くちさきロジック。
今日は面倒くさいことに掃除当番だった。分担された場所は生物室。一年から三年までの教室が並ぶ南棟とは反対の、北棟にある教室だ。
名前の通り北向きのこの校舎は、どこもかしこも陰気臭い。それは私が今いる生物室も例には漏れず、放課後といってもまだ十分明るい時間帯なのにどこか薄暗い。鬱々とした歓迎に、真面目にやって来た自分が惨めに思えた。
たぶん、それなりの人数いる掃除当番のうち、ここに来るのは私一人だけだ。
出席番号を都合よく区切り振り分けた当番は、二週間ごとに分担場所を変える。教室から、廊下、階段トイレ、特別教室諸々。その中で、生物室に当たればラッキーとよくクラスメイトは内心舌を出しバックれていた。
ここは掃除監督者がいない。だから、サボっても説教されることは無いのだ。ここぞとばかりに、みなホウキではなくスクールバックを持って帰宅の準備をいそいそと始める。ある程度の少人数は残って仕事をやり遂げるから、まあいいかと気付いている先生達も黙認状態だ。ずるい、とは思うけど、実行はしない。世の中には規範から外れてもいい人と悪い人がいて、私は明らかに後者だ。
隅のロッカーからホウキとちりとりを取り出す。小学校から変わらないアイテムは今の自分から見ると子供っぽくって、不似合だと少し笑えた。何も変わっちゃいない。掃除道具も私も。
私は今日も明日も昨日を繰り返すだけ。誰の目にも触れないようひっそりと呼吸して。ただ少し、きっかけが欲しい。世の中捨てたもんじゃないよって思えるチャンスが、変化が。今の自分はわりと厭世主義に片足突っこんでる。
教室とは違い、黒い遮光カーテンを引き窓を開ける。お粗末な日光と新鮮な空気が入りこみ、いくぶん重苦しい雰囲気が消えた。ほう、と吐息を漏らす。気分の入れ替えもこれぐらい簡単だったらいいのに。
特別教室だからそれなりに広い室内を前から後ろに掃き始める。ゴミを掃いたら集め、集めたら捨てる。単調な作業だけど、一人でこなすにはちょっと大変だ。それなりの時間をかけて終わらせる。その間、応援は誰もやって来なかった。やっぱりね。私ももう少し簡単に物事考えられれば楽なのに。自分の損にならないからやる、という行動スタンスは大分損な性格だ。
後は片付けと施錠をするだけになった。
まずは窓閉めにかかるため、入口に背を向ける。一つ二つと鍵をかけラストの窓に近づいた時、ふいに後ろから声をかけられた。
「桜井サン?」
振り向けば、入口にクラスメイトの綾部君がカバンをしょって立っていた。綾部君はここの掃除当番ではないはずだから急な出現を不思議に思えば、ボク、自然科学部なんだと聞いてもいないことを勝手に答えた。だけどそれで合点がいった。自然科学部の活動場所は、ここ生物室だ。
「じゃ、邪魔にならないようすぐ出るね。ちょっと待ってて」
私がいれば始まる部活も始まらないだろう。気遣いで性急に窓を閉め後片付けに取りかかろうと思ったら、「いや、ちょっと待って」と制止の声。疑問符を浮かべ体を再び背後にひねると、いつの間にか荷物を下ろし綾部君が入口にほど近い席に座っている。手招きされたから一瞬迷ったものの、大人しく従った。本当は面倒くさいものに引っかかったとうんざりしたのは内緒だ。
クラス一の変人で名高い綾部君は理系の理屈屋、それも屁のつく方で有名だ。彼の思考回路に同意できる者は私の知るかぎりゼロ。味方は皆無の戦地で自分の意見を堂々と主張する綾部君によくやるなとは思うけどすごいと誉めはしない。波風立たせる台風の目に進んでなってどうするんだと呆れてもいた。
一体何がこれから起こるのやら。苦手な人種に属する綾部君の向かい側に腰を下ろす。しょうがないからホウキとちりとりは足元に。
「ちょっとね、ボクの持論を聞いてもらいたいんだけど」
「はぁ……別にいいけど」
長引くのは勘弁してほしいかな。内心そっと付け足す。綾部君の意見が一クセも二クセもあるのは承知の上で顔を見合わせ、それとなく目配せで開始を促した。
綾部君はいかにも賢そうな瞳を私に向けた。きらり、と光のようなものをその奥に錯覚する。
「ボクはね、恋愛なんて、所詮人間の生存欲求の美化果てまた誤認だと思っていたんだ」
「……ぅえ?」
どうせまたぶっ飛んだ思考回路を言葉として声高々に表現するのだろうと構えていたら変化球だった。言葉遣いこそ小難しいものの、恋って、愛って。理科数学がお得意の人とは思えないくらい、らしくないにもほどがある。
とりあえずスイッチでも入ったのか、勢いづいた綾部君は私の奇声を無視して続ける。
「だってそうだろう? 相手を好きになったら、付き合って、子作りして、子供を産む。それに愛だの恋だの大層な名前をつけて下卑た性欲を高尚なものに誤魔化してるだけじゃないか。フロイトだって、人間の行動の根元は性的欲求だと言ってるし」
「そ、そうですね……?」
甘い恋愛に憧れている女子としては、大層この話は生々しく受け付けないだろう。あいにくと私は惚れた腫れたとバカ騒ぎするやからが一番嫌いなのでその心配はない。まだすんなり肯定は出来ないものの、とりあえず、耳にその大層な意見を通してみる。
「だが、ボクは間違っていたのだ!」
そこで綾部君はガタンと立ち上がった。座っていた椅子が後ろに倒れるくらい大げさに。
「恋とはそんなイヤらしいものではなかったのだ! 恋は下心とよく聞くが、そんなのは嘘だ。このボクが立証したのだから間違いないっ!」
何やら自信過剰に力説し始める綾部君。手は拳を握り、もう片方は机の上に。演技がかかったように顔は天井を仰いでいる。
私はといえば、その情熱に思わずあっけにとられている。と、視線が一直線に繋がった。コメントを求められていると察知して、何か言わなくてはと気もち焦る。
「良かったね、そんな風に思える相手に出会えて」
少々おざなりな気もするが、まあいい。一応形は整っている。
綾部君は得意気に笑った。珍しく持論が受け入れられたことに対する満足からか、その好きな人を思い浮かべてからかは推量のしようがないけど。偏屈屋の初めて見る笑顔は、意外に人懐こいものだった。
「と、いうわけで」それから綾部君は前置きをする。まだ主張し足りないのかと疑問に思っていれば、急にかしこまった口調で私の苗字を読んだ。
「ボクと付き合いませんか、桜井サン」
間。生まれて初めて、しかも突然ストレートに告白されたら、誰しも固まるものだ。硬直した私の体はその時、確かに今日と昨日の非連続性を実感したし、今日とは違う明日へと導く標識を発見した。
これか。これが、私の望んだ契機の合図なのか。
久しぶりに知恵熱が出そうなほど考えて、思考がまとまらない私を尻目に、綾部君は更に混乱への追い打ちをかける。
「ボクに恋の尊さを教えてくれたのは、アナタです。桜井サン」
とりあえず人間なんて所詮性欲の権化だよねそうだよね←
などという持論を書き散らしてみましたが意外なことに部では綾部の評判が良かったです。
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今後の部活動に参考にさせていただきます。