033 キレイなスポーツ娘と
教え上手な担任教師にいろいろ芸を仕込まれることになったりはしたけど、それ以外は基本的に問題なく日常生活を送れそうだった。
なにせ結局はウワサでしかないんだし。
先生がいろいろとフォローしてくれたし。
だから学校からはとくに大きなおとがめもなし。そもそも私が不純性行為をしているという事実は公式には存在していないっていうわけだ。
せいぜい校長先生からの厳重注意および哀れみくらい。
生徒からの根も葉もあるウワサ攻撃はそもそも気にならない。
このまま夏休みにでも突入すれば自然とウワサもなくなるだろう。たぶん。
そうはいってもさすがに表立って何かをしようとは思えなくて、姉さん以外へのリルカの使用は控えようかなぁと思っていた。
さすがにけっこうな大ごとになってしまったという自覚はあるし、ひとまず夏休みまでは鳴りを潜めたほうがいいだろうとそういう考えだ。
だったんだけども。
私はある日、なぜか陸上部な彼女と休日デートなんかすることになっていた。
理由は正直ちょっと分からない。
学校で、それも公衆の面前で突然『土曜日デートね』などと言われて強引に連絡先を交換させられて、ついでに紙袋を渡されたのだ。
そしてメッセージで指定された校門前で待ち合わせているというのが現状。
デートの集合場所が校門前ってどういう神経なんだとちょっぴり思う。
なにせ彼女は有無を言わせないし、平日に探してもめっちゃ逃げられちゃったものだから素直に来てしまったけど、早計だったかもしれない。
しかもこんな、待ち合わせ30分前なんかに来ちゃったものだから、なんか、さっきから部活勢の視線が痛い。
なにやってるんだろう私。
30分前って。
いやうん。なんというか、テンパっていたんだ。
わりとコミュニティの狭い自覚がある私は、家族ぐるみじゃないお出かけなんて姉さんか先輩か親友、あとは中学の頃友達だった人としか行った記憶がない。
それが突然デートなんて言われたものだから、前日夜になって頭がどうしようでいっぱいになって、お昼からのデートだっていうのに朝からてんやわんやで、迷子になって遅れないようにとかそんなことを思っていたら30分間前集合していた。
もう一年以上通ってる学校に迷子になる訳ないだろ、と思うことなかれ。じつは最初まったく見当違いの方に歩いていて、それがなかったらたぶんあと30分は早かったに違いない。
それにしても30分って早すぎるけど。
……とりあえず、近くのコンビニでも行って時間を潰そうか。
そんなことを思ってその場を逃げ出そうとする私に。
「ゆーみーかーちゃん♪」
「ぎゃああああ!」
後ろから肩を叩いて声をかけてくる誰か。
あまりの驚きに悲鳴を上げる私がたいそう面白かったようで、彼女はひとりで爆笑する。
「あっはは!ぎゃー!って!乙女の悲鳴としてどぉなのそれ!」
「う、うぅ……そ、そんなこと言わなくてもいいでしょ」
恨み言を投げつつ振り向けば、彼女は涙すら浮かべている。
それに対する怒りは、けれど驚きによって簡単に吹き飛ばされていた。
陸上のウェアを着て汗だくの彼女。
首にタオルをかけて、頬を上気させた彼女の胸はすこしだけ逸っていて、ついさっきまで運動していたんだとすぐにわかる。
その姿に、どうしてか脈が急く。
たぶんきっと、彼女の2番目に魅力的な姿だからなんだろう。
そうか私、この人とデートするんだ……。
「ユミカって私服も可愛いね。けっこうかっこいい系だ。うん、すごい似合ってるよ。急に誘ったのにちゃんとおしゃれしてきてくれてありがと」
「あぅ、」
意識した途端に放たれる誉め言葉。
しかもありがとうとか、なんだ、どうすればいいんだ。
混乱しながらもなんとか返そうとして、結局オウム返し。
「えと、そっちもすごい似合ってる……」
「あはは、ありがとぉ。でもほら、違くない?」
「う……カケルも、似合ってる……」
昨夜デートの諸々を要求された中に入っていた名前呼び。
人の名前というものをあまり意識して呼ばないから、なにか妙にこっぱずかしい。
自然にもごもごしてしまう私に、だけど彼女は優しく笑みを浮かべてなでなでをくれる……なん、いや、くぅ、デートっていう単語がずっと頭にちらつく。
「ソっ、こほんっ。そ、それにしても、校門前って部活だったからなんだね」
「んー。それもあるかな。せっかくだし見てってよ」
「え、わっ」
さらっと手を取って連れ去られる。
もしかしていま私青春ってやつをしているのでは……?
