終章 三月二十八日
三月二十八日
あれから、一週間たった。あのあと私は原因不明の高熱で意識不明になったらしい。昨日病院のベッドで意識を取り戻した私は、現状を把握するのにしばし呆然となっていた。でも、隣には私を見守る両親の姿があり、すごくほっとしたのを覚えている。
体にも、特に異常がないので、今日から普通に生活してもいいことになった。
「本当に良かった、心配したんだ。……今まで、すまなかったな。」
目を覚ました後、病室で両親と話し合い、今までのことも、すべて私のためにしてくれているらしいことを聞いた。
不況の現代では、少しでもレベルの高い高校に行かせてやりたい、とか。それにはお金がかかるが、しかしそのことで借金したりして、私が責任を感じても困るとか。聞いた話だと、中学校の給食費を払うのもギリギリの状態だったらしく、学校側に相談してもモンスターペアレンツ扱いで、まるで相手にしてくれなかったそうだ。もしかしたら、自分たちが育てるよりも親戚に預けた方がきちんと育ててくれるんじゃないか、とか。そのことでも両親はしばしば言い争っていたとか。二人とも、心に余裕がなくてカリカリしていた、愛里には済まないことをした、と言ってくれた。
病院から出て、父さんとタクシーに乗り込む。母さんは、パートの仕事があるから先に帰ってもらった。
「私……誤解してたんだね。ごめん。」
「いいさ、そんなこと。勘違いは誰にだってあるし、愛里くらいの年の子が、両親を毛嫌いするのは仕方のないことだ。……俺も昔、オヤジとお袋のこと大嫌いだったしな。」
そう言って笑っている父さんの顔は、少しさみしそうだった。
「そう言えば父さん、龍斗……一緒にいた、あの男の子見なかった?」
そう訊いたとき、一瞬父さんの顔が引きつった気がした。
「いや、見てないが……友達、なんだっけ? ……彼氏とかじゃないよな?」
「違うよ。あったばっかりだったんだけど、なんていうか……命の恩人?」
「そんな危ない目に遭ってたのか!?」
「あ、いやいや大げさだった! ちょっとおごってもらっただけ!」
父さんがあまりに目をひん剥くので、思わず嘘をついた。いや、嘘でもないか。ガッツリ奢らせちゃったし。
「……あの子は見てないな。……父さんも、あの子に謝りたかったんだが……。」
娘が世話になった人物を殴り飛ばしたことを気にしているのだろう、父さんは申し訳なさそうに頭をポリポリと掻く。
「そっか。」
お見舞いに来てくれてもいいのに。と思ったけど、そもそも私が運ばれた病院なんて知らないか。
しばし無言のまま、私たちは家に向かう。その途中、私達はあの橋を通りかかる。
「あ……ごめん、父さん。ここで降りたい。」
「え?」
「運転手さん、ここで降ります。父さんは先に行ってて!」
「あ、おい!?」
そう言って無理やり車を止めてもらい、私は橋の下に走り出す。
(愛里ちゃん)
そう呼ぶ声は。
私を呼んでくれるあの声は、やっぱり聞こえなかった。白いワンピースに身を包んだ、人間らしい幽霊は、もうそこにいなかった。
もう、会えないのかな……。そう思いながら、私は振り返る。
「愛里、どうしたって言うんだ?」
遅れて父さんもついてきた。なんだ、先に行っててくれてもよかったのに。なんか悪いことしちゃったな。
「ううん、前にここに……早苗っていう、私の親友がいたんだけどね。……いなくなっちゃった。また会えるかなって、ちょっとだけ期待してたんだけど……」
「……そうなのか。」
「それよりごめんね、父さん。私の我儘に付き合わせちゃって。」
「いや、いいさ。歩いたほうが健康にいい。」
「ふふ、お金あんまりないもんね、うち。……あ、そうだ。」
私はふと、あの神社に寄りたくなった。もしかしたら、彼に会えるかも。そんなことを考えて。
「父さん、この後、ちょっと神社に寄ってっていい?」
