021 からかい好きな担任教師と
やきもち焼きの女子中学生に赤ちゃんを欲しがられたという由々しき問題に頭を悩ませている私だけど、問題というものは立て続けに発生したがるらしい。
翌月曜日の朝っぱらから、私はまた呼び出されていた。
生徒指導室で向き合う先生は、今日は前回にも増して深刻そうな表情をしている。
なんとなく嫌な予感はあったけど、実際に先生の口から放たれたのは案の定というべき大問題だった。
「島波、お前が女性とラブホテルに入るのを見たという情報が送られてきた。相違ないか」
「……はい」
嘘であってほしいという気持ちがひしひし伝わってくる先生の詰問に私は粛々と頷く。
先生は目を閉じ、深いため息の後にまた目を開く。
めちゃくちゃ呆れられているっぽい。
「なにをやっているんだお前は」
「はい、すみません……」
「……ちなみになにをしたか聞いてもいいか」
「えっと、目薬の点眼と耳かきを少々……」
「なにをやっているんだお前は????」
先生が唖然とするのも仕方がないと思う。
自分で言っててなにをやってるんだと私も思ったし。
でもあんなよれよれのお姉さんを見たらついムラっと来てしまうのも、それこそ仕方がないと思う。
バツが悪くて黙りこくる私に、先生はひとつ吐息する。
「とりあえず、恐らくなにかの勘違いだろうと学校側には伝えておく」
「いいんですか?」
「そもそもこれも匿名の通報だ。それもボイスチェンジャーまで使われていたとかで、あまりにも怪しすぎてな。職員にもお前を疑っている者は少ないよ」
「ちょっとはいるんですね」
「お前を受け持ったことのない者なのだろう」
「先生……!」
先生からの信頼を感じる言葉にいともたやすく感動する私。
だけど先生から返ってくるのは呆れを感じさせる三白眼。
「まあ、疑うもなにも通報自体は本当なのだが」
「はぃ……すみません……」
ぐうの音も出ない。
しょんぼりと俯く私に先生はまたため息を吐いた。
呆れられている。
もしかして見捨てられたりしないだろうかなんて、そんな不安が胸を締め付けた。
先生はとても素敵な先生だ。生徒思いで、優しくて、厳しくて。
だから大丈夫だと思っていても、それ以上に私がひどくくだらない人間だったらと、そんなふうに思ってしまう。
そんな私の頭に、不器用に手が乗せられた。
はっとして顔を上げると、先生は優しく目を細めて笑っていた。
くしゃりと頭をなでられてすこし照れくさい。
「そんな顔をするな。私がお前を護ってやるさ」
「先生ぇ……!」
なんて格好いいんだろう。
私は涙さえ浮かべながらリルカを差し出した。
ほぼ無意識の勢いだった。
先生は眉根をひそめて、だけど呆れたように笑うと私を誘った。
椅子ごと持って行ったのに、先生は私だけをモモの上に座らせてリルカにスマホを重ねた。
先生はこう、やわらかいんだけど、先生がやわらかいってなんかこう、ダメなんじゃないだろうか。なんとなくそんな感じがする。
あんなに格好良くて、凛々しくて、だけど先生もやわらかいんだなあって。そんなことを意識してしまって、こう、ちょっとたまらない。
ついついもじもじとしてしまう私の首筋に先生のささやきが触れた。
「今日はどんな授業がしたいのだ?」
「ひぅ……」
「ん?どうした。―――それとも、私からお前に合ったカリキュラムを組んでやった方がいいか?」
先生の指が私の頬を撫でる。
さらりと顎に沿ってラインをなぞって、下顎をくすぐりながらするすると下りていく。
首筋に触れる心地にぞわぞわと総毛立つ。
首を護るように俯く頭を、もう片方の手が支えた。
「ぁう、」
「ふふ、お前の首は細いな」
先生の手が私の首を掴む。
体温に馴染んだ指輪のつるつるとした感触が先生の女性を想起させる。
