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Episode 3-1

 ミシェルは寒さに身を震わせた。

 不快に思い閉じていた瞼を開ける。

 見渡せば、辺り一面雪原だ。どうりで寒いはずだと考える。考えて、ミシェルは首をかしげた。

 自分は与えられた一室で眠りについたはずだった。森の奥の、化け物が棲みついていると噂される屋敷で。

「さむ……」

 呟いて手を擦りあわせる。

 吐く息は暖かいが、これで暖は取れない。あっという間に周りの冷たい空気と同化してしまうから。

「クリスは……いるの?」

 いつも世話をしてくれる執事の名を呼んでみる。

 ――当然ながら返事はない。

「当たり前よね」

 思考を止めたら途端に深い眠りにつきそうで、ミシェルは懸命に考えを口にする。そうでなければ寒くて凍えそうだった。

 近くにいるのならばクリストフは真っ先に会いにきてくれている。曲がりなりにも自分は彼の主人だ。執事が断りもなく姿を消すなんて、天がひっくり返ってもありえないことだ。

 ミシェルは再度見回したが、目に映るのは真っ白い雪ばかりだった。

 見上げると、薄灰色の雲に覆われていた。

 空から降ってこないのは助かった。吹雪いて視界が悪くなってしまったら、何もできないまま次第に体温を奪われ、最後は……。

 今度は恐怖に震える。

 夢の中で命を落とすなんて笑えない。

 ――そう、これは夢。断言できる。

 ミシェルは己の格好をまじまじと見た。

 肌触りの良い寝巻き一枚の他は何も身につけていない。寝ぼけていても着替えもせずに外出はしない自信がある。

 第一、雪原へ瞬間移動する術などただの人間に使える訳がない。

 そして、屋敷の防犯装置は万全だ。何人であっても屋敷に許されなければ入れないのだ。

 万が一外部からの干渉があったとしても、必ず執事のクリストフが助けてくれる。

 だからこれは、単なる夢。

 ミシェルはそう結論づけた。

 こうして寒さを感じるのは、不思議な屋敷に住んでいるからなのだろう。

 何かが起きているのは間違いない。毎回驚いていては身が持たないのだから、とミシェルは心に浮かぶ恐怖を振り払うように、ぐっとこぶしを握った。

「とにかく、手がかりを探してみなきゃ」

 できる限りのことはやってみる。どんな状況に陥っても一度は逃げずに向かいあう。

 ミシェルの瞳に強い光が宿る。

 己の信条に従い、彼女は行動を開始した。

 とはいえ、雪しかない。

 試しに足元の雪を掘ってみたが、何もでてこない。

 赤くなった指先がじんじんと痛む。

「困ったなぁ」

 凍えた手に息を吹きかけて独りごちる。

「せめて上着か何か、暖かいものがあればいいのだけれど」

 こう寒くては思考すらも働かない。

 そんなことを考えていたミシェルの目の前に、ぽん、と白い何かが現れた。

 雪に負けないくらい真っ白な、それでいてふわふわっとした丸い物だ。

 ミシェルは急展開に目を丸くする。

 しばし観察してから、恐る恐る手を伸ばした。触れた指先から熱が伝わってくる。

「……あったかい」

 寒さで強張っていたミシェルの頬が緩む。一歩、二歩と近づき白い丸に抱きついた。

 すると、それまで微動だにしなかったそれがぴくりと動いた。ミシェルの腕の中から逃げ出そうとしているようにも見える。

「待って、逃げないで」

 ふかふかは「みーみーみー」と奇妙な声で鳴き続け、なおもミシェルの腕から逃れようとしている。

「待って……」

 眠りに落ちるときのように、ミシェルの身体から力が抜けはじめた。


 はっ、と目を開けると見慣れた天蓋が映った。

「ああ……やっぱり夢だった」

 ミシェルは呟いて、横になったまま視線を動かした。

 魔法のかかった屋敷でも、室内に雪を降らせることは不可能のようだ。

 ただ、昨日よりも気温がかなり低い。

 ミシェルは寒さに身を震わせて、違和感に眉をよせる。

 寒いのだが――胸のあたりと腕はとても暖かい。

 何かを抱きしめていることにミシェルは今気がついた。そろりと目を下に動かす。

 白と黒の、コントラストがはっきりとした、ふかふかの――。

「きゃあ!」

 ミシェルは悲鳴をあげてそれを引き離した。同時にベッドから身体を起こす。

 私は彼を抱きしめていたの……?