「神社? この辺に神社なんてあったか?」
「なんか、随分古いとこで、全然人気のないとこなんだけどね。この前の彼、そこに住みついてるみたいだから。もしかしたら会えるかもしれないし。」
「……そんなとこに住んでるのか? ……大丈夫なのか、彼?」
心配そうにしながら、しかし私が歩き出すと父さんも渋々ついてくる。
何度か通っているから、道のりはわかっている。
住宅街を越え、人気のない林道をずんずん進んでいくと、変わらずにそこにあった。人々に忘れ去られたようにぽつんと佇んでいた。
「お、来たか。」
聞きなれた声が聞こえて、私はあたりを見回す。すると、本殿の奥から、ぬらりと現れる少年。黒いパーカーに、黒いズボン。どちらも少し彼には少し大きいサイズで、相変わらずだらしないような印象を与える。
「待ちくたびれたぜ。」
「こういう時は、『俺も今きたとこだぜ。』って言うんじゃないの? 気が利かないわね、龍斗は。絶対彼氏にしたくない。」
「そういうもんか? ……嘘つくの苦手なんだよな。」
そう言いながら、すたすたと私たちの方にゆっくりと歩いてくる。
「こうして乗り越えたってことは、うまくいったみたいだな。」
「……うまくいったって?」
「おいおい、忘れたのか? 早苗を助けるって言って、お札に封じたろ? あの後、早苗の霊魂を、お前の守護霊にするのに成功したってこと。」
「何それ!? 聞いてない!」
「あれ? 説明してなかったっけ? いやいや言ったって絶対。」
「聞いてない! お札持ってろとしか言ってなかったよ!」
あははははと笑っている。こいつ、もっぺんぶっ飛ばしてやろうかしら。
「何はともあれ、うまくいったんだ。もう少し時間がたって、お前が成長してきたら、早苗と話すことができるようにもなるさ。」
「! ほ、ほんと!?」
「もちろん。」
そう言って、龍斗はニカッと笑う。
ああ、よかった。また、いつか、早苗に会えるんだ。そう思うと、私は笑顔が止まらなかった。
「あー、えーと……」
不意に、私の後ろの父さんが気まずそうに話しかける。
「龍斗君……だったか? この前は、すまないことをした。どうか許してほしい。」
「……えー、どうしよっかな。」
龍斗は少しいたずらっぽく笑う。父さんはますます困った様子で、今にも土下座でもしそうだった。
「じゃあ、お詫びに娘さんをもらっちゃおっかな。」
「な……はああああ!?」
何を言い出すんだこいつは! 開いた口が塞がらない。あまりのセリフに、父より私の方が驚いた。ちょっと、心の準備が……!
「そ、それだけは勘弁してくれ、大事な娘なんだ……!」
「はは、冗談ですよ! ちょっとくらい、困らせてやろうと思いだあ!?」
言い終わる前に龍斗を蹴り飛ばして馬乗りになる。
「アンタはホントにいいいい! ムカつくムカつくムカつくーーー!」
「あだだだだ! 蹴るな踏むな跨るな! 悪かったって!」
絶対反省してないなこいつ。よし、少し懲らしめなくちゃだめだな、うん。
しばらく暴行を加えてたら、なんとなく気分が収まった。龍斗はヤムチャばりにボロボロになってたけど。自業自得だよ。うん。
後ろで見てた父さんが若干引いてたけど、気にしない。
「いてて……お前ほんとに病み上がりかよ……。また顔殴りやがって……。」
「前より男前になったんじゃない? 乙女心を踏みにじった奴にはちょうどいい罰ね。」
「へいへい。」
……なんとなく、日が傾いてきたのでそろそろ帰る雰囲気だろうか。
「あのさ、あんたってここに住んでるんだよね? また遊びに来てもいい?」
「あー……それなんだけどな。」
龍斗は少し言いずらそうに言いよどむ。
「僕、実家に帰ることになったんだ。」
「……え。」
私は驚いて声を失った。帰る? ここに住んでるんじゃないの? いや、それよりも。
