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再び、三月二十一日 午前四時

     再び、三月二十一日 午前四時


 いつだってそうだった。最悪だと思っていても、それ以上に良くないことが私の身の回りでは起きる。小さい頃、風邪を引いて学校を休んで、でも両親はどこかに行ってて。そんな時に限ってわけのわからない借金取りにがなり立てられたり、よくわからない訪問販売にチャイム連打されたり。両親の中が悪いことを悲しんでいたら、それが自分のせいだと知ってしまったり。

 今回のことだって。親友と喧嘩別れみたいになってしまって、重い気持ちを引きずって、それでもせめてお別れくらいはしたくて。仲直りしたくて。笑いながら別れたくてここまで来たのに。

 橋の下には、早苗はいなかった。

 代わりにいたのは、黒い化物。

 「こんな……こんなのってないよ……!」

 早苗は……?

 「チッ、憎悪が想像よりも強い……!? オイ愛里、もっと下がれ!」

 龍斗がそう叫びながら、私と化物の間に立ちふさがる。

人の形を模したソレは全身が黒く、五指すべての指先は鋭利な刃物のように研ぎ澄まされており、時々その指同士をカチカチとぶつけている。まるで獲物を狙う野生動物のようだ。全長はゆうに2メートルを超える身の丈で、その顔は今まで見たことないような、人間がこんな表情をできるのかというくらいに醜く歪んでいる。

 「完全に見誤った……浸食が早すぎる!」

 龍斗が苦々しく毒づくが、私は現状を理解できない。したくない。

 「早苗は……?」

 どこに行ったの? あの優しくて、はかなげな笑顔の少女は、どこに行ってしまったの?

 「オノレコロス……コロシテヤルゾ……」

 早苗は……。

 「ぼうっとすんな!」

 突如龍斗が私の体を押し倒す。倒れる時に彼が頭をかばってくれたおかげで、大きな衝撃ではなかったが、先ほどまで私が立っていたところには、鬼のような形相をした黒い化物が爪を振り下ろしていた。化物は大きく息を吸い込むような動作をし、大きく咆哮する。

 「きゃあ!? 耳が……!」

 あまりの大声に耳鳴りがする。龍斗はすぐに耳を抑えたけど、苦しそうな表情をしているようだ。化物はというと、私たちには目もくれず、その場を走り去ろうとしている。

 「なに、あれ……なんで?」

 「早苗は今、お前の両親に対して憎しみを持っているんだ!」

 それは。

 それはつまり、早苗は今、私の両親を殺しに行こうとして……?

 「ちっ! やらせるか! 『火術三番・刀印』!」

 龍斗はそう言うと人差し指と中指だけを立てた右手で化物の足を薙ぎ払うように振るう。すると指先が描くその軌道上に炎が発生し、まるで刃物のように斬撃が放たれる。その攻撃は化物の足を切りつける。

 「ヴォアアア!」

 化物が悲鳴を上げる。そのまま転倒すると、化物は子供のように泣きじゃくる。その隙に龍斗は私を抱き起し、化物と距離を取ろうとする。

 「コロス! コロス! モウイヤ! コロシテ! コロシテヤル! ダレカ!」

 そう喚き散らしながら、瞳の存在しない目から滴る大量の水が、河川敷の土にしみこんでいく。

 その様子を見た龍斗は化物を攻撃するのをためらっているようだった。

 「くそ! まだ自我が残ってる! これじゃ成仏できない……!」

 「ねえ……龍斗?」

 私は、ここにきてなんて場違いで空気が読めないんだろう、と思われるのを覚悟で龍斗に気になっていたことを尋ねる。

 「早苗は……どこに行っちゃったの……?」

 「お前、何言って……?」


 ……聞かなくてもわかっていた。けど、認めたくなかった。

 この化け物を、早苗だと認めるわけにはいかなかった。

 だって……こんな姿になって。

 足も切られちゃって。

 涙流すほどつらくて。

 そんな思いを私がさせてしまったなんて。

 そんなの。

 そんな。

 息が詰まるほどの罪悪感を感じ、私はその場に崩れ落ちる。そして同時に、初めて自分が震えていることに気が付く。この異形の者に対する恐怖もある。でもそれ以上に、私が親友にしてきたことに、罪悪感に体が支配されていた。

