1.神様が家に来た
その日のことは、よく覚えている。
いつも通り1人で残業して、いつもより少し早めに退社したのが、20:00。
1DKの散らかっている部屋に戻って、シャワーを浴びて、コンビニ弁当を食べ終わったのが、21:00。
次の日は土曜日だったから、このまま寝るのももったいないな、なんて思ってダラダラしてたら、
ピンポーン
と玄関のチャイムが鳴った。
宅急便かな? と思いながら、わたしは玄関に行くと、ドア越しに来訪者に声をかけた。
「どちら様ですか?」
「こんばんは。わたしです。駅前でケーキを買って来たんで、一緒に食べましょう」
普通だったら、こんな時間の名乗りもしない来訪者なんて、怖いだけだ。
でも、このときのわたしは何故か怖いとも思わず、なんの疑いもなくドアを開けた。
「いらっしゃい」
開けた先に立っていたのは、わたしと同じ年くらいの髪の長い綺麗な人。
白っぽい服を着て、手には駅前のケーキ屋の箱を持っている。
その人は、わたしを見て、ニカッと笑った。
「ごめんねー。美月ちゃん。ちょっと急ぎだったから来ちゃった」
「いいですよ。散らかっていますけど、どうぞどうぞ、お入りください」
わたしは、特に疑問に思うこともなく、深夜に突然訪れた初対面のその人を家に招き入れた。
仕事が忙しすぎたせいもあり、家は信じられないくらい荒れていた。
正に足の踏み場もないというやつだ。
普段だったら、こんな家に親友でも入れないのだけど、そのときのわたしは、なんの躊躇いなくその人を家に上げた。
その人は部屋に入ると、ローテーブルの上にケーキの箱を置いて、少し引き気味に部屋を見回した。
「うーん。荒れてるねえ。20代の女の子の部屋じゃないなあ。やっぱり最近忙しすぎて荒れた感じ?」
「そうなんですよ。疲れて帰ってきたら、なにもやる気がしなくて。ここ2週間、ほぼ毎日コンビニ弁当です」
「それは体に悪いねえ。ちゃんと作ったものも食べないと」
「そうは思ってるんですけど、疲れていると、料理をするのも、なかなか難しくて。料理って意外と手間がかかるじゃないですか。メニュー決めて、レシピ調べて、買い物に行って、て」
そんな話をしながら、わたしは、ローテーブルの上のコンビニ弁当の食べた後や飲みかけのペットボトルをサッと片づけると、座布団を置いた。
「どうぞお座り下さい。お茶、飲みますか?」
「うん、ありがとうね。わたし、紅茶がいいな。ケーキも食べるから、お皿とフォークもよろしくね」
「はい。ちょっと待ってて下さいね」
*
取り留めもない話をしながら、美味しいケーキを食べ終わると、その人は、わたしに1冊の分厚い本を差し出した。
「これどうぞ。君が理解しやすいように、分かりやすい形式にしてあるよ」
受け取ってタイトルを見ると、「ランドルフの攻略本」と書いてある。
パラパラとめくると、人物紹介や地図、スキルや道具の説明がイラスト付きで書かれている。
どうやらゲームの攻略本のようだ。
わたしが本を流し読みしていると、その人が改まったように座り直して、口を開いた。
「実はさ、わたし。この世界の神様なんですよ」
突然の告白に、わたしは顔を上げて、その人をながめた。
突拍子もないことを言っているけど、なぜか全面的に信じている自分がいる。
なぜだろうと首を傾げていると、その人がにっこり微笑んだ。
「わたしは神様だからね。君はわたしを信じるようになっている」
「だから、わたし、あなたと初対面なのに家に招き入れたりしてるんですか?」
「そうだよ。不思議だったでしょ?」
「はい。じゃあ、わたしが忙しいのを知っているのも」
「そ。神様だから、何でもお見通さ」
神様はにこにこ笑ってわたしを見ると、「じゃあ、本題に戻るね」と言って、軽く息を吸った。
「今日は、君が1年後に異世界召喚に巻き込まれることを知らせようと思ってきたんだ」
「……はへ?」
目をぱちくりさせるわたしを見て、神様が気の毒そうに言った。
「異世界召喚だよ。別の世界から召喚されるんだ。……まあ、もっとも君は巻き込まれる被害者だけどね」
神様の話では、1年後、別世界のとある国が異世界召喚を行って、そこにたまたま居合わせたわたしが巻き込まれてしまうらしい。
「それでさ、渡した本の105ページを開いて、読んでみてくれるかな」
わたしは、もらった本をパラパラとめくって105ページを開いた。
そのページは人物紹介のページで、冴えない感じの女の子のイラストと、その女の子に関する説明書きが書いてある。
『勇者の異世界召喚に巻き込まれて来た一般人。冴えない容貌と有用なスキルがないことから、城のメイドとして働く。しかし、4カ月後に無実の罪を着せられて城から追い出され、荒野で野垂れ死ぬ』
わたしは、そのキャラクターの絵をながめた。
ひっ詰めの髪の毛に、黒縁眼鏡。暗い感じの雰囲気に、小太り体型。
どことなく自分に似ている気がする。
神様は、わたしをジーッと見たあと、言いにくそうに口を開いた。
「もしかして薄々気付いているかもしれないけど、それ、君なんだよね」
「……は?」
「召喚後の君だよ、それ。君は、召喚されてから4か月後に亡くなることになっているんだ」
わたしは、ポカンと神様の顔を見た。
それって、あと1年半でわたしは死ぬってことだよね? それも結構悲惨な感じで!
