184 そういうんじゃない保健室登校児と寝起きで(2)
……もうそろそろ、休憩も終わりだ。
ちらりとスマホで時計を確認したら、それに合わせて彼女もスマホを見る。
リルカの効果時間はまだ半分くらいあるけど、たぶんその前にちゃんと戻ることになるだろう。きっと、授業を後にしてなんてのはユラギちゃんも認めない。
見るんじゃなかったなぁ、とスマホを置いて。
彼女に視線を向けるとばっちり目が合ったので、特に意味もなく笑みを浮かべてみる。
彼女はなんとなく気まずげに頬をかいた。
「先輩って、あー、どう、さいきん」
「ぼちぼちかなぁ。ユラギちゃんは最近どう?」
「別に……」
「あ、うん」
……ひ、広がらない。
実際どうなんだろう。
『最近どう?(どう最近?)』なんて質問にはどう答えるべきなんだろう。
出来ごとで答えるのが正解な気もするけど、でも、私に答えられる最近の出来事はない。
白黒問わずリルカが関与する事例ばかりだ。それかだれかとデートしたよ、とか。
言えねえ……
「そういえば体育とかってさ、普通にやって単位もらえるの?」
「ビデオとか見させられてる」
「へー。あ、スポーツの?」
「あとは座学でなんとか……テストとかする」
「うわ大変だ」
体育ほど不真面目にやるテストもそうはない。
保健はまだ役に立ったり立たなかったりしそうだと思うんだけど、体育って……体育って……センターラインの名前知ってて役立つ瞬間よ。ある人は多分それやってる人じゃん。
そんな体育を純座学で済ますとか……すごいな。
「テストってやっぱり難しいの?」
「まあ、普通。小テならそこあるけど」
「えー見せて見せて」
「さっき体育だったから」
隣のベッドから持ってきた小テストを見せてもらう。
どうやら解答用紙が別になっているタイプのものらしく、問題用紙は残っているとか。
それで内容はといえば、まあ確かにそう難しいものではなさそうだ。
私は解けないんだけどね。
でもちゃんと教科書読めば妥当に点数取れそうっていう感じ。
へぇー、ふぅーん。
「……先輩って、勉強できる方?」
「いやぁー」
「そっか」
「『えー意外ー』とか言ってよ」
「えー、だとうー」
「ぐうの音もでないんだからさぁー……!」
彼女に見せる私に、確かに頭のいい素振りはなかったかもしれない。
っていうか私に頭のいい瞬間があったろうか……頭のいい人間がこんなにっちもさっちもいかないような状況に置かれるだろうか……うぐぐ……
「ジョーダンだって。そこそこ成績いいんでしょ先輩」
「え? なんで?」
「アイオイ先生に聞いた」
「いや個人情報……先生ってほんとなんか、いつクビになってもおかしくない危うさあるよね」
私といるところとか見られたら一発でアウトだと思う。
車で送ってもらうところとか、生徒指導室での密会とか。
つい神妙な顔になってしまう私に、彼女はじっとりとした視線を向けてくる。
「おおむね先輩のせいじゃん」
「い、………………はい」
いやあれは先生由来の成分だよ、とは言えなかった。
おおむね私のせいだっていうのは間違いないし。
まあ先生は基本的に賢い人なので、そううかつなことにはならないんだろうけど……なにせ私の噂が立っていた時も、先生の名前は一度たりとも出てこなかったし。
「先輩ってなんか、いつクビだけになってもおかしくないよね」
「限定の言葉がそこまで致命的な意味になることある……?」
晒し首になってるじゃん多分、それ。
せめて笑える冗談ならいいのにね。
ね……
「実際どうなの。ちじょーのもつれとかあるんじゃないの」
「痴情かどうかはさておき絶賛もつれてはいるかなぁ……」
「ハッ」
鼻で笑われたよ。
それもそうだよ。
「どうしたものかなぁって、最近みんなと相談中」
「は? 元凶じゃないの? どのツラ下げて?」
「このツラです……」
ひどい言い様なのに多少優しささえ感じる不思議。
実際はもっとひどい気がする。厚顔無恥の化身と呼んでください……
「でもほら、円満解決のためにはしっかり話し合いしないとだし」
「話し合いって……」
なんともあきれた顔をして、彼女はやれやれと溜息を吐く。
そんなことをしても無駄だとでも言いたいのだろうか。
最近そんな気はしているけど、でもそれこそ諦めたらそこで終わりじゃないか。
……諦めの悪さのせいでずるずると変な感じで続いちゃうのもまあ困るんだけど。
なんて思ってると、彼女は私の懐から二枚のカードをすっと取り上げる。
「こんなん使ってるくせに」
「それはそのぅ……まあ、ねえ」
問答無用で言いなりにする、される、という議論の天敵みたいな存在だ。
話し合いもくそもない。
と。
そんな折。
きーん、こーんかー、んこーん。
とチャイムが鳴る。
予鈴だ。あと五分で授業が始まるらしい。
となるとそろそろ本当に教室に戻らないといけない。
彼女のほうも授業があるだろうし。
「そろそろ、行くね」
カードを返してほしい、と差し出す手。
彼女は、その手をささやかにつまんだ。
置き去りにされた黒のカードに、彼女のスマホが触れている。
「わたしとは、しないの」
「え」
「話し合い。わたしとはしないの」
……。
しても、いいのだろうか。
頼れる年上でもなく、必ずしも当事者ではない彼女に。
彼女も。
相談すべき相手として、見てもいいのだろうか。
―――言葉が、出ない。
「……チッ」
舌を打った彼女は顔を背ける。
離れた手が落ちて、握りしめたカードを胸に押し付けられた。
「なんでもないし」
「いや、」
「今から授業だから―――」
彼女が言った瞬間に、保健室の扉が開く音。
私はとっさに彼女をベッドに引き入れて、強引に布団で包み隠した。
「失礼する―――む。島波か」
カーテンを開けたのは、よりにもよって先生。
最悪っていうか最悪だ。
「ど、どうも」
「どうした。体調でも崩したか」
「あははぇえそういうあの、はいえへへ」
「……ふむ」
先生は顎に手を当てて隣のベッドを確認する。
そして戻ってくると、じろりと私を見つめた。
「島波。宇津野を知らんか」
「えひぃっ、し、知らないですね私がきたときにはええ全く全然いなかったと思いますよ」
「ほう」
じろり。
先生の冷ややかな視線がベッドを上から下まで眺める。
バレて、る……よねぇ?
いやなにせバレてるだろうし。
っていうか現実的に考えてベッドに人ひとり隠すとか無理だから。
あーあこれどうするんだろうほんと―――
「そうか。では失礼する」
え。
あれ。
えっと。
……い、行ってしまった。
まさか先生が実はものすごい目が悪くて世界の解像度がファミコンくらいしかないみたいなことはないだろう。
これはつまり……お、温情……? あるいは執行猶予というやつか……
「ちょっと。なにしてくれてんの」
もぞもぞと布団から顔をのぞかせた彼女がにらみつけてくる。
だけどそれならおとなしく隠れている理由はないじゃないか、なんてさ。
「えっと。とりあえず、お話……しとく?」
「……別に、どうせ暇になったし」
「そ、っか。まあ、そう、だね」
あんまり、お話っていう体勢でもないけど。
でも確かに彼女の場合、ここにいるだけじゃ授業を受けられないわけだし。
それならまあ、確かに、仕方ない。
ううむ。
じゃあ、お話合い……する、か。




