中
「お前、何してんの?」
「何ってお見舞い」
「…」
「…」
目の前の真山の眉は見事に歪んでいた。
対する私は片手に地図、片手にビニール袋を握り締め仁王立ちしている。
『美月ちゃん、真山さんが倒れたって!』
沙耶香から朝にきた電話。
あの健康体の真山が倒れるなんて普通のことじゃない。
そうして慌てて私は真山の住むアパートへ来ていた。
恋人の部屋に来るために地図が必要だなんて、何だか距離を感じてむなしい。
けどそんなこと言ってる場合じゃない。
こんな時くらい真山の役に立たなければという思いでやや私は強気だった。
「ソウから聞いたか」
「うん」
「ただの風邪だから大丈夫だっつの、大げさだな」
と言いながらも壁に寄り掛かるその姿がすでに辛そうだ。
「良いから寝てなよ」
「寝るからお前は帰れ」
こんな時でも頑なに私を部屋の中に入れようとしない真山。
こんな時くらい中に入れてほしい私。
にらみ合いが続く。
「てかお前学校は?」
「今日は午前あがり」
「課題とかあんだろ」
「中間テスト終わったばっかで暇」
「……」
あの手この手で私を帰らせようとする真山にだんだん腹が立ってきた。
「そんなに私がいるの邪魔?」
思わず不安が険のある声になって出てくる。
「…風邪移るから」
「別に気にしない」
「俺が気にする」
ああ、こんな真山の体調が悪い時くらい手間なんてかけさせたくないのに。
どうしてこうも私は理想と真逆のことしかできないんだろう。
色々な意味で泣きたくなった。
真山は責任感が強く律儀な性格だ。
だから、私や私の家族の気持ちを大事にしてくれている。
まだ自分の力で生きているわけじゃない私が社会人になって自己判断できるようになるまで、責任の持てないことは一切やらない。
それは真山がずっと貫いてきたスタンスだ。
だからこうして私を部屋に一切入れないことも分かってる。
分かってるけど、自分勝手な私は変に疑ってしまう。
こんなあからさまに嫌がる真山を見ると、とくに。
思えば、真山はあまり私にプライベートな部分を見せてこなかった。
仕事が忙しい人だから、一緒に出掛けたこともあまりない。
ピアノが趣味らしいけど、弾いているところを見たこともない。
真山の友達にだって会ったことなくて。
あえて挙げるなら沙耶香の旦那様で真山の仕事仲間の風見ソウと知り合いくらいなものだ。
どんどん考え出せば、深みにはまる。
嫌われているとは思わない。
指輪の存在を何でもないとも思わない。
けど真山は責任感が強い男。
もしかして、私にはもう愛想を尽かせているけど無理して付き合ってくれてるんじゃないか。
私が傷付かないようタイミングを図ってくれているんじゃないか。
そんな思いにとらわれてしまう。
「…分かった、帰る。これ、ちゃんと食べて」
「おう、サンキュ」
いい加減真山を休ませたくて、私は渋々引き下がることにした。
テンションの下がる私に対してホッとしたように笑う真山が少し憎い。
「気を付けて帰れよ?」
「子供扱いしないでよ、大丈夫だから」
「ははっ」
…それでも、頭をぐしゃぐしゃと撫でられるだけで嬉しくなってしまうんだから仕方ない。
好き以外の言葉が頭に残らなくなってしまうんだから、情けない。
悔しい気持ちになりながら、真山に背を向ける私。
ドサッと、そんな音が後ろから響いたのは直後だった。
「…真山?」
振り返れば、地面にぐったり体を横たえる真山の姿。
「真山…!」
気が動転しながらも、駆け寄って真山を揺さぶる。
体の熱さに驚いて、恐る恐るおでこに触れれば相当な熱をもっていた。
「……ごめん」
少し躊躇ってから、真山を引きずるようにして部屋の中に入る。
白と黒で統一された部屋。
すっきりしていて、整頓された室内。
初めて見た景色は真山らしくて、そして真山の香りで溢れていた。
真山をベッドに寝かしてから思わずまじまじと眺めてしまう。
ここが、真山の生活する場所。
ドキドキと高鳴る心臓に、罪悪感で痛む胸。
「ん…」
「っ、真山」
「美月?」
真山の意識が戻るのは早かった。
慌てて真山のところに戻り、そのおでこに触る。
…まだ熱い。
「真山、大丈夫?」
「美月」
「なに?」
「美月…」
「だから……っ!?」
何だか真山の様子がおかしい。
そう思った時には、私は真山の腕の中にいた。
「ん、美月…」
ひたすら私の名前を呼ぶ真山。
完全に私を抱き枕か何かと勘違いしている気がする。
でも、こんな真山は初めて見る姿で何だか新鮮だ。
「どうしたの真山」
「んー…」
寝惚けて、る?