 無意識とはいえ大胆な行動を思い出し、恥ずかしさに顔を赤く染める。

 されるがままに突き飛ばされたふかふかは床に落ち、それからゆっくりと立ち上がった。

「淑女ともあろうお方が乱暴な……」

 少々毛並みが乱れた頭を蹄で器用に直し、執事服に身を包んだ羊がそう言った。

 屋敷の執事、クリストフだ。

「ごめんなさい」

 若干の理不尽さを感じるものの、自分はまったく悪くないと言い切れないミシェルは侘びを口にした。

「いえ、いいのです。ですがくれぐれも! くれぐれもアドルファスに同じことはやりませんよう。あれはすぐ調子に乗りますからね」

「わかった」

 ミシェルは素直に返事をする。

 成人男性を己の胸に抱きしめるなど、恥ずかしくて頼まれてもできやしない。

 そんな思いが伝わったのだろうか。クリストフの頬もほんのりと赤く染まっている。

 クリストフの咳払いが沈黙を破った。

「ミシェル、身体に異変はありませんか?」

 ひとまずこれを、と差し出されたのは、男物の外套だった。寒いから着なさいということだ。

 気温を意識した途端に震えが止まらなくなり、受け取った外套に袖を通す。

 小柄なミシェルには大きくて動き辛いが、凍えるよりはましである。

「ちょっと寒いけど他は大丈夫。一体、何があったの?」

 非常事態だとミシェルも感づいた。だがそれが何なのかまでは見当もつかない。

「実際に見ていただくのが一番かと」

 クリストフに促されて、ミシェルはバルコニーの窓へ近づく。

「……」

 思いも寄らない光景に言葉を失う。

 バルコニーからは庭一面が見渡せるはずだった。

 この屋敷には、中央に陽光を反射して水がきらきらと輝く噴水。向かって左には、丁寧に育てられた薔薇園。その反対には植物の温室がある。

 ミシェルはそれらを目にすることができなかった。

 すべてが白に覆われていた。埋れていると表現すべきかもしれない。噴水も門へ続く道も、何もかもが積もった雪で見えないのだ。

 ――いや、雪以外の物が見えない。

 雪の季節にはまだ早いという以前の問題だ。何が起きてももう驚かないと心に決めていたが、これは予想外だった。

「……どういうこと?」

 やっとの思いで口にする。

 横に立つクリストフを見ると、彼は険しい顔をしていた。

「わたしにもわからないのです」

 クリストフは外を眺めながら答えた。

「ご覧の通り外には出られませんから、元に戻るまで屋敷で待機していてくださいね。もちろん好きに過ごしていただいてよろしいので」

「出られないの?」

 思わず落胆した声を出す。

 ミシェルのここでの仕事は、屋敷をひとりで切り盛りしているクリストフの手伝いだ。手が回らないというので、彼が大事にしている薔薇園を中心に手入れを行っている。

「えぇ。ここからではわかり辛いでしょうが、雪の壁が……というより、巨大な雪の塊が庭園に落ちている感じでしょうか。扉は開きますが無理でしょうね」

 想像がつかないミシェルは疑問符を頭に浮かべる。

 そんなミシェルに微笑みかけて、クリストフは窓から離れた。

「ミシェル、お話は下でいかがですか? せっかくの食事も冷めてしまいますからね」

 毎朝ミシェルが起きる頃を見計らって、美味しい紅茶と食事が用意されている。好意を無駄にしてしまうのは申し訳ない。

「そうね。……なるべく暖かい格好がいいわね」

 雪を見ていたら、ますます気温が下がった気がする。

 早くクリストフの淹れてくれた紅茶で温まりたい気分だ、とミシェルは笑ってみせた。

