第1話 引越し先の住人達4
「まずはカーテンだな。やっぱ外から丸見えってのは恥ずかしいし」
段ボールを開けて、あらかじめ買っておいた淡いブルーのカーテンを取り出す。南側にはベランダに通じる窓があるのだが、壁一面ガラス張りとなっていて前の道路から室内が丸見えなのだ。
「まったく、なんでこんなでかい窓なんだよ。ベランダっつっても奥行きがないから洗濯物も干せないし……あー最寄りのコインランドリー探さな――――」
カーテンを手に窓の方に目をやると、そこには窓に張り付いた害虫3匹の姿が……。
無言のまま窓の鍵を開け、ゆっくり窓をスライドさせていく。
「おー、窓開けてくれたぞー。チース失礼しまーす」
「渾身の一撃ぃ!」
「ぶほぉおああぁぁあぁ!」
「キャー! カズがベランダから墜落したー!」
「カノン、こんな狭い場所で暴れないで! あたしたちまで落ちるって!」
華麗なる右ストレートで1匹は駆除成功。残るは2匹か。
「これまたでっかい害虫がいたもんだな。駆除のし甲斐があるってもんだ」
「ヒィー! ごめんなさーい!」
「あっ! 待ってよカノン! なに1人で逃げてんのよ!」
指の骨を鳴らしながら一歩前へ出ると、害虫2匹は自らベランダから飛び降りていった。
こいつは予想外だわ。まさかこんな場所から侵入してこようとは。これは僅かな油断も許されないぞ。ベランダにまきびし敷き詰めとこう。
細心の注意を払いながら荷ほどきを進めていくも、その後は悪ガキが襲撃してくることはなく、片付けに没頭することができた。
タンス、テレビ、テーブルを配置して、布団は押し入れに。衣類をタンスにしまい、料理道具はキッチンに、風呂にはソープ類とマットをセッティングし、全行程を終えた時は夜の9時になっていた。
「もうこんな時間かー。1部屋しかないのに、妙に時間くったなー」
空になった段ボールをたたみながらも、空腹なことに気付く。そういえば晩飯どうしよう。今から作る気にもなれないし、そもそも食材がないな。昼に買いに行く予定だったのに、あの害虫どもに時間をとられて買いに行けなかったし。
「……今日は贅沢に外食にするか」
☆☆☆
出掛ける前にノートパソコンで近くの店を検索したところ、徒歩5分くらいの所にファミレスがあることが判明した。あとは居酒屋がチラホラとあったけど、酒って気分でもないので、ここは大人しくファミレスに向かうことに。
お気に入りのシルバーアクセを着けて、意気揚々と階段を降りきったところで、まさかの害虫と遭遇。
「お前ら……まだ遊んでんのか。いい加減うち帰れよ」
「っせーな、今帰るとこなんすよ」
「お腹も空いたしねー」
遊ぶだけ遊んで、お腹が空いたら帰るとか、本能のままに生きてるな。
「あれ? 1匹足りないじゃん。セミロングの奴は駆除されたのか?」
「害虫扱いやめて下さいよー」
「ミユならとっくに家に帰ったよ。あいつ晩飯作るの手伝ってっから」
ほぅ、あの虫なかなか親孝行な一面があるじゃないか。それに比べてこいつら見てると悲しくなってくるな。髪の色も金に赤だぞ? どんだけ自己主張激しいんだよ。茶色なんてありふれてて可愛いもんじゃん。
「おっと、害虫にかまってる場合じゃないんだった。じゃあな、早く死ねよ」
「亜久津さんってちょー酷いよね」
「そうだ、そういや俺はまだ自己紹介してなかったな。舞島和樹っつーんだ、よろしく」
急いでるっつってんのに、なんでこのタイミングで自己紹介なんだよ。バカじゃねーのあぁバカだったな納得。
「はいはい、亜久津玲也です」
しかし名乗られたからには名乗り返す。紳士の鏡のような男だな俺は。今脳内では俺への拍手喝采がえらいことになってる。
「亜久津さんは今からお出かけ? ついて行っちゃおっかなー」
「来るな。髪の色が気持ち悪いんだよ」
「酷くない!? この人酷くない!?」
「いや赤は変だろ」
「お前が言うな金髪リーゼントがー!」
「ごっはぁ!」
なんていうか、夫婦漫才でも見せられてるような気分だ。
「はいはい、お前らが仲良いのはよく分かったから。俺はもう行くから。ついてくんなよ」
「ちぇー、分かったよーだ」
あまりしつこくすると殴られる、ということを理解したようで、ポニーテールはあっさりと引き下がった。
よしよし、じゃあ改めて出発するかね。
「さて、帰ってカップラーメンでも食うかな」
「またぁ? 最近ずっとそれじゃん。たまには作ったらどーよ?」
「お前だって似たようなもんだろが。ちなみに今日はなに食べんだよ」
「カップ焼きそばだぜぃ!」
後方から2人の会話が聞こえてくる。そうか、そういえば親が二人とも揃ってるのはセミロングんとこだけだったか。
「つーかお前んとこの親父さん、今日休みなんじゃなかったか? なんか作ってもらえよ」
「んー、その予定だったんだけど、急に仕事が入っちゃったらしくてさー。もう出ていったよん」
「そか、悪かったな。変なこと聞いて」
くっ! なんだこれは! なんの嫌がらせだ! 切ないじゃないか! だがダメだ、同情なんてかけるんじゃないぞ! あいつらだってもう高校2年生らしいじゃないか。もはや大人と言っても過言ではない。己の境遇に涙する時期はとうに去ったことだろう。今や全てを受け入れて、悟りの境地に達しているはずだ。そんな奴ら相手に同情だと? 偽善も甚だしいぞ玲也。何が幸せで何が不幸かは人それぞれが判断することだろう? 俺の価値観だけで判断を下すなんて、何様のつもりだよ。
「別に変なことじゃないじゃん。気を遣ってくんなくていいってのー。こんなのもう慣れっこだよ」
徐々に声が遠ざかっていくが、車も通らないせいか内容はしっかりと聞こえてしまう。聞くつもりなんてないのに、なぜか意識を傾けてしまう。
これが俗に言う野次馬根性というやつか……。
「寂しいとは思うけど、うちのために働いてくれてるんだから、我慢しなきゃねー」
受け入れたとはいえ、寂しい気持ちが消えるわけじゃない。それはよく分かるが、だからなんだと言うんだ。赤の他人である俺にできることなんて何もない。寂しいのなら友達に慰めてもらうべきであり、今日出会ったばかりの俺がしゃしゃり出るのは間違えてる。
下手に偽善を振り撒くよりも、関わらずにそっとしといてやるのも優しさだ。勝手に同情されて、勝手に優しくされたとあらば、あいつらだっていい迷惑だろう。そもそも同情なんてのは、上から目線の憐れみでしかなく、非常に不愉快だった思い出しかないんだ。あいつらにその不快感を与えるつもりかよ。ダメだダメだ、そんなこと俺にできるはずがない。だからこれでいいんだ。あいつらとは深く関わらず、うざい害虫くらいの距離感でちょうどいい。