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終わりの始まり



こんな雪に埋もれた静かな国で、

まさかこんな恐ろしい事がおきていたなんて



◇ ◇


ゼスカジア。それは年中、雪に覆われている国。

毎日、雪がしんしんと降り積もり、日中であっても曇り空でいる事が多いこの国で、太陽が姿を現すのは本当にまれだ。

そのため人々は灯りを求める様に、夜遅くまであたたかな灯を国中に灯す。


そんな雪深い地方であっても、数年にたった一年だけ雪が解ける奇跡の年が訪れる。その年を人々は“祭りの年”と呼んだ。そしてその年には年中、一年を通してお祭りが開かれ、まさにお祭り状態が続くのだった。


そして今年は、なんとその“祭りの年”なのだ。

少しずつ溶けていく雪を人々は見守り、完全に雪が解け切った日…その日から祭りは始まる。



雪の中にそびえ立つ、赤く透き通った氷の様な城。それはこのゼスカシアの象徴とされる建物で、そのままゼスカジア城と呼ばれている。

現在の国王パラジアが住まうこの城は、まるでその力を誇示するように年中、赤い光を帯び、この国に訪れる誰もがまずはその荘厳な美しさに目を奪われる。


そしてそのふもとに広がる城下町。

常に雪に覆われたこの国では、国の魔術師達の力によって、街の中では吹雪くことがない様に天候調整されている。

ひとたび街の外に出れば吹雪いていても、街中に入れば静かなものだ。


国の魔術師の証である刺繍をあしらった長いローブをまとう魔術師が、城下町を歩いている。昼時の為、腹ごしらえをしに魔術師の施設から出て来た所だ。


「おや魔術師様じゃないか、こんにちは。雪が降らなくなってだいぶ経つねぇ」


街人が魔術師に気軽に話しかける。この国の街人にとっての魔術師とは、さしずめ気候や天気の専門家、といった所か。


「そうですね、あと数日もあればお祭りの予感です。準備は万端ですか?」


気のよさそうな魔術師は、顔見知りの街人に返事する。

祭の年は、ある日突然、雪が降らなくなり、日々少しずつ気温が上昇していく。そんな現象が続くと魔術師達は祭の年が来ると判断し、おふれを出す。そしてそのおふれが出た時から、国をあげての祭の準備が始まるのだ。

街中をフラッグガーランドで彩り、普段は建物の中で営業している様々な店も、外に商品を並べたり、それが食べ物屋で有れば外に席を用意したりする。


とにかく祭の年は、陽の光を浴びて、外に居よう、という心意気なのだ。


「当たり前だよ!この年の為に貯めに貯めたうっぷんを晴らすよ!」


そう言って笑いだすと、魔術師もつられて笑った。

皆、待ち望んだ祭の年が来る事で、気持ちも明るくなっている。


祭の年は年中、楽器を鳴らす音楽隊が招かれ滞在する。朝から晩までかなり賑やかだ。


常に雪が静かに降り積り、音も遮られそうな静寂のが続く日々に比べると、騒々しいと言っていい位である。


今年が祭の年であるというおふれはもう出ている為、既に国外から音楽隊の一部が到着し、準備しはじめていた。今日から祭の年です、と宣言する瞬間には準備を整え終わった状態で、盛大なファンファーレを奏でなければいけないからだ。