「では失礼いたします」

 優雅に一礼をして、クリストフは扉の外へと姿を消した。

 ミシェルは扉が閉まるのと同時に歩き出した。

 向かったのは部屋の隅に備えられている小部屋だ。中にはミシェルの衣類が収納されている。いくつか手に取り悩んだ挙句、結局お気に入りの青いドレスを選んだ。

 ふと視線を感じて振り返ると、ドレッサーの上で小さな物が飛び跳ねていた。ミシェルがいつも使用しているブラシだ。

 屋敷全体には特殊な魔法がかけられていて、このブラシのようにひとりでに動き出す。

 ブラシはなおも飛び跳ねている。「わたしを使って」と主張しているらしい。

 ミシェルは苦笑してブラシを手に取った。丁寧に髪を梳いて整える。最後に鏡で全身を確認してから部屋を出ようとする。が、その足が止まった。

 足下からの冷えが辛い。

 ブレックファストルームはクリストフが暖炉を焚いてくれているだろう。だがそこへ行く前に寒さで動けなくなりそうだった。

 先ほど渡された外套をまじまじと見て、ミシェルはそれも着た。

 足早に廊下を進み、一階へと降りると声をかけられた。

 エントランスホールに四足の獣がいた。黒っぽい毛並みの狼だ。

「おはよーミシェル」

 狼は陽気な声をあげた。一度全身を震わせ、伸びをするように前足を突っ張った。

 床の一部が揺らいだ。まるで水面に一滴の雫が落ち、そこから波紋が広がっていくようだった。

 波紋は狼の足から頭へと移動していく。ミシェルが瞬きをする間もなく、狼は人型をとった。

 背の高い男だ。

「アドルファス!」

「おはよー。今日もキュートだね」

 軽い口調で挨拶をしながら右手をあげたのは、ミシェルもよく知っているアドルファスという男だ。

 彼は前屋敷主の古い友人らしく、行商人として屋敷の出入りをしているそうだ。クリストフいわく『狼の皮を被った狼』だという。

「おはようアドルフ。……本当に狼男だったのね」

 ミシェルは目撃した光景に驚きを隠せない。

 狼男と話は聞いていたのだが、実際に目にすると戸惑ってしまう。

 目を丸くしたものの、ミシェルは笑顔で挨拶を返す。

「いつ来たの?」

「昨日の夜遅くにね。クリスの頼まれ物持ってきて、そのまま泊まったらこの有様」

 この有様、というのは雪のことだろう。

 外の様子を訊ねると、アドルファスは困り顔で唸った。

「実際に見てみるのがいいかもね」

 そう言って手招きする。

 内心ドキドキしながらミシェルが近づくと、アドルファスはそっと扉を開けた。

 ミシェルの視界は一瞬にして白で埋め尽くされた。

 雪が壁のごとくミシェルたちの前に立ち塞がっている。たしかにこれでは外に出ることは叶わない。

「屋敷と雪の間に隙間はあるから、なんとか登ってみたんだけど」

 ミシェルが身体を震わせていることに気づいたのだろう。扉を閉めてアドルファスは肩を竦めた。

 扉を閉めても気温は変わらない。むしろ開けたことで冷気が混じり、屋敷内の温度は下がってしまった。

「とにかく一度温まろう。俺もさすがに冷えた」

 促すアドルファスに頷いて、ミシェルは近くの部屋へ急いだ。

 その部屋はとても暖かかった。

 寒さで指の感覚が麻痺しそうだった。思わずほっと息をつく。

「ミシェル、ひとまずこちらで温まってください。アドルフも」

 クリストフが声をかけた。

 彼の前にある暖炉には赤い炎が燃え盛っていて、時折パチパチと薪の音が聞こえた。その現実味のある光景にもミシェルは心を和ませた。