なんて、そんなくだらないことを考えて妙に熱くなる頬をごまかす。
連れて行かれた運動場。
大人気のエースが突然連れてきた見知らぬ女に注目が集まらない訳もない。
じろじろと視線が向けられて、ざわめきが周囲を取り囲む。
ちょっと居心地が悪い。
「ちょっと待ってて。センセーに見学お願いしてくるから」
「えっ、」
呼び止める間もなくばひゅんと走って行ってしまう。
相変わらず格好いい……じゃなくて。
この状況で孤立するのはなぁ。
と思いつつ隅っこの飲み物とか置いてあるところで三角座りしていると、とくに誰かに突っかかられるでもなく彼女が戻ってくる。
まあさすがにそんなに暇じゃないか。
「おまたせ。見学おっけーだって」
「ああうん。ありがと。そういえばカケルが部活してるのちゃんと見たことないかも」
「じゃあいっぱい見てってよ。初回サービスは無料だよ」
「ええ、お金とるんだ?」
「あははっ、ジョーダンジョーダン!じゃあひとっ走りしてくるね」
やけにテンション高く風のように去っていく彼女を見送る。
とりあえず手とか振ってみたけど、なんだ、この、妙な気恥ずかしさ。
もしかしてすごい場違いなんじゃないかと思うんだけど、見てってと言われたからには逃げ出すわけにもいかない。
そんなわけでうむむ、と微妙な気持ちで唸っていた私だけど。
彼女の部活姿を見たら、そんな気持ちはあっさりとなくなった。
「―――わぁ」
自然と、感嘆が声になる。
なんとなく陸上といえばっていうイメージのクラウチングポジションじゃなくて、立った体勢からのぬるっとしたスタートで。
大袈裟な号砲もなくて。
短距離みたいな風と競う疾走でもない。
彼女は走っているだけだ。
言うまでもなく速いことには速いんだけど、こう、全力疾走って言う感じじゃない分、むしろゆっくりにすら感じる。
絵面も地味で、抜きつ抜かれつのデッドヒートも特にない。
彼女は走っているだけだ。
まったく同じ繰り返しの動作。
その一部分だけを切り取ってリピート再生してるくらいに。
走っているだけだ。
それなのに、あんなにも彼女は美しい。
彼女はきっと世界一の選手に違いない。
そう思わせるくらいの圧倒的な存在感がある。
否応なく視線が奪われて、釘付けになってしまうような魅力がある。
時間が経過するものだという意識がなくなった私には、その12.5周の終わりがあまりにも唐突で。
「す、ごい」
それ以外の言葉が上手く見つからない。
語彙を模索するよりも、すべての感情を単純な言葉に乗せてしまった方がきっと伝わる。
言語というコミュニケーションに見切りをつけるくらい、彼女はすごかった。
呆然としていると、彼女はまた風のように走ってやってくる。
そしてしゅたしゅた足踏みをしながら私を見下ろす。
「やー、つっかれたぁー。どぉだった?」
「すごかった。なんか、すごい、すごかった」
「あははっ、語彙力どこいっちゃったの?」
「いやだって、すごかったよほんと」
全身が妙に熱い。
意識だけが彼女と一緒に走ろうとしていたみたいに心臓が激しく弾んでいるからだ。
「すごいっていうか、むしろすごい。めちゃくちゃキレイで、格好良くて、なんか、うわぁー、もう、あれだね、そりゃあファンクラブできるよね、うん」
首元をぱたぱたして熱を逃がしながらすごいすごいと褒め称える私に。
「……キレイ、ね」
彼女は急に表情を暗くする。
なにかいけないことをしたかと慌てて謝ろうとする私を彼女は勢いよく押し倒した。