主にメイン広場に隊列を置いて演奏するのだが、定期的に街中を歩いて盛り上げる役目を担っている。音楽隊は城下町にとどまらず、近隣の町や村にも遠征する。


「泥棒よ!誰か捕まえてえ!」


いつもと変わらぬ昼下がり、突如女性の叫び声が上がった。

それから逃げるように、道を全速力で走る男が一人。すれ違う街人達は男に気づかずにぶつかり小さな悲鳴を上げるか、急いで避けるかだ。


男は女性から強奪した鞄を両手で胸に抱え、走っている。誰も止めようとする者はおらず、むしろ巻き込まれない様に離れていく。


そんな男の前に身を乗り出し仁王立ちする、一人の華奢な少女。

暖かそうな何かの毛を首に巻き、動きやすそうな衣服をまとっている。

真剣な眼差しで男を睨みつけるその目は、黒く、深い。対照的に明るい色の髪の毛によって一層際立っている。


全力疾走する男は、前方に仁王立ちする少女の姿を認識しているのにも関わらず、止まる気配は無い。道にいた街人達が気づいて息をのむ。このままでは衝突してしまう、と。


「てええぇい!」


少女の力強い気合いが響き渡る。

少女は衝突する直前にしゃがみ込み、素早く左腕を男の懐に忍ばせると、そのまま男の腹に手をあて持ち上げる形で男を後方に投げ飛ばしてしまった。


急に足場を無くした男は背中から地面に打ちつけられ、地響きを鳴らした。


少女は険しい顔で、男を見下ろしている。


「盗んだ鞄を返すのね」


少女はそう言うと、男から鞄をひっぱり上げようとした。


「やめろ、これは俺のだ!」


男は突然に言い出した。


「へ?」


驚いて鞄を掴む手が緩んだ瞬間、男は立ち上がり再び走り出した。


「えっ?」


するとそこに、泥棒だと叫んだ女性が息を切らしながらやって来る。


「ああーん逃げられちゃった!」

「あの鞄、あなたの?」

少女の問いに、女性は顔を赤らめて言い返す。


「そうよ!あいつがひったくって行ったの!」

「ええ…っ」


少女はそこで男が嘘をついたのだと知り、慌てて後を追うがあとの祭り。男の姿は見当たらなかった。


「泥棒、鞄持った泥棒、どっち行ったかな?」


街ゆく人に手当たり次第話しかける。鞄を持った泥棒、と言われてもそんな判断が出来る者がいるわけも無く、みな首を振って答えた。



途方に暮れながらも走り続けると、前方に人だかりを見つけ、吸い寄せられるように近づくと、なんとそこには今さっき投げ飛ばした男と、その男を取り押さえている一人の青年が立っていた。

