058 憂鬱な後輩ちゃんと(3)
ぱくもぐぱくもぐ。
もぐぱくもぐぱく。
もぐ……!
〜〜ッ!どんどん!
ごくごく。
ぷはぁ。
「死ぬかと思ったッス!」
「すごい食べっぷりだね?」
まさに一心不乱としか言えない勢いで、危うく窒息死しそうになって牛乳一気飲みするくらいだ。やんちゃすぎる。そんなキャラだったっけ後輩ちゃん。
「センパイのクッキーが美味しいからッスよー♪」
唖然とする私に、彼女はにぱーっとそれはもうきらめく笑顔を見せる。
嬉しいことを言ってくれるのはいいんだけど、エプロンにまでクッキーの欠片が落ちてなんというか……幼女かな?
表情も相まって幼女感がすごい。
そんな精神年齢を落とすほど美味しいんだろうか、と思って私もひとかけ食べてみると、まあ、手作りだなっていう感じ。小麦粉の味がする感じ。あとアーモンドスライスが香ばしくていい感じ。つまり私の好きな感じ。
「ふふ。ほんとだ、みうちゃんのクッキーとってもおいしい」
私の好きなものを一緒に喜んでくれる彼女が愛おしくて、なるほど幼児退行したくもなる。
好きを率直な形で示すのは、やっぱり気恥しさもあるし。
「あーん」
だから私は、食べかけのクッキーを後輩ちゃんに差し出した。
すると彼女はパクッと指ごとくわえて、ちゅるりと舌でクッキーを持っていく。そしてその手を胸までくいっと誘ってにこにこと小首を傾げた。
「ふきふきしていーッスよ?カワイーこーはいをお手フキにしちゃっていいッスよ……♡」
「お手拭きになるのは我が家のエプロンなんだけども」
と言いつつふきふき。
ひどく繊細なコントロールがないと危うく大変なところに触れてしまいそうで、はちゃめちゃに神経を使った。
「……まだ拭けてないんじゃないッスかぁ」
「気のせいだと思うよ?うん」
ひどく不満げな彼女をスルーして手を避難させる。
ちぇっ、とかわいらしく鳴いた彼女は、だけどすぐに気を取り直すとクッキーを咥えて顔を近づけてくる。
「おはえひっふぅ♪」
「クッキーゲームだ」
まああれもクッキー菓子だしむしろ原典感あるよね。クッキーゲーム。
そんなことを思いながらクッキーの端をかじると、貪欲に勝ちを狙う後輩ちゃんがガブッと攻めてきた。
ぐいぐい押し付けられるクッキーを受け入れると、後輩ちゃんは顔を離す。
「勝ちッス!」
「どういう判定基準……?」
いや別に文句はないけど。
もぐもぐとクッキーを食べて、それから反撃。
「はひ、ろーろ」
「むむっ。うけて立つッスよー♡」
私が咥えるクッキーの向こう側に後輩ちゃんがやってくる。
分かりきった展開ににやにやする彼女の脇をつゅんとつついた。
「んにっ」
ぺきっと割れるクッキー。
ずいぶん小さくなってしまった欠片をもぐもぐしながら、ぱちくりとまたたく彼女に笑いかける。
「負けたから罰ゲームね?」
「ず、ずるいッスよぉセンパイ……♡」
とは言ってみるものの、特に罰ゲームとか考えてない。
どうしよっかなーとか思いながら、後輩ちゃんの肩を抱いてみる。
こてんともたれかかってくる彼女を見つめているとそっと顔が近づいてくるから、指先でふにっと受け止めた。
「ちょっと目、閉じよっか」
「はいッス~」
きゅっと目を閉じて、これ見よがしに唇を突き出してくる。
かわいい。
けど私はそれを受け入れず、彼女の耳をそっとふさいだ。
しばらくなにもしないでそうしていると、後輩ちゃんは少しだけ頬を染める。
いったい何を想像したのやら。
私は口元だけで笑いながら、鼻先をちょいと触れ合う。
つんつんとつつくと目を閉じたまま突き返してきて、彼女はくすくすと笑う。
鼻先をそっと動かして、彼女の耳のあたりを香る。
くすぐったそうに身をくねらせる彼女の頭をぎゅっと抑えて、手の隙間から咎める言葉をしみこませる。
持ち上がった頬をなぞり、首元に下る。
鼻の下を密着させてかぐと、ひやりと甘くてツンとする。
制汗剤と日焼け止め、それから彼女のにおい。
首とアゴの境目を念入りに嗅ぎあげて、頬を密着させる。
ふぅと吐息すれば、後輩ちゃんの唇がふるりと揺れる。
私は彼女の正面に顔を持ってきて、また鼻先を触れ合う。
くいと顎が上がろうとするのを額を押し付けることでじらして、後輩ちゃんの喉がごくりと鳴るのを聞いた。