 なんせ、夢としか思えない雪壁を見た後だ。自分はまだ眠っているのではないか……などと内心疑っていたのだった。

「ありがとう。凍えてそのうち氷になってしまうんじゃないかと思ってたの」

 ミシェルの冗談にクリストフが微笑む。

「氷になられては困りますので、しばしこちらでゆっくりなさってください。その間に食事の準備をしましょう」

「おう頼んだ」

 暖炉の前に据えられた椅子にミシェルを誘導し、アドルファスは彼女の横に腰を下ろした。毛足の長い絨毯の上だ。

「アドルフ、椅子は必要ですか?」

「いーや。ここでいい」

 軽く手を振って制する。

「あんまり堅苦しいのは苦手でね。本当は椅子も座りたくない……元が狼だからかもねー。人間様の常識はちょっとねー」

 そう言って、悪戯っぽく笑ってみせるアドルファスにつられて、ミシェルも声を出して笑った。

 笑いながら考えを巡らせる。

 本当にこの人たちは異形の存在なのだ、と。

 この屋敷唯一の執事であるクリストフは、今は羊の姿をしている。だが、彼はミシェルが〝とある事情〟から屋敷の主人となり、少し経った頃にヴァンパイアなのだと打ち明けた。

 初めは悪い冗談なのだと思っていた。しかし、満月の夜に金の髪を持つ男性の姿を目撃しては、信じざるを得なかった。

 羊の姿になってしまったのは、もう何百年も前に魔女を怒らせてしまったからなのだという。

 どうにかして彼を元の姿に戻したいと考えていたミシェルだった。元の姿に戻すことができれば、家に帰ることができるのではないかと、仕事の合間に図書室で調べ物をしているのだが、その方法は一向に見つからない。

 ここでの生活は嫌いではない。――いや、思っていたよりも楽しい。

 それでも、元の自分の家が、家族が恋しいのだ。

 文通めいたことは許されているものの、軟禁状態にかわりはない。帰ろうと思えばいつでも屋敷を抜けられると知っているが、裏切り行為もしたくはなかった。

 ミシェルは複雑に絡み合う感情に苛まれていた。

 すべてが上手く進む方法は、どこかにないだろうか――。

 かれこれする間にクリストフがワゴンを押して戻ってきた。

「おっうまそうだな。ねーミシェル?」

 突然話しかけられ肩を揺らす。きょとんとしているアドルファスと目があう。

「あ……うんそうね」

 先に立ち上がったアドルファスに差し伸べられた手を取り、ミシェルも椅子から立ち上がった。


 紅茶のおかわりを暖炉の前で飲みながら、ミシェルはほっと息をついた。

 血が巡ってきたのか、今は寒さは感じなくなった。だが、外に出てしまえばあっという間に身体が冷えてしまうだろう。

 ミシェルは少し振り返り、窓に目を向けた。そうして思わず身震いする。

 雪の白さしか見えない。雪は一向に消える気配がなかった。

「困ったわね……」

 クリストフが同意する。

「えぇ、本当に。困ったものです」

 クリストフの呟きは自分に向けられたものではないと、ミシェルは何となく悟った。アドルファスにでもない。

 食事中に彼らから得た内容で、事のあらましが大まかではあったが理解できた。

「ねぇ、このまま出られないの?」

「それはないでしょう。一時的な悪戯ですから」

 手にした一枚のカードを忌々しく睨みつけ、クリストフは大げさにため息をついた。

「本当に、困った人です」

「今に始まったことじゃないだろ? この屋敷自体がおもちゃ箱みたいなもんだからな……俺もすーっかり忘れてたけど。あんにゃろーはたまに奇怪なこと思いつくからないてっ」