少女は、青年の名を口にする。


「テュレー!」


少女に呼ばれた青年は、声を頼りに顔を動かし、少女を探し出した。


「リローゼ、いたのか」


青年は優しく微笑んだ。

取り押さえている男が、逃げだそうと必死に体をくねらせたりするのだが、青年は微動だにしない。


「そいつ、泥棒なのよ、私に嘘ついて逃げ出したんだから!」


頬を膨らませてリローゼが抗議すると、青年はほほ笑み、泥棒と言われた男は蔑んだ目で少女を見た。


「何よその目ー!」


取り押さえられ動けない男に近づいて再び抗議すると、男は唯一自由な口を使って言い返して来た。


「騙されるお前がバカなんだろ!あんな見事に騙されるバカ初めて見たわ!せめて“あの女が盗んだんだ”までくらい言わせろよ、早すぎてびっくりだわ!」


ハッ、と馬鹿にするように息を漏らすのを忘れなかった。


馬鹿呼ばわりされたリローゼは、頬を紅潮させ、言い返す言葉を探している。

「…バカっていうやつがバカなんだからー!」


やっと紡ぎ出した言葉は、男から更に馬鹿にした目を向けられるだけだった。


「まぁまぁ…」


困った表情のテュレーが割り込む。


「テュレー、そいつ死刑で!」

「盗みで死刑になんかなるかよ、バーカ」

リローゼは、この国に死刑など無いのは分かった上で怒りをあらわにしただけなのだが、また男の餌食になってしまった。


「はぁぁあ!?」

「ああ?」


言葉にならず唸りを上げる少女と、呼応する男。


「まぁまぁ…」

そしてそれをなだめる青年。


すっかり人だかりになってしまったその場に、体格のいい男達と、鞄を盗まれた女性がやって来る。


「あっ、あいつよ~!泥棒!」

女性は体格のいい男達の裾を引っ張って、教え始める。


「テュレー、お前が捕まえたのか」

「偶然だけどね」


体格のいい男達も、テュレーも、黒の布で作られた同じ肩章をつけていた。

これはこの城下町に存在する自警団が付けるもので、治安維持に必要な民間の機関として国にも認められている。

つまり、泥棒を捕まえる権限がある人達なのだ。


「俺が連れてこうか、お前、昼だろ」

「ありがとう」


体格のいい男達は、テュレーから泥棒を引き取ると、牢屋のある治安局へ向かって歩きだした。

女性はテュレーの前に立ち、すり寄るように近づいてお礼を言うと、同じく治安局の方へ向かって行った。

少女と言えば、まだ頬を紅潮させたままで、ぶつぶつ文句を言いながら泥棒を見送っていた。


「リローゼ、俺は今から昼ごはんだけど、一緒にどう?」

「ご飯は食べたけど…見回りなら一緒に行きたいな!」

「うーんリロ、ご飯は食べさせて欲しいなぁ」

「待ってる!」


誘われたご飯を断り、自分の要求をさらりと提示する。

リローゼは今年で14になるが、歳の割に幼く感じられた。それは華奢な体の所為もあるが、言動の幼さがそう思わせてしまう最大の原因だろう。


無意識に、相手より自分の欲求を優先してしまう。


「けどそうだな、パンはあるから、歩きながら食べて、見回りに行こうか」

「いいの?」

「ああ」


テュレーは、ちゃんと店の中で、椅子に座って昼ごはんを食べる予定であったが、幼い友人の為に変更してやるのだった。


「今日はどこ行くの?」

「北の川の方に行こうか、国内の移動者が増えているみたいだし」

「そうね、昨日も東の森には迷子が沢山いたものね!」


二人は歩きながら話した。


「テュレー、自警団のリーダーになるの?」

思い出したようにリローゼは行言った。

「今度ね」

「すごーい!ねぇ、私も自警団になりたいの!テュレーがリーダーになったら、リーダー特権でならせてくれない?」

「そんな特権は無いかな」

苦笑いしながらテュレーは答えた。

「ダメなの?」

「ダメだよ、リロは」

「もー」


テュレーは、腰に掛けた荷物入れから、パンの入った小包をだすと食べながら歩いた。

パンの匂いが気になるのか、リローゼは小刻みに鼻で息を吸った。

「んー、デランスとこのパンね!」

「そう、朝の残り」

「パンは出来たてっていうけど、時間たっても美味しいよね?」

「だね」

昼食の時間が決まってないテュレーは、パンの中でも時間の経過で味が劣化しないものを選んで買っていた。


「川の音だー、近いね」

テュレーより前を、両手を広げては小走りで進む。

「気をつけなよ」

「わかってるよーっ」

いつもと同じ忠告に、いつもと同じ返事をする。


「テュレーは心配症だよね」

後ろを歩く本人に聞こえない様につぶやく。

と、雪解けの進んだ地面に、見慣れないものを見つけた。

立ち止まり、しゃがみこんでそれをじっくり見る。


「どうした?何かあった?」

追いついたテュレーが上から覗き込む。 


黒い液体が、溶けかかった雪の中にあった。

雪解けが進み、土が見えていた状態で、それは雪に混じった土にも見える。

リローゼは、その液体に触れると、顔に近づけて匂いまで嗅いでいる。


「リロ、あまり得体の知れないものに触れないように」