「どこに?」
「ちょっと離れてるけど、鬼ヶ崎市ってとこだ。ていうのも、僕の実家がそっちにあるんだ。」
「あ……そう、なんだ。」
「だから、お別れを言おうと思っててさ。……ずっと待ってた。」
「……そう……。」
鬼ヶ崎市と言えば、ここから車でも二時間はかかるし、特に何もない、田舎だ。いまだに昔の家屋が残ってるところもあるとか。
「だからまあ、元気でな。」
龍斗はそう言うと、私の肩に手をポンと乗せる。
私は、その手をそっと触れるように掴む。
なんでだろう。会ってそんなに経ってないけど、こいつはもう友達で。
早苗がいなくなってしまった時くらいに、悲しい。
「……バーカ、泣く奴があるかよ。」
龍斗のその言葉で、はじめて自分が泣いてることを認識する。私はその涙もふかずに、龍斗ともっと話す。もっともっと、話したい。
「ねえ、どうしても行かなきゃいけないの?」
「ああ、妹が待ってる。会いに行かないと。」
「……こっちに来る予定とか、あるの?」
「んー……しばらくは無いかもな。」
「……私、付いて行ってもいいかな?」
「……せっかく両親と仲直りできたんだろ? 良いのかそんなこと言って。」
「……そうだよね。」
私は言葉に詰まってしまう。彼を引き留めることはできそうにない。
「……ねえ、また会える……?」
私は涙声で、情けなく彼に尋ねる。震える声が上ずって、イントネーションが少しおかしい。声も震える。体も。
「おう、生きてれば、必ずな。」
彼は最後まで、笑顔だった。でも、その手はきつく握りしめられていて。
もしかしたら、龍斗も少しさみしいのかもしれない。それでも、行かなきゃいけないのかもしれない。笑顔でお別れを言おうとしてるのかもしれない。
そう思うと、私ばっかり泣いているわけにもいかないよね。
「うん……。」
龍斗はそのまま、私の横を通り過ぎる。足音が遠ざかる。私は、なにか龍斗に言おうとして、でも何を言っていいのかわからなくて。気が付いたら、彼の後ろ姿に向かって、わけのわからないことを口走っていた。
「私! 私達まだ報酬払ってないよ!」
その言葉に、龍斗は止まる。そして振り返ると、少し考えたような顔になる。
私は何も考えてなかったけど、なんでもいい、なんとか龍斗ともっと話をしていたかった。
龍斗は、思いついたような顔をする。それから、またいたずらっぽく笑い、大きく右手を上げると、人差し指を立ててこう言った。
「じゃあ、次会った時! 今度は愛里が飯おごってくれよな!」
「……ぷ!」
思わず笑ってしまった。
こんな時でも、龍斗はブレないんだな。いつだって、私を楽しませてくれる。
私を、笑顔にしてくれる。
「今度家来て! 手料理作ったげる!」
「おお! 期待してるぜ! またな!」
そう言って、彼はそのまま手を振る。私も、彼に手を振る。
そのまま歩き続けて、彼はいなくなった。
彼を見送りながらぼんやりとしていると、隣にいた父さんが私に優しく話しかける。
「……行ってしまったな、龍斗君。」
「うん。」
「……つらいか?」
「……ちょっと。」
「そうか。……彼のこと、好きか。」
「……うん。」
「……また、会えると良いな。彼に。」
「……うん……。」
私は、アイツに会ってからずいぶん泣き虫になってしまった。涙でぐしゃぐしゃになった顔を父さんの胸に埋めて、泣きじゃくる。
私は今度彼に会ったら、必ずこの気持ちを伝えようと決心した。
(また彼に、会えるといいね)
頭の中で、聞き慣れた優しい声が聞こえた気がした。
いろいろとぐさぐさな文章でしたが、見てくれた方がいればうれしい限りです。ひとまず完結ということで、感想、指摘などがあればうれしいです。
ところでいまさらですが、この手のお話って何に分類されるんでしょうか?
ファンタジー? ホラー? もし意見あればお願いします。