 頭部に手をあててアドルファスが天井を見上げる。続けて床に目を向けた。

 ミシェルもその視線を追うと、己の足下に子供の掌くらいの塊が落ちていた。

 淡い光を放っているそれはリンゴの型をしていた。以前、父親の仕事で訪れた屋敷に飾ってあった、クリスマスツリーの飾りに似ている。

 それを拾おうとするが、指が触れた途端に跡形もなく消えてしまった。

 体温で溶けてしまう雪のように、ミシェルの指が触れたところから消えていく。

「外の雪……は、溶かせられないかな?」

「無理でしょうね」

 きっぱりと即答され、ミシェルは困ったように眉をよせた。

「時間をかければ可能かもしれませんが、その前に氷漬けになるでしょう。我々の命を取るような危険な代物ではないとわかっていますが」

 少々物騒な内容になってきた。

 一度視点を変えてみるのがいいのかもしれない。

 ミシェルはクリストフに頼み、持っているカードを受け取った。

 そこには『神は一つのドアを閉めても千のドアを開けている』と書かれていた。

 何度も復唱して、言葉の意味を考える。

「これ、そのままの意味でいいのかな」

 クリストフとアドルファスの顔を交互に見やるが、ふたりから返事はない。どちらも難しい顔をして、考えこんでいるようだった。

「一度失敗してもチャンスはまだある、か。……どういう意図があるんだろう?」

「……そうだな。こういうのはどうだ?」

 人差し指を自身の眼面で立てたアドルファスは、いつになく神妙な雰囲気を醸しだしていた。

 一同の視線が向けられた。

 アドルファスの目がきらりと光る。

「ミシェルを口説くのを失敗したがチャンスはまだまだある。――まて冗談だ」

 どこから出したのか、クリストフの手に銀色の短剣が握られていた。蹄の前足で器用に柄を操り、短剣をくるくると回している。

「言っていい冗談と悪い冗談があると、何度も申し伝えたはずですがねお客様」

 目の据わったクリストフの背後に、大きな黒い獣の影が見えた気がした。

 こうした姿を見ていると屋敷の恐ろしい噂もわかる気がする。

 冷静にそう診断してから、ミシェルはクリストフを宥めにかかった。

「クリス。アドルフは重い空気を和ませようとしただけよ」

 一見おどろおどろしいこれも、彼らなりの交流なのだと、接していくうちにわかってきた。しかし放っておくのは気が引けた。

 アドルファスの頬が本気で引きつっている。彼は銀製品が苦手なのだ。

 狼男は銀の弾丸が弱点らしく、その流れで銀製の物全般が駄目なのだという。ちなみに、食事のときに彼が使用していたのは木製の食器である。

「お前だって銀の弾は即死だろう! だいたいなんで銀の短剣なんて持てるんだ! 陳腐な物でもお前にも効果はあるはずだろう!」

 ミシェルの椅子の影に隠れながらアドルファスがわめく。

「あなたとは鍛え方が違うのです。一緒にしないでください」

 短剣をアドルファスの前で閃かせ、さらに煽る。クリストフは口の端を少しばかり上げていて、どことなく楽しんでいる様子だ。

「や、まて降参降参」

「クリス。アドルフの冗談に本気になっちゃ駄目よ」

 そろそろ今後の話を進めた方がいいだろうと思い、ミシェルは助け舟を出した。

「えー結構本気なんだけどなー」

 というアドルファスの主張を綺麗に無視して、

「何か他にヒントはないの?」

 ミシェルはカードをまじまじと見つめた。もうひとつ、小さい文字が書かれていることに気づいた。

「ユリウス……? 人名ねこれ」

「あぁ、それは」

「前のご主人様の名前だよ。この屋敷の」

 背後から回答が聞こえた。クリストフの言葉を引き取って、アドルファスが答えたのだ。四つん這いの状態で出てきた彼は元の場所に胡坐をかいて座った。

 クリストフももう気が済んだのか、短剣をどこかにしまっている。

「前の……」

 呟いて、見知らぬ人物に想いを馳せる。

 森の奥に佇む屋敷に住んでいた、正体不明の主。近隣では、恐ろしい魔物が棲んでいるから決して近づくな、とまことしやかに囁かれていた。

