんですかそれ。私の前でほかの女にそんな、は?先輩私のこと好きなんですよね。なのになに私以外にそんなもの向けてるんですか」
呻いて前かがみになった先輩の耳に噛み跡を刻む。
小さくこぼれた悲鳴がまた腹立たしい。
「先輩のやきもちを許してやってるのは私にぶつけてくれるからなんですけど。誰がほかの人に向けていいって言ったんだ。なんで私以外を嫌ってるんですか。恨みも妬みも憎悪も好きも、全部私に寄越せよ」
先輩の嫉妬はとても悲しくて、つらくて、だけど同時に心地いいとも思える。
だってそれだけ先輩が私を想ってくれているということだ。
そんな考え方がよくないとわかっていても、先輩からの嫉妬の炎は容赦なく私の身を焦がす。
だけどその感情が私以外に向いている現状は、看過してはいけない。
気に入らないのはそこなのだと、吐き出してようやく気が付いた。
嫉妬しているのだ、私は。
嫌いなどという強い感情を向けられる私以外の人間に。
だっていつだって先輩の感情は私に向けられているはずだ。
だからああしてレイプまがいのことをしようとした。
痛みさえ考慮できないほどに力強く扱った。
強引に連れ去られて、激しく肩をつかまれた。
なのに今、嫌いだと語る姉さんへ向くこの視線はなんだ。
嫌いの感情の赴くままに私を痛めつけたっていい。
なじってズタボロにしてくれてもいい。
だけどそんな、まるであきらめたみたいな羨望をこの場にいないやつに向けるなど言語道断だ。いま私は目の前にいるというのに。
―――ところで。
怒りという情動は数秒しかもたないという。
あるていど言い切ったところでスッキリした私も、我に返るようにあっさりと怒りは静まっていた。
先輩にひどいことを言ってしまったなという後悔と、先輩に言ってやったという自己中心的で不埒な感動だけがある。
荒れた吐息を落ち着けるように深呼吸をしていると、ぐわ、と持ち上げられた。
いわゆるお姫様抱っこというやつ。
ただどうしてだろう、お姫様みたいなきらびやかな気分じゃなくてむしろ死刑台に誘われる死刑囚のような心地なのは。
……主にこの視線のせいだろうなぁ。
「せ、先輩。その。あのですね」
言葉の綾だった、言い過ぎた、ごめんなさい。
どの言葉も口から出せない。
「ユミカ」
「……はい」
「キミから始めた戦争だよ」
「………………はい」
今からキミを嬲り殺すと言われたほうがまだマシだったかもしれない。
そんなことを思った。
たぶんきっと、この時点で確信だった。