気付くと、わたしは立ち上がって叫んでいた。
「そ、そんな! 理不尽な!」
「しー。今、夜だよ? そんな大きな声を出したら近所迷惑だよ、ここ壁薄いだろう? 少し音量下げてね」
神様に諭されて、わたしはノロノロと座布団に座った。
そして、1つの疑問が湧いた。
神様は、どうしてそれをわたしに伝えに来たんだろう?
神様はわたしの心を読んだように言った。
「実はさ。勝手に違う世界のリソース――つまり、人材を、勝手に呼び出すってNG行為なんだよね。各世界のリソースの量って絶妙なバランスで決まってるから、呼び出された人物の功績や残された寿命によっては、波紋のように広がって、バランスが一気に崩れる」
ここまで言うと、神様は一息ついて紅茶を飲んだ。
「君はあと70年以上寿命が残っている上に、ちょっとばかり大きな功績を残すことになってる。そんな君を勝手に呼び出して、何の能力も付与しないばかりか、返しもせず野垂れ死にさせるなんて、わたしとしてはあり得ないわけよ」
神様の話では、メインで召喚される勇者達には、いわゆる " チート能力 " が魔法陣から付与されるらしいのだが、巻き込まれただけのわたしには何も付与されないらしい。
それで、それではあまりにも酷すぎるだろうと、呼び出す側の神に抗議に行ったらしいのだが、「下界不干渉です」と、言って追い返されてしまったらしい。
神様、ぷんすか、という感じの怒った表情をした。
「あの女。ちょっと年上だからって、偉そうだし、頭固いんだよね。その世界の神が干渉しないと言う限り、わたしはあっちの世界に手が出せない。ということは、あっちの世界で運命として決まっている異世界召喚をわたしは止めれないんだ。……申し訳ない」
神様が頭を下げる。
頭を下げられたわたしは、ひどく悪いことをしている気分になって、慌てて頭を上げるように言った。
彼女は頭を上げると、話を続けた。
「ただ、こっちも引き下がる気はなくてさ。11日後……つまり、君たちの世界でいうところの11か月後に、神の大会があるんだ。今から根回しして、そこで、直訴しようと思ってる。
ただ、そこで上手くいくか分からないから、君には今から出来る限りのサポートをしようと思って来たんだ」
「サポート?」
「そう。サポート。107ページを開いて、見てくれる?」
107ページを開くと、そこにはわたしの能力が書いてあった。
「そこの細かい数字は置いておいて、とりあえず一番下のスキルってところを見てよ。何て書いてある?」
「<雑務処理>、<読心術>、<楽器演奏>です」
「そう。それが、君が異世界に行って持っているスキルだ」
わたしはポカンとした後、思わず苦笑した。
確かに、有用とは言えないスキルばかりだ。
「<雑務処理>は、君が会社で培ったものだね。<読心術>は、君って常に空気読んでるだろう? それがスキルになったものだね。<楽器演奏>は、君が高校までやっていた部活の成果だ」
神様曰く、異世界召喚されると、その人物の秀でた能力が倍増されてスキルになるらしい。つまり、わたしが持っている優れた能力は、この3つということになる。
わたしは暗い気分で溜息をついた。
会社で空気を読み過ぎて、他人から体よく仕事を押し付けられてるわたしにピッタリのスキルだ。
「何となく分かりました。わたしって、ものすごく使えない人間ってことなんですね」
わたしのつぶやきに、神様は笑顔で答えた。
「まあ、使えなくもないし、10年後くらいには開花するんだけど、この状況で10年も待ってられないからさ。異世界召喚対策に、君にはわたしから3つのギフトを送ろうと思う」
「ギフト?」
「1つ目と2つ目は、<能力倍化>と<経験値20倍>。これは、君の今の能力を倍にするのと、スキル習得速度を20倍にするものだ。例えば、君がピアノの練習を1時間すると、実質20時間練習したことなる。しかも、才能も倍化してるから、そこそこのレベルまではいける」
