異世界に転生したら悪役令嬢なウマ娘だった件
目が覚める。
だからと言って、起き上がることはない。
ただ目が覚めただけだ。
閉じたままの目蓋を通して、回りが明るいことは分かる。既に朝になっているのだろう。だが、目が覚めたところで、動きまわるだけの体力も自由もない。いつも、看護師から朝食の声がかかるまで、瞳を閉じたままで待つ生活だ。
「お嬢様、朝でございます」
しかし聞こえたのは、聞き覚えのない声だった。
この病棟の看護師は全員、顔見知りだ。何年もここにいるからね。みんな年下の私のことは『加奈ちゃん』と呼ぶ。だから違う人に声を掛けているんだろう。
「お嬢様、朝でございます。起きてくださいませ」
すぐ近くで声がする。
私はお嬢様ではないのに、人違いをするなんて誰だろう。入院した「お嬢様」についてきた使用人だろうか。使用人を雇うようなお金持ちなら、こんな六人部屋じゃなく、個室にすればいいのに。
仕方ないから目を開ける。
「あれ?」
知らない天井だ。とでも言えばよかっただろうか。
白い壁と天井、そして目隠し用のカーテンに囲まれていたはずのベッドは、高級そうな天蓋の中にあった。
磨き上げられた木材と、細かい刺繍の入った薄いカーテン。それは目隠しのためだけの病院のカーテンとは、まったく違う。
「お目覚めになりましたね。では着替えを致しましょう」
ベッドの傍には、当然のように知らない人が立っていた。看護師の服ではない。メイド服。そしてなにより、促されるままにベッドから下り、|自分の力で立ち上がった《・・・・・・・・・・・》ことに驚くことになる。
私が目覚めたのは、王都にあるセキト伯爵家の屋敷で、私はそのご令嬢だったらしい。
どこのラノベかと言いたいところだけど、それから数日、何度寝ても起きても、元の病室には戻っていない。
まあ、戻ったら戻ったで、自由には動かない体に、時間を持て余す日々にも戻ってしまうから、こっちのほうがマシだと思おう。耳と尻尾のは違和感があるけど。
そう、この体には尻尾があるのだ。ちなみにメイド達も全員フサフサの尻尾が生えてる。そして耳。顔の横ではなく、頭の上にあるけもの耳。
私の感覚で言うところの獣人だ。耳と尻尾以外は人間と変わらない。
ただ、こっちの世界の記憶がまったくないのは困った。
いきなり貴族のお嬢様と言われても、まったく分からない。屋敷のことも、朝起こしにくるメイドのことも、両親のことも。
だから、この世界で生きて行くために、さりげなく情報を集めようとは思った。失敗したけど。
「今度は記憶喪失でございますか?」
メイドの名前を探ろうとしただけで、呆れた目で見られた。
もちろん、毎日会っているメイドの名前を知らないというのは、いくら雇い主の側とは言え酷い話だ。だけど、この体の元の持ち主は、想像よりももっと酷かったらしい。
「先日から随分と大人しいとは思っておりましたが、今度は新しい人格が生まれたという設定でございますか? それで記憶もないと? ではまた一からお勉強をやり直して頂きましょうか」
設定ってなによ。それにまた一から?