 その話はミシェルも耳が痛くなるほど聞いていて、噂が半分真実で、半分は嘘だと知っている。

 ミシェルはもう一度カードに目を落とした。

 短い文章ではあるが、カードに書かれた文字からは気品と繊細さが感じられた。噂ほど悪い人物ではなかったのだろう。

「どうしてこのカードがあるの? ご主人様はもう亡くなっているんでしょう? どこからか出てきたの?」

 初めて屋敷に来たときに、先代は亡くなっていると執事であるクリストフから聞いている。最近書いた物ではないはずだ。

 ミシェルは息を詰めてクリストフを見つめた。

 実は長い年月を経て彼が生き還りまして。なんせ、ここは化け物屋敷ですからね。――などと言い出しても、驚かないように覚悟を決めて。

「ミシェルの言うとおり、出てきたのですよ。今朝方わたしの枕元に」

 そう言ってクリストフは大袈裟なため息をついた。

「悪戯好きな少年のようなところがありましたから、こういったことは日常茶飯事ではありましたが……大雪は初めてです」

 ふたたび盛大なため息をつく。

「ねぇ、外ってどうなっているの? 雪で埋まっているとしか聞いてないんだけど……」

 聞きそびれていたことを思い出してミシェルは訊ねた。

「出られなくはないよ。雪壁をよじ登って雪原を門まで歩けばね。めっちゃくちゃ寒いけれど。敷地の外へ出てしまえば雪の被害もないしね」

 ということは、異変はこの屋敷のみらしいとミシェルは考えた。

 アドルファスが身震いする。外の気温を思い出したようだ。

 窓に目を向ける。やはり変化はない。

 ずっとこのまま――ということはないと思うのだが、不安が押し寄せてくる。

「前のご主人様のユリウスさんが、何らかの理由でこの雪を降らせたと思う?」

 ミシェルの問いに彼らは頷いた。

「何かのきっかけで大雪が出現するように、生前仕掛けを作ったのだと思います」

「俺も同じ」

 真剣な顔で返されて口を噤む。

 たしかに、ありえる話なのだろう。屋敷が化け物屋敷と噂される所以は、吸血鬼が棲みつき狼男が出入しているからではない。悪事を働こうと屋敷に忍び込んだ者が、勝手に開閉する扉やひとりでに動き出す道具を目の当たりにしている。

 問題は大雪が出現したことよりも、どうすれば消すことができるのか。

 何か良い案はないかと訊ねてみるが、クリストフもアドルファスも思いつかないようだ。

 ミシェルはカードの文章を何度も復唱した。

「〝一度失敗してもまだチャンスはある〟……まずは意図がわかれば次に進めそうなんだけど」

「…………。こんなのはどうですか?」

 考えれば考えるほど頭が混乱してくる。ミシェルが眉をよせていると、クリストフがぼそりと言った。

「なに?」

 クリストフと目があった。彼の瞳は、羊の姿のときはまん丸でとても可愛らしいとミシェルは常に思っている。

 その瞳に翳りが生じた気がした。

「まだ、家に帰るチャンスがある」

「えっ?」

 一瞬、何を言われているか理解できずにいた。心の中で数回反芻して、自身のことを言っているのだと悟る。

 この屋敷から〝家に帰る〟のはひとりしかいない。

 一度帰るきっかけはあったのだが、ミシェルは結局ここに留まっている。クリストフはそのことを含めて言っているのだろう。

 クリストフの口調にどことなく棘を感じた。

 知らぬ間に彼を怒らせるようなことをしてしまったのかと、ミシェルは不安になった。記憶を辿ってみるものの、まったく身に覚えがなかったのだが。

 気まずい沈黙が室内を支配した。

「はいはいはいっ」

 それを破ったのはアドルファスだ。手を鳴らして茶化すような言い方だ。

「その件はまた後日! 落ち着いたら! 俺ももう一度外見てくるし、各自できる範囲で調査ってことで! ね?」

「……そうですね」

 アドルファスの提案に賛成し、一同はひとまず解散となった。

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