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Episode 2-1

 軽快な打音が耳に届き、ミシェルは眠りの世界から引き戻された。

 ぼんやりとした意識の中で何の音か考える。

 近所の家で屋根を直しているのだろうか。良く晴れた日に直しておかないと、急な雨で家が水びたしになってしまうから。そういえば、我が家の屋根は大丈夫かな。あとで父さんに確認してもらわなくっちゃ。

 ミシェルはそこまで考えてはっと目を開けた。

 視界に映るのは質素な自分の部屋ではなく、豪華な調度品の並ぶ部屋の天井であった。

 正確には天井ではなく、細かい細工のされたベッドの天蓋であったのだが、ミシェルは寝起きでまだ頭が回らなかったため、なんで天井が違うんだろう……いつの間に模様替えしたんだろう……などと頓珍漢なことを思っていた。

 やがて朦朧とする意識がはっきりとしてくると、ミシェルは勢いよく上半身を起こした。

「あー……そうだ。わたし〝森の化け物屋敷〟へ来たんだよね。うん、そうだ」

 確認するように独り言を言って寝巻きの袖を撫でつけた。伝わってくる自身の体温と感触に、夢ではないのだと確信する。

 彼女が今身に着けている寝巻きは肌触りの良い上質なものだ。この屋敷へ来る前は着たことはおろか見たこともなかった。

 本来ならば平凡な生まれにそぐわない生活をしているのだから、現実ではないと思うのが普通なのだろう。しかし頭がはっきりしている今、すべて思い出している。ここで上流貴族のように暮らすようになったのは夢でも幻でもない。紛れもない事実なのだ。

 ミシェルは目を閉じて過去を振り返った。

 盗賊すらも近づかないと噂のある森の奥の屋敷。

 父親の失態でここへ来る羽目になったミシェルは、いわば生贄だ。殺されても文句は言えない。そのつもりで来たのだが、彼女の覚悟とは裏腹に、これまで経験したことがないような優雅な生活を送っている。

 変わりに屋敷からは出られない。だが、離れて暮らす家族と文通めいたことは許されており、敷地内では好きにしていいと言われているため、人質の感覚はまったくない。

 いくら大切に扱われようと、捕らわれの身であることには変わりはないのだが――。

 悲観しても仕方がない。

 持って生まれた前向き思考で納得すると、ミシェルはベッドの上で身体を軽く動かして、首をかしげた。

 何かを叩く音は今も続いている。どうやら屋敷内ではなく外から聞こえてくるようだ。

「何の音なの?」

 村にいた頃にもよく聞いた音。だから修理をしているのだろうと思うのだが、何を修理しているのかがわからない。

 直さなければならないところはなかったはずだ。少しばかり荒れていた薔薇園ならともかく。

 ミシェルは考えを巡らせて、そうして思い至った。

 急いで着替えを済ませ髪を整えると、大急ぎで部屋を後にした。

 広いエントランスを抜けて屋敷を出て右方向へと足を進める。

 早歩きになってしまうと自然とスカートが捲り上がってしまうのだが、構っていられない。この屋敷の執事であるクリストフに見つかったら、淑女たる者がはしたない! と怒られてしまうだろうが。

 ミシェルはその様子を想像して苦笑する。

 クリストフが近くにいる気配はない。

 今のうちだと思い、ミシェルは足首まであるスカートを両手で軽く持ち上げると、小走りで目的地へと向かった。

 たどり着いたのは同じ敷地内にある温室だ。全面ガラス張りのそこは、燦々と輝く陽の光を浴びて、きらきらと輝いている。

 反射する光を手のひらで遮りながら、ミシェルは温室の上方を見やった。

 思ったとおり、視線の先に人影があった。

 温室の屋根で仕事をしているらしいそのひとは、少々細身ながらもしっかりとした肩幅が感じられて、男なのだとミシェルは思った。袖から覗く腕には筋肉がついているので、着痩せするタイプなのかもしれない。

 陽に透けて銀色に見える短めの髪が風にそよいでいる。

 視線に気づいたのか、男が手を止めて肩越しに振り返った。

 離れているものの目がばっちりあってしまい、ミシェルは驚いて肩を揺らす。

「あれ……君は……」

 言って、男は数回瞬きした。顔には「誰?」と書いてある。

「ああ、そうか。君が」

 男は得心がいったという風に笑い、自身の周囲にある道具を手早く片付けると――その身を空へと躍らせた。

「え」

 突然の出来事にミシェルの思考は停止した。

 空を仰ぎ見たまま、危ないと声をかけることもできずに、ただただ男が空から降ってくるのを見ているだけであった。

 男の身体は飛んだときの体勢のまま地面へと近づく。

「――っと」

 着地時の鈍い音がした。

 膝を柔らかく曲げて着地の衝撃を殺したのか、男がダメージを受けた様子は見受けられない。

 数歩後ろへ下がり、ミシェルは男を凝視する。

 男の格好は、村の青年が着ていたような服だった。機能性を重視した、飾りのない動きやすい普段着だ。髪は最初銀色なのかと思ったが、やはり目の錯覚だったのだろう。濃いめの灰色だった。