どうもこのお嬢様、都合が悪くなると多重人格を装ったり、記憶喪失だと言い張ったりして、すべてをなかったことにする困ったちゃんだったらしい。
彼女以外のメイドからも「またですか?」みたいな目で見られて、全員が部屋に来るなり「改めてご挨拶させて頂きます」みたいな感じで、名前と担当している仕事を説明してくれた。
説明は完全に暗記しているみたいで、スムーズな自己紹介に、何度、同じ説明をしてきたのか聞くのも怖くなってしまった。圧迫面接されているみたいに。厳しい目のまま自己紹介をしてくるのだから尚更だ。
そのうえ、仕事の担当はともかく、名前が「ハイサイハイテー」だとか「ファーストセンコウ」だとか変な名前のオンパレードなのだ。メイド用のコードネームでもあるの? 怖い目で睨まれているのに、名前で笑いそうになる。拷問か。
恐る恐る私の名前を聞いてみたら「ホウショウツキゲ」だと言う。ありか? ホウショウツキゲ・セキト。いやないな。ツキゲだけで良くない? なんなのこのネーミングセンス。
その後はセキト伯爵家の成り立ちだとか、食事のマナーとか、家族の情報だとか、王国についてだとか、詰め込みでギッチリ教え込まれた。
記憶がないのは、そう言い張っているだけの演技だと思っているようだ。まあそうだろう。私だっていきなり記憶がないと言われても困る。最初くらいは心配しても、何度も同じことをやられたら殴ってやろうか、くらいには思うだろう。
説明は早口で一度だけ。すぐに確認のテスト。それで間違ったら、冷たい目で見られた上に淡々と説明のやり直し。それが何人ものメイドで交代でやられる。話しを聞いている私に休息はない。
必要な知識は得られたけど、もう二度とやられたくない。どう考えても嫌がらせだ。
詰め込み教育の数日間を経て、やっと安心して暮らせるかと思ったらそんなことはなかった。
実はこのお嬢様、学校に通っていたらしい。
もう何日も屋敷から出てないけどいいの? と思ったらサボリだそうだ。名目上は病気療養中。それは私がこの体に入ったからではなく、その数日前からだという。
本当の理由は、特訓。
ここ、ゲート王国に住むのはウマ族である。ウマ族では、なにがそうなったのか。スピードが重視されているらしい。
曰く、貴族とは早く走れなければいけない。曰く、跡継ぎたるもの早く走れなければいけない。
そしてそれは令嬢にも波及する。
尊い血筋とは、スピードである。
つまり、婚活とは、スピードである。
かくして、貴族に生まれた女性たちも、家名を掛けて速さにまい進することになる。
しかし。だが、しかし。この体。セキト伯爵家の令嬢、ツキゲちゃんは遅かった。とても、走るのが遅かった。
そこだけは、病院で長年を過ごし、まともに運動することがなかった私にも共感するところだ。
しかし、それは伯爵家の令嬢として、失格なのだ。
今までは、人前で走ることから逃げていたらしい。
私としては、こんなになる前になんとかしろと言いたい。今の姿で言っても「お前のことだろ」と睨まれるだけだけど。
走る機会は結構あったみたいなのに、仮病、怪我のふり、ときには伯爵家の力で走る相手を脅してまで、延々と人前で走ることから逃げていたと聞いた。勿論、それを話すメイドさんの目は「お前のことだよ分かってんのか」と鋭い眼光である。逃げたい。
当然のことながら、いつまでも逃げれるわけもなく、近くレースに出場しなければならなくなった。
それは『皇太子のお披露目レース』。王子が成人を迎えるにあたり、国中の名のある貴族の令嬢が、その隣の席を掛けて戦う玉の輿レースである。
家族はおろか、使用人たちもこの令嬢が勝てるとは思ってもいない。
だが、伯爵家としてレースに出ないわけにはいかないし、せめて、恥ずかしくない負け方を、というのが特訓の目的である。
そんな特訓が始まってほんの数日で、記憶喪失だなんてのたまいだした、馬鹿な令嬢がいたわけだが。
どう考えても破滅フラグである。断頭台でないだけマシなのかもしれないが、レースの出来次第では王都を離れ、別荘に軟禁されて生涯を過ごすことになる、らしい。メイドがそう言ってた。
この世界の常識と共に、私の立場も懇々と説明された。むしろメイドたちにとっては、私に自分の立場を言い聞かせることがメインだったのだろう。そして、そこまで言われたなら、全力で練習に取り組まざるを得ない。
そして私は……。
「お嬢さま、到着致しました」
その言葉の後で、私は車椅子に乗ったまま車から降ろされる。
車と言っても自動車ではない。かといって歴史物やファンタジーによくある馬車でもない。この世界には四本足のウマはいないらしく、車を引くのは人だ。人力車の大型なやつとでも言おうか。引くのがウマ族だから、馬車と呼んでも間違いではないんだろうけど。
……いやいや、そういう問題ではないんだ。
問題は「車椅子」。そう、つまり、特訓と言ったところで、走るのが苦手な体と、まともに走った記憶もない私の組み合わせ。ろくなことにはならない。
簡単にいうと、転んで折った。なにを? 足の骨だよ。
かくして私は、車椅子姿で学校復帰を果たすことになった。もう特訓とか出来ないし。特訓のためにサボるのはアリでも、足の骨を折って休むのはナシらしい。理不尽だ。
ちなみに車を引いてきた上に、車椅子ごと私を下してくれたのは、屋敷に使える男性で、名前はマッチョガーデン。筋肉の素晴らしいナイスガイである。
ガラガラと車輪が音を立てて進む。
車椅子を押しているのは、私がこの体で目覚めて最初にあったメイドさん。名前はビクトリーメイ。プロレスラーかよ。面倒なので私は『メイ』とだけ呼んでいる。
メイの後ろからはマッチョもついてきている。段差がある場所では車椅子を持ち上げるためだ。
この二人は私の専属の使用人で、メイは部屋に常駐しているし、マッチョは専属の運転手みたいな感じだ。こっちでは車を引く使用人は「引き男」と呼ぶらしい。力の強い平民がなる仕事で、スピードは基本的には求められないが、早い引き男を雇っていると家のステータスになるとかどうとか。
「あら、どこの誰かと思えば、落ちこぼれですの。随分と無様な恰好ね」
校舎を移動していて話し掛けてきたのは、キンキンキラキラな衣装を着た、見るからに意地の悪そうなお嬢様だった。
ただ、なんとなくだが、衣装はキンキラでも本人は地味な感じがする。衣装負けしている?