ここにきてやっと気付いたのは、至近距離になった真山の目がとろんとしていたから。
…可愛い。
体が硬直するくらいに心臓がうるさいくせして、そんなことを感じてしまう私。
「美月」
「……」
けど、心臓に悪い。
真山の熱が私にも移てすでに顔は真っ赤。
耐えきれず目をギュッと瞑る私。
ことが起きたのはその瞬間だった。
「な、んっ」
唇に何かが触れたのは突然のこと。
「まや」
「ん…」
カッと目を見開けば、目の前どアップの真山。
その目は完全に閉じていて、スースーと本格的に寝息をたてている。
「何なの、本当」
一気に脱力した私。
いまだ体に回る腕は気になるけど、疲れがどっと押し寄せてそれどころじゃない。
「早く治って。…本当色んな意味で」
ぐったり脱力したまま動けない私。
ふと規則正しく流れる真山の心臓の音が聞こえる。
…気持ちいい。
そのまま意識が沈んでいった。
「良かったな洋文、念願叶って」
「仁。やめろ、今頭真っ白なんだよ」
声が聞こえる。
真山と、あとは知らない人の声。
…一体なに?
寝惚けたままの思考で考えを巡らせる私。
ハッと思い出して、目を開こうとする。
「にしても、これが噂の美月チャンねぇ」
けれどその瞬間知らない声の方に名前を呼ばれて動くに動けなくなった。
てか誰?
「見んな」
真山の声がすぐ上から響く。
聞きなれない言葉にぴくりと肩が反応しかける。
今真山は何を言ったの…?
「心の狭い男は嫌われるぞ、“真山”?」
「うるさい、黙れ」
「あー、おもしれえ。お前いじれるネタがこんなとこにあるとはな」
「…うるさい」
話の内容が全く理解できなかった。
真山が心狭い?
いじれるネタ?
普段の真山じゃ想像できない言葉に頭がこんがらがる。
そんな私の状況など構わず声は続いた。
「ったく、変に大人ぶるからこんなことになんだよ」
「お前はもう少し年相応の落ち着き持てよ」
「その童顔に言われてもな」
さっき真山が「仁」と呼んでいた人物はどうやら俺様気質らしい。
数少ない会話でそう判断する私。
「本当素直じゃねえなお前は」
「仁がそれを言うか、お前だって大差ないだろ」
「俺は素直だっつの、ひねくれてるだけで」
「…素直って言わないだろそれ」
不思議なやりとり。
思わず眉が寄りそうになって必死に抑える。
「“名前で呼んでほしい”くらい言やぁいいだろが。そいつも言われた方が嬉しいんじゃねえの?」
「あのな」
「なあ、そうだよな美月チャン?」
声がいきなりこっちに向いたのが目を閉じていても分かってしまう。
突然の出来事に思わず勢いよく起きあ上がってしまった。
「な、美月…!?」
私に気付き真山がうろたえる。
初めてみる表情に私の顔もぽかんとしてしまう。
「初めまして、美月ちゃん」
「…ハジメマシテ、誰」
「あー、名前すら教えてなかったのか洋文。相変わらずだねー」
「仁、黙れ。とにかく黙れ。そして今すぐ帰れ」
毒を吐く真山。
愉快そうに笑う“仁”さん。
「美月ちゃん、こいつ猫かぶりだろ?大人ぶってさ」
「仁!」
「んだよ。悪友を心配して保健室の先生が様子見にきてやったのに扱い悪いな」
「え」
保健医…?全く見えない。
そんな言葉が口から出そうになって、慌てて飲み込んだ。
仁さんなる人は、全身黒い服を着た黒髪長身のイケメンだった。
しかも肌が白い。
けど、性格が何だか残念。
すごく失礼なことを考えながら、保健医という事実がいまだ信じられなくてじっと見上げる。
すると、突然視界が真っ暗になる。
同時に感じるのは熱くてゴツゴツした手の感覚。
「美月、見なくて良いから」
「は…?」
「仁、さっさと帰れ」
「はいはい。邪魔者は消えますよ」
…真山の様子が本当におかしい。
何なんだと思って首を傾げれば、真山の手が私の目元から外れる。
いつの間にかドアに近付いた仁さんは、にやりと笑っていた。
「美月ちゃん、そいつ独占欲の塊で面倒だけどよろしくねー」
最後の言葉にますます首を傾げた。