039 オトナなOLと
寛容な姉さんはとても寛容なので、デートの翌日に一日めいっぱい奉仕するだけで許してくれたよ。
とても寛容だね。
という訳で夏休みだ。
やったぜエブリデイ。
夏休みというだけでなぞに浮かれてしまうちゃらんぽらん女子高生の私なのだった。
さて記念すべき夏休み三日目、昨日の名残で姉さんをキスで起こしたりというハプニングはありつつも、午前中はいたって平穏なものだった。
なにせ宿題しかしてない。
宿題先に終わらせる派の私にとって夏休み最初の数日はそういうものと決まっている。だからこそ姉さんとのご褒美デートにも価値があるというもので。
いったん姉さんと息抜きしつつ、まあ午後もそんな感じかなと思っていると。
てろててろれん♪
どこからともなくコールミー。
見てみると、どうやら例のOLさん。
「ゆみは着信初期設定なのね」
「姉さんは違うの?」
「ユキノに教えてもらった曲よ」
「へぇへぇそうですかい。けっ」
御剣ユキノ―――姉さんの恋人だ。
ふてくされつつもなんとなくイヤホンを装着しているうちにコールが途切れる。
姉さんのなでなでにあっさり機嫌を取り直されながらもかけ直すと、ワンコールしない間に繋がった。
『ゆ゛み゛ぢゃ゛ん゛ん゛!!!』
「ひぇっ」
めちゃくちゃ泣いてる。
えんえんと泣いてる。
おーえるさんはがぶがぶないたよ。
「お、おねぇさんどうしたんですか?」
『あ゛い゛だい゛よ゛ぼぉ゛』
「ど、どうどうお姉さん。えっと」
「なあに?」
ちらっと視線を向けたらすぐに反応してくれる姉さん。
とりあえずただ事じゃなさそうだし外出することを伝えよう。
そうして口を開く私の耳のなかで、成人女性のギャン泣きがこだまする。
『ゆ゛み゛ぢゃ゛ん゛の゛ゔら゛ぎり゛も゛ん゛ん゛!』
てろれん♪
……通話が切れた。
裏切者?
いったいなにが……。
「えっと、姉さん。ちょっとお出かけしてくる」
「あらそう。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
ちゅっとキスして、しっかりと支度を整えてからいざ出陣。
といってもどこにいるか分からないのでとりあえず自宅に急行することにする。今回は昼間だし、もし見られても変に思われることはないだろう。
ちなみにメッセージで呼びかけても返事はなかった。
本当にいったいどうしたのか……前回が前回だしあまり心配はないけど。
という訳でお姉さんの自宅。
オートロックの前でインターホンを鳴らすと、やや遅れて返事。
『はい、ってゆゆゆゆみちゃんッ!?なっ、ちょっ、なんでぇっ!?』
「呼ばれたので来ちゃいました」
『と、とりあえず上がって!あ、部屋分かる?案内しよか?』
「1103ですよね。だいじょぶですよー。鍵開けてくーださい」
『今開ける!』
うぃーむ。
鍵の開く音。
半球形のカメラにふりふりと手を振って扉をくぐる。
それからエレベーターに乗って11階へ。
行ってみると、見るからにさっき顔を洗ったなっていうお姉さんが、かろうじて寝ぐせだけ押さえつけましたっていう乱れた髪で待っていた。
しかもジャージ。
よれよれのやつ。明らかに着古してる。
かわいいかよ。
母性的なものをきゅっと掴まれていると、胸に『島崎』っていう刺繍があることに気がつく。
お姉さんの名前は『日比野司』っていうはずなんだけど、誰だろう島崎さん。
お姉さんは私に気がつくと、とてもバツが悪そうに眉間にしわを寄せた。
「ごめんな。急にあないな馬鹿なことしてもうて」
「いえいえ。あ、保冷剤とホットアイマスク買ってきましたよ。なんか冷やしてからあっためると腫れないらしいので」
「そんなええのに!あぁもう、年下の子ぉにこないなことさせてウチほんま……あぁぁあぁ……」
「まあまあ。誰にだって落ち込んじゃうときありますから」
ずぅぅぅんと落ち込んでしまうお姉さんをなだめながら家に上がり込む。
タオルを借りて保冷剤をくるんだやつを手渡すと、お姉さんはそれを目に乗せて気持ちよさそうにした。
「それでどうしたんですか―――って、なんとなく原因っぽいものありますけど」
テーブルに粗雑に置かれた一枚の手紙。どうやら結婚式の招待状らしかった。
お姉さんに断りを入れて中を拝見させてもらう。
新婦さんふたりの名前が書いてあって、旧姓も併記してある。どうやら片方のお嫁さんの苗字をもらう形らしい。書類上の面倒よりもロマンを取るタイプとみた。今流行りの指輪と一緒に苗字をあげるやつね。
それぐらいしか私に分かることがあるわけもなく……おお?
