1
その時一陣の風が吹いた。
声で表すのも難しい凄まじい金属音がガシャガシャと鳴り、思わず隣を見ると。
「ぐっ、ぅゔ!」
夜長くんが手に持っていた模擬刀で腕を震わせながら、切り掛かっている相手の刀を必死に抑えていた。
思わず相手の顔を見ると、それは先ほどまで扉の向こうで歩いていた夜長くんそっくりの人物だった。同じく刀を使い、今にも彼を叩き斬ろうとしている。
あまりにもお互い似ているが、違いはすぐわかった。
顔つきだ。
顔つきがあまりにも違う。
「キャーーー!!」
あまりに突然のことで動きを止めていた客が、この悲鳴を機に急に動き出した。同じく悲鳴を上げるもの。席を立ち、我先にと逃げ出そうとするもの。わけもわからず怒鳴り合うものもいる。一瞬にして会場がパニックに包まれた。
ステージ裏からもなにやらドッタンバッタンと音がする。
私は瞬時に悟る。
(あ、これ逃げ場ないかも)
(でも、まずは!)
人間、いざという時に絶望的状況に巻き込まれると、悲観するもより先に目の前の物事に気がいくものだ。
私はたまたま首にかけていたキャラクタータオルを手に取ると、切りかかっている方の夜長の後ろに立ち、タオルで彼の顔を覆って引っ張った。
「〜ッ!?」
偽夜長くんは私と一緒にドタンと後ろに倒れるとピタリと動きを止めた。
息を切らしていると、大丈夫かと夜長くんが手を差し出した。そのまま手を借りて立ち上がる。
「本当に助かった!ありがとな!
にしても、こいつ急に動かなくなったな」
「なんでだろ」
「顔、見てみるか」
彼が顔の上のタオルを退けようとした時、後方から足音が聞こえてきた。
思わず2人がそちらへ身構えると、東雲さんが走ってきていた。
「探!無事だったか!」
「空も!ハア、無事、ハアだった、ん、だハア」
息切れがすごくて何を言ってるかギリギリだったが、言いたいことは伝わった。
「スタッフさん達は?」
「いた!けど」
そのまま東雲さんは黙りこくってしまう。明らかに良くないことがあったことは明白だ。
夜長くんはそれを聞いてステージ裏に行こうとする。
「待って!空!」
「んだよ、もしかしたらまだ誰かいるかも知んねえだろ!」
東雲は一度口を閉じたが、すぐに開いた。
「それなら僕も行く」
「先に避難してろっつっても聞かねえよな
わかった、付き合わせて悪いな
あ、先にこいつふん縛っておくか」
夜長くんは舞台袖に置いてあったロープを使って器用に縛り上げた。顔からタオルをどかした時、偽夜長くんは意識を失っていた。
縛り方については明記しない。名前が存在するとは思うが。
「……空、なんでそんなに縛るの上手いの?」
「あ?これくらい普通だろ?