私は顔を離して。
「やっ」
後輩ちゃんがぎゅっとエプロンを握って近づけてくる唇を受け入れる。
わざと音を立てるように唾液を満たしてくちゅくちゅと彼女を舐る。
彼女は思いきり身体を押し付けてきて、舌を動かすたびにびくびくと震えを我慢した。
つぃ、と口を離して、そっと耳を解放する。
ほぅ、と目を開いた後輩ちゃんが、余韻を味わうようにちゅっちゅと首元にキスをくれた。
「ふさがれるの、いいッス……♡」
「あはは。罰ゲームなんだけどなー」
笑いながらクッキーを差し出すと、彼女は舌で誘導するようにぱくりと食べる。
かわいい。
あまりにかわいいから、ついついクッキーをいっぱいあげてしまう。
お返しをふたりでシェアしてみても、おおよそ八割くらいは後輩ちゃんが食べてしまったんじゃないだろうか。
せっかくならお土産にでも持って帰ってもらおうと思っていたのに、すっかりなくなってしまった。
クッキーを食べた私たちは、のんびりと私の部屋でくつろぐ。
なにせ薄着の最終形態みたいな感じなので、べったりと触れ合っているだけでも心地がいい。恋人との行為はこんな風に穏やかだと素敵かなぁ、とかそんな風に思えるような時間だった。
楽しい時間というのはやっぱりあっさり過ぎてしまうもので、気がつけば夕方を通り越している。なにせ日が明るいから、夕日なんて間違い探しみたいなものだ。
―――そろそろ帰ったほうがいいんじゃないの。
そんな言葉は、なかなか口から出ようとはしなかった。
彼女の言う『もうちょっと』を、待ってしまっている自分がいる。
もしかしたら彼女は、私が言い出すのを待っているんじゃないかと、そんな風にも思えてきた。
彼女からは言い出しにくいから、私に判断をゆだねてくれているんじゃないかって。
けっきょく私は、自分のほうから切り出した。
「きいても、いい?」
「……ッス」
彼女は断らず、困ったように眉をハの字にして笑う。
私はわずかなためらいを吹っ切って、言った。
「いつまで、この格好でいた方がいいかな」
「センパ…………え、あ、はいッス?」
「や、だってこの格好さすがにあれじゃない?おゆはんまでこれで食べるの?天ぷらだよ?」
「それは苦行ッス……じゃなくてッス」
ふるふると首を振った後輩ちゃんがキッと表情をひきしめる。
「なんで聞かないッス?」
「や、最初からこれ聞こうと思ってたけど」
「あの空気感でッスか!?」
驚愕に目を見開く後輩ちゃん。
もちろんとうなずいた私は、彼女をぎゅっと抱きしめてごろりと転がった。
ごろごろといちゃついて、彼女を見下ろす。
「気になるよ。無理やりでも聞きたい。そうしたほうがいいのかもしれない。だけど、待ってほしいのなんて言われなくたって分かるよ」
彼女はこう見えてけっこう臆病だ。
だけど私にあんなしあわせなキスをくれた。
彼女のキスは、たぶんたくさんの想いの先にある。
それを示してくれた彼女に返すべきは、愛情であってわがままじゃない。
「私が話させたって、それはそれでうまくいくよ。きっと。そうしてみせる。だけど、それを決めるのは私じゃない。少なくとも、あなたが私の言葉を待ってるようには見えないよ」
「……どうしてッスか」
「じゃなきゃウチになんて来ないよ。用があって来たんでしょう?理由を口にしにくいような、だけど来なきゃいけない、そんな大切な理由が」
私は彼女にのしかかるように抱きしめて、ぎゅうと体温を押し付ける。
「言いたいときでいい。私に知ってほしいと、本当に思ったときに教えてね」
「……センパイは、どうしてそんなズルいッスか」
彼女に肩を押されるままに、起き上がる。
見下ろす彼女は涙を流して、くしゃくしゃに顔をゆがめていた。
震える手がすがるようにエプロンを握って、のどをひどく痛めつけながら、固まった血の色をした懇願を。
「センパイ……みう、カエりたくないっす」
そう言って見上げる彼女を、私は当然に受け入れた。
愛する人にこんな顔をされて、抱きしめない人間がどこにいるだろう。
焼けつくように熱い胸の疼きが私の心臓を弾ませて、心根からしとどに濡れていく。
姉さんのいない、ふたりきりの夜だった。




