前
「美月ちゃんは大人だね」
それは、昔からよく言われる台詞だった。
幼馴染があまりに頼りなかったせいか、長女だったせいか、はたまた親戚内で年長者だったせいか。
とにかくわりといつでも冷静だったと自分でも思う。
でも、実のところそれが一番の悩みでもある。
「す、す…、す………」
「お姉ちゃん?何ぶつぶつ言ってるの?」
「…何でもない」
冷静に考えすぎて、情熱に走れない体質。
“好き”の一言、練習ですら言えない私。
何度も同じ顔を想い浮かべてはため息。
こんな自分でいつか愛想尽かされないか。
それが心配だったりする。
「美月ー、いるか?」
「真山。友達いないの?」
「お前ね、相変わらずだな」
私の彼氏、真山洋文と会うのは1週間ぶりだった。
軽い茶髪にピアス、おまけに童顔。
普通に見て、一目で27歳だなんて分かる人物はいないと思う。
7つ下の私の方が年上に見られることすらあるくらいだ。
有名俳優のマネージャー業は想像を絶する忙しさと聞く。
そんな不規則で超過密スケジュールの中を生きる真山。
だから、こうして会えるのは貴重ですごく嬉しいはずなのに。
それでも口をついて出るのは可愛くない言葉ばかり。
相変わらずのあまのじゃくぶりに、自分でも頭が痛い。
よく真山もこんな私と付き合う気になったと思う。
10代から20代前半における7つの年の差は大きい。
大人な真山からしてみれば若さだけが取り柄なはずの私なのに、実情はこんなに可愛げのない女なのだ。
どうしても自虐的な考えに傾いてしまって、私は手をギュッと握った。
「美月?どうかしたか?」
「何でもない。で、今日はいつまでいるの?」
「日が暮れる前には帰るわ、さすがに眠いし」
真山はそう言ったきりぐったりとベッドに頭を寄せる。
きっと全然寝ていないんだろうと顔色を見て理解した。
平日の夕方。久しぶりに見た顔。
仕事に空きが出ると、彼はこうして私の家に来てくれる。
実家暮らしの彼女の家なんて面倒だろうに、そんなこと一言も言わず。
疲れているだろうに毎回丁寧にうちの両親に挨拶をして。
…真山は、優しい。
『さすがにまだ学生の美月を一人暮らしの男の家には連れ込めないって』
付き合い始めた当初、それは真山の口から発せられた。
真山は見た目に反して律儀な性格。
まだ親の保護下にいる間は、責任持てないことは一切しない。
私の前できっぱりそう言った真山。
どんなに面倒なことでも、真山はそういうところにしっかり筋を通す。
一緒に出かけても8時前には家に送り届けてくれるし、遅れる場合は連絡を取るよう言われる。
だから親も真山を心底信頼しているし、私もそんな大人な真山だからこそこんなに大好きなわけで。
“好き”
言いたいのに、自分の子供な部分がそれを邪魔する。
「…す、す……」
眠気が相当襲っているらしく目を閉ざしたまま動かない真山。
あまり聞こえてないかなと思って小さく呟こうとするけど、やっぱり言葉は出てきてくれない。
代わりにため息ばかりが出てくる。
「す?」
「…寝てなかったの?」
「いや、寝かけてたけど」
「そのまま寝なさいよ」
「うわ、ひど」
ばっちり目があった真山に、内心バクバクうるさい心臓。
必死に隠そうとすれば、愛想ない言葉。
どうして私はこんなにひねくれているんだろう。
素直になりたい。
それは、この恋に出会ってから毎日のように私を悩ませる問題だった。
7歳も年の違う私達の出会いは、2年前にさかのぼる。
「は、結婚?」
「そうなの!ちょっとお父さんに付き合ってお見合い行ったらプロポーズされちゃったんだけどね、でもその相手がやばくて。うわあ、どうしよ…」
幼馴染のそんな一言が始まりだった。
その幼なじみの家は小さな会社を経営していて、その関係でお見合いをすることになったのだという。
相手は親会社である西郷グループの御曹司。
しかもどういう訳かその人物が超有名な俳優というオチつき。
現実離れしすぎた話に、呆然としていた当時の私。
つっこみどころが多すぎてどこから何を言えば良いのか全く分からなかったのを今でもよく覚えている。
「ああ、沙耶香ちゃんの幼馴染だっけ?俺は沙耶香ちゃんの旦那さんのマネージャー。よろしくね幼馴染さん」
そしてそこから出会ったのが真山だった。
いま思えば突然降って湧いた結婚話に真山も相当動揺していたのだろう。
初めて見た時の真山の顔はどこか困惑した様子だったから。
ざっくりと整理すれば、幼馴染の旦那の仕事仲間。
それが真山だった。
勿論そんな微妙な距離感にあった私達に頻繁に会う機会なんてそこまでなかった。