そんなことを考えていたせいか、口から出たのは素直な言葉だった。
「誰?」
「あ、あなた、わたくしを忘れたのですか!」
思わず聞いてしまったが、忘れたもなにも知らない。ああ、ツキゲちゃんとは知り合いだったのかな。意地悪そうだし、友達ではないよね。
例えツキゲちゃんの知り合いであっても、私が知らないのは当然だろう。今日初めて屋敷から出たのだから。だから、私は素直にメイに尋ねた。
「メイ、あれはどちら様?」
「テキロ男爵家のご令嬢で、ワタシキレイ様です」
「ぶはっ」
思わず噴いてしまった。うちの使用人よりも酷い。なにがあってキンキラ衣装の意地悪顔が『ワタシキレイ』なのか。
「あ、あなた、なにを笑っていますの!」
いや、これは仕方ないでしょう。散々変な名前を聞いて、耐性は出来たと思っていたけど。その衣装でワタシキレイって。
「あら失礼。喘息の発作です。お気になさらず」
一応、令嬢っぽい言葉遣いで謝ってみる。噴いただけだけど。
「ばっ、ばかにして! お披露目レースで勝つのは私よ。私が勝って、あなたの家なんて潰してあげるんだから!」
足音も荒くキンキラなキレイちゃんが立ち去っていく。
「だっはっは」
代わりに、大口を開けて笑いながら近づいてきた女性がいた。彼女も知り合いだろうか。
ちらりとメイのほうを見たら教えてくれた。
「ゼツ子爵家のゴールドシーン様です。お嬢様の数少ないご友人です」
数少ないってあなた。メイは私に対する風当りが強くないだろうか。
「イカした車に乗ってんじゃんよ。いい感じにコンテンポラリーじゃねえか。それとも何か、熱々の熱湯を冷やしてきやがったか」」
……何いってるんだコイツ。
「お嬢様はまた記憶喪失でございまして、ついでに足の怪我をなさっておいでです。申し訳ありませんが、ドロップキックはご遠慮ください」
なんか平然とメイが受け答えしてるんだけど。なに? この子ってドロップキックしてくるの? それが友人? 友達選べよ。
「しょーがねーな。一足先にエデンで待ってるぜ」
そう言って二人目は走り去っていった。
なんなのここ、私はずっと病院だったからよく知らないんだけど、学校ってそういうところなの? 学校でトラブルが多発するアニメは見たことあるけど、あれってリアルだったの?
