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犬の一生  作者: ブリキの
四、ラグナレク
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4.15. 白き対狼の母 - 3

夜の番人(ウトガルド)〉は九世界のことを理解していた。時折、水に溶けていたような思考が形になると、ロキの瞳を通して世界を眺めていたが、彼女はただ眺める、ただ考えるだけであり、それ以上のことはしなかった。


 ロキは――九世界に害為す〈獄犬(ガルム)〉や〈邪龍(ニドヘグ)〉を倒すためにウトガルドが《双翼》を与えた女は、これまでほとんどその力を活用してこなかった。だが白きヘイムダルと対面したことで、彼女が初めて――周囲のことが何も目に入らないほど、集中して本気で戦っていた。

 そしてその初めての本気がヘイムダルに通じていないことも、ウトガルドには手に取るようにわかった。

 当たり前だ。《双翼》は呪力を溜め込み己の力とする機能があるが、どれだけ力を掻き集めても、この九世界の住人であるロキには九世界が抱えるよりも小さな力しか持てない。

 ヘイムダルは違う。彼はこの九世界そのものと同じだけの力がある。


 ウトガルドは九世界の惨状を眺めながら涙した。

 ああ、白きヘイムダル。ウトガルドは彼にこれまで一度として会ったことがない。オーディンやニヨルドにしても同じだ。だが彼らもきっと同じように感じていることだろう。ああ、懐かしい、と。


 ウトガルドの思考はまた闇に溶けた。


   ***

   ***


(最悪過ぎる………!)


雷神(トール)〉対〈世界蛇(ヨルムンガンド)〉というだけで大事なのだ。それなのに〈狼の母(ロキ)〉が突如として登場し、しかもこの場には〈魔狼(フェンリル)〉と〈半死者(ヘル)〉に加えて〈黄金の林檎(イドゥン)〉までいるのだ。ブリュンヒルデには処理しきれない。


 投擲された〈雷神〉の《雷槌ミョルニル》は〈狼の母〉の背中の羽によって防がれた。だがアース神族最強と謳われた〈神々の宝物〉を無傷で防ぎきれるわけがなく、稲妻が落ちると同時に彼女の羽が散った。

「母さん!」

 叫んだのは〈魔狼〉だ。〈半死者〉と〈黄金の林檎〉を乗せたままで〈狼の母〉に疾走しかけ――しかしその身体は鞠のように逆方向に弾かれた。彼には見えていなかっただろう。〈狼の母〉の背の〈神々の宝物〉である《双翼ナルヴァーリ》が鋭く動いて巨大な狼を弾き飛ばしたのを。そして彼がその一瞬前までいた場所――というよりも〈狼の母〉の周辺に剣撃が巻き起こった。


 鋭すぎる剣閃とそれに呼応して鳴り響く甲高い音。ふたつが示すさらなる乱入者に該当する者はたったひとりしかいない。

 白きヘイムダル。

〈神々の見張り番〉、〈リーグの王〉、そして〈終末を告げる者〉。ただの石像であるかのように動かない、しかしなぜか幾つもの異名を持つその存在は、今やひとりの人神(じんしん)と同じように動き回っていた。いや、それ以上だ。

〈狼の母〉が、再度己の身を護るように背中の羽を広げてドーム状にしたところに〈白き〉は切り込んだ。彼の《楽刀ギャラルホルン》の刃に開けられた穴からは甲高い音が鳴り響き、それに呼応するように〈狼の母〉の背中の羽が抉じ開けられていく。


(魔曲か……!)

 ヴィー、ヴェーリ、そしてオーディン。〈霜の巨人(ユミル)〉の死体からこの九世界を作り出したあの三人以外で、唯一魔法を使える存在。

 それが白きヘイムダル。〈神々の見張り番〉、〈リーグの王〉、そして〈終末を告げる者〉。

 かの二つ名通り、この九世界に終わりをもたらす者がやって来たのだ。


 そしてもうひとり。


「〈呪われた三人〉、ここにいたか」

〈雷神〉と〈世界蛇〉の戦いで焼け野原になったアースガルド大草原を越えて駆け込んでくる騎馬姿があった。身につけたるは戦装束、言葉通りに眩しいほどに白い肌と、燃え盛る黒髪。

「九世界に害をもたらす者たちよ、消えろ」

 火の国の魔人スルトの登場だった。


   ***

   ***


 フェンリルが倒れた拍子にまた地面に打ち付けられたヘルは、まず周囲の状況を確認した。槍は既に手元にはなく、戦うことはできない。しかし身体は問題なさそうだ。〈狼の母〉に弾き飛ばされたフェンリルも怪我はなく、イドゥンも問題なさそうだ――いや、彼女のことはヘルにとっては重要ではない。

 ヨルムンガンドは〈雷神〉との戦いで消耗して倒れ伏してはいたが、ときたま眼球が動くからには死んではいないだろう。ロキが現れたことで〈雷神〉はひとまずヘルたちの敵ではなくなった。また、彼の攻撃からヘルのことを守ってくれた〈狼被り(ウーフヘジン)〉の男と、銀髪の女に関してはひとまずどうでもいい。


〈狼の母〉はヘルたちのことを見ていなかった。認識していないのかとすら思う。

 それも当然だろう。彼女はこれまで見たことがないほどに消耗していて、ヘルたちと同じその黄金色の視線はただひとり、乱入者である白い長髪に白い肌の奇妙な男へと向けられていた。〈白き〉ヘイムダル。石像のように動かなかったはずの奇妙な白髪の男に。

 ヘルには〈白き〉の剣閃が見えなかった。《楽刀ギャラルホルン》の白刃は、鞘に収まっていたかと思えば一瞬で抜かれているという恐るべき早さだったのだ。ロキはその速度を何重にも展開した翼の盾で防いでいるが、彼が長刀を振るうたびに翼の盾は薄くなっていった。加勢をしようにも、ヘルには武器がない――いや、あったとしても、憎き〈狼の母〉に手を貸す理由などないのだが。

 だがフェンリルは別だ。

「母さん!」

 一度弾き飛ばされたにも拘わらず、彼は果敢に〈狼の母〉を襲う〈白き〉に向かって行こうとした。彼の腹から伸びる《銀糸グレイプニル》の鋭い銀糸が〈白き〉に襲いかかる。


 だがその糸は熱せられた飴細工のように途中で溶けた。

「〈呪われた三人〉……」奇妙に光り輝く騎馬の人物が、フェンリルやヘルたちと〈狼の母〉らとの間に立ち塞がっていた。女が近づくと、《銀糸》は火で炙られたかのように溶けていった。「ここにいたか。九世界に害をもたらす者たちよ、消えろ」

 初めて見る女だった。いや、誰が見ても初めてだろう。何せ、光り輝いているのだ。全身が。肌は白く輝き、鎧と三日月斧は赤く輝き、髪は黒く輝いているのだ。こんな種族、九世界にはいない。

 だがこの女は言った。ここにいたか、と。九世界に害をもたらす、と。〈呪われた三人〉と。

(こいつの狙いは………)

〈呪われた三人〉。ヘルは己の腐った足に鎧越しに指を這わせた。

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