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犬の一生  作者: ブリキの
六、絞首台の主
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6.12: 火の国の魔人スルト、竜殺しの正体を知ること

 振るわれた黒く輝く巨大な三日月斧――《炎斧レヴァンティン》は幾筋にも編まれた黒髪の先を黄金の指輪で留めている男が振るう幅広の長剣に逸らされた。これまで炎の魔人を使って得た情報によれば、シグルドというのがこの男の名前だったはずだ。

 剣を振るうにも受けるにも、一切言葉を発さないこの男の力について、〈火の国の魔人(スルト)〉はある程度理解していたつもりだった。なにせこの男は、これまでに何度も炎の魔人の襲撃を退け、巨大な魔人の攻撃でさえも一撃で退けている。一人間族にしか見えない――いや、以前は《狼套ウーフヘジン》とかいう〈神々の宝物〉を身につけていたので、アース神族の奴隷兵のようだが――ただの男が、なぜ〈火の国の魔人〉の姿を見ても臆することなく戦うことができるのか、あまつさえ攻撃をいなせるのか、スルトにはわけがわからなかった。


 馬上から、再度《炎斧》の一撃を加えようとする。《炎斧》は通常破壊しえない〈神々の宝物〉でさえも破壊できるが、〈宝物殺し〉の力を発揮させるためには十分な速度と熱、そして呪力が不可欠だ。ようは十分に熱した状態の《炎斧》を真っ直ぐに叩き込めば良いだけのことなのだが、それができない。刃先はシグルドの剣の刀身に流されてしまい、叩いたのはただ地だけだった。踏みつけられるだけの雑草は燃えるまえに炭化して朽ちた。

(なぜだ)

 スルトのその疑問は、己の刃が届かないことや、騎上から振り下ろされた熱せられた三日月斧を眉を動かすこともなくいなす男の技量に対してではなかった。この男は《神々の宝物》を持っているのだから、なんらかの魔法を使っていると考えればどんな摩訶不思議な出来事でも受け入れられてしまう。それが魔法というものだ。


 だがこの男からは、なぜか魔法の香を感じない。九世界を揺るがす異物である魔法、それをスルトは綱を引くようにして辿ることができる。だからこそ、曖昧な方向からフレイの妹らが逃げ込んだ場所を特定することができたのだ。

 そのスルトの力をもってしても、目の前のシグルドという男の超人的な運動能力や身体中に刻まれた傷跡から、なんらかの魔法の影響下にあるのが推定されるにも関わらず、彼からは一切の魔法の香を感じないのだ。もちろん彼の所有物である《聖剣》や髪に結び付けられた無数の金色の指輪そのものからは魔法の香は発せられている。だが彼自身は、その場に存在しないかのように無臭で、魔法を使っているような気配も感じられない。

(そして首の傷………)

《狼套ウーフヘジン》を纏っていないだけ、その傷は目についた。首をぐるりと囲うようについた傷は、刃物によるものだろう。シグルドは戦闘の最中でも一切の言葉を発しなかったが、それはこの首の傷のせいなのかもしれない、と思う。


 思い出すのは〈第四世界(ヨーツンヘイム)〉の城塞都市スリュムヘイムで戦った〈魔狼〉のことだった。スルトはあの狼の首を一度は切断した――それなのにあの〈魔狼〉は己の首を繋ぎ襲いかかってきた。そしてスルトは一度殺された。目の前の男を見ていると、あの〈魔狼〉を思い出してしまう。馬上で、スルトは己の身体が震えるのを感じた。なんだ、これは。これは、これは、恐怖か。怯えによる震えか。あのスルトに対して何ら有効な対抗策を持たず、それなのにスルトを一度は殺した、あの〈魔狼〉への怯え――。

(いや、この男は生きている。死んではいないし、死んで襲いかかってくるということもない)

 恐れを振り払うように騎馬の勢いのまま《炎斧》を振るったが、シグルドはそれを難なく避けた。それだけではなく、すれ違い際に馬の足を切断された。炎の馬はスルトほどには不死に近いとはいえない。足を切られると倒れ、スルトは馬の勢いのまま頭から地面に落ちた。


 シグルドが追撃を仕掛けてこなかったのは、スルトを滅することはできないと知っているからだろう。つまり、この男はスルトのことを知っているのだ。滅せない存在であり、それなのに戦っているというのは、時間を稼いでいるからだろう。それとも、無駄だと知りながら足掻いているのか。