学校復帰から二日。その間は授業があるわけでもなく、学校では『皇太子のお披露目レース』の準備が行われていた。微妙に肩透かしだけど、数十年振りの学園祭くらいのノリらしく、勉強なんてどうでもいいくらいの雰囲気が漂っている。
コースの整備や観客席の用意は一般生徒が行い、私を含めた貴族の子女はレースの準備に専念することになる。といっても走る順番や、レースのルールについての説明を聞くくらいで、午前中のうちに解散だ。
幸いと言っていいのか、個性がぶっ飛んでるのは最初に会った二人くらいで、あとは割と普通の人たちだった。名前を除いて。
「でも、私は走れないのだけれど」
「それでも参加はして頂きます」
「歩けもしないのだけれど」
「車椅子での参加許可は頂いてあります」
「ええー」
ということで、足の骨が折れている私も、形だけはレースに参加することになっている。
病院では、散歩といったら車椅子の生活だった。自分で歩いた記憶はずっと過去のもので、車椅子のほうが身近で、慣れてはいる。
ここの車椅子は、サイズが私にピッタリな分、病院の車椅子よりも扱いやすい。病院の備品の車椅子は、古くて重い上に、男性も乗れる大人サイズだから、大きすぎて扱い難かったのだ。
それに、腕の力があるのも大きい。腕で車輪を回すのも結構力がいるもので、以前の病弱な体ではすぐ疲れてしまう。それに引き換え、こっちの体は健康体。握力なんて前の何倍あるのか分からないくらいだ。
そんな感じで、全力で走って転ぶよりも、車椅子のほうが安全にゴールまで移動は出来るだろうとは思っている。
恥ずかしくない負け方を、というのがどの程度なのか分からないのが不安だけど、精一杯やるしかない。人里離れた別荘に隔離なんてされたくない。
そして学校復帰から三日目。今日が『皇太子のお披露目レース』当日だ。
学校はまさにお祭り騒ぎ。
レースを一目見ようと大勢のウマ族が押し掛け、校門からレース場までの間には、所せましと屋台が並ぶ。それどころかレース場入口では、堂々と賭博券が販売されている。貴族令嬢に賭けるとか柵ありありで怖いんですけど。
「私は当然、お嬢様に賭けさせて頂きました。銅貨一枚。後程、経費で落とさせて頂きますが」
堂々とのたまうのはメイドのビクトリーメイである。ビクトリーじゃねえのかよ。もっと熱くなれよ。え? じゃあ勝てって? 無理に決まってるでしょうが、なに言ってるの。
レース場に入ると、コースをぐるりと囲んだ観客席が目に入る。
この日のためだけに作られた、急造の観客席にしては立派なものだ。特にゴールの横に作られた、一段高い観客席が立派だ。きっとあそこで王族が観戦するんだろう。
次に目につくのは、スタート地点。
元の世界の競技で見かけるようなクラウチングスタートは、この国には存在しない。そして不正が起こらないように、走り出すタイミングは厳密に管理される。
つまりスターティングゲート方式なのだ。
スタート地点に並んだゲートの姿は、いつか見た競馬中継そのものだ。
「ウマだけにってか」
「どうかなさいましたか、お嬢様」
「なんでもありません」
出場者の待機スペースについてしばらくすると、学校の入口から音楽が聞こえてくる。華やかなその曲は、ほんの数十秒で終わり、勇壮な曲に切り替わる。おそらく、最初の曲は王族入場を示すファンファーレなのだろう。
ほどなくレース場に煌びやかに飾り付けられた車が現れる。
車本体だけでなく、車を引く男たちも飾り付けられた車。その車に屋根はなく、乗っている王族の姿が見える。
先頭に乗っている男性が皇太子なのだろう。
少年から抜けきっていない若い男性は、それでも車の上に堂々とした姿を見せている。
だが……。
「長い?」
とても面長だった。
俗に言う「うまづら」というやつだ。
長いのはダメというわけではないけど、王子様のイメージではないと思う。私の勝手なイメージだけど。
だけど、そのすぐ後ろに座っている壮年の男性を見てよく分かった。
「そういう血筋か」
国王らしきその男性もまた面長だったのだ。遺伝なら仕方ない。
ほどなく王族が壇上の席に着くと、流れていた音楽も終わった。
その後、王様からのお言葉や、皇太子からのありがたい所信表明的な演説を、顔だけは真面目な感じに整えて聞く。万が一にもあくびなんてしてはいけない。
表情筋が長時間労働にストライキを始めようかという頃になって、王族からのお言葉は終わった。長い。だが私は耐えきったのだ。もう帰りたい。