幸い真後ろには誰かの大きな荷物があって、せっかくのおしゃれ着が接地するのはなんとか避けられる。
でもそんなことを安心する余裕はない。
間近まで近づいた彼女の顔は逆光で見えない。これだけ近いんだからそんなことないはずなのに、そうとしか思えないくらいに、彼女のことが分からない。
「―――なんちゃって。ジョーダンジョーダン。びっくりした?あははっ」
ぱっと明るく彼女は笑う。
立ち上がって膝をぱんぱんと払うと、ほんの少しだけ表情を歪めた。
思いきり膝をついたせいで、すこしだけ出血しているみたいだった。
「あちゃあ。ちょっとがっつきすぎちゃったかな。洗ってくるね」
そう言って去って行こうとする彼女の手を掴んで止める。
それだけで『いつも通り』を維持できなくて歪む顔を見ずに、手洗い場のある方に彼女の手を引いていった。
自分でできるとかなんとか言う彼女の膝を、水道水で流す。
痛そうにするでもなく私を見つめる視線を無視して、汚れを流したらハンカチで拭き取ってあげる。
「……バンソーコ、更衣室になら、あるよ」
彼女の案内に従って更衣室に行く。
どうやら絆創膏は彼女個人の持ち物らしくて、バッグを漁って取り出していた。
それならちょうどいいと、私はリルカを差し出す。
びくっと肩を弾ませた彼女はへたくそな笑みを浮かべて、冗談めかしたなにかを言うのに失敗して、口を閉ざす。
諦めたようにすっと差し出してくるスマホがリルカに触れる前にサッと退ける。
「……」
「……」
すっ、サッ。
すサッ。
「…………」
「…………」
すサすサすサすサ―――
「―――ふっ、ぷはっ!ひっ、ふっ、あはははははッ!」
「―――ふ、ふふふっ、ふ、ふくっ、くっ、あはっ、あはははは!」
どちらからともなく噴き出して、ふたりで高らかに笑いあう。
げらげら笑っているとその隙をぬって彼女はリルカにスマホを触れた。
そしてその勢いで押し倒されて彼女の下敷きになる。
「あははっ、げほっ、重いよもぉー」
「乙女に重いとか言わないでほしーんだけど!リンゴ三個分でしょぉーが!おりゃおりゃ」
「ぐぇっ、ちょっ、とまっ、やーめーてー!」
ぐいぐい身体を圧しつけてくるから冗談じゃなく死にそうになる。
彼女はまた笑ってようやく体を起こすと、私を見下ろしてまた笑った。
「もう、なんかホントユミカといると全部どうでもよくなってくるよ」
「それ私がちゃらんぽらんって言ってない?」
「えぇー?……あはははっ♪」
「そこはお世辞でも否定するところだと思うんだけど」
「あはは、ユミカにお世辞はゼッタイ言わないよ。うん。いま決めた」
さらっとそんな宣言をされてジト目になる。
いったい今後なにを言うつもりなんだこの人。
そう思ったら彼女は早速しかけてきた。
「ユミカ、今日のカッコーかわいい。似合ってる」
「そ、そゆこと誰にでも言ってるんでしょ?」
「もちろん言ってるよ。でも、ワタシはユミカに言ってる。かわいい」
「ぐぅ……」
素直になれないツンデレ風な対応をしたら見事に叩き潰された。
どうあがいても『これからの言葉は全部本音です』宣言された時点でちょろい私には特攻なんだ。どうしようもない。
顔を覆っていると、彼女がまたのしかかってくる。
やっぱり重い、けど、不思議とそれが心地いい。
顔は見えなくて、彼女の吐息が耳に触れる。
「ワタシさ、さっきユミカに嫌われたって思った。ケッコーホンキで」
「いや、なんで?」
「ワタシなんかに押し倒されたら嫌でしょ。汚いし」