 生きている人間が相手だったなら、私たちの付き合い方はまだよかったのかもしれない。でも、彼女は霊だったんだ。そして、龍斗の言うことが本当なら、霊は負の感情が高まれば化物になってしまうのだ。私は少し考えればわかりそうな、その程度のことを考えもせず、その親友に何度も繰り返し愚痴をこぼした。何度も何度も負の感情を蓄積させてしまっていた。

 その結果、早苗は当事者である私よりも、私の両親に憎しみを覚えていったのだ。

 ……こんなの、あんまりだ。

 早苗が、かわいそうだよ。……私のせいなのに。

 「アイリチャン……イタイ……! イタイアイリイタイィィィィィィ!!!」

 化物は、助けを求めるように私に手を伸ばす。しかしその手は鋭く伸び、我武者羅に私に向けて振り回しているので、触れることができない。

 「うう、なんで、なんでよ……! さなえぇ……!」

 涙が止まらない。どうしてこんなことに。私たちはただ、ただの仲の良い友達だったはずだ。二人とも、互いの心を支えあって、幸せだったはずだ。

 なのにどうして。そもそも出会うべきじゃなかったのか? 出会って、関わろうとしてしまったから、早苗をこんなふうにしてしまったのか?

 私が絶望していると、龍斗が私の肩を掴んで軽くゆする。

 「……おい、愛里。一個だけ聞くぞ。……死ぬ覚悟はあるか?」

 「え?」

 その質問に、私は首をかしげる。

 「早苗を救うために、命を投げられるだけの覚悟があるのかって聞いてんだ。」

 私は心臓を掴まれたような気持ちになる。

 「救えるの……!?」

 私は眼を見開き、龍斗に聞き返す。もしそんなことができるなら……。龍斗はまっすぐ私の目を見て話す。

 「お前が、自分の闇と向き合えるなら。……約束できるか?」

 そんなこと。

 そんなこと、決まり切っている。選択肢ですらない。そこに希望があるんだ。早苗を救えるなら、こんな命くらい捨ててやれる。もとはと言えば、望まれずに授かった命なんだ。そんなもので、親友を救えるのなら、いくらでも捨ててやる……!

 「……約束できる。……どうすればいいの?」

 「あいつに近づく必要がある。それから……死ぬ覚悟、とは言ったけど成功するかどうか半々くらいだ。成功すれば愛里も、早苗も助かる。失敗すれば死ぬ。分が悪い賭けだ。」

 「関係ない。やる。私やるわ。」

 「……ホントに良いのか? 言っておくが、命を投げ捨てれば助かるもんじゃねえんだ。お前の、救いたいっていう覚悟が大切なんだ。」

 「……バカにしないで。」

 私は立ち上がる。涙を拭うと、龍斗に対して軽く微笑んでみせる。

 「この世界の誰よりも今、私は早苗を助けたいの。だから……。」

 「……わかった。……こんなこと言うのもアレだけど、絶対に死ぬんじゃねえぞ。」

 龍斗はそう言うと、私の手を取り、早苗の元まで歩いていく。


 早苗からすがるように振り回される爪を、龍斗は素手で鷲掴みにする。彼の手から、ブチブチと言う音が鳴り、少しずつ出血していく。一瞬苦しそうな顔をしたが、しかし龍斗はさらに早苗に近づいていき、彼女を抱き起す。

 「早苗。もう抱えなくていいぞ。その感情は本来、愛里が自分で持ってなきゃいけないものなんだ。今のそのやり方じゃ、何も解決しない。……なに、愛里ももう自分で背負う覚悟ができてる。だからもう……休んでいい。」