 どちらでも良い。馬から落とされたことで怒りに満ちた頭ではあったが、シグルドの目的は知れた。

(ならば、時間など稼げなくさせてやるだけだ)

 スルトはその場で《炎斧》を大きく振るった。刃から炎が迸り、スルトの周りに炎の魔人たちが生成される。新たな魔人の生成には九世界に負担をかけてしまうが、九世界を脅かす脅威を滅するのがスルトの任だ。多少の犠牲は構ってはいられない。

 一斉に炎の魔人たちを〈第七世界(ニダヴェリール)〉の小人たちの巣穴へと向かわせようとしたスルトだったが、その令を下す前にシグルドの剣が煌めいていた。切られたことにすら気づかないほどの剣閃は炎の魔人たちを端から端まで両断し、スルトにも傷を負わせた。


「――だったらおまえが対処できなくなるまで生み出すだけだ」

 スルトはもう一度《炎斧》を振るった。先ほどの二倍の数の炎魔人たちが姿を現した。切られた。もう一度振るった。次はそのまた二倍の数。切られた。また二倍。


   ***

   ***


「まずいな」

 と、もし自分が喋ることができたならば、そんなふうに呟いていただろう――〈竜殺し〉のシグルドはそんなふうに思った。


 炎の魔人たちはいくらでも殺せるし、〈火の国の魔人〉スルトであればその攻撃は簡単にいなせる。シグルドはそんなふうに構えていた。もちろんどれだけ耐えたとしても、こちらには〈火の国の魔人〉を根本的に滅する方法があるわけでもなし、また方法があったとしてもそれを実行することはできないと来るのだから、持久戦に持ち込むしかない――耐えたところでスルトが諦めるのかどうかはわからなかったが。

 少なくとも、シグルドはふたつの約束を守るつもりだった。

 ひとつはフェンリルとの約束。イドゥンや彼のきょうだいを守るということ。

 そしてもうひとつは、ブリュンヒルドと――もうひとり、その前に出会った神物(じんぶつ)との約束。


 もはや見渡す限りが焼け野原だった。〈火の国の魔人(スルト)〉は無数の魔人たちを作り出した。それがどれだけ九世界に負担をかけているのかも気にせず。魔法を感じる力がないシグルドでさえ、世界の温度が徐々に上昇していることは理解できた。これだけの熱があれば、亡者や魔法の品々、そして〈呪われた三人〉でさえも確かに滅することができるだろう――だがその先にあるのは九世界の崩壊だ。

 攻めればさらに増える。かといって、炎の魔手から完全に守りきることなどできるはずがない。


 では、どうすればいい?


 戦場では一瞬の思考が命取りになる。数えきれないほどの足と手がシグルドに向けて殺到し、その身を焼いた。肉が焼け、白い骨が見えた。それでもシグルドは生きていた――死ななかった。不死。〈火の国の魔人〉とはまた別の形で、シグルドはそれを実現した存在だった。

 スルトはそのことに気付かない。シグルドを倒したと思っている。実際、そうだ。少なくとも、食い止めていたシグルドの身体はなくなった。身体はすぐに再生するだろう――だがその「すぐ」は瞬きするほどの時間ではない。

 その間に、炎の魔人たちは小人たちの巣穴に向けて歩を進めていた。身体を再生したシグルドはその背に向けて追いすがろうとしたが、もはや遅かった。巣穴に身体を滑り込ませた炎を切ることはできない。巣穴からは怒号と悲鳴が聞こえ始め、中から煙と焦げ臭い匂いが漂い始めた。


 もう、イドゥンは死んだだろうか。ヘルは、ヨルムンガンドは、エリヴァーガルは、ウルは。

 そうだとすれば、フェンリルとの約束は守れなかったことになる。

 そして、ブリュンヒルドとの約束も守れなくなるだろう――彼女はまだ生きている。シグルドにはそれがわかる。わかるから、約束を破る。

《聖剣グラム》の刃を己の髪に当てがう。纏めたその先、編まれた髪の先にある《竜輪ニーベルング》の編まれた箇所を、シグルドはすべて断ち切った。


 昔。昔の話だ。まだ九世界で〈災厄〉と呼ばれる九の魔物が跳梁していた時代、その時代にシグルドは生まれた。その頃のシグルドとブリュンヒルドの話を――〈竜殺し〉と〈戦乙女〉の話を聞いてくれ。

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