左の薬指をさみしく思うのはなぜだろう。
「こうしたら、簡単に手折れてしまいそうだぞ?」
首を掴む力が、ほんのわずかに、強くなる。
首というものは命につながるもので、急所を握られているような心地さえするのに、どうしてかそれを嫌と思えない。むしろなにか、ゾクゾクという熱い震えが背筋を直立させた。
吐息を噛む私をからかうように、鎖骨の合間を、先生がするると降りていく。
ブラの布地に引っかかった指に心臓が弾んで、それを悟った指先が意地悪するようにカップの縁をなぞった。
先生の吐息が耳介に触れる。
神経が鋭敏になった今の私には、そのささやきさえ耐えられない。
「んっ、ぅ、」
「どうして欲しいのか、ちゃんと言ったらどうだ。なあ、島波」
―――いやこれはアウトでしょ。
「あの、先生、ちょ、ちょっとタンマです」
「ふむ」
私が言うと、先生はあっさりと手を離した。
名残惜しむような声を漏らしかけた口を押え、込み上げる欲求を強引に飲み下す。
ぷはぁ、となんとかおねだり以外の空気を吐き出せた私に、先生はかっかと楽しげに笑った。
「先生はなんか、ほんと、ダメだと思いますそうゆうの。私がうっかり本気になったらどうするつもりなんですか」
「からかっていただけだと言ってすぐにやめるが」
「生殺しって言うんですよそれ!?」
「それはどちらの方だ?」
「え」
振り向く私を、先生の猛禽類の視線が射抜く。
「こんな風に私を誘っておいて、数学の授業などと……あれこそ生殺しというものではないか?なあ」
「え、え、え、ぁ、うぇ、」
その言い方だとまるで、先生はそういうことを望んでいるみたいだ。
というか、それ以外にどうやって解釈すればいいんだ。
先生が?
私と。
それこそ、援助交際らしいことを。
「っ、」
自分の唾を呑む音がやけに大きく聞こえる。
先生の顔が、近づいてくる。
たまらずキュッと目を閉じる。
先生の顔が近づく感じはするのに、それはいつまでも触れない。
いま私の時速はいったいなんキロメートルなんだろう。
そんな意味の分からない思考が堂々巡りする。
そして。
―――ちゅ、
と。
熱が、額に触れる。
恐る恐る目を開けば、イタズラめいた笑みを浮かべる先生。
「冗談だ。本気にするな」
「し、心臓に悪いです……」
意識すれば分かる、たぶん今時速7,200回くらい。
ほっとして、だけど不用意に体重を預けることもできないからぎこちなく座り直す。
先生はそんな私の肩にポンと手を乗せた。
「それで、今日はなにをするつもりだ?」
「あ、えと、じゃあ前回と同じ数学でおねがいします」
「そうか」
熱を持った頬をパタパタ冷やしつつ、カバンを膝にのせて漁る。
数学の教科書、確かこういうことがあったときのためにいつもカバンに入れていたはずだ。
ごそごそ漁っていると、ふいに先生の熱が私を包んだ。
「ぎっ」
「本当にそれで、お前は満足か?」
先生の顔が見れない。
見たらきっと発言を撤回してしまうと思った。
だってそんな聞き方はずるい。
満足か、だなんて。
満足していないって言ったら、先生はいったいどうするのだろう。
また冗談だって言って、今度は頬にでもくちづけをくれるのだろうか。
それとも。
「―――ま、まあ確かにもっとゆっくり教えてくれればよかったんですけどね」
「そうか。たしかに、あまりのんびりしているのももったいないな」
とうぜん、そんな疑問の答えなんて欲しくない。
先生はふっと笑い、それから授業を始めてくれた。
ホッとしたのもつかの間、前回より密着度マシマシの個人授業がどれほどの破壊力だったかというのは、わざわざ語る必要もないだろう。
つまりそういうことだ。
朝っぱらからこんなことしてるってけっこうやばいんじゃないだろうか……。