さらりと告げられる言葉に、想起するのは初めてのとき。
経験があると、彼女はそう言っていた。
たぶんきっと、私のやってるようなことじゃなくて、ホントに学校に知られたらアウトになるような、そういうの。
「でもさ、ショックじゃなくてね。ワタシのヒミツ知ってるユミカなら、ワタシのこと嫌いになっても仕方ないって。今してなくても関係ないし。そんな感じで、ぜんぜん」
「寂しいこと言ってくれるね」
「あははっ。でもホラ、それくらいのことだと思うんだ。そういう職業でもないのに、っていうか高校生がお金もらって人を抱くのって。ふつうに犯罪だし?」
「それはある」
とても耳が痛い話だ。いや、私はそういう行為はしていないんだけども。
というかしれっと言うけど抱く側なんだ。納得感は強い。
神妙な面持ちで頷く私の気配だけで笑った彼女は、それから口をもっと耳に近づけた。
「でも、いまフられたらメッチャ泣く」
「……そんなに変わることあった?」
押し倒されて。
膝洗って拭いて。
更衣室連れ込んで(連れ込まれて?)。
で、リルカ叩きゲームで遊んだ。
……気のせいっていうやつだろう。恐らく。
そんなふうに思うのに、からから笑った彼女が頷くのが分かる。
「うん。っていうかなんだろ。ちょっとホンキでスキになっていい?ケッコー理想に近いんだよねー、ユミカって」
「理想?」
「そそ。白馬の王子サマ」
「これが認知の歪み……?」
白馬要素も王子様要素もない。
もしかして貧乳を弄る新手の侮辱か……?
混乱する私を、彼女はまた笑う。
さっきから笑ってばかりだ。
思えば彼女は、けっこうずっと笑ってばかりな気がする。
私といるのがそんなに面白いならまあ悪いことではないかもしれないけど、ちょっぴり悔しいような気持ちもある。
「それで、イイの?それともイヤ?」
「え?」
「ワタシがホンキになったらユミカどう思う?」
「えっと、困る……?」
「あはは!ショージキすぎ!」
「あいや、そういう意味じゃなくてね」
好きじゃない人から好意を向けられて困る、という感じじゃなくて。
婚約者(仮)とかオオカミ(肉食)とか親友(恋人)とか調教師(担任)とか姉(姉)に囲まれるとかいう異常極まる状況下にある上にまた新しい関係を積み重ねたくないという気持ちは……まあ多少あるけどそれも中心じゃなくて。
どちらかというと。
彼女に本気で好意なんて向けられたら、下手したらコロッと落されそうっていう。
そんな気がひしひしとするわけで。
まだまだリルカでしたいことはあるのに、それはちょっと、困る。
「―――知ってるよ」
彼女はそんな私の気持ちをどこまで知っているのか、見透かすようなことを言う。
言葉を返せない私に彼女はくすくすと楽しげに笑った。
「そんな簡単にオトせたら面白くないし、あれね。デートのときか、こういう30分。その間だけホンキでいくから。よろしくー」
それはつまり今日はまずいのでは。
そう思う私に彼女は、なるほどホンキというやつが一体どういうことなのかをそれはもうしっかりと教えてくれたのだった。
私は彼女気取りになるのを抑えるのに必死で、終盤なんて道行く人が彼女に視線を向けるだけで嫉妬しそうになるのを自重する羽目になっていた。
おかげで彼女がどうして私をデートに誘ったのかというのは聞けずじまいだったけれど、それに気がついたのさえ必死に姉さんでメンタルを回復している夜のことだった。
またおかしなことになったなと、そう思うのに、案外悪い気はしなかった。