テュレーの忠告に、リロは気まずそうにした。しっかり触って、じっくり匂いを嗅いだ後なのだ。


「これ、なんかいい匂い」

そう言って液体をつけた手を、テュレーに差し向けた。

「ちょっ…」

いきなり現れた小さな手にのけぞる。


「いい匂いしない?」

リロはテュレーの同意を求めた。

しかし、目の前で繰り広げられたのは、テュレーが卒倒していく様だった。


「ええ?テュレー!」


仰向けに倒れるテュレー。地面はまだ雪が残っているといっても、その衝撃を十分に吸収できるものでも無かった。


汚れた手を振り、近くの雪に汚れをこすりつけてから近づいた。


「ど、どうしよう…」


突然の事にどうすればいいかわからず慌てる。背中に背負った鞄から薬草を取り出してテュレーの上にばら撒くが、これは本来の使い方では無い。


テュレーの周りを回り、目覚めるのを待つ。

15回り程した所で、テュレーはゆっくり瞼を開いた。


「ああ!テュレー!起きた〜…、起きたよー、良かったー!」

リローゼは上体を起こしたテュレーに抱きつく。テュレーは何かに恐れて、反射的にリローゼを押し返した。

その反応に、リローゼは驚き身をこわばらせた。


「ああ…、ごめん。リロ、さっきの…手に付いたのはどうした?」

「えっ、雪で拭いたけど…」

「リロは何とも無い?」

「何の…事?」


二人の間に奇妙な時間が流れる。


「ならいいんだ」


テュレーがそこで区切りをつけ、立ち上がる。そして何かを探す様に辺りの地面を見回した。

リローゼはその姿をじっと見て待っている。

目的のものを見つけたテュレーは、一瞬目を見開いたが、すぐにいつもの顔つきになってリローゼの方を向いた。


「リロ、さっきのやつは、人体に有害なものだ。具合が悪くなったら、ちゃんと見てもらうんだよ」

「そうなの?私全く平気だけど…でも、わかった」

「ほんとに何でだろうな」


倒れたせいなのか、テュレーの顔が優れない。

「テュレー、大丈夫?戻る?」

「いや、大丈夫、行こうか」


先程とは違って、テュレーの少し後ろを歩くリローゼ。前を歩く彼の様子を伺いながら心配している。


そんな二人の前方から線の細い男が歩いて来る。髪は茶色でくせっ毛、まとう白い服には赤色や茶色の色汚れが付いている。男は何故かにやけた顔で、鼻歌を歌いながら軽くスキップしていた。


見回り中の二人としては、道行く人の様子を観察するのも仕事のため、この男に声をかけるか判断する所であったが、二人はこれを見送った。


「何あれ…?」

「さぁ…」


足を止めて男の後ろ姿を少しの間見る。

「…人をあれ呼ばわりはだめだよ」

テュレーは思い出した様に呟いた。



気を取り直して先へ進むと、穏やかに水が流れる川が見えて来た。

「川だ!」

「増水してるね、あまり近づいたらいけないよ」

急激な雪解けで、山脈の方から流れる水の量が増えているようだった。

「うん」

対岸の少し離れた所に、行商人らしき集団の人影がある。

「橋渡ろうか」

テュレーの声掛けにリローゼは鈍く反応し、それを知ってテュレーも対岸を見るのだった。

「誰かいるね」

「なんか、おかしい」

リローゼは目を凝らしてその人影を見つめる。真剣なまなざしのリローゼを、物珍しそうにテュレーは見るのだった。次第にテュレーも、なぜリローゼがそんなまなざしをしているのかを知た。行商人らしき集団は、異変そのものだったのだ。

まずは走る男が先頭に一人。少し間を開けて、その後ろに四、五人走っている。

集団が近づくにつれ、先頭の男の必死な形相と、後ろを走る者達の異形の姿を捉える事ができた。


「何かなあれ?仮装??」

「違うと思うよ…」


テュレーは対岸に繋がる橋に向かって全力で走った。

「こちらへ!」

行商人に向かって叫ぶ。聞こえていたのかどうなのかはわからないが、行商人の走る先は橋の方だった。

走りながらもテュレーは、行商人後方の異形に目をやる。そして腰に差した短剣は収まる鞘に手をかけた。

橋の上を駆け抜き、対岸へ辿り着く。

行商人がすぐそこまで来ていた。

「この橋の向こうへ!」

行商人と目が合うほどまでに近づいている。

「こっちこっち!」

リローゼが橋の先で呼び込む。

行商人は必死な形相のまま、言う通りにテュレーとすれ違い橋の真ん中を走ってリローゼの元へ向かった。


異形は、人のシルエットをした、泥人形のような者であった。全身の各所からその身を構成する物質が垂れそうになったり、実際に垂れたりしている。足が地面を擦る音が微かにするが、それ以外に音は無く、なんとも不気味だ。それらは明らかに行商人を目標にしており、彼に向ってまっすぐに走って行く。それを見ながら、テュレーは異形達を斬る瞬間をはかった。

すれ違う丁度その時に、短剣を鞘から抜き一体を斬りつけた。

その筋は人間でいえば腹から肩へ向かって斬り上げており、異形そのものがとても柔らかな体をしていたものだから、短剣という短い刀身ではあったがそのまま両断してしまうのだった。