よし!できたー!案外うまくいくもんだな」
「こわ」
「こわ」
(東雲さんとハモってしまった)
「んで、えーと、ユキさんはどうする?」
「一緒に来るかい?」
「いいえ、私は外に行こうと思います」
会場内にはすでに私たち以外に人はいなかった。ここから先、さっきみたいなことがあっても足手まといになるだろうし、いち客である部外者が同行するのもどうかと思った。早く外の様子を見てみたかったのもある。
「そっか、さっきはマジで助かった
気をつけて帰れよ」
「わかった、元気でね」
「お二人もお気を付けて」
私がお辞儀をすると2人はステージ裏へと歩いていった。
私は振り返り、偽夜長くんが縛られて放置されているのに気付く。
「これ、このままでいいのかな?」
試しに漫画で良くあるみたいに指でちょいちょいとつついてみた。
(ロボットじゃなくて普通に人間だよな)
体の弾力、皮膚の質感、まつ毛に至るまでなんら人間と遜色ない。なんだったらさっきの夜長くんの方がホロコスチュームを着ている分よっぽど偽物感がある。
(うわ、産毛まで生えてる)
じっくり間近で観察していると瞼がピクリと動いたのがわかった。
(ヒィッ)
思わず後ずさると、さっきまでいたその位置で彼は刀を抜いて立っていた。縛っていたはずのロープはいつのまにか足元に転がっている。彼が構えているのは私に対してではなくステージ正面入り口。
ふと後ろを見ると、真っ二つに折れた矢が落ちていた。入り口に視線を戻すと、見慣れた顔がそこにはあった。
「ユキ!」
立っていたのは私のマイアバターであるはずのユキ、そのものだ。ユキは次の矢を番えている。
途端に何かに服を掴まれ引っ張られる。
「ひとまず俺の後ろに下がっていろ」
偽夜長くんだ。
偽夜長くんは私を自分の後方へ転がすと、居合の構えをとる。ビュッという一瞬の矢の音と同時に切った音がする。
(はやっ)
もう一度矢が放たれる。そしてまたそれを同じく居合で斬り捨てる。刀が鞘から抜かれる時に音が一切しない。静かで無駄がない動きを彼は淡々と繰り返していく。
「おい、そこの台の後ろに隠れろ」
後ろを見ると少し離れたところにスピーチなどで使う台が置いてあった。急いでハイハイしながらその裏に逃げ込む。するとドダン!と凄い踏み込みの音を響かせて偽夜長くんはユキの懐に飛び込んでいった。
激しい戦いの音が聞こえていたが、しばらくして静かになった。ゆっくりあたりを伺いながら台から顔を出すと、偽夜長くんが座席の間の通路を通ってこちらに歩いてきていた。
「終わった」
「こ、殺したの?」
「いや、追い返した
そもそも俺たちはこんなんじゃ死なない」
舞台まで上がってくると、いつまでそこにいると睨まれたのですごすごと台から出た。そこで改めて顔を見る。偽夜長くんはいつも見る夜長くんに比べて、表情が乏しく、冷たい印象を受けた。
「で、さっきはお前、よくもやってくれたな」
え?と首を傾げると彼は続けた。
「顔を布で思いきり引っ張りやがって、首を捻るとこだった」
「ええ?ああ!すいません!
ん?」
(正当防衛じゃね?)
「俺だから良かったが、他のやつだと首を痛める
もうするなよ」
(お説教されとる)
「ただ、あと一つ、よくやった」
「は?」
「褒めているんだ
あのまま俺があいつを殺していたら、俺の身体が弱くなるところだった」
(どういうこと?説明プリーズ)
「まだわかってないって顔してるな
俺たちには、それぞれ殺す相手が決まっているんだ
そいつを見るとなにも考えられなくなって、相手を殺すことしかできなくなる
それをお前が俺の顔を布で覆ったから、視界から対象が消えて止まることができたんだ
あいつを切ると、俺はお前らと同じ弱い体になる
だから俺はあいつを切りたくない」
(切らない理由、めっちゃ自己中じゃね)
「俺はここを離れる
お前はどうする」
「わ、私も外に行くつもり」
「そうか
もうあいつも遠くに行ったから大丈夫だと思うが、一応、駅まで送ってやる」
「なんで?」
「あんたが、俺が今この世で一番嫌なことを止めた、その礼だ
行くぞ」
「あーい」
館内は想像よりは綺麗だった。
散らばったチラシ、転がった物販用の机に椅子、グッズ。散らかっているのはそのくらいで、窓などは割れていない。片付ければすぐ元の状態に戻るだろう。
偽夜長くんが落ちていた物販のタオルに目をやる。
「これは俺か?」
「さっき切り掛かっていた夜長くんのタオルだよ」
「そうか」
彼はタオルをしばらく見つめた後、そのまま歩き出した。