「君は、屋敷の新しいご主人様?」

 ミシェルは問いかけられた内容が一瞬理解できず、数十秒経過してからこくこくと頷いた。

「一応、そうなります」

 クリストフがこの場にいたら、一応ではありません、とおそらく窘められただろう。が、未だ主人の自覚はミシェルにはない。

 押し付けられた形ばかりの主人だ。堂々と名乗るのもおかしい。

 そう思って曖昧に答えた。

「無理矢理だから戸惑うよねー」

 男は気持ちはわかると言わんばかりに相槌を打った。

 人懐っこい笑顔にミシェルも緊張を解いて顔を綻ばせる。

「俺ね、クリスから聞いてるかわからないけど、たまーにここへ来る商人。アドルファス――アドルフって呼んで。以後お見知りおきを。君の名前聞いてもいいかな?」

「ミシェルです」

「ミシェルかーいい名前だ。気取らない素朴な感じがまたいい。今度の当主は可愛らしくて俺も嬉しい」

 アドルファスは自問自答するように言葉を紡ぎ、ひとりで納得している。そうして、困惑しているミシェルににこっと笑いかけた。

「ねえ、ミシェル。今度俺とイイコトしなふぎゃっ」

 最後まで言うことは叶わず、アドルファスはミシェルの目の前から消えた。黒い塊が横切った気がしたが、一瞬のことでよくわからなかった。

 目をぱちくりとさせて辺りを見回すと、少し離れた場所でアドルファスが横倒しになっていた。そのまま指すらも動かない。

 そして、その横に執事服に身を包んだ羊が一匹立っていた。

「クリス……?」

「ミシェル、何もされていませんね? さぁ屋敷の中へ。外は危険が一杯です」

「え? ちょっと」

 口元は笑っているが目はまったく笑っていない。クリストフは誰もが一歩引くような笑みを浮かべながらミシェルを促す。

 背中を押される形で屋敷方向へと向きを変えると、ミシェルの背後からくぐもった声が聞こえてきた。

「――待たんか羊」

 続いて耳に届いた、男の押し殺した声。

 ミシェルが驚いて振り返ると、アドルファスが起き上がるところであった。ゆらりとした動きはさながら幽霊のようだ。彼の頬に残る蹄の跡が不気味な光景を緩和している。

「ミシェル、見てはいけません。目が穢れます」

「俺をバイキンみたいに言うな! ってか、お前には言われたくない!」

「耳も塞いでください」

「無視するな家畜! ぎゃっ!」

 アドルファスは悲鳴とともに後へ飛びずさった。彼の足元にはどこから飛んできたのか、短剣が数本突き刺さっている。

「よりによって銀製か」

 アドルファスの青ざめている顔を見てミシェルは心配になり、なおも自分を彼から遠ざけようとするクリストフに声をかけた。

「ねえ、クリス。どういう理由があるのかわからないけど……やりすぎじゃない?」

 そう言ったミシェルにクリストフはとんでもない、と首を振る。

「前にも言ったでしょう? あれは狼の皮を被った狼だ、と。これでもまだ序の口です。さ、行きましょう。あなたがあれを気にする必要などありません」

 ちらりと狼を見やるクリストフはいつもと変わらぬ表情であったが、彼の真ん丸い黒目には侮蔑の色が浮かんでいる。

「お前が言うな――っと」

 アドルファスは、ふたたび自身に向かって飛んできた短剣を難なくやり過ごし、反撃の隙をうかがう。重心を後ろの足に置き、いつでも動けるよう身構える。

 相手との距離を縮めるべくアドルファスが一歩前へ進んだ。それとほぼ同時に、クリストフはミシェルを背中に庇うようにして一歩下がった。

「ただの剣で傷つけることは難しいでしょうが、銀製ならば命までは無理でも時間稼ぎはできますからね。本当は銀の弾が用意できれば良かったのですが」

 短剣を数本胸の前にかざし威嚇する。

「それはお前もだろう吸血鬼っ。そのまま自分の身体に刺しちまえっ。ぎゃっ!」

 ふたたび足先に突き刺さりそうになった短剣を寸でのところでかわし、アドルファスは距離を置く。人差し指を突きつけて、大きく息を吸った。

「お前は腹黒い執事だ! 羊の皮を被った悪魔だ!」

「何とでも言いなさい。主を守るためなら何でもします。――ときにミシェル。今日のディナーは狼肉のパイ包みなどいかがですか?」

「おおかみ? ………………。狼は食べたことないなぁ」

 ミシェルは気が動転して思った素直な気持ちを答えた。目の前で繰り広げられる抗争にどう反応したらいいのか困り果ててしまったのだ。

「肉が硬そうだからやめましょうか」

 前言を翻すが、短剣は収めない。

 クリストフの蹄に引っついている短剣三本をまじまじと見て、ミシェルはどうやって持っているんだろう、と会話とは無関係なことを考えていた。

 この屋敷で起こる不可思議なあれやこれやに慣れすぎるのも問題かもしれない。

 そんなことをミシェルが思っているとは露知らず。ふたりの男は火花を散らして睨みあう。

 アドルファスがふっと目つきを和らげた。

「相変わらずひでーなお前。ミシェルが好きそうな物をと言われたから、手に入れて持ってきたってのにー。無駄になっちまうなー。もったいないなー。残念だなー。あぁ残念だー」

「む」

 芝居がかった物言いにクリストフが動きを止めた。してやったりといった風ににんまり笑って、アドルファスは一歩前へ踏み出す。

 しばしの沈黙が流れる。

 ミシェルは身じろぎすら許されない状況で事の成り行きを見守るしかなかった。

 ――ややあって、先に動きを見せたのはクリストフであった。

「仕方ないですね。今日はこのくらいにしましょう」

 クリストフは目にも留まらぬ速さで持っていた短剣をどこかへ収めると身を翻す。

「ミシェル行きましょう。アドルフ、それを片づけてくるように」

「へいへい」

 それ、とはクリストフが投げた短剣のことらしい。

 身を屈めてそれらを集めているアドルファスを横目に見ながら、クリストフはミシェルを連れて屋敷へと入っていった。

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