続けて二体目、三体目と同じく両断していく。しかし、二体がその隙をついてテュレーをすり抜け、行商人の元へ向かっていた。

急いで振り向き後を追う。

行商人は橋を渡りきり、腰を降ろして動けずにいる。

異形のものがまっすぐ行商人めがけて突き進む。

その間に立ちはだかる、華奢な少女。


「私が止める!」

「リロ!」


リローゼは腰を下げて体勢を低くした。微動だにせず、異形が辿り着くのを待っている。


「リロ、体術では無理だ!」

そんなテュレーの言葉にも、彼女は動かず、まっすぐに異形を見つめる。

間合い的に、テュレーが追い付くより早く、異形の攻撃が彼女に届くと思われた。


しかし。


異形は何を思ったか、進むのを止めた。先頭の異形が止まると、後ろの異形も全く同じ位置に来るとなぜか止まった。

リローゼは異形が来るのを待っている。しかし、それはなされない。

テュレーが背後から斬りつけ、真っ二つにしたからだ。


全ての異形が斬られ地に落ちている。


「大丈夫か?」

リロに駆け寄るテュレーを、構えを解いたリローゼが迎えた。

「うん、全然平気。こっち来なかったし」

「…ああ、そうだな、よかった」


テュレーは少し浮かない顔だったが、そのままリローゼと共に行商人の元へ駆け寄った。


「大丈夫ですか?」

行商人は背中に大きな鞄を背負っていた。その鞄を背もたれにしてすっかり座り込んでいる。顔には大量の汗が吹き出し、走っていたのにも関わらず顔は青ざめていた。

「ああ、ああ、助かったよ、ありがとう」


「あれ何?まるで本に出てくる化け物だわ!」

「ええ、ええ、全くその通りですよ、私も何がなんだか」


「何があったのか教えて頂けますか?」

テュレーの丁寧な口調に、行商人はしっかりと目を合わせて答えた。

「ええ、しかし私も訳がわからないのです、黒い雪が降って来たかと思うと、急に具合が悪くなりまして、木の下で休んでいましたら先ほどのモンスターがいつの間にか前にいて襲って来たのです」

興奮している行商人は息を切らす事なく言ってのけた。

「ああ、本当に良かった、もう私は死んだかと思いましたよ。生前の記憶が走馬灯のように巡っていたんですから。遺書を残しておけば良かったなんて、事態に見合わない事も思いました」

まだ荒い息を続けながら、聞いてもいない事まで話始めた。そんな彼の肩を叩いて微笑みを向けてやるテュレーだった。


「黒い雪?」

リローゼは不思議そうに首を傾けた。

「ええ、聞いた事はありませんか?私は職業柄ゼスカジアのいろんな場所に行くんですが、この黒い雪の噂はたびたび聞いておりました」


「噂?」

「ええ、黒い雪は凶兆の現れだと。それは不治の病だったり、化け物だったり、天災だったりを呼び起こすものだと」

リローゼは恐ろしそうな顔をして聞いている。そんな彼女にテュレーが追い打ちをかける。

「リロ、さっき君が触れた黒い液状のもの、あれもきっとそうだ。おそらく黒い雪が地面に落ちた後のものだと思う」

リローゼはテュレーの顔を見て青ざめた。

「ええ…!?」

「君には効果が無かったようだけどね」

そう言ったテュレーの表情もひどく青ざめている。それはリローゼの青ざめたものとは少し違った。

「大丈夫?」

リローゼがテュレーを気遣う。

「…少し休もう」

テュレーの提言に、二人は頷いたのだった。


行商人が普段使っている道具で火をおこし、これまた彼が持っていた持ち運び用の椅子に座って休みを取った。三つもなかったため、行商人は巨大な自身の鞄を椅子代わりにしている。