よく見ると、新婦さんの片方の旧姓が『島崎』とある。
つられるようにお姉さんのジャージを見ると、お姉さんは保冷剤の隙間から私を見ていた。
なるほど。
「元カノさんが結婚するからショックだったんですねぇ」
「め、めちゃくちゃズバッと言うやん?」
そうねんけど……ともじもじするお姉さん。
なるほどなるほど。
とりあえずリルカを差し出しておく。
お姉さんはちょっぴりためらいつつもそれを受け入れた。
そんなお姉さんから保冷剤を取り上げて、手を引いてベッドに誘う。とふっ、と横たわって、私はお姉さんを見上げた。
お姉さんはきょどきょどと目線をさまよわせていて、言葉の正しさはさておききわめて童貞っぽい。
「それでぇ、慰めてもらうために女子高生を家に呼んじゃったんですねぇ……♡」
「いっ……やそうねんけど、」
「もしかしてぇ、名前似てたからですかぁ?」
「うっ、やでも連想しただけで変なことは考えてへんよ!?」
「くすくす♡ヘンなことってぇ、なんですかぁ?」
「おゔっ」
自らぶち抜いた墓穴に頭から落ちていく成人女性面白い。
かわいい。
むしろかわいい。
くすくす笑っていると、お姉さんはムッと頬を膨らます。
頬を膨らます……?
成人女性が……?
かわいい。
「そ、そないな冗談言ってマチガイあったらどないするん!」
「えぇー?どうしちゃうんですかぁ?」
「どうもせーへんよ!カノジョさんに申し訳たたへんもんッ!」
「へ?いませんよ」
あまりにも突拍子もないことだったからつい素になってしまう。
ぱちくりまたたく私にお姉さんはしばし絶句して、それから呆然と問いかけてくる。
「で、電話の子ぉは?」
「姉さんですか?」
「ねっっっっ!…………」
ぽすん、とベッドの縁に座るお姉さん。
口から魂を吐きながらぽぁー、と明かりを見上げる彼女は、それから大きくため息を吐いた。
「そなんや……なんか……」
「ふふっ。安心しましたか?」
「せやね……そらそうやろ、だって、」
「私のこと好きだから、とかですか?」
「は―――」
起き上がって尋ねると、お姉さんが硬直する。
じぃっと見つめていると頬が紅く染まっていって、それから自分の手を見下ろして、また私を見て、自分を指さして、私を指さして、それから自分の頬に手を沿えて。
「―――ちゃうよッ!?びっっっっくしたぁ!なん、なんやびっくりしてそないな気ぃしてもうてんけどちゃうよ!?罪悪感的なやつやからね!?ってゆかそーゆんちゃうって前も言うたよ!」
「じゃあ嫌いなんですね」
「なんでそうなるん!?」
「じゃあ好きですか?」
「すっっっっっ、ちょおッ!」
「す、き、で、す、か?」
ずい、と迫ると、彼女はたじろいで。
あぅあぅと言葉に詰まった彼女は、それから突然表情を消す。
怒らせてしまったかもと思っていると、彼女はぐいっと私を押し倒して馬乗りになった。
「ゆみちゃんが誘ってんで」
「あ、の、?」
「そもそもゆみちゃんこういうことされたいんもんな」
どこか虚ろな目をしたお姉さんが頬をひしゃげさす。
お姉さんの手が服の上から胸を持ち上げて、突然のことに息が詰まった。
「安心しいな。ウチセックスだけは上手いって褒められよるん。ロクに女も知らんガキひとり、その気やのうても鳴かせられんで」
お姉さんはそう言って顔を近づけてくる。
近づけて。
近づけて。
近づけて……。
「ちょ、っとは抵抗しいなッ!」
ずばっ!と勢いよく離れて行くお姉さん。
そっぽを向いて頭痛が痛そうに頭を押さえた彼女は、保冷剤を拾って額に当てた。
「あんなぁ、こないなよう知らん女にいいようにされとったらあかんよ。ちゃんと抵抗せなほんに危ないんよ」
「だって、お姉さんはしないですよ。そんなこと」
後ろから抱き着いて、これみよがしに身体をすりつける。
お姉さんは困ったように顔をしかめるけど、こうしてもまったくためらいがない辺りほんとに警戒していないんだなと他人事みたいに思う。
彼女が私を拒むよりも前に、私は言葉を続けた。
「こんなちょっとの時間でも、お姉さんがとっても頑張り屋さんで、寂しがり屋さんで、良い人だっていうのは知ってます。きっと私よりもっといっぱいお姉さんのステキなところ知ってたのに、別れちゃうなんてもったいない人ですね。島崎さんって」
くすくすと笑うと、お姉さんは驚いたように目を見開いて。