しかし無情にも、レースが始まる。
レースは予選と決勝に分かれる。五人一組の予選レースが五回。それぞれの組で一番早かった者たちで決勝レースだ。
そして決勝レースで一位となったあかつきには、皇太子から直接にお褒めの言葉を賜ることが出来る。また、慣例であって決まり事があるわけではないが、皇太子の婚約者として扱われることになる。よっぽど人格に問題があったり、実家で一族ごと処分せざるを得ないような事件でもなければ、実質的に王妃に決まるわけだ。
予選レースは着々と進み、第五レース。私が出場するレースだ。
車椅子を転がしてスターティングゲートに入る。
「あら、そんな無様な恰好でレースに出るつもりですの?」
隣のゲートから掛けられる声に振り向けば、意地悪顔の令嬢がいた。名前負けしているワタシキレイちゃんだ。今日も無駄にキラキラした衣装を着ている。日の光が反射して目がチカチカする。
キレイちゃんはなおも何か言っていたが、完全に無視してゴールを見る。
ゴールのすぐ傍には王族が座る特別席。コースを挟んでその反対には、言葉が通じない令嬢、ゴールドシーンがいる。
実は、彼女の父親は軍部を仕切るお偉いさんらしく、ゴールドシーンは皇太子の第二婦人として婚約済みなのだそうだ。
第一婦人には速さの血筋を、第二婦人には後ろ盾を、というのがこの国の王族のやり方らしい。いくら後ろ盾目当てとはいえ、本人とは会話も苦労するだろうに、よく受けたな皇太子。
そんなわけで、ゴールドシーンはレースには出ず、一位の判定係としてゴール横に陣取っている。
軽く手を振ってからハンドリムを掴む。
レースで後ろから押してもらうわけにも行かないから、全ては私の腕力に掛かっている。
恥ずかしくない負け方をと言われても、この国の令嬢たちのスピードなど分からない。
むしろ、スピードで婚姻先が決まるような国なら、全員が陸上のスプリンターだと思ってもいいくらいだろう。全力でいくしかない。
叶うなら、ギャアギャア騒いでいる隣のキレイちゃんには勝ちたい。
車椅子の背もたれから背を離し、前傾姿勢をとる。
体重を前にかけておかないと、スピードによっては車椅子は後ろにひっくり返る。そんな無様なマネはしたくない。
「それでは参ります」
スタート係が告げる。
直後、スターティングゲートが開く。
視界が開ける。いち早く飛び出したレース相手。
ハンドリムを力を込めて回す。
前傾姿勢のまま、ひたすらハンドリムを回す。
スピードがのってくる。
前だけを見てハンドリムを回す。
そして私は一番にゴールし、そのままの勢いで客席に突っ込んだ。
数日後、全身包帯だらけの私は、別荘に向かう車に乗っていた。
ゴールを過ぎても止まれず、客席に突っ込んで大怪我をした私は、当然のことながら決勝レースには参加出来なかった。レースの結果がどうなったのかも聞いていない。
目が覚めたのは屋敷のベッドで、レースから数日経っていることを知っただけだ。
そして、目が覚めた翌日には別荘行きの車に乗せられていた。
車を引くのはいつものマッチョガーデン。
足どころか、腕もろっ骨も折れた私には、車椅子であっても自力で移動することは出来ない。運ばれるままに別荘に向かうだけだ。
メイから聞いた話だと、レース会場は随分と混乱したようだ。
それはそうだろう、出場者の一人が客席に突っ込んで、見物客もろとも吹き飛ぶなんて誰も想定していない。私もしていなかった。
そんな中で、ゴールドシーンは一人だけ大笑いしていたそうだ。心配しろよ友達だろ。
別荘に連れていかれる理由は聞いていない。
単に怪我が治るまでの滞在なのか、それともこのまま別荘で軟禁なのか。誰も説明のないまま車に乗せられてしまった。
どちらにしても怪我が直るまでは、文字通り身動きが取れない。大人しくしていることにする。ひょっとしたら、病院に居た頃よりも重症かもしれないし。
もし、怪我が治っても別荘から出れなかったら。
そのときは大笑いしていたというゴールドシーンに手紙でも出すか。第二婦人なら少しは力になってくれるかもしれない。言葉が通じれば。
それとも、知識チート的な発明でもして、別荘に隠しておけなくしてみようか。発明した経験はないけど。
それもこれも、怪我が治ってからの話だ。
大丈夫、身動き出来ないのには慣れている。
だから決意を込めて言おう。
「私たちの戦いはこれからだ!」