わたしは腕を組んで考え込んだ。
つまり、1ヶ月勉強したら、1年半くらい勉強したことになるということだ。
これはかなり凄いんじゃないだろうか。
「そのギフトを使って何かを学べば、その内容のスキルが増えるってことですか?」
「その通りだよ。人より秀でればスキルになるからね。
それと、3つ目のギフトは軍資金だね。色々とお金が必要になると思うから、君の持っている銀行口座2つに、それぞれお金を入れておく。自由に使ってスキルを身に着けるといい」
神様は、にこにこしながら言った。
「どう? これで何とかなりそうでしょう?」
「……分かりませんが、どうなんでしょうか」
神様の顔とは対照的に、わたしの心は暗かった。
確かにすごい能力ではあると思う。でも、元がわたしだし、そんなスキルなんて身に着けられるとは思えない。昔から、何をやってもイマイチ冴えなかったし、1年後何もできるようになりませんでした、ってことになるんじゃないだろうか。
わたしが悲観的なことを考えていると、神様がフウッと溜息をついた。
「君のその自信の無さと、自己否定感の強さは筋金入りだね。それがあるから、チャンスが来ても亀みたいになって動けなくなる。本来の性格はそうでもないんだけどね……」
そう言うと、彼女は自分がしていた石のついたネックレスを外して、わたしに渡した。
受け取ると、ほんの少しだけ温かい。
「これはね。勇気の出る石だよ。持っていると、自分を客観的に見れるし、勇気が出て、思い切りが良くなる。あと、運も上げてくれるから、物事がスムーズに進むはずだよ」
わたしは、手の中にある石をながめた。確かに、見ていると勇気が湧いてくる気がする。
神様は、にっこり笑うと立ち上がった。
「じゃあ、わたしは行くよ。また少ししたら来るよ。その攻略本は随時内容が書き換わる。スキルが増えているかどうかチェックするといい。それと、まずは部屋を片付けると良いよ。要らないものを全部捨てたら、見えるものも出てくるよ」
そして、止める間もなく玄関に向かうと、ドアを開けると、笑顔で振り返った。
「じゃあね、またくるよ」
「あ、はい、お気を付けて」
バタン、とドアが閉まる。
部屋に1人残されたわたしは、しばらくボーっと座っていた。
手を見ると、神様のくれたネックレスが握られており、テーブルの上には攻略本が置かれている。
試しにほっぺたをつねってみると、とても痛い。
「……やっぱり夢じゃないよねえ」
神様からもらったネックレスを首にかけてみると、石はほんのりと熱を発しており、体全体を温めてくれる気がする。心なしか、体が軽い。
わたしは、部屋を見回して、溜息をついてつぶやいた。
「まだよく分からないけど、まずは、神様の言う通り、部屋を片付けてみようかな」
*
神様が帰って、6時間後。
わたしは、最後のゴミ袋を縛ると、額の汗をぬぐって立ち上がった。
片づける前に、昔買ってそのままにしていた断捨離本を引っ張り出して、その通りに捨てまくった結果、なんと、ゴミ袋15個分の不要物が出たのだ。
わたしは、胸に光るネックレスを見て、「これすごいな」と、つぶやいた。
今まで捨てられない女で、部屋が物であふれてゴチャゴチャしてたのに、今回は思い切りよく捨てることが出来た。お陰で、部屋は未だかつてないほど片付いて、心なしか空気まで爽やかな気がする。
わたしは、清々しい気持ちで、洗面所に行って顔と手を洗った。
そして、ふと鏡の中の自分を見た。
伸びすぎた前髪に、艶のない髪をひっ詰めた地味な女。肌もガサガサで、顎は二重顎。しかも、小太り体型。
神様からもらった攻略本にあった、「冴えない容姿」という言葉のまんまの外見だ。
確かに、こんなのが召喚されてきたら、無実の罪が着せやすそうだ。
わたしは、目をつぶって、パンッと自分の頬を両手で叩くと、鏡の中の自分に言った。
「よし、まずは、もうちょっとマシな外見になろうか」