それからふっと優しい表情になって、目を保冷剤で隠した。
「アイツとはな、中三?から高校三年間とか、結構しっかり付き合っててん。やのにめっちゃひどいケンカ別れして、ちゅうてもウチはずっと好きやってんけど、あっちがもう付き合っとれんとか言うて。もうええわーっつってな」
冗談めかしながらも、懐かしむ声音は穏やかで。
思い出を語っていると分かるから、なにも言わずに耳を傾けた。
「そのあと吹っ切れて大学でまた新しい恋とか始めてんけど、どれもあんま上手くいかんでな。そんでウチって多分レンアイとかできへんねやろなぁ思ぉて……気がついたら社会人になって三年とか経ってんよ」
苦笑するお姉さんが、テーブルにある招待状を見る。
「そんで急に結婚とか言われて、懐いやらめでたいやらもあんねんけど、羨ましい……ちゅうか妬ましい?ウチの恋愛にケチつき始めたんアンタんせぇやろぉーとか勝手に思ったりしてな。そんでなんかバカんなってもうて、ゆみちゃんに電話してんよ。こないなこと同僚にも友達にもようグチれんし……つって、普通に考えたら関係あらへん女子高生にグチるってのが一番どうかしてんけど」
からからと笑うお姉さん。
そんなことないと、私は首を振る。
「お姉さんに甘えてもらえると、私うれしいですよ」
「あはは。なんや、ゆみちゃんって将来魔性の女になりそうやな。年上キラーっちゅうん?」
「ふふっ。お姉さんもコロっとやられちゃってるんですか?」
冗談めかして問いかけると、お姉さんはまた笑って、それから大きく頷いた。
「せやよぉ。大人んなるとなかなか甘やかされたりとかできへんから。年下の子ぉでも、こないされると弱いんよ」
「へー。今度の参考にしますね」
「うぅわ、悪い子ぉや。魔性や魔性」
後ろ手に脇腹を摘ままれる。
痛い痛いとはしゃいで笑うと、お姉さんはふっと真顔になる。
じっと見つめられて、少し戸惑う。
甘やかすときのお姉さんでも、さっきみたいな無理して無表情してるような感じでもない。
とても真剣な目だ。
「あはは、おねぇさんえっちな目で見ちゃだめですよぉ」
見つめていられなくて目を逸らすと、お姉さんはそれを許さなくて、頬に手を沿えて私の視線を誘う。
「ウチ大人やし、さすがに女子高生相手にレンアイとか戯れたりせえへんのよ。そないなことゆうても、ゆみちゃんの青春に責任取れへんってよう分かっとるから」
「う、うん」
胸に手を沿えてキスを迫られるよりも、ずぅっと心臓を弾ませるお姉さんの言葉。
お姉さんが私を見下ろして言っていた脅しの文句が、なぜか妙にリフレインする。
「せやけどな。ウチも女やねん」
頬がすれ違って、耳元に吐息。
「―――いい人続けんのもけっこう大変やって、ちゃんと分かっとってな」
ちゅっと頬に触れる、ささやかなお願い。
なにかとてつもない敗北感があった。
それなのにまんざらでもないというか、なんというか。
「じょ、女子高生に甘やかされたがるヘンタイさんなのに生意気ですよ」
「それ引き合いに出すんはずるいやんもぉー」
けらけらと笑うお姉さんはいつも通りに戻っていて。
ふにふにとかほっぺつまんできて。
その余裕がなんとも気に入らない。
「……お姉さんなんて一生恋人出来なくて私に買われてればいいんだ」
「それゆみちゃんまで巻き沿いになっとるよ?」
「え?」
なにを言ってるんだろうと、シンプルに思ってしまって。
そして思い至ったとたん、私は撃沈した。
「えっ、ゆみちゃん……?ウソ、あの、お姉さんゆみちゃんが大人んなったらちゃんと、な?」
「そういうんじゃないですよもぉー!あぁー!くっそぅ、ムカついてきた、お姉さんの恋人ぜんぶ寝取ってやる……ッ!」
「あかん!ゆみちゃんがダークサイドに堕ちてもうた!ウチが魅力的なばっかりに!」
「え。本気で言ってるんですか」
「そこで梯子外すん!?」
わーわーとはしゃぐお姉さん。
澄ましていられず吹き出すと、お姉さんは笑いながら押し倒してきて、くすぐられたり、くすぐり返したり。
その後はなんだかふたりでおかしなテンションになって、招待状の御出席に花丸かいてけらけら笑ってみたりとかして遊んだ。あとお姉さんのアルバムとか見て思い出話を聞いたり。
なんだか甘やかすっていう雰囲気でもなかったけど、まあお姉さんは元気になったみたいだからよしとしよう。
めでたしめでたし?




