160 依存的な不良と落ち着いて(2)
「……落ち着いた?」
「ああ……」
彼女はずいぶんと素直にうなずいて、顔を上げるとキスを求めてくれる。
ほんの一瞬だけ唇が触れ合って、そんなささやかな触れ合いがどこか懐かしい気さえした。
彼女もそうなのかもしれない。
ふっと表情をほころばせて、彼女は言う。
「なあ。てめぇってクズだよな」
「おぅん……うんまあその通りですけども……」
「そうなんだよなぁ」
めちゃくちゃしみじみと言葉をかみしめて空を仰ぐサクラちゃん。
二言目には「オマエなんか好きになるんじゃなかった」とか言われてもおかしくないけど、そこまでは言わないでくれるようだった。
「フツーに考えてやってることアタマおかしいんだよなてめぇはよ」
「はい……重々承知しております……」
「こっちがなにやってもほかの女に尻尾振んだから逆にすげえよな」
―――あれもしかしてこれフられようとしてる……?
そんな想像に、仕方がないと思う自分は確かにいて。
だけどまだリルカの効果が残る今の状態でそんなことを言われたのなら……正直自分でもなにをしでかすか分からない。というかリルカをお代わりしてでもすがるだろう。
だけど降りてきた彼女の視線にはそんな色はなくて。
そこにあったのは、
「まったく、まいっちまうぜ」
ただただ深い―――諦観の灰色。
彼女の求めるなにかを諦めようとする、力のない色。
「わた、し」
「いや。いんだよ。てめぇはそういうやつなんだよ。それでいいっつってんだろ」
「でも、」
「オレだけのものなんて考えなきゃいい話だろ」
「ちがっ」
否定の言葉は口づけに封殺される。
肩を押し離すとどこまでもまっすぐな瞳が私を見ていて。
目をそらしそうになる。
だけどそれだけはしたくないと思うから、私は衝動のままに口を開く。
「ちゃんと、ちゃんとするから。そんなこと言わないで……!」
「ちゃんとするってなんだよ。……選べんのかよ、おい」
「それは……」
ちゃんとするとは。
節度を持ったかかわりをするとか。
取り返しのつかないことをしないで、そして……?
『むしろまだ取り返しつく思ってんのが異常やと思ぉんけど』
冗談めかしたお姉さんの言葉が急に脳内に反響する。
何気ない言葉だった。
だけどそれはどこまでも的を射たものじゃないのか。
今の彼女を前にして。
取り返しがつくなんて口にできるのか……?
「待ってやるとかよ。他の女と遊んでもいいとかよ。……わりぃな、ムリだった。てめぇがオレのもんじゃねえっつうのがよ、イミわかんねえ」
「でも、」
「だから」
私の言葉は食い破られて、ただただ彼女は彼女の結論を叩きつけてくる。
この数日間にどれだけのことを考えたのだろう。
彼女が、遠い。
遠すぎて。
「だからちゃんとなんてすんな」
「なん、え、」
「ダレかのもんになるくらいなら―――一生てめぇはこのままでいろよ。オレのもんにならねえのと同じで、ダレかのもんにもなんなよ」
「そんな、」
「じゃねえとオレぁ、またくだらねえことしそうなんだよ」
『くだらねえこと』とはなんのことか。
考えるまでもないけど、考えたくもない。
あれをくだらないだなんて言わせたくなかった。
他ならない彼女の口からは、絶対に。
「いいよっ、いいから、なにしてもいいから、そんなっ、そんなこと……」
反射的に縋り付いて、だけど自分がどうしてそうしているのか理解できなくて尻すぼむ。
だって彼女は私のこの中途半端な状況を許容すると言っているんだ。
それはとても都合がいいことだ。
めでたしめでたしでいいじゃないか。
―――なんて、心のどこかで思っている自分を殺したい。
いいわけがないんだ。
それは彼女の感情を殺すことだ。
彼女が私を求めてくれるその熱烈で獰猛な感情を殺すということだ。
牙を抜き去った愛は心地いいだろう。
だけどそれでどうやって彼女の腹を満たせるんだ。
私は黒リルカを差し出した。
藁にも縋る思いだった。
彼女は微笑みを浮かべて、淡々と私を買った。
「それがムリだっつってんだろ」
口調だけが優しい言葉とともにぐいと引き寄せられて、彼女の膝の上に横たえられる。
そんな優しい行為が、どうしてここまでも苦しいっていうんだ。
「なんで、どうして、」
「どうもこうもねえ。欲張りすぎなんだよてめぇは」
「っ」
彼女の言葉が柔らかく心臓を突き刺す。
私の欲。
大好きな彼女に求められたいという当たり前の欲求。
ほかの人を拒絶して、独占し、束縛し、嫉妬し、食らいつくしてほしいという愛欲。
決して彼女だけのものにはなれないのに、彼女だけのものにされたいという私の強欲。
それを彼女は拒絶する。
柔らかく、だからこそどこまでも頑固に。
「……泣くなよ」
滂沱する私に、彼女もまた泣きそうになっていた。
優しく涙をすくいあげる舌の心地がただただ暖かくて。
だけど欲しいのはそんなものじゃないんだ。
「やだよ、おねがいだから、私を求めて、もっと好きになってっ、殺したくなるまで愛してよ……っ!」
彼女の牙が欲しい。
もっと飢えて貪られたい。
私が彼女だけのものじゃないことを許容しないでほしい。
それは現状とあまりにも矛盾する感情だ。
中途半端であることを求めた私が口にできる欲望ではない。
分かっている。
それでも私はそう願った。
「泣くなって……」
彼女はただそう言って、私の涙をぬぐい続けた。
それだけの30分だった。