 龍斗はそう言うと、黒いパーカーのポケットからお札を取り出す。そのお札を早苗に対し貼りつけると、不思議なことに早苗が淡い光を放ちだす。そして。

 「あ……愛里ちゃん……?」

 「早苗!」

 黒く、長いかぎ爪を持った怪物が光に溶け、そして元の姿を取り戻した早苗が現れる。

 「……3分間くらいが、限界だろう。お互い、言わなきゃいけないことがあるんじゃないのか?」

 龍斗の言葉で思い出し、私は早苗に謝ろうと口を開く。しかしそのとき、早苗が先に言葉を口にする。

 「ありがとう、愛里ちゃん。」

 「え?」

 早苗が、お礼を言った。でも、どうして? 私を憎んでてもおかしくないのに。こんな風にした私を憎んでても仕方ないと思っていたのに、全くの逆。私はそのせいで少し戸惑う。

 「あたしね、幽霊になる前は友達もいなくて、父さん母さんもいなくて、親戚のところを転々としてたの。誰も、私に対していい顔しなかった。すごく……寂しかった。それであるときね。この橋で自殺しようとしたの。……もしかしたらあたしは迷ってたのかも。死のうか、生きようか。でも、命を粗末にしようとした罰なのかな。あたしね、ここで知らない人に殺されちゃったの。……結構、ひどい死に方だったみたい。」

 ここまで言うと、早苗は少し言葉を切る。そして、今度は精一杯の笑顔で話す。

 「でも、その後にね。幽霊の私なんかに、毎日会いに来てくれる人が現れたの。初めはあたしのこと見てびっくりしてたみたいだけど、あたしが話しかけたらそんなに怯えないで、ちゃんとお話ししてくれて……。とっても嬉しかった。その後も、自分のこといろいろと話してくれて……ここから動けないあたしにとっては、愛里ちゃんだけが友達だったの。……生まれて初めての、友達。」

 死んでから友達ができるのも変だけどね、と言いながら早苗は照れくさそうに笑った。

 「でもあの時の愛里ちゃん、今にも死にそうな顔してた。両親のことで、すごく悩んでて。だから勝手にあたし……愛里ちゃんの憎しみを、食べちゃったの。……そのことはごめんね。でも、後悔はしてないんだよ? そのおかげか、愛里ちゃんは良く笑ってくれるようになったんだから。だから、さ。……もう泣かないで、愛里ちゃん。」

 光に包まれてる早苗の手が、いつの間にか濡れていた私の頬に伸びる。私はその手を掴もうとする。案の定、その手が彼女に触れることはなく、空をむなしくまさぐるだけだ。

 「ふふふ、そうやって、何度も触ろうとしてくれる愛里ちゃんの優しさ。あたし、大好きだよ。」

 「早苗ぇ……!」

 涙が止まらない。彼女の手は、少し消え始めていた。足もだんだん、光のかけらになって宙に舞い、そしてとけるように消えていく。

 お別れが、近づいていた。

 ここに来るまでにいろいろ、たくさん、言葉を考えていたのに、何も出てこない。何から言えばいいのかわからない。私はただ、泣くことしかできなかった。

 「ねえ、愛里ちゃん。一個だけ、きいてもいいかな?」

 早苗はそう言うと、私の方にすでに消え始めているその手をさらに伸ばす。一瞬だけ、彼女の手が、私の頬に触れた気がした。

 「愛里ちゃんに会えて、話せて、悩みを聞けて……あたしは、幸せだったよ……。愛里ちゃんは……?」

 そう言って、弱々しく微笑む彼女。私は力強く頷く。親友のその言葉を聞いて、私は一番伝えたいことを彼女に伝える。

 「幸せに決まってるじゃない。今も……最高に幸せだよ。今までも、これからも、その先もずっとずーっと! ……早苗に会えたこと、友達になれたこと。世界で一番誇れるよ。」

 彼女は、幸せそうに笑う。その目には、涙。そして早苗は、私の目の前で光となって、消えた。その場には、龍斗が彼女に貼りつけたお札が残っているだけだった。

 「うぅ……早苗……ひっぐ……うえぇぇ……!」

 大声を上げて、私はめちゃめちゃに泣く。龍斗はそんな私を優しく抱きしめてくれる。今は、誰かにすがりたい。一時的でもいいから。

 私は龍斗の胸で、思いっきり声を上げて泣いた。

 太陽が、東の空を赤く染めはじめていた


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