テュレーが両断した化け物達は、まるで雪の様に溶けて黒い水溜りと化していた。


「大丈夫?」

リローは椅子に座って火を見つめるテュレーに声掛ける。

「ああ、大丈夫だよ。あのモンスターに近づき過ぎたみたいだ。陽が暮れる前には帰ろう」

そんなやりとりを見て、幾分か落ち着いてきた行商人が話かけて来た。

「お兄さん、城下町の自警団の人だね」

城下町の自警団の肩章は、この国ではかなりの知名度を誇る。行商人という商いを生業としている者であれば知っているのも当然だった。

「そうよ」

テュレーが答えるより先に、リローゼが変わりに答えた為、テュレーは代わりに笑みを向けた。


「最近、黒い雪の話を良く聞くんですよ。不気味というか、なんというか…城下町では何もないですか?」

「今の所、話には出ていないけど、こんな近くであんなモンスターが居たとなると…」

二人は重く沈んだ雰囲気を醸し出している。


「あの黒い水溜りも早く浄化しないと…。人が通る前に」

そう言ってテュレーは立ちあがった。リローゼが慌ててそれを支えようとする。

「大丈夫だよリロ、だいぶ良くなった」

「…でも、まだ顔色悪いよ」


「浄化なんて、司祭様でも出来るか…」

「大丈夫、俺がやる」

テュレーの思いがけない言葉に、行商人は目を丸くした。

「やるって、そんな簡単に…」


「テュレーがやるって言ったらやるわ」

なぜかリローゼが行商人に向かって怒って見せた。

「でもお嬢さん、黒い雪は得体の知れないもので…」

リローゼと行商人の会話を背に、テュレーは黒い水溜りの手前まで歩いた。


守り神の首飾りを、服の上から触れた。竜の形を象った貴石が感じられる。

「守り神よ、力を…」

テュレーがそうつぶやくと、黒い液体の上に淡く白く光る魔法陣が現れた。


少し後ろで、行商人とリローゼがやっとそれに気づいた。

「な、何ですかあれは…」

「知らないけど、テュレーは何でも出来るのよ!」

なぜかリローゼが自慢げに言い放った。


魔法陣は、そのまま白い光を少しだけ上方へ放出すると、消え失せた。しかしその跡には黒い水溜りもなかった。

駆け寄ったリローゼと行商人がそれを見て驚く。

「おお、無くなりましたな!」

「テュレー凄い!」

リローゼはテュレーの横で飛び跳ね、行商人は腕を振り上げた。


「よし、帰ろう、もうすぐ陽が暮れる」

テュレーの言葉に二人は頷いたが、リローゼが同時に何かを見つけた。


「テュレー、あそこ、何?」


リローゼが指差した場所、それは洞窟の入り口だった。

まだ雪が溶けていないその場所は、入口に出来た氷柱もあってか、陽の光を浴びて煌めいていた。

「おじょうさん、あそこは神様の洞窟だよ」

「えっ?」

「もちろん、そう言い伝えがあるだけで、神様が住んでる訳じゃないだろうがね、あの洞窟の水はとても澄んでいて、神様さえもその水を飲みに立ち寄るとされてるんだ。昔の人は中に入って水を汲んでたみたいだけど、今は立ち入り禁止になってるんだよ」

「神様って、守り神の事?」

「ええ、ええ、そうです」

惹かれるように、洞窟を見つめるリローゼ。


「中は迷路みたいになっている上、山脈側が崩落する可能性もあるんだ。危険だから随分昔から立ち入り禁止になってる」

リローゼの興味が失せるように、テュレーが付けくわえた。

「城下町にも知らない子がいるんですねえ」

何気なく行った行商人の言葉に、テュレーは苦笑いして言った。

「さあ、帰ろう」


リローゼは帰り際も、何度も振り向いては洞窟を見ていた。


城下町に戻ると、行商人はお礼を言って去って行った。

「なんだか大変な見回りだったわね」

「これからもっと大変になりそうだ」

人を襲うモンスターが現れたのだ。祭りの年という事で人出も多くなるこの年に、とんでもない事が起きてしまった。

「俺は本部に戻って報告しなきゃならない、ここで…」

「うん、またね」

本当なら、リローゼを家まで送る所なのだが、リローゼの居住地を知らない。

「気をつけてな」

「うん、テュレーも」


リローゼは裏通りの方へ向かって走って行った。なぜ彼女が住んでいる場所を明かさないのかをテュレーは知っていたが、あえてそれには触れずにいた。


「なあ、祭りの年って事は、あの引きこもり姫様も城から出てくるかな?」


道端を歩く民がそんな事を言った。

この国には、王子が一人と、国王の姪で養女となった姫が一人いる。しかし王子は6年前にある事故により行方不明となり今も行方知れず、姫といえば王子が行方不明になってからというもの、城に閉じこもる日々を送っていた。

公務であっても何かと理由を付けては出てこない姫ではあるが、流石に祭りの年ぐらいは民の前に姿を見せるかも知れない、そう思ったのだろう。


姫は王子を失ったショックでそのような毎日を過ごす事になったと国内外では噂されているが、本当の所は分からない。

なぜなら、姫はほぼ毎日、この城下町にその正体を隠して現れては泥棒を捕まえようとしたり、自警団とともに見回りをしているからだ。

テュレーは訳あってその正体を知っていたが、それを本人に問いただす事も、誰かに言いふらす事も無かった。そしてテュレー自身、リローゼが姫であるという事は意識しないようにしているのだった。



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