一
「お嬢が逃げていなければ、俺がここに残った意味はない」
顔を覆いかくす鉄仮面の奥から盛大なため息があふれだす。
「だって追われているのは私たちなんでしょ! エガルトがひとりで追手を足止めするなんておかしいじゃない! 私がオリゾンにお願いする! あなただけは助けてって!」
彼の胸のあたりまでの背丈しかない少女は、顔を真っ赤にしてエガルトに抗議する。
エガルトは彼女をなだめようと口を開きかけるが、北門のほうから大きな衝撃音が聞こえ押し黙る。追手が力尽くで門を破ろうとしているのだ。
閂をしっかりとかけてはいるが、破られるのは時間の問題。通路にはいくつか罠を仕掛けてはいるけれども、これもたいした時間稼ぎにはならないだろう。
とにかく、もう時間が無い。重装鎧に身を包んだエガルトは、鎧で傷つけないように。慎重に彼女を抱き上げる。
「ちょっとエガルト!」
「お嬢が幸せになってくれることが、侯爵と俺の願いだ」
これまでも何度も言われた言葉に、少女は頬をふくらませる。
彼はそんな彼女を抱きかかえたまま、木箱のふたをあけ少女を中にいれた。
「これからここは戦場になる。声をあげないでくれ。それが俺からの最初で最後の頼みだ」
泣きそうなエガルトの声に、少女は顔をそむけながらもうなずく。
本当はわかっていた。なにを言おうとも彼が決断をかえてくれないことを。
エガルトは安堵の息をもらしつつ、木箱のふたを閉める。
衝撃音はいまも続いていた。
守るべき少女がこの場に残ってしまった以上、時間を稼ぐことに意味はなくなった。早く通り抜けてほしいくらいだが、無抵抗で通せば逆に怪しまれるにちがいない。
彼は壁に立てかけてあった二枚の大盾を手に取り、廊下へ出ると祈るように扉を閉める。
「どうする? どうすればお嬢を守れる?」
盾になることしか知らない彼が、精一杯の知恵を働かせ、やっとの思いでここまでたどり着いた。それなのに、大事なところで問題が起きてしまった。しかも追跡者はすぐそこにまで迫っている。考えている時間はない。
「閣下、どうか俺に力をお貸しください」
エガルトは鉄仮面の奥で目を閉じ、いまは亡き主に祈る。
彼の心が揺れているころ、関所の北門では十騎のうち四人の騎士が、破城槌を門に打ちつけていた。
「急げ! 奴らに川を渡る時間を作らせるな!」
先遣隊を率いるトリーブは豊かな顎鬚を振るわせながら激を飛ばす。
馬から降りていた彼は、峡谷を塞ぐように建てられた石造りの関所を見つめながら、苦々しげに地面を蹴りつける。
本来であれば王都にある彼らの屋敷を急襲するはずであったのに、事前に作戦を察していたらしい彼らは、すでに逃げ出していて屋敷はもぬけの殻。
それだけであればトリーブにとっては都合が良い。屋敷の襲撃では後方待機であった彼に、手柄を立てる機会が生まれたのだから。
トリーブは嬉々として新しい騎士団長に追撃の先遣隊を申し出た。だというのに、こんなところで足止めをくらうのは、まったくの想定外である。
この関所が、関所としての役目を果たしていたのはもう五十年近くも昔のこと。
現在では戦争による国境線の変更や新路の開拓により、門は閉ざされることなく、ただそこにあるだけの存在に成り果てている。
トリーブも、この門が閉ざされるという予測をがまったくたてていなかった。
とはいえ、彼は国で最強の騎士団の古参騎士。
予想外の現実に狼狽しつつも、近隣の村から破城槌代わりになりそうな木材を集めさせ、門の破壊を急がせる。
門さえ破壊できれば、あとは関所内の通路を真っ直ぐに進み、南門を抜ければいいだけ。
彼が再度、部下に激を飛ばそうとしたところで、大きな破壊音がとどろき、門が開かれた。
「急ぎ追いかけろ! 反逆者でまともに抵抗できる者はひとり。そやつが反抗するようなら切りすててかまわん」
指示に従い、馬上にいたままの五名の騎士が馬を駆り立て関所に駆け込んでいく。
トリーブも馬上へと戻るが、関所の中から悲鳴があがる。彼が関所の中に馬を進めると、三名の騎士が困惑した表情で薄暗い廊下で待機していた。
「トリーブ殿、鉄線が仕掛けられています!」
「お気を付けください! 床には鉄菱もまかれてます」
待機していた騎馬の先の床から苦しげな声が聞こえてくる。
どうやら狭い通路を活用して罠が仕掛けられていたようだ。
「あの忌み子の仕業か! 早く罠を解除しろ! 本隊もここを通ることになるのだぞ!」
叱責を受け、落馬した騎士のひとりがなんとか立ち上がり、壁に設置されている松明に火打石で火をつけようとした瞬間。
「ぎゃっ!」
廊下が一瞬光りに満ちたかと思うと破裂音と悲鳴が耳をたたく。
照明が爆発したのだ。爆発自体は小さいものであったが、それでも指先が吹き飛んだのか、火をつけようとした騎兵は右手を押さえうずくまっている。騎馬も音と光に驚き、トリーブを含む馬上の騎士たちは必死で馬をなだめる。
「これもヤツの仕業か! 生意気な忌み子めが!」
トリーブが忌々しげに唾を吐き捨てる。
この関所は必要性がなくなったあと、昨日、反逆罪が確定した侯爵家の管理下にあった。
しかしながら、逃走中のかぎられた時間では、門に閂はかけられても、罠まで仕掛けるのは難しい。逃走を事前に計画していたとしか思えない。
別の騎士が他の松明掛けに罠がない事を確認してから火をつける。ようやく廊下の様子が浮かび上がった。倒れていた馬たちはすべて立ち上がり、落ちつきも取り戻している。ただ何頭かは激しく出血していた。
苛立ちがつのるトリーブの視界に、通路の光景が映る。
南門側の通路の中央に重装鎧をきた兵士がひとり、壁のように立っていた。エガルトだ。
彼の両脇は武具やら箱が積み上げられている。そのせいで馬四頭が並んで通れるはずの廊下が、彼をなんとかせねば南門まで抜けられそうもない状態になっていた。
馬から落ちた者たちが罠の解除を急ぐなか、トリーブは追いついてきた門の破壊に取り組んでいた騎士たちとともに、馬の歩みを進める。
「侯爵への恩義を忘れ、国賊どもの逃亡を手助けするとはなにごとだ! 忌み子よ、今すぐそこをどけ!」
トリーブは馬三頭分の距離まで詰めたところで、エガルトを叱責する。だが二枚の大盾をかまえた彼は身じろぎひとつしない。トリーブの声は廊下に虚しく響く。
「もういい! 早くその忌み子を排除しろ!」
すでに堪忍袋の緒が切れていた彼の指示に、一騎がすぐさま斬りかかろうと騎馬を駆けさせる。だがあまりにも無策だった。両脇を荷物で固めたられた状況で、騎馬に乗ったままでは、正面からつっこむ以外の選択肢がない。並の兵士であれば、馬の突進でカタがついただろうが、目の前の重装歩兵は並ではなかった。
馬の突進を、エガルトは片方の大盾で止めてみせると、もう一方の大盾で馬の首を力一杯殴りつける。
悲鳴をあげが立ちあがった騎馬から、騎士が投げ出された。
続けて二騎目が横向きで馬を進めつつ、馬上からエガルトを斬りつけた。だが剣はあっけなく大盾にはじかれ、もう一枚の大盾で横腹を殴られた馬が、先程の馬と同じように立ち上がる。結果、床に転がる騎士を一人増やしただけだった。
前と横がダメならばと、三騎目はエガルトを馬に蹴らせようと馬に尻を向けさせる。しかしこれまで同じ場所から動かなかったエガルトが、素早く馬との距離を詰め、馬が後ろ足を蹴り上げる前に。盾による強烈な一撃を馬の尻に叩き込んだ。
驚いた騎馬は、騎士の制止など聞かずに、他の騎馬をかき分けるように、北門へと駆け出してしまう。
呆気にとられる騎士団を尻目に、エガルトは再び定位置へと戻った。
彼のその冷静な動きは、すでに燃え上がっていたトリーブの頭の中がさらに燃え上がる。
「頭をつかえ! こんな狭い場所で馬上から満足な攻撃ができるわけがなかろうが!」
指揮官の指示に応え、残った四名の騎士が下馬し、エガルトに向き合う。
四人の騎士は、できる限り彼を取り囲もうと広がる。エガルトの両手の盾がその動きにあわせるように左右に開く。
「そこっ!」
ひとりが叫ぶと、四本の剣が二枚の大盾のあいだに突き通される。
しかし、刃は鎧には届かない。左の大盾の側面が切っ先を、右の大盾の側面が柄元をとらえ、てこの原理でまとめて騎士たちの手から剣が奪われていく。ふたりが反射的に床に乾いた音をたてて転がった剣を拾おうと、前のめりに屈みこむ。そんな彼らに向けて横向きにされた大盾が突きだされた。ふたりは鼻血を吹きだしながら後方へと転がる。残りの二名は小盾でなんとか直撃を避けたが、剣を諦め大盾の届かないところまで下がった。
「いい加減にせんか! 侯爵の志を裏切ったヤツらをかばえば、お前もヤツらと同類になるぞ!」
トリーブは怒りに任せ吠えるが、エガルトは二枚の大盾をかまえ直し微動だにしない。
目の前の重装歩兵の守りの堅さは、トリーブの想像をはるかに超えていた。国賊たちを捕捉するための先遣隊であったため、全員が軽装。弓などの携帯もしていない。もちろん装備を用意し直すこと時間もなかった。破城槌かわりの丸太を近隣の村で確保できただけでも運がよかったといえる。
せめて槍でもと思うが、関所に残されていたものは、おそらくエガルトの両脇の荷物の山に組み込まれているだろう。
「後悔することになるぞ!」
困った末、馬上で剣を抜くが、そこから先は動けない。トリーブは多くの経験を積んでいる熟練の騎士ではあったが、守りを固めているあの重装歩兵を排除できる自信はない。
「エガルト、そこを通してくれないか。お前が守りたいのはお嬢さんだけだろう? 受け入れられるかは保証できないが、助命の嘆願はさせてもらう。頼むからそれで手を打ってくれ」
トリーブの背後から響く、静かでありながら凛とした声に、これまでトリーブの言葉に反応を示さなかった重装歩兵が、表情の見えぬ鉄仮面を大きく横に振った。
「オリゾン、お前の頼みでもそれはできない。彼らはお嬢様が成人されるまで、しっかりと養育することを約束した。俺にはここを守る義務がある」
エガルトの決意を感じさせる言葉に、トリーブと馬を並べた若き騎士団長、オリゾンの瞳が悲しげに揺れる。
「トリーブ殿、先遣隊の指揮をありがとうございました。これより指揮は私が執ります。貴殿は関所の外で、怪我人と傷をおった軍馬の治療をして下さい」
「いやしかし!」
若い騎士団長を見返したい思いだったトリーブとしては、ここで後方に回されるのは不本意、
だが、オリゾンが正面から彼を見据えると言葉を失う。
トリーブは前騎士団長を彷彿させる力強い視線に気圧され、下唇を噛みしめながら俯く。
「……承知いたしました」
絞りだすように返事をした彼が、率いてきた先遣隊に指示をだし後方へさがると、オリゾンは再びエガルトと向かい合う。
「念のために問うが、侯爵への恩を忘れたわけではあるまいな?」
彼の問いにエガルトは答えない。鉄仮面のわずかな隙間から馬上の友を見つめるのみ。
ただその瞳に映るのは友の顔ではなく、遠い昔、幼き自分がを救ってくれた恩人の姿。
あまりにも眩しく感じ、彼は目を細めた。