それでもどうやら仕事バカが行き過ぎて生活破たんしているらしい幼馴染の旦那はちょくちょく問題を起こし、その面倒をみる真山がちょくちょく幼馴染の元に現れていたのは記憶に新しい。新しいというより、今現在よく見る光景だ。
天は二物を与えないなんていうけど、それはどうやら本当らしいと私は変に感心したりもしたものだ。
顔が良くて仕事もできる男は、究極の変わり者だった。
仕事を愛しているあまり自分のことすら全く構わないような生粋の芝居オタクらしい。
そんな男を夫にした幼馴染を不思議に思ったし、そんな男の面倒を仕事とは言え見続ける真山を正直尊敬すらした。
けれど、そんなことは後々の話であって真山を初めて見た時の印象は一重にチャラいという一言に尽きる。第二印象もこの人すごい童顔だなという感じで特別何かを感じたわけじゃない。
ただ、何度も顔を合わせて行くうちに少しずつ人となりというものは理解していくものだ。
仕事柄なのか少しお節介なくらい面倒見が良いところ。
時間・約束は守り、律儀なところ。
勉強は苦手だけど、運動神経と頭の回転は良いところ。
そんな真山の一面を私は少しずつ知っていくようになった。
年下や同い年にばかり囲まれてきた私にとって、真山は初めて大人を感じさせた異性だった。
何だか新鮮で、自分から行動を起こしては幼馴染やその旦那のフォローに回る真山を微妙な距離から見続けた私。
出会って半年。そうして真山を観察していくうちに、気づけば頭の中が真山一色になってしまった。
初めての恋に、初めての気持ち。
何をすれば良いのか分からなくて、おまけに表情があまり豊かじゃない私。
半年はただ眺めるだけの日々が続いた。
幼馴染にだって全く気付かれなかった。
転機が訪れたのは、去年のことだ。
「え、ええ!?ま、真山さんが好き!?」
「…沙耶香、声大きい」
大学の食堂でご飯を食べている時、やっとの思いで幼馴染である沙耶香に打ち明けた私。
自分のことのように顔を真っ赤にしていた沙耶香。
「え、まじ」
「な」
ものすごいタイミングの悪さで、本人に知られた私は逆に真っ青になったっけ。
「ま、ままま真山さん!?なんでここに…!」
「いやー、ソウが今度は人工雨にうたれたまま演技研究して倒れたから報告に。」
「…またですか」
当時の沙耶香と真山のそんな会話なんて、耳に入ってなかったと思う。
ただ硬直。頭も何もかも、真っ白。
「ごめん、まさか俺の話とは知らず盗み聞きみたいな真似して」
「…タイミング最悪ですね」
「だからごめんって」
想いを知られた時だって、私は可愛くなかったと思う。
それなのにどういうわけだか奇跡は起きた。
「付き合ってみる?」
「…はい?」
「俺、美月ちゃん好きだし。美月ちゃんに気持ちがあるなら付き合おうよ」
何故だか事態は良い方へと転んだ。
あれからもうすぐ1年。
未だに真山が一体私の何を気に入ってくれたのか、さっぱり分からないでいる。
初めてのお付き合いというものは、想像していたものとだいぶ違った。
私達に決定的に欠けていたものは、初々しさだ。
「疲れる、ソウの相手は本っ当疲れる」
「沙耶香と同じこと言うのね」
「沙耶香ちゃんも苦労してるよなあ。ソウのやつ愛想尽かされなきゃいいけど」
「大丈夫でしょ、あの子物好きだし」
「お前仮にも親友に対して遠慮ないな…」
付き合い始めて1ヶ月にはもうこんな会話が中心だった。
色気の色の字すら感じたことない。
抱き合うでもキスするでも手を繋ぐでもなく、ただ会っては雑談。
一番近い位置にいて一番信頼がおけて一番居心地の良い、私にとって真山はそんな存在。
そこまで近く真山を感じられるのは嬉しいけど、何だか物足りなさも感じるこの頃。
感情にわりと乏しい私ではあるけどそれでも一応年頃の女なわけで、ドラマや漫画のようにまではいかなくても恋に憧れはある。
一歩。
たった一歩でも踏み出せたなら、何か変わるんだろうか。
もっと近い位置で真山と一緒にいられるんだろうか。
悶々と悩みながら手を見れば薬指に光る真山からのプレゼント。
正直な話、それが一番恋人らしい記憶。
「ほら」と何の前振りも緊張感もない場面で渡された指輪。
真山は歩み寄る努力をしてくれている。
嬉しくて嬉しくて泣き出しそうなくらい感動したのに、それでも表情は出てきてくれなくて。
「ありがとう」
そう言うのが精一杯だった。
なにかお返しがしたいと私は思う。
真山が私をこんなに喜ばせてくれるなら、私だって真山を喜ばせたい。
せめて少しでも素直になって可愛い性格になれたら、喜んでくれるんじゃないだろうか?
そう考えついてはみたけど、「好き」すら言えない自分の一体どこに可愛さがあるのか全く分からない。
いつまでたっても可愛げなく成長しない私。
今日も今日とて、不安な1日を過ごしている。