213 先輩と(2)
恋人ができた。
恋人が、できた、っぽい。
いや、できた。
うん。できた。
まじかよ。
え。
ほんとに……?
な、え、なんで?
私に恋人とか分不相応すぎて意味が分からない。
なんだそれ。
どっ、えどういうこと……?
―――と。
動揺収まらないままに気が付けばホームルームを迎えていた。
それから授業中もまともに集中とかできなくて、ポヤポヤした意識がスマホの通知音で引き戻される。ちょうど授業の合間の中休みだったから安心して確認すると、それは彼女からだった。
『これからよろしくお願いします』
……私の恋人可愛すぎじゃない?
なんだこれ。
なん、えっ、こ、恋人できたんだけど。
なぜだ。
いやこれ堂々巡るやつだ。
とりあえず、うん。うんと、まあ、とりあえず、そう、とりあえず飲み込んでおこう。
恋人ができました。
うむ。
とりあえずカレンダーアプリで今日を記念日に認定しておこう。
うへへ。
とかなんとかやりつつ、比較的まともな精神状態で迎えた昼休憩。
「ユミカ」
教材を片付けていると名前を呼ばれて、振り向けばそこには先輩がいた。
一見いつも通りな穏やかな笑みを浮かべながら紙袋を軽く揺らして見せて、周囲から視線が集まることなんて気にせず机までやってくる。
「……これを返しに来たんだ」
ぽさ、と机に置かれる袋を覗いてみると、どうやらこの間のタオルらしい。
「ありがとうございます」
「こちらこそ助かったよ。じゃあね」
あっさりと去っていこうとする先輩は、だけど振り向いただけで足を止めた。
私が止めさせた。
先輩は首だけで振り向いて、自分の手を掴む私の手を見下ろす。
「……なにかな」
「そんな風にすれば、私がためらうと思ったんですか」
静かに問いかけると、先輩はわずかに笑みを揺るがす。
取り繕おうとした大げさな笑顔をすぐに諦めて、先輩は無表情になった。
「そうあって欲しいとは思ったさ。お願いだから、あんなことをもう二度と言わないでくれ」
私の手を振り払って、先輩は今度こそ去っていこうとする。
その背に、私は告げる。
「恋人ができました」
その言葉はまっすぐに先輩の心臓を射抜いて、呆然と振り向いた先輩はふらつきながら私のそばにやってきた。
「こ……え、は……?」
「初めての恋人です。一人目の、恋人です」
「……」
先輩の手が伸びて、私の肩に置かれる。
するりと降りた手が私の手を取って、先輩は誓いを立てるようにひざまずいた。
「…………そう、かい」
「はい」
やがて長い沈黙を経て言う先輩に肯定を返す。
そしたらぎゅ、と手を握られて、うつむいたまま先輩はまた沈黙した。
「……どうしてそんなことをボクに言うんだい」
「先輩の恋人になりたいからです」
「まだ言うのかい」
「何度だって。先輩が受け入れてくれるまで」
ぎろりと睨み上げる視線。
強く噛んだ歯がギシリと鳴って、先輩の憤りがイヤというほどに伝わってくる。
「キミのそれを受け入れることはない」
「じゃあ先輩は私をフるっていうことですか」
「そういう次元じゃないんだよ」
「じゃあなんですか。それって結局『私に受け入れられない部分がある』っていうことじゃないですか。だから私と恋人にならないって、それだけのことじゃないですか」
「……なにを言いたいんだい」
「これが私なんです」
ずい、と引き寄せるように額を重ねる。
先輩の瞳に私が近すぎて、合わせ鏡みたいに眼差しが反射する。
「先輩がどんな私を望んでも私はこうなんです。あなた以外の愛がほしい、あなた以外を愛したい……そんな私じゃなくなることはきっとありえない」
トウイちゃんと恋人になって、だからこそもっと強く感じる。
私はみんなが好きで、それは彼女と恋人になっても揺るぎなくて。
だったらもう、それがすべてだ。
「先輩は、『私』と恋人になれないんですよ」
「そんなバカなことがあってたまるか……ッ!」
胸倉を掴まれて、噛みつくように憎しみが降り注ぐ。
だけどそれにたじろいであげるつもりはない。
「バカなんですよ私は。先輩はそんな私を受け入れられないんでしょう?」
「じゃあなんだよ! キミを諦めろとでも言うつもりかい!?」
「私は諦めないって言ってるんですッ!」
「なっ」
つい溢れる怒声に先輩がたじろぐ。
本当はこんな風に怒鳴るようなつもりはなかったのに。
そう思うけど、でも、このいらだちは否定のしようがない。
私を殺してもくれないくせに、普段通りって面するなよ。
「先輩だけを愛する私がいいですか。先輩をなにより優先する私がいいですか。先輩の隣でだけ呼吸できる私がいいですか。そんなの私じゃないんですッ!」
強引に手を振り払った勢いでもろともに転がり落ちる。
馬乗りになった先輩を見下ろして私は叫んだ。
「それでも私は先輩がいいんです! 先輩の理想通りの私にはなれません! それでも私は先輩を諦めない!」
「ボクにそれを受け入れろっていうのか……?」
「フるならフッて欲しいんです! どうしようもない私を理解してほしい! ……それがどうしても受け入れられないなら、ちゃんと、ちゃんと私をフッてください……いつまでも私以外を見ていないで……ッ!」
もはやこれは懇願だった。
それ以上にどうすることもできなかった。
先輩に伝えたいことはいっぱいあって、もっと賢くていいやり方があるはずなのに。
「……キミを強引にボクのものにしてしまった方がマシじゃあないか」
先輩はそう言って、まるで魔法みたいな手際で体勢を入れ替えた。
馬乗りになった先輩は私の手を抑えて唇をかむ。
うつろな視線がふらりと私の首元を見下ろして、自嘲的な笑みに頬がひしゃげる。
だからなんだっていうんだ。
「じゃあしてくださいよ」
「……なんだって?」
わずかに動揺するまなざし。
押し返せば簡単に解ける拘束で、いったい何ができる。
「強引にでもなんでも。してくださいよって言ってるんです。いつ私がそれを拒んだんですか。もし先輩が私を本気で支配しようとしてたら、私に恋人なんてできてませんよ」
「……」
「できないんでしょう? 先輩は。先輩は、私を傷つけたくないから」
「ボクがなんどキミを傷つけたか忘れたのかい?」
「それが先輩にとって最善だったことはきっと一度もない」
「ボクはそんなに優しい人間なんかじゃない……ッ」
「そう思ってるのは先輩だけです」
手を振りほどいて、首に腕を回すように抱き寄せる。
先輩は抵抗しない。
「私は……先輩の恋人に、なれませんか?」
今一度、私は問いかける。
いや、問いかけでさえない。
答えは決まっていた。
「……ムリだよ」
吐き出すように先輩は言った。
私は先輩にフられた。
そんな理解はすとんと胸に落ちて、胸のつかえが落ちたように安堵の吐息がこぼれた。
「そう言っていられるのは、今のうちですからね」
「え……?」
呆然と見上げる視線が驚きに見開く。
私が笑っていることが、先輩には理解できないらしい。
「言ったじゃないですか。私は諦めませんよ。もとからみんなと恋人になろうだなんてうまくいくはずないですし。覚悟のうちです」
「キミは……」
先輩は何かを言おうとして、でもやめた。
小さく首を振った先輩は、私の胸に顔をうずめるように俯く。
「ユミカ。ボクなんかよりよっぽどひどい奴だよ、キミは」
「そんな私を、先輩はきっと好きになります。なにせ私がこんなに大好きなんですから」
「ひどい傲慢だね」
先輩の笑いが胸を透ける。
恋人を拒絶した彼女は、それでも私のそばにいる。
だったらそれでいいんだ